第六章 血の山道(第四話)
木の幹に矢が突き刺さった。それを合図にしたかのように、三人の男たちは清志郎を包囲するように動き出した。
清志郎も折れかけた心を立て直し、三方から迫る気配を警戒しながら、山の上方へと駆け上がる。なるべく弓の射手との距離を縮めたくはなかった。
「逃がすな! 取り囲んじまえばこっちのもんだ!」
背後から怒号が飛ぶ。
(まだあと四人もいるのか。もう四人も斬ってるんだぞ。……駄目だ。今は「も」なんて思ったら負けだ)
清志郎には、握っている刀が少しずつ重みを増していくように感じられた。
(あの弓の射手。恐らく手練れだ。追いつかれる前に、一人は減らしておきたい)
清志郎を完全には包囲できないと悟ったのか、それまで慎重に様子をうかがっていた男が、じりじりと間合いを詰めてきた。
清志郎は、この三人の中ではその男が最も腕が立つと踏んでいた。
(来るか!)
だが、それより先に動いたのは、先ほど足を払って転倒させた男だった。痺れを切らしたのか、雄叫びを上げて突っ込んでくる。
(ったく。お前は突っ込んでくるしか能がねぇのかよ。引っ込んでろ)
清志郎は勢いだけで振るわれる刃を難なくかわし、男を蹴り飛ばした。男はまたも無様に泥の地面へ転がる。
清志郎の目と剣尖は、すでに間合いを詰めてきていた男へ向いていた。
間合いに入ると、男は左右から立て続けに斬りつけてきた。清志郎はその斬撃を、からくも払い落とす。
清志郎の剣は、先ほどよりも精彩を欠いていた。
雨と血を吸った柄が滑る。致命的ではない。だが、思うように刀が振るえない。
清志郎も反撃に転じたが、繊細な刀捌きはできず、大雑把な返し技しか出せなかった。
刀を落とせば、それで終わりだ。
(こいつ、落ち着いてやがる。これまでの奴らとは違う。こいつはあるのか? 人を……斬ったことが……)
柄が滑るだけではない。雨の中、すでに四人を斬っている。刃が今どれほど傷んでいるのか、清志郎自身にもわからなかった。
焦りばかりが増していく。
「二回も足蹴にしやがって! お前みたいな奴がいるから、俺は報われねぇんだぁ!」
声の主は、先ほど蹴り倒した男だった。
泥まみれの姿で、地面を這うように清志郎へ迫っている。取るに足らないはずの相手が、今や厄介極まりない脅威に変わっていた。
這いつくばったまま、男は清志郎の脛を狙い、横薙ぎに刃を振るう。
同時に、上からも鋭い一撃が迫っている。
「くっ!」
清志郎は上からの刃を刀で受け、下からの一閃はたまらず跳び退いてかわした。
それこそが清志郎の危惧していた事態だった。
「うあっ!」
着地の瞬間、ぬかるんだ地面に足を取られた。体勢を崩した清志郎は、そのまま目の前の男を押し倒し、覆いかぶさるように倒れ込む。
「今だ! 斬れ! 斬れぇー!」
脛を狙ってきた男が、最後に駆けつけてきた男へ叫ぶ。
(ま、まずいっ!)
「うああああっ!」
男は怯えながらも刀を振りかざし、清志郎へ突進してきた。
迷っている暇はなかった。清志郎は咄嗟に、手にしていた刀を男めがけて投げつけた。
「ぎゃあああ!」
刀は男の太腿を捉えた。男は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。
その隙に、清志郎はなんとか上体だけを起こし、脇差を抜き放った。
清志郎の下敷きになっていた男も、背中の痛みに耐えながら正気を取り戻していた。右手に握ったままの刀で、清志郎を突き刺そうとしている。
ほんの僅かな差だった。清志郎の脇差が、男の右肩を先に刺し貫いた。
「ぐうっ!」
男は痛みに顔を歪め、手にしていた刀を取り落とした。
「もう、死ねやぁーっ!」
這いつくばっていた男が立ち上がり、清志郎の真上から襲いかかってきた。まだ上体しか起こせていない清志郎は、横へ転がって頭上からの一振りをかわす。
立ち上がろうとした瞬間、振り下ろされた刃が切先の向きを変え、下から斬り上げてきた。清志郎は座ったままの姿勢で身を捌き、受け流すように男の刀を巻き上げる。
そして、立ち上がると同時に、低い姿勢のまま踏み込んだ。清志郎の脇差は、男の腹を浅く、だが広く斬り裂いた。
男は、何が起こったのかわからないという顔をしていた。
「えっ……あっ、あああっ! 嘘っ……嘘だろ……」
遅れて痛みが襲ってきた。男はようやく事態を理解したのか、血の流れ出る腹を押さえ、ゆっくりと地面に膝をついた。
(次は? どちらが来る!?)
