第二十二章 封光揺らぐ帰途(第三話)
遥か昔の残滓が瞼の裏で弾け、巳山は息を呑んだ。
眼前にあるのは、現の景色――澄斬神社の木立、風のざわめき。
いま見たのは夢か、過去か。
清守の面影だけは確かだった。
巳山が次に、意識の輪郭を取り戻したとき、彼の目には現代の風景が写っていた。
(い、今のは……)
清守の容姿は、巳山が遥か昔に記憶していた姿そのままだった。
だが、見せられた過去が、本物なのか、偽りのものなのか、巳山には判別できかねた。
(もし、今見た過去が真実だというなら、蒼耀様は乱心なされた。それを止めようと清守は……。だが、どうみても勝ち目はなかった。そうだ。我々眷属が、神を殺せる程の力を持てる訳がないのだ)
巳山が清志郎を確認すると、悪夢に苛まれているような顔で、魘されていた。
神殺しの罪業の烙印は、光を失ったせいか、もう見えない。
(一体、誰の力を借りたのだ。あれが真実だとして、肝心なところは見せぬのだな)
「榊殿、榊殿、しっかりなされよ。起きてくだされ」
巳山は、無理矢理にでも清志郎を起こそうと、激しく揺さぶった。
「んうっ……み、巳山殿……あ、あれ?これは、どういう状況……」
「榊殿が体調を崩され、休憩されていたところ、眠ってしまわれたのですよ」
「あ、ああ、そうでした」
「眠ってしまわれる前のこと、覚えていますか?」
巳山は、清志郎が烙印を見たのを覚えているかどうか、それとなく探りを入れる。
「え?……あ、あまり思い出せないです。ご面倒をお掛けして申し訳ない。な、何か失礼がございましたか?」
(この様子だと、覚えてない、か……)
「いえ、何も。それより、体調はどうです?悪夢に魘されているようだったので、無理矢理起こしてしまいましたが」
「あ、なんともないです。なんだったのかな?あはは……ね、寝たら治ったみたいです」
「そうですか。ならばよかった。しかし、繰り返すようなら風間医院で診てもらってください。脇腹の件についても同様です。治療費なら、ご心配なさらずと、澄様がおっしゃっておられました」
「は、はぁ……」
(澄さん、ありがとう。でも、それは……君を傷つけた身としては、できないよ)
清志郎は立ち上がり、巳山に軽く頭を下げた。
「ご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。もう、大丈夫です。歩けます」
「では、行きましょうか。なに、ここまでくれば、もうあとほんのちょっとですよ」
巳山に先導されて、清志郎は澄斬神社の敷地を抜ける。
(やけに静かな所だな。気配はするのに、声がしない)
暫く小道を下っていく。
風が木々の間を抜け、葉がざわめく音が耳に届く。
その間ずっと、清志郎は誰かに監視されているような気がして、落ち着かなかった。
(これは人間の気配じゃない……。だが、なんだ?まるで動物や虫たちが、じっと俺を見ているような……そんな気配だ)
本能的に、向けられる視線の正体を知りたくて、きょろきょろとしてしまう。
(いやいや、そんな馬鹿げた話があるかよ)
「どうかされましたか、榊殿」
挙動不審な清志郎に気づいたのか、巳山に声を掛けられてしまった。
「あぁ、いえ、千凪村周辺は庭のようなものだと思っていたんですが、知らない道があったことに驚いてしまって……」
変な奴だと思われたら厄介だと思い、清志郎は適当に誤魔化した。
「この道は、知る人ぞ知る道ですからね。この道が寂れたように、あの神社の神への信仰もすっかり薄れてしまったのです」
「澄斬神社でしたか?どんな神様なんです?」
「人々と苦楽を共にする慈悲深い女神ですよ。以前は、千凪村からも参拝される方が絶えなかったそうですよ。しかし、人間というものは薄情な生き物だ。今では参拝する者などいやしない」
「……まるで巳山殿ご自身が人間ではないかのような言い方ですね。祈っても無駄だというのなら、人々がやめるのも当然でしょう」
時が止まったかのように、巳山と視線が交差する。
清志郎自身、初対面の男に対して、何故そのような棘のある言い方になってしまったのか、わからなかった。
暫しの沈黙の後、清志郎は、またやってしまった、悪い癖が出たと内省し、巳山に詫びた。
「す、すみません。あなたのことを何もわからぬ身で失礼なことを。私自身が神仏を信じておらぬもので……つい……」
「……そう、ですか。意外ですな」
巳山の目に一瞬、怒りが灯ったかのように見えたが、今は意外だという言葉どおり、驚きの色に変わっているような気がした。
