第二章 とんだ道場破り(第一話)
村境近くにある小さな茶屋は、旅人の休憩所であり、村人たちの憩いの場でもあった。木陰の長椅子は、多くの人が腰を下ろした跡で少し擦り減っている。
紗世と鈴は茶とみたらし団子を注文し、並んで腰掛けた。ここまで歩いてくるうちに、あれほど泣いていた紗世も、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「ごめんね、鈴。私のせいで、稽古をお休みさせちゃって」
「もう、紗世ったら。さっきから、そればかりね。私たち親友でしょ」
「……うん」
ついこの間まで、凍えるような寒さが続いていたのに、今日は空も晴れ渡り、緑が眩しかった。風も穏やかで、紗世の心を慰めてくれているようだった。
「あのね、紗世。こんなことを私が言ってはいけないと思うけど、玄庵先生以外にも診ていただいた方が……」
「私もそれは考えたの。でも、父は玄庵先生に診ていただきたいって。母のことも最期まで、玄庵先生にお願いしてたし」
紗世の母は、紗世が幼い頃に病で亡くなっていた。紗世は母のぬくもりを、どれほど覚えているのだろう。そのうえ今、父まで失うかもしれない不安に晒されている。鈴は何か言いたげに紗世を見たが、それ以上、言葉を続けられなかった。
「そ、そう。ごめんね、余計なこと言って」
「ううん。ありがとう、鈴」
紗世は笑顔で返した。だが、その笑顔も長くは続かず、二人は再び黙り込んだ。
「お待たせしました。どうぞ、ごゆっくり」
ちょうどそこへ茶と団子が運ばれてきて、張り詰めかけた空気がほどけた。
「美味しそうね。食べましょう。今日は私の奢りよ」
「え? そんな、私が連れ出したのに悪いわ」
「ううん、いいの。紗世はさっきから、謝ってばっかりだったでしょ。だから、ここは遠慮しちゃだめ」
紗世は、ふふっと笑ったあと、観念して頷いた。紗世の笑い声を聞いて、鈴は胸を撫で下ろした。二人は顔を見合わせ、同時に団子を頬張った。甘辛い餡と、柔らかな食感に、紗世の頬がわずかに緩んだ。
「ねぇ、紗世……」
「なぁに?」
なぜか鈴は、急にもじもじし始めた。
「えっと、その……最近、清志郎先生とは、どうなの?」
「えっ! せ、清ちゃん?」
突然出た同居人の男の名に、紗世は手にした団子を落としそうになった。
「ど、どうって、別に……いつも通りよ。ちゃんと父の看病もしてくれてるし、父の代わりに道場の事もやってくれてるし……」
紗世は心なしか、早口になっていた。
「もう! そうじゃなくて。何か進展はないのってことよ。清志郎先生って……紗世と二人だけのときは、どんな感じなの?」
鈴は、紗世の動揺に構わず、ぐいぐい攻めてくる。しかし、残念ながら、鈴の期待には応えられそうにない。
「それがね、何も変わらないのよ。相変わらず、居候の身だからって遠慮しがちだし。いつも優しいけど、なんとなく一線引かれてる感じがするのよね」
「そうなの? けど、いずれ結婚して、二人で道場を継ぐんでしょう?」
鈴は怪訝そうな顔をして、紗世を見た。
「優しいし、顔もいいし、清志郎先生のこと気にしてる子、結構いるのよ」
「え? 本当に?」
紗世には、それがどこの誰なのか、見当もつかなかった。
「本当よ。紗世ったら、全然気づいてないんだから。油断してると取られるわよ。私は紗世が羨ましいわ。もし、私が紗世の立場なら、自分から想いを伝えるかも」
鈴の言葉に、紗世は目をぱちくりさせた。
「す、鈴……もしかして、清ちゃんのことが……」
「そんなわけないじゃない。もしって言ったでしょう。清志郎先生は、紗世のことしか見てないわよ。私にはわかるもの」
