第二章 とんだ道場破り(第一話)
春の陽射しが差し込む茶屋の縁側。
友との語らいと甘い団子、温かい茶が、紗世の張り詰めた心を少しずつほどいていく。
だが、穏やかな時間は長くは続かなかった。
二人の前に現れた、見知らぬ旅の剣士──その大柄な男の登場が道場に試練をもたらす!
村の境近くにある小さな茶屋は、旅人の休憩所でもあり、村人たちの憩いの場でもあった。
木陰に置かれた長椅子は、多くの人々が腰を下ろした跡で少し擦り減っていた。
そんな素朴さが、かえって心を和ませる。
紗世と鈴は、緑茶とみたらし団子を注文した。
あれだけ泣いていた紗世だが、鈴と一緒にここまで歩いてくる間に、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
空は早朝より晴れ渡ってきて、緑が眩しい。
ついこの間まで、寒さに凍える日々だったのに、今日は風も穏やかで、紗世の心を慰めてくれているようだった。
二人は長椅子に、並んで腰掛けた。
「ごめんね、鈴……今日の稽古お休みさせちゃって」
紗世は、何度目かの同じ言葉を口にした。
「もう!紗世ったら、さっきから同じことを何回言うのよ。私たち友達でしょ。遠慮は無しよ」
「うん……ありがとう」
鈴は村役人の娘で、紗世の幼なじみだ。
道場では、唯一の女子の門下生だった。
「本当に道善先生のこと心配よね。こんな事を言うのは申し訳ないけれど、玄庵先生以外にも診ていただくとか……」
「……確かに街に行けば、玄庵先生より高名な先生はいらっしゃるかもしれない。でも、父は玄庵先生が一番信頼できるって言ってたの。母の事も最期まで玄庵先生にお願いしていたし」
「そっか」
鈴にとっては、真剣に打開策を考えての助言であったが、紗世の返答を聞いて余計なことを言ったなと後悔した。
紗世の母は、紗世が六歳の時に病死している。
紗世は母のぬくもりを、どれほど覚えているのだろう。
「……」
気まずい沈黙が訪れようとした時、お茶と団子が運ばれてきた。
「お待たせしました。どうぞ、ごゆっくり」
「美味しそうだね、食べよう。今日は私の奢りだよ」
鈴は救世主のお茶と団子に感謝し、すかさず笑顔で言った。
「え?そんな、いいよ」
「ううん、だめ。紗世はさっきから、ごめんねばっかりだったでしょ。だから、ここは絶対に遠慮しちゃだめ」
紗世はフフっと笑った後、観念して頷いた。
やっと笑顔を見せてくれた紗世を見て、鈴は内心ホッと胸を撫で下ろした。
ふたりは美味しそうに、もちもちした甘く優しい味のする団子を頬張り始めた。
「ねぇ、紗世。その……清志郎先生とは最近、どうなの?」
「えっ、えぇっ!……せ、清ちゃん?」
突然出た同居人の男の名前に、紗世は持ってる団子を落としそうになった。
「ど、どうって、別に……いつも通りだよ。ちゃんと父の看病もしてくれてるし、父の代わりに道場の事もやってくれてるし……」
紗世は心なしか早口になっていた。
「もう!そうじゃなくて……何か進展はないの?って事よ。ふたりとも、もうそういう年頃じゃない?清志郎先生って、紗世とふたりだけの時は、どんな感じなの?」
鈴は、紗世の動揺に構わず、ぐいぐい攻めてくる。
でも、紗世は残念ながら、鈴の期待には応えられそうもない。
「なにも昔と変わらないよ。相変わらず、自分は居候だから、道善先生の弟子だからって、遠慮して敬語で話してくるし。凄く優しいけど、なんとなく一線引かれてる感じがする……」
「そうなの?でも、いずれ結婚して、ふたりで道場を継ぐんでしょ?」
鈴は怪訝そうな顔をして、紗世を見た。
「優しいし、顔もいいし、清志郎先生のことを気にしてる子、村には結構いるよ。油断してると取られちゃうかもよ。私は紗世が羨ましいけどな。もし紗世の立場なら、自分から迫っちゃうかも〜」
清志郎は、いつも優しい。
ただ、いっこうに距離が縮まらなくて、もどかしい。
清志郎の中では、自分はまだ子供のままなのだろうか?
