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復讐王子と氷姫  作者: 岩月クロ
番外編
11/11

心を配る

 ぱしゃり、という音が響いてから、一拍。髪から伝った水滴が胸の辺りを湿らせた。

(……冷たい)

 これが水浴びというものか。しかし何かが違う気がする。

 オリビアがはてと首を傾げるのと同時に、背後から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。



 身体を冷やしてはいけない、と浴室に押し込まれ、なすがままに洗われてから部屋に戻る。

 用意された服は、これまで見たことがない新しいものだった。急遽取りに行ったにしては、準備が良いような。

「あら、“ちょうど良かった”からこの服にしたけど、意外に趣味が良いのね」

 シャルロッテから、小さく舌打ちが聞こえたのは、おそらく気のせいだろう。


 別にそのままにしていても良かった気もしないでもない。今は気温もそう低くない。放っておけば、そのうち乾く。

 でも、シャルロッテが駄目だと言ったから、駄目なのだろう。

「歩くたびに水が床に落ちるし、濡れた“姫様”が歩いていたら、周囲の者が気にするわ」

 腰に手を当て叱る体勢に入った彼女は、「それに──」これが一番大事だと言わんばかりにずいと顔を寄せた。

「風邪を引いたら、大変よ」

 風邪。でもあれは、じっとしていればそのうち治まる。それは別に、大変(・・)ではない。ある意味オリビアにとっては、普通のことだ。


 城に移って来てからも、オリビアの行動範囲は狭い。部屋から出るだけでも、オリビアにとっては“異常”事態だ。

 だから、風邪を引いたからといって、何かが困るわけでもない。


 ──そういうことでは、ないのか。


 口にはしなかったはずなのに、シャルロッテは眉を上げた。その瞳に怒りの炎を認めて、オリビアは不思議に思う。



「オリビア、入るぞ」



 どうぞ、と返事をする前に彼──婚約者たるリアンが入ってくるのは、いつものことだった。オリビアとしてもそちらの方が楽でいい。返事を待たず入ってくるのは、リアンとシャルロッテくらいだ。

 彼は、立ち上がって出迎えようとしたオリビアを制し、その顔色を確認した。

「体調は……良さそうだな。でも念のため今日は早く休め。身体を冷やさないようにな」

 気負いなく、そうすることが当然とばかりに与えられた言葉に、オリビアは戸惑う。別に、“主人”の言葉に逆らってまで夜更かしする意味は無いので、早く休め、と言われたら、休む。


 けれど何故か落ち着かなかった。

 不快ではない。その逆でもない。


 むう、と眉間に皺を寄せたオリビアに「ついに反抗するようになったか」とリアンはどこか嬉しそうだ。

「反抗……」

「なんだ、違うのか」

 反抗ではないと思う。ならなんだ、と問われ、オリビアは口を結んだ。

 解となるものを、自分は知らない。


「それにしても」

 話題を変えたのは、オリビアが本気で困っていることが伝わったからなのか。

 彼は、既に乾いた髪を手に取りながら呆れたように目を細めた。

「召使いが零した水を頭から被るとは……なかなか無いぞ」

「あら、元々“お姫様”もなかなかいないのですから、珍しいもの同士、いいんじゃありません?」

 ふふん、と笑うシャルロッテに、そういう問題じゃないだろう、とリアンが言い返す。


「それでは、私はこれで。外に控えておりますわね」

 すくっと立ち上がったシャルロッテはリアンを流し目で見やった。

「……何を企んでる?」

「企む? まさか! 仕事の合間を縫っていらしたリアン殿下に気を利かせ、この場をお譲りしただけですわ」

 それに、と。

 オリビアを──正確にはオリビアの首から下を一瞥したシャルロッテは、リアンに向き直ると「言うならご自分で」にこりと笑った。

「私、殿方の甘えは許さない主義ですもの」

「そうか。せめて兄は労ってやれ。そのうち泣くぞ」

「あの程度耐えられなくてどうします。軟弱さを鍛える為にあえて悪役に徹しているのです。むしろ褒めて欲しいくらいだわ」

 リアンは口を開き、しかしここで反論しても仕方が無いと思ったのか、結局無言を貫いた。この類の話で、彼女に勝てた試しなど無い。


 静かに閉じていく扉をなんとはなしに見ていれば、気になるか、と訊ねられる。オリビアは首を横に振って否定した。

 大きく一歩。それだけで二人の距離は縮まる。長い指が、胸元を飾るリボンをすくった。

「よく似合ってる」

 そうですか、と返す。

「服に興味は、……無さそうだな」

「殿下はご興味があるのですか?」

「外交で困らない程度には、というだけだった、んだが」

 言い淀みながら、次第に泳いでいく目を見て、オリビアは思考を巡らせる。似合っているという賛辞。未だにリボンを弄る手。

 やがてひとつの答えに辿り着いた。

「女性物の服にご興味が、」

「違う」

 最後まで口にすることなく遮られた。


 はあ、とため息。

「少しでも喜んで貰えるならと……しかし、どうも上手くいかない」

 手から、リボンの先がすり抜ける。

 どうしたら手の中に留まってくれるのか、わからない。

「貴方は今、何を考えてる? 何に興味がある?」


 ──興味。


 気になること。

 本の続き、だと。きっと昔なら迷いも無く答えていただろう。


 何故、自分が今、そう答えることに躊躇しているのか。

(わからない)

