お食事のご招待
使用人たちにお兄様はジゼルハイド様をもてなす準備をするようにと命じた。
「お兄様、ジゼ様……というか、竜人の方々は、私たちと同じものを食べますよ。お酒も飲みます。でも、お食事をみんなの前でするのは……」
「いや、良い。アンネは俺の元にきた時に、俺たちに自分をあわせようとしてくれただろう。俺も、そのように」
「でも、ジゼ様、それは竜人の方々にとっては」
「アンネ、……恥というのは、ただの恥だ。それで命を失うわけではない」
お兄様に聞こえないように、ジゼルハイド様は私の耳元で密やかに囁いた。
ジゼルハイド様を見上げて「ありがとうございます」と言う私に、ジゼルハイド様は「夫であれば、当然だろう」と得意気に答えてくれた。
それははじめて自分の名前を紙に書くことができたエルジエル君の様子と、どことなく似ている。
エルジエル君は相変わらず、お兄様の足にしがみついてジゼルハイド様を威嚇し続けていた。
屋敷に戻ると、私はお兄様に王国に戻ってきた理由を話した。
お兄様は深刻な表情で私の話を聞いてくれて、すぐにお城に手紙を書いて出してくれた。
早馬を飛ばせば、夕方までには城に手紙が届くだろうとのことだった。返事は、早くて明日の朝。
「皇国の大事とあれば捨て置くことなどはしないでしょうし、その上炎帝陛下がいらっしゃっていると知れば、もっと急ぐでしょう。明日の朝、返事をもらってすぐに出立すれば、夕方前には王都にたどりつくことができます」
そう言うお兄様に、ジゼルハイド様は「それなら俺の背に乗ると良い。馬よりは早い」と提案して、お兄様を困らせていた。
ついでに私も困った。
竜人の方々が竜になるときは裸体だと、まだ説明していないからだ。
結局、明日はどのように城まで行くのかは決まらないまま、ひとまず今日は公爵家で休むことになった。
夕食の準備が整うのを待つ間、私は自分の部屋にジゼルハイド様を案内した。
といっても、そんなに見ていただくものなんてないのだけれど。
あるものと言えば、エルジエル君のために作った朝の体操の歌が書き留めてあるノートとか。
それから、エルジエル君のために作った寝かしつけ用の物語が書き留めてあるノートとか。
それから、昔からずっと持ち歩いている図鑑とか。
「ジゼ様、疲れていませんか? 横になっても良いのですよ。ジゼ様には、私のベッドは狭いかもしれませんが」
侍女が運んできてくれたお茶をテーブルに準備しながら、私はジゼルハイド様に言った。
私のお部屋の薄桃色に白いストライプ模様と小さな赤い花柄のソファに、ジゼルハイド様は座っている。
私にとっては大きめなソファだけれど、ジゼルハイド様が座ると少し手狭に見える。
「それは、寝室に誘っていると理解しても良いのか、アンネ」
「寝室に誘ってはいますけれど、一眠りするためですよ?」
「一緒に」
「一緒でも良いですけれど、触ったら駄目です」
ジゼルハイド様の隣に私は座って、お茶菓子の乗ったお皿を差し出した。
小さなお花の形をしたクッキーには、紅茶の茶葉が練り込まれていて、良い香りがする。
紅茶クッキーは私の好きなものの一つだ。
それから、バタークリームがたっぷり乗っているカップケーキ。
これはすごく好き、というわけではないのだけれど、クリームの色が様々で、小さな砂糖がしが散らしてあって見栄えが良いので、来客の時の定番の歓迎のためのお菓子である。
「……どこまでなら触れて良い?」
「ここは私の実家なので、駄目ですよ。お兄様がいますし、エルジエル君もいますし」
「アンネ、エルジエルと結婚の約束をしていたそうだが」
お兄様と話をしているときは大人びていて、それはもう立派な炎帝陛下という感じだったのに。
二人きりになった途端に拗ねるようにして眉を寄せるジゼルハイド様に、私は微笑んだ。
可愛い。
「結婚相手のいない私を哀れんで、エルジエル君は気をつかってお嫁さんに貰ってくれると言っていたんです。四歳の子供に気をつかわせてしまって申し訳ないことをしました」
「向こうは本気のようだった」
「私、頷いたりしていませんよ? それはできないって断りましたもの。エルジエル君は私に懐いてくれていましたから」
「アンネ……」
