私がここにきた理由
窓辺の椅子に、ジゼルハイド様が座っている。
ずっと降り続けていた雨は止んで、霧が晴れた窓の外には虹が浮かんでいる。
どこまでも続く平野と、森と、遠く湖も見ることができる。
竜人の方々というのは空を飛べるから、高い場所が好きなのかもしれない。
丸一日ほぼベッドの上で過ごしていた私は、少し元気になって、ジゼルハイド様のためにお茶を準備していた。
本来なら侍女の仕事なのだけれど、動いている方が性分に合っている私は、エルジエル君のお世話をするために侍女たちからお茶や軽食の準備について教わったりしていたのである。
ユーヴェルハイム家の者たちは私に甘かったので、嫌な顔ひとつせずに教えてくれた。
今思えば、多分困らせていただろうけれど。
でも、教わっていてよかった。
「ジゼ様、服を着てくださいな」
トレイに載せた茶器とカップを運んでテーブルに置いて、私はジゼルハイド様に声をかけた。
ジゼルハイド様は肉体美を惜しげもなくさらしている。
背が高くて腕も足も長く、余計な肉の一切ない逞しい体つきなので、何も着ていなくても絵になるのだけれど、目の毒ではある。
どこを見ていいかわからないので、せめて、下は履いて欲しいわね。
「服を着る必要が?」
「あります……」
「どうせ脱ぐのに?」
「そ、そういうの、恥ずかしいので……」
「どうせ脱ぐ。それに、ここにはアンネと俺以外いない。アンネに見せて恥ずかしい場所など特にない」
「ジゼ様は恥ずかしくなくても、私は恥ずかしいの!」
わたわたしながら、私はカップにお茶を注いだ。
紅茶の深く香ばしい香りが立ち上る。
調理場に並んでいた瓶の中から適当に選んできたものだけれど、きっとどれも質の良い茶葉なのだろう。
「そのうち慣れる」
「慣れません……その、どこを見て良いのかわからないのです」
ジゼルハイド様は立ち上がると、私に近づいてくる。
ベッドの上ではなくて、明るい室内で見る裸体というのは、よりいっそう恥ずかしい。
せめて下半身にシーツでも巻いてくれたら良いのにと思いながら、私はソファの上に雑に置かれていた、長いバスローブに形が似ている薄い翠色の上衣をジゼルハイド様に押し付けた。
「……アンネが、俺に、様とつけなければ、着ても良い」
「ジゼ様はジゼ様です」
「では、話し方だけ。ラヴィーナたちと話しているように、俺にも話してほしい。寂しい」
「……あまえんぼさんですか」
仕方なさそうに上衣を羽織って腰紐をとめてくれたジゼルハイド様を、私は手を伸ばして、よしよししようとした。
けれど背が高くて届かない。
両手を伸ばしてぱたぱたと振る私に、ジゼルハイド様は口元に手を当てると考えるように首を傾げた。
「それは、ザリガニの威嚇だな」
「違います。甘えたがりのジゼ様を、よしよししようと思って」
「そうか。なかなか難しい。俺にわかるのは、お前は何をしていても可愛い、ということぐらいだな」
ジゼルハイド様は、笑いながら頭を下げてくれた。
私が頭をぽんぽん撫でると、満足したようにテーブルの前にあるソファに座って、紅茶の入ったカップに手を伸ばした。
「アンネ、おいで」
それから思い出したように手を止めると、自分の足を軽く叩く。
上衣を着てもらってよかったと思いながら、私は言われるがままにジゼルハイド様の大腿の上へと座った。
カップを手にして紅茶を一口飲む。
それから、何も言わないジゼルハイド様をじっと見つめた。
「どうした、アンネ。それは……また新たな威嚇か?」
「そ、そんなに睨んでいましたか?」
「いや。俺は少々鈍感のようだ。視線だけではお前の言いたいことが分からない。可愛いから、今すぐ抱きたいとは思うが」
「ジゼ様、今お洋服を着たばかりですし、私はお風呂に入ったばかりです」
「何か問題があるだろうか」
「……それは、ない、ですけれど……じゃなくて、お話が、お話があって……っ」
このままではジゼルハイド様に流され続けてしまう。
私は気を引き締めた。
私はジゼルハイド様の花嫁に、名実ともになることができたのだろう。
けれど、まだ気になることが一つ残されている。
私たちの間に信頼が生まれたら、ジゼルハイド様が言い出してくれると思っていたのだけれど。
どうにもその気配がないのよね。
もしかしたら、まだ私に遠慮や気遣いをしてくれているのかもしれない。
だとしたら、私から聞いてみたほうが良いわよね。だってそれは、とても大切なことだろうし。
「話とは?」
「……ギルフォードさんが、いつか言っていました。私がこの国にくることで、ジゼ様の花嫁になることで、竜人の憂いがなくなる、とか。あれは、どういう意味ですか? 私が呼ばれたのには、何か理由があるのでしょう?」
ジゼルハイド様の過去の話を聞いた時、ジゼルハイド様自身は結婚など求めていなかったように聞こえた。
それなのに、わざわざ王国に、花嫁の打診の手紙を出したのは何故なのかしら。
ジゼルハイド様が人族が好きだというのならわかるし、例えば女好きで、毛色の違う女が欲しくてーーとかならもっと理解できるのに。
そのどちらでもないようだし。
「その話はしない」
「どうしてですか?」
「俺はアンネを愛している。アンネを愛する理由が、打算になってしまうのは、よくない。もちろん打算ではないが、その理由を話したら、お前には打算のように感じられてしまうだろう」
眉間に皺を寄せると首を振るジゼルハイド様の手を、私は両手で包むようにして握った。
「ジゼ様は、私にたくさん、いろいろなことをしましたよね」
「あぁ、したな。可愛かった」
「ゆっくりで良いとか、言っていたのに、すごく色々しましたよね」
「そうだな。あまりにも可愛らしいものだから、ゆっくりどころではなかった」
私はにっこり微笑むと、ジゼルハイド様の手の甲をつねった。
痛くないように、そんなに強くつねってはいないのだけれど。
ジゼルハイド様はびっくりしたように俄かに目を見ひらいて、私の顔を覗き込んだ。
「怒っているのか、アンネ」
「怒っていないけれど、攻撃しています。ジゼ様、……ことここに及んで、私のことをジゼ様の愛情が打算なんて思う、愚かな女だと思うのですか……?」
「アンネ……怒っているのは、泣きじゃくるお前に、色々したことではないのか?」
「そ、それは、それは別に良いのですよ……! だって、夫婦なので……」
「…………俺の理性が持たない、アンネ。少々、煽るのをやめてくれないだろうか」
「そういうわけじゃないです……!」
私は真面目に話をしているだけなのに。
ちゃんと事情を話して欲しいと頬を膨らませる私に、ジゼルハイド様は考えるようにして目を伏せると、しばらく黙り込んだ。
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