清志郎は、自己嫌悪に陥り、心の中で深い溜息をついた。
◇
「宗真、なんじゃ、もう行くのか?」
「ああ、なんだか早く動いた方がいい気がするんだ。これといった根拠はないんだが」
「母に会いたい一心なのではないのか?」
「だ、断じて違う!私は……」
「すまんすまん、冗談じゃよ」
宗真は、母が身を置いているという尼寺へ旅立つ決心を固め、龍之介のいる朝比奈家に立ち寄ったところだった。
「いつ戻る?」
「うむ、一週間ほどの予定だ。父もすっかり気力を失っているし、何より道善先生の容態が心配だ。紗世ちゃんの前では言えないが、もう長くは持たないだろう。なるべく早く戻るつもりだ。留守中は頼んだぞ、龍之介」
「儂にできることはするが、如何せん部外者じゃ」
龍之介は困ったような顔をする。
宗真から寄合の話を聞いてしまってからは、もう村の人間の誰を信用していいのか、彼にはわからなくなっていた。
「部外者だろうが、いるといないとでは大違いだよ。……紗世ちゃんを頼むよ。相変わらず食欲ないんだろ?お前がいないと、本当に何も食べなくなりそうだ。ちゃんと食わせてやってくれ」
「ああ、わかっとるよ。とりあえず、途中まで送ろう。酒も切れたことじゃしな」
「そうか?悪いな」
二人は揃って、朝比奈家の門を出た。
思わぬ出来事が、待ち受けているとも知らずに。
◇
「あとは、この道をまっすぐ下るだけです。途中分かれ道もありません。すぐに榊殿のご存知の道にでますよ。では、私はこれで」
要件だけ伝えて、すぐさま反転し、元来た道を帰ろうとする巳山に、清志郎は慌てて声を掛けた。
「お、お待ちください、巳山殿」
「なにか?」
巳山は辛うじて、振り返ってくれた。
「ここまでの道のり、護衛していただき、まことに、ありがとうございました。途中、体調を崩して、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。あの、そのことは、どうか澄さんには内緒にしていただけませんか?……もう心配かせたくないんです」
「私には、報告の義務があるのですが」
「私は、澄さんとはもう、会えない身です。要らぬことで、澄さんの心を掻き乱したくないんです」
「……わかりました。家まで、お気を付けて」
「はい。巳山殿も、どうか、お達者で。お世話になりました。では」
清志郎は、巳山に言われたとおり、まっすぐ道を下っていく。
巳山は、道を登る途中、ふと振り返った。
その目には、清志郎の背中が小さく写る。
「あれが神殺しか。やはり、わからぬな……」
炎の中の清守の姿を清志郎に重ねる。
魂が同じとはいえ、二人はよく似ていた。
◇
「ここまでで十分だ、龍之介。助かったよ、ありがとう」
「気をつけて行ってくるのじゃぞ。万が一があってはならんぞ。今、村の運命は、お前にかかっていると言っても過言ではないのだ」
「ああ、十分気をつける。すべてはここから始まったのだなぁ」
宗真が、しみじみと呟き目をやった先には、禁足地の境の縄がかけられている場所だった。
「まさか、こんな深刻な真実に行き着くとはのう」
「龍之介のせいだからな。責任は取ってもらうぞ。私が帰るまで、逃げ出すなよ」
「何を言っておるか。共犯じゃろ。……!宗真、隠れろ!」
「え?ど、どうし……」
「禁足地の方から、誰か来る!」
「ええっ!」
龍之介に促され、二人は禁足地の向かいの林の木陰になるべく音を出さず、急いで身を隠した。
誰かが、禁足地の方からやってくる。
神社の手入れをしている仮の神職かと思いきや、腰には刀を差している。
顔は確認できないが、あの立ち姿、二人には見覚えがあった。
その男は、禁足地に張られた縄を見て、酷く動揺しているようだった。
「な!ちょっと待てよ、ここって、まさか!すっかり忘れちまって頭の隅にもなかったが、き、禁足地!俺は禁足地を通って帰ってきたのか!」
そのとき、二人の人影が、対面の茂みから音を立てて現れた。
「あ……」
突然、現れた二人は、禁足地の縄を握りしめた清志郎に、ゆっくりと近づいてくる。
「清志郎……清志郎なのか?」
「ゆ、幽霊ではなかろうな?」
呆気にとられていた清志郎だが、見知った顔を確認すると、思わず笑みが零れた。
「馬鹿野郎!ちゃんと足ついてんだろ!よっと」
清志郎が禁足地の縄をひと跨ぎすると、表情を固くしていた龍之介と宗真も、清志郎の名を呼びながら駆け寄ってきた。
二人に同時に抱きしめられた清志郎は、胸の奥から湧き上がる喜びを抑えきれなかった。
次回、清志郎と紗世が涙の再会。