清志郎は残る二人を睨みつけた。
太腿に刀が刺さったままの男は、尻を引きずるようにして後ずさりしながら、助けを乞うてきた。
「た、助けてくれ! 見逃してくれぇ! 俺はっ……もう、あんたに手出しはしない。だからっ……」
清志郎は、もうその男を見なかった。
問題は、もう一人だ。右肩からは大量の血を流している。
にもかかわらず、男は立ち上がっていた。左手には、先ほど取り落としたはずの刀が握られている。
男は半身になり、左手だけで刀を上段に構えた。
「やめとけよ。一体、何のためにそこまで……。俺なんかを殺すことに、一体何の大義があるってんだ! 何にもねぇだろ!」
「もはや、一矢報いるまで!」
「黙って引けばいいものを!」
清志郎の手にあるのは脇差だけだ。相手は右手が使えないとはいえ、得物の長さでは分が悪い。易々と斬り込むわけにはいかなかった。
それよりも、こうしている間に弓の射手が現れるのではないか。清志郎は気が気ではなかった。
(もう、追いつかれてもおかしくねぇんだが……。てか、矢が飛んでこなくなった。何故だ?)
そのときだった。辺りが真っ白に染まり、鼓膜が破れるかと思うほどの轟音が響いた。
落雷だ。
あまりの眩しさに、清志郎は一瞬、目を閉じた。その直前、閃光の中に二つの人影が浮かび上がっていた。
一つは、斬りかかってくる男の姿。そして、もう一つは――。
(そこにいやがったか! ずっと見てやがったのか!)
怒りが、俄かに湧き上がった。
目の前の男は最後の力を振り絞り、遠間から左腕をめいっぱい伸ばして斬り下ろしてくる。清志郎の怒りは、この男に向けたものではない。だが、斬らねばならなかった。
清志郎は襲い来る刃を迎え撃ち、弾き飛ばす。そして、一刀のもとに斬り捨てた。
荒い息を吐きながら、清志郎は倒れた男の背後に潜む人影へ向かって叫んだ。
「出てこいよ! こいつら、お前の仲間じゃねぇのか! なんで遠くから見てるだけなんだよ! 皆、死んじまったぞ!」
その叫びに応えるように、木々の狭間から弓を手にした男が姿を現した。
男は矢をつがえ、清志郎へ狙いを定める。この距離から射られて、避けられる自信はない。
(ははっ。なんで出てこいなんて言っちまったんだろうな。我ながら呆れたもんだ……)
清志郎は無意識に後ずさった。
男が矢を放つ。
その矢は清志郎ではなく、ただ一人戦いを放棄した男の背中へ、吸い込まれるように突き刺さった。
「ぐあっ!」
短い悲鳴を上げ、ふらふらとその場を離れようとしていた男は、ばたりと泥の上へ倒れた。その光景を目にして、清志郎は唖然とした。
「なっ、何故? 何故、殺した!」
頭の整理が追いつかない。逃げ出したとはいえ、仲間を射殺す意味が、清志郎には理解できなかった。
「お前が死のうが、私が死のうが、後でぺらぺらと要らぬことを話されては困るのでな」
「お前の考えが丸っきしわかんねぇよ! お前はとっくに俺たちに追いついていたんだ。それなのに、途中から矢を飛ばしてこなくなった。仲間が俺に殺されるのを、じっと隠れて見てたんだ。どういうつもりだ!」
清志郎の怒りの火が、再び燃え上がる。
『もはや、一矢報いるまで!』
先ほど手にかけた男の言葉が、頭の中で響いた。
(ただで死んでたまるか。こいつだけは許せねぇ)
ところが、身構える清志郎の目の前で、男は弓を投げ捨てた。
「なにっ!?」
予想だにしなかった男の行動に、清志郎は眉間に皺を寄せる。
「話に聞いていたような、ただの調子に乗った若造なら、弓でさっさと射殺すつもりだった。だが、なかなかにしぶといではないか」
男は愉快そうに笑った。
「榊清志郎とやら、私と立ち合え。お前と勝負がしたい。この立ち合いに、私は己の命運を懸ける」
「――!」
遠くで雷鳴が轟いた。閃光が、男の輪郭を鮮明に浮かび上がらせる。
だが、その胸の内までは照らし出してはくれなかった。
《2026/09/12 第一回修正》
第六章は、旧版の面影がないほど、全力で書き直し中です。
一度読んでくださった方も、ぜひ「別物」としてもう一度読んでいただきたいです。
旧版では敵が三人だったのがなんと八人に!
第三話、第四話(今回)を追加して......あと一話(第五話)を追加して終わる予定です。
清志郎入れて九人の動きを把握するのに、頭がこんがらがってきました。
もう、終わりにしなければ……この第四話書くのに、一週間以上かかってしまいました。
疲れたぁー 0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_
後々の話に影響が出る改稿になりました。ご考慮の上、お読みください。
また、話数を増やすために「連載完了→連載中」に致します。申し訳ございません。