 何が正解であるべき(・・)なのか。

 前はもっと、世界は単純だった。

 答えはひとつで、それすらも“必要”とはされなかった。


 死は遠ざかった。飢えはなくなった。

 だから、生きることは容易になった──はずなのに。


「私には、わかりません」


 どうとでも取れる答えに、しかしリアンは「何が?」と問うた。いつもの無表情に、僅かな揺らぎが見えたから。

「……風邪を引いたら大変になりますか?」

 長い沈黙の後、オリビアが口にしたのは、そんなことだった。シャルロッテから向けられた憤り──それもわからないことのひとつだった。

 突然の質問に、リアンは少し困ったように眉を寄せた。

「大変だろうな。体調が悪いと気が滅入る上に、仕事が溜まる」

「なるほど。確かに、私が風邪を引くと、シャルロッテ様の仕事が増えます」

 納得──できない部分があった。

 自分で断言しておきながら。

 その答えは不正解だ、と。


 知らぬ間にきつく握っていた拳を、リアンの手が包む。

「──以前に、シャルロッテが風邪を引いた時、貴方は『大丈夫か』と俺に訊いたな」

「はい」

 思い出したので、すぐに頷く。元気なシャルロッテが体調を崩したというので、心配になったのだ。

 その時のことを思い、緩んだ手のひらに、彼のそれが合わさる。指と指が絡まった。



「“風邪を引いたら大変だ”、というのは、そういうことだろう」



 目を微かに大きくしたオリビアは、重なった手から、視線を外す。引き寄せられるようにリアンを映した。

 普段よりも、緩やかに弧を描く口元。

「……嬉しそうです」

「そうだな、嬉しい」

 彼の親指が、オリビアの手の甲を撫でた。擽ったい。


「オリビア、貴方が“それ”を訊ねる相手が俺であったことを、俺は自惚れても良いのだろうか」


 首を傾げた彼女に苦笑を返し、リアンはそっと手を離す。時間を気にする素振りを見せながら「そろそろ戻らなければ」と零した。

「貴方も今日はもう休むと良い」

「……はい」

 頷き、素直にベッドに向かう背中を見守ったリアンは、部屋の外に控えるシャルロッテを呼ぼうと扉へ足を向ける。


「──殿下」


 呼び止められた彼は、肩越しに振り返った。

 ベッドに腰を下ろしたオリビアは、感情が読み取り難い顔のまま、小さく口を開いた。

「ドレス、ありがとうございます」

 気付いたのか。そう思う反面、気付く材料はいくつもあったのだから当然か、とも思う。彼女が“わからない”のは、あくまで自分を取り巻く“感情”であって、“状況”の把握はそこらの令嬢より聡いくらいだろう。……それこそ、厄介な程に。

「気にするな。貴方に似合うだろうと思って、俺が勝手に贈った」

「そうですか」

 短い一言を口にしたオリビアに、戸惑いや躊躇は無かった。特に心を動かされたようでもない返事。

 それにリアンが落胆する前に──


「けれど、御礼をお伝えしたいと思ったので」


 ──予想外の攻撃が襲い掛かった。

 言葉を詰まらせた彼は、しかし復活するのは早かった。

「そうか。ありがとう」

 何故貴方が感謝の言葉を。

 オリビアの疑問に答えることもなく、リアンは足早に部屋を出て行った。少ししてシャルロッテが入室する。


 ベッドに座るオリビアを見たシャルロッテは、ぱちりと瞬きをした。

「あらもう寝るの。まあ身体を冷やすと良くないわよね」

 ぱたぱたと準備を始めたシャルロッテの名を呼ぶ。なあにー、と目を合わせないまま動き続けている彼女に、「心配を掛けて申し訳ありません」と告げれば、手がピクリと震えた。


 驚きに目を見開いたと思えば、すぐに花咲く。向けられた表情は柔らかい。

 嬉しい、と語る瞳が。

 “自分”に向けられている。


 物を貰った側なのに礼を言われた理由も、謝ったのにそんな笑みを向けられる理由も、さっぱり分からない。


 でも、それは、とても──


「……?」

 オリビアは、自分の胸に手を当てる。


 あたたかい、気がした。




あ。おにーさん(ジェイムス)がいない。

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