女として見られたことは、ないのだろうか?
紗世は思い切って、鈴にこの際、自分の胸の内を明かそうかと思った。
その時だ、知らない男の声がした。
「おや、この村に女の武芸者が居るとは意外だな」
紗世と鈴の前には、いつの間にか背丈が高く、がっしりとした男が立っていた。
刀を腰に差し、最低限の荷物を包んだ風呂敷を背中に背負っている。
旅をしているのだろうか。
鈴が道着を着ていたから、武芸者か?などと声を掛けてきたのだろう。
ふたりに明らかに警戒されていると思ったのか、男は名乗った。
「ああ……いや、拙者、怪しい者ではござらん。剣術の武者修行をしておる者だ。名は高坂龍之介と申す」
男は、紗世たちが注文した団子を見て、美味そうだなと言い、茶以外にみたらし団子を三本注文した。
二人の席の近くに座り込むと、さらに話しかけてくる。
「お主は何を?薙刀か?弓か?」
鈴は恐る恐る答えた。
「えぇっと、剣術を少々」
「ほう、女にして剣術か!この村には剣術道場があるのじゃな!」
龍之介は目を輝かせ始めた。
「小さな田舎道場よ、貴方のような猛者が沢山いるような所ではないわ」
紗世は、今、朝比奈道場に、ちょっかいを出されては面倒だと思いながら、龍之介にそう告げた。
「お主もそこの門下生なのか?」
「彼女は私の先生よ」
先程まで泣いていたとは思えない、紗世の堂々たる態度に触発されたのか、鈴も声を大にして答えた。
「それは真か!これは恐れ入ったのう。その若さと美貌で」
龍之介は見た目とは裏腹に、お調子者で、清志郎とは正反対のタイプのようだった。その大柄な体躯に似合わぬ人懐っこい笑顔は、警戒心を抱かせると同時に、どこか憎めない印象も与えていた。
「私は子供たちを中心に教えているだけよ。先生と呼ばれるほど、大した腕前ではないわ」
「そう、ご謙遜なさるな。では、そこの道場主の師範が、男共の稽古をつけておるのだな。ご紹介いただけぬかな?」
紗世の危惧したとおり、龍之介は朝比奈道場の者とやる気満々だ。
言葉こそ丁寧だが、これは所謂、道場破りだ。
「あいにく父は、今、病に伏せっているの。お相手できないわ」
父の病を理由に、男に引いて欲しかった。
父が剣を持てぬ今、この男の相手が務まるのは、道場では清志郎くらいだろう。
「そうか、それは……お気の毒な。では、今は師範代なる男がお父上の代わりを?」
紗世は返答に迷った。
清志郎の事をここで隠しても、この男が村に滞在するようなら、道場の現状は、ばれてしまうだろう。
「……まぁ、そんなところよ」
紗世はわざとぶっきらぼうに答えた。
この流れは不味い、なんとか断ちたい。
父に鍛えられた清志郎の強さを疑っている訳ではないが、この高坂龍之介という男は、清志郎より、だいぶ大きい。
体格では、圧倒的に不利だ。
もし、清志郎が負けるようなこととなれば、道場は……。
「これも何かの縁じゃ。是非その師範代とやらに、お手合わせ願えんかの?お主ら道場まで案内してはくれぬか?」
結局、紗世の心配どおりに、事が進んでしまった。
紗世の口の中で、甘いはずの団子が砂を噛むような味に変わっていた。