「……そうかしら」
清志郎は、いつも優しい。ただ、いっこうに距離が縮まらなくて、もどかしい。
清志郎の中では、自分はまだ子供のままなのだろうか。女として見られたことは、ないのだろうか。この際だ。紗世は思い切って、鈴に胸の内を明かそうかとした。
ところが、その決心は、知らない男の声に無情にも阻まれた。
「おや、この村に女の武芸者がおるのか? 意外じゃのう」
いつの間に現れたのか、がっしりとした大柄な男が、すぐ近くに立っていた。
大小を腰に差し、荷を包んだ風呂敷を背負っている。旅をしているのだろうか。
鈴が道着を着ていたから、武芸者かと声を掛けてきたのだろう。二人は揃って身を固くした。
「いやいや、儂は怪しい者ではない。何もせんよ。武者修行中でな、旅をしておる。名は高坂龍之介と申す」
龍之介と名乗った男は愛想よく、にこにこと笑顔を向けた。
「ん? 団子か。うまそうじゃな」
龍之介は、すぐさま、茶とみたらし団子を三本注文した。初対面にも関わらず、二人の席の近くに座り込むと、さらに話しかけてくる。
「ところで、お主は何を? 薙刀か? 弓か?」
鈴は紗世の様子を窺いながら、恐る恐る答えた。
「……剣術を少々」
剣術と聞いた龍之介は、目を輝かせた。
「ほう、女にして剣術か! この村には、剣術道場があるのじゃな」
「小さな田舎道場よ、貴方のような猛者が、いるような所ではないわ」
朝比奈道場に、ちょっかいを出されては面倒だ。紗世は淡々と龍之介に告げた。
「お主も、そこの門下生なのか?」
「彼女は私の先生よ」
先程まで泣いていたとは思えない、紗世の堂々たる態度に触発されたのか、鈴も声を大にして答えた。
「なんと! それは真か! これは恐れ入ったのう。その若さと美貌で」
龍之介という男は、調子のよい一面があるようだ。その大柄な体躯に似合わぬ人懐っこい笑顔は、どこか憎めないものがある。
「私は子供たちを中心に教えているだけよ。先生と呼ばれるほど、大した腕前ではないわ」
「そう、ご謙遜なさるな。では、そこの道場主の師範が、男共の稽古をつけておるのじゃな。これも何かの縁じゃ。ご紹介いただけぬかな?」
紗世の危惧したとおり、龍之介は朝比奈道場の者とやる気満々だ。言葉こそ丁寧だが、これは、いわゆる道場破りだ。
「あいにく父は、病に伏せっているの。お相手できないわ」
道善の病を理由に、龍之介に引いて欲しかった。道善が剣を持てぬ今、この男の相手が務まるのは、清志郎しかいないだろう。
無造作に座っているようでいて、身のこなしには隙がなかった。紗世は、この男が見かけだけの武芸者ではないと感じていた。
「左様か。それは、お気の毒な。では、今は師範代なる男が、お父上の代わりを?」
紗世は返答に迷った。清志郎をここで隠しても、後でばれて、逃げたなどと言いふらされては、たまったものではない。
「……まぁ、そんなところよ」
紗世は、わざとぶっきらぼうに答えた。この流れはまずい。なんとか断ち切りたい。
父に鍛えられた清志郎の腕を疑ってはいない。それでも、ひと回りは大きい龍之介を前にすると、不安を拭いきれなかった。
もし、清志郎が負けるようなこととなれば、道場は……。
「ぜひ、その師範代とやらに、お手合わせ願えんかの? お主ら、道場まで案内してはくれぬか?」
結局、紗世の心配どおりに、事が進んでしまった。紗世の口の中で、甘いはずの団子は、すっかり味を失っていた。
《2026/07/19 第一回修正》
文章を整えました。
後に固まってきたキャラの性格を踏まえ、会話文も変更しました。
話の内容は、ほぼ変わっておりません。




