第十四章 光の雨に抱かれて(第二話)
澄と過ごす穏やかな時間が、清志郎の心の澱を洗い流していく。
この安らぎが続くようにと願っていた矢先、少年・新太がその静寂を破った。
彼は用向きを告げて澄を下がらせると、二人きりになった部屋で、何かを探るように清志郎に鋭い視線を向けた。
「お疲れ様、清志郎さん。ずいぶん歩けるようになったわね」
「ああ、澄さんのおかげだ。自分でも、この回復ぶりには驚いている」
色とりどりの草花が風に揺れる様は、傷ついた清志郎の心をじんわりと和ませてくれた。
澄といると、心の澱がすうっと洗い流されていくのを感じた。
このひとときだけは、心の奥底に潜むすべての負の感情を忘れられた。
部屋に戻り、茶を飲みながらくつろいでいたときのことだった。
「おい、清志郎!澄様はいらっしゃるか?」
板戸の向こうから響く少年のかん高い声――新太だ。
相変わらず無遠慮で生意気だが、清志郎の中で彼への印象は当初とは変わりつつあった。
あの黒川の惨たらしい死体を前にしても、新太は風間と同様に冷静だった。
そもそも、あの風間が傍に置くほどの子供だ。
事情があるにせよ、普通の子供とは違う特別な何かを秘めているように思える。
「ああ、澄さんならいるよ」
「どうしたの?新太さん」
「水代家から、使いの方がお見えになっております。お話がある、と」
「わかりました。すぐに行くと伝えて下さい」
「かしこまりました」
「ごめんなさい、清志郎さん。少し席を外すわね」
「ああ、大事な用かもしれない。俺のことは気にしなくていいから」
澄が部屋を後にすると、入れ替わるように新太が姿を現した。
しかし、なぜか訪れた目的を口にしようとしない。
(やはり黒川の遺体があまりに衝撃的だったか? 俺でさえ、あれには相当参ったからな)
そう思った清志郎は、先に声をかけた。
「新太、疲れていないか?お前、ああいう……その、黒川の遺体を見ても平気なのか?」
「全然平気だと言いたいところだが、さすがに昨日のあれは驚いたな。でも、酷ぇもんはそこそこ見てきてる。もう、慣れちまったよ」
新太が言っているのは、本当のことなのかもしれない。
それでも、清志郎にはどうしても強がっているように見えた。
(風間先生は、なぜあのようなものをこんな子供に見せるんだ? 医の道を志すには必要なことかもしれないが、あまりに早すぎるんじゃないか)
「昨晩はちゃんと眠れたか?」
「なんだぁ? お前は俺の兄貴かなんかのつもりかよ? へっ、さてはお前、怖くて眠れなかったんじゃねぇのか?」
「ふっ……まあな」
墓穴を掘った清志郎は、図星だと言わんばかりに苦笑してみせた。
「武士が簡単に認めてんじゃねぇよ」
馬鹿にされているはずなのに、今日は不思議と腹が立たない。
庭で澄と過ごしたひとときの余韻が、心を穏やかにしているせいだろうか。
それに、新太がいつも以上に話してくれることが、ただ嬉しかった。
昨晩、孤独の辛さを痛感したからかもしれない。
「ははっ、そうだな。俺も腐っても武士、か。……なあ新太、俺がここを出たら、たまにでいい、千凪村の朝比奈道場に来てみないか?剣術を、試してみないか?」
「俺ん家は、武家じゃねぇよ」
「構わないさ。朝比奈道場は、身分や年齢、性別を問わず、様々な門弟が集う一風変わった道場だ。いつでも歓迎するぞ」
「……馬鹿が。そんなんだから……」
「ん?何だ?」
消え入りそうな新太の声が、清志郎にはよく聞き取れなかった。
「い、いや、そんなんだから斬られるんだよ、お前は」
「……え?」
「とりあえず、お前を『先生』なんて呼ぶのは真っ平御免だね。それに、斬られた奴の剣術なんて信用できるかよ」
「そ、そうか……。なかなか痛いところを突いてくるな。……なあ新太、お前は将来、医者になるのか?」
「そのつもりだよ。けど……」
「けど?どうかしたのか?」
「……」
「新太?」
「なぁ、お前、変わり種の身体だったりするか?」
新太の目が一瞬、鋭く光る。
風間から聞いた何かがあるのか、それとも単なる好奇心なのか――清志郎にはわからない。
しかし、その問いには、何か重大な意味が隠されているような気がした。
「な、なんだよいきなり。俺のどこか、変わっているか?誰かに何か言われたことなんて特にないし、至って普通だと思うが。風間先生が何か俺について言ってたか?」
「いや、澄様がお前にやたらと構う理由が、わからなくてな」
いきなり澄の名前を出されて、清志郎は一瞬たじろいでしまう。
「す、澄さんは、その……優しいからだろう」
「おめでたいな、お前は」
「え?」
「なんでもない。いいか、俺がお前の身体について聞いたことは、澄様には絶対に言うなよ。絶対だぞ」
「は?なんでだよ」
「いいから!口が裂けても言うなよ!」
「わ、わかったよ。よくわからんが、世間話しかしてないとでも言っておけばいいんだろ」
新太は、念を押すように清志郎の目をじっと見て頷くと、足早に部屋から出て行った。
(相変わらずわかんねぇな、あいつは……)
変わり種の身体――新太の言葉が妙に耳に残る。
自分の身体のどこが、というのだろうか。
確かに、この回復ぶりには、風間も驚いてはいたが。
(澄さんは医者じゃない。そんな研究対象を見るような目で、俺を見るはずないじゃないか)
澄がやたらと構う理由――。
新太の目には、それが何か特別なものに見えたというのか。
だとしたら、それは――。
清志郎は首を振り、考えを打ち消した。
(いやいや、舞い上がってんじゃねぇよ馬鹿! そう思ってるのは俺だけかもしれないじゃないか。で、でも……普通、好きでもない男に、あんなふうに触れたりするか?)
緑茶の爽やかな香りが、彼の心をくすぐる。
一度芽生えた想いはそう簡単には消せない。
自分の心さえままならない清志郎に、新太の心情を推し量る余裕など、あるはずもなかった。