「そんな心配そうな顔をしないでくださいな。相手は四歳の甥ですよ? 私はジゼ様のものです。どんなことがあっても。……ジゼ様、クッキー食べますか? それともカップケーキにしますか? これはお祝いのお菓子なんですけれど、縁起物なので一口食べてみます?」
「縁起物、とは」
「そうですね、ええと……お客様の快適で楽しい滞在を願っている、といいますか、怪我のない安全な旅行を願っている、といいますか。ともかく、お客様の幸せを願う、という気持ちがこもったお菓子なんです」
「それはありがたいことだな」
「ジゼ様、甘いものは苦手ですか?」
「好んで食べることはない。だが、食べられないほど嫌い、ということもない」
ジゼルハイド様は私の持っているお菓子の乗ったお皿には手を伸ばさずに、私の腰に手を回した。
それから、何も言わずに口を開ける。
真っ白な歯と、少し尖った犬歯。それから、紋様のある大きな舌が唇からのぞいた。
「ジゼ様、……あの」
「はじめて見るものだ。食い方がわからん。食わせてくれ」
「……それなら、仕方ないです」
私は無意味にお部屋をきょろきょろと見渡した。
私たちの他に誰もいるわけがないのだけれど、どうにも落ちつかない。
昔、もっと若い頃にお友達の恋の話を聞いたことがある。
婚約者の男性が家にきたときに、お部屋で手を繋いで、どきどきした、とか。
二人きりなのに、誰にも見られていないのに、ご両親や家人たちに隠れて愛を交わすのはいつもよりも余計に恥ずかしくて、同時に背徳感のせいか燃え上がるのだとか。
恋人も婚約者もいない私は、うんうんと頷きながら、でも好みのタイプの男性なんてどこにもいないし……と、心の中でため息をつくばかりだった。
でも、今は違う。
お友達の気持ちが、私にも今はわかる。
「……ジゼ様、どうぞ」
いつもはカップケーキをお皿に移して、フォークで食べるのだけれど。
皇国での暮らしに慣れてしまったせいか、私は桃色のクリームが載っているカップケーキを一つ手にして、お菓子の載ったお皿をテーブルに戻した。
それから、ジゼルハイド様の口元へと、カップケーキを持っていく。
ジゼルハイド様はカップケーキを一口、ばくりと食べて、ものすごく深く眉根を寄せた。
「…………アンネ、…………脳が、痺れるぐらいに甘い」
「そうなんです。脳が痺れるぐらいに甘いのです、これ。ジゼ様もそう思いますか?」
私も常々そう思っていたので嬉しくて、にっこりしながらジゼルハイド様を見つめる。
ジゼルハイド様は口の中のものを飲み込んだ後、もう一度パクリとクリームの部分だけを口にした。
「気に入りました?」
二口目も食べると思っていなかったので、やや驚きながら私は尋ねる。
確か、ジゼルハイド様は味覚も優れているのよね。
だとしたら、私にとって甘すぎるこのお菓子は、気絶するほどに甘い、のではないかしら。
ジゼルハイド様は私の腰を引き寄せて、もう片方の手で私の手首を掴む。
それから、私におもむろに口付けた。
クリームに塗れた舌が、私の口の中にぐいぐい押し込まれる。
思わず口を開けると、口の中が痺れるぐらいのねっとりとした甘さが広がった。
「……っ、じ、ぜ……さま……っ」
片手で持っていたカップケーキを落としそうになって、私は必死に自分の手に力を込めた。
口の中に押し込まれたクリームをなんとか飲み込むと、ジゼルハイド様はそっと私から離れる。
「……幸福になる願いが込められているのなら、お前も共に食べるべきだろう」
嬉しそうに目を細めてジゼルハイド様が言う。
お友達は、お部屋でこっそり手を繋いだと言っていたけれど。
これは、手を繋ぐなんて可愛いものじゃないのよ。
羞恥やら、他の何かやらで涙目になる私の手から、ジゼルハイド様はカップケーキを奪って、お皿の上に戻した。
「アンネ……」
艶のある声で名前を呼ばれて、私はジゼルハイド様の服を軽く掴む。
口づけぐらいなら、良いわよね。
だって、夫婦だもの。
お兄様とお姉様だって、二人きりの時はきっとしているだろうし。
体の力を抜いて目を閉じる。
その時だった。
遠慮がちに扉がたたかれて、ジゼルハイド様は残念そうに、深く息を吐いた。
お読みくださりありがとうございました。ブクマ・評価などしていただけると大変励みになります!




