夏希の提案
「事件が俺たちの耳に入ったのは、数ヶ月前。 この辺りで覚せい剤の取り引きがされているってタレコミだ。 そのナガシの女が、突然行方をくらました。 組織の連中はその女を追っていた。 もしその女が警察に身柄を拘束されれば、組織のことをバラされるに違いない。 そうなる前に、消してしまおうって魂胆だろう。 実際、これまでもあちこちで発砲事件や、関係のありそうな事故や事件が起こっている。 そして今日だ」
誠はそっと辺りを伺った。
「聞き込みや地道な捜査で、その女がこのイベントに紛れて姿を現すと情報が入った。 明後日大きな取り引きがある。 その前に女を言いくるめようと、ここへ呼び出したらしいんだ」
誠は鼻をすすった。 そこで忍が補足した。
「もちろんそれは表向きの事で、本当はこの惨状を見たら分かるだろ?」
夏希はつばを飲み込んだ。 あちこちに、逃げる時に脱げたのであろう靴や落としたであろう鞄、散々とした光景が、目の前に広がっている。
「消すため?」
二人は無言で頷いた。 それを見て、夏希はそっと上を見た。
『この会場のどこかから、あたしを殺そうと狙っている……』
言葉を無くした夏希に、誠は笑顔を見せた。
「そんなに心配するなって。 俺たちを信じろ。 俺たちはプロだ。 絶対守ってみせる!」
夏季は少し黙ったあと、呟くように言った。
「信じるついでに、動いてもいいかしら?」
「えっ?」
驚く二人に、夏希は少し睨んだ様子で視線を送った。
「このまま、相手が動くのをずっと待ってるわけ? あたしを狙っているのなら……あたしが囮になるわ」
「おっ! お前何を言ってんだ? そんなことさせられるわけないだろうが!」
怒る誠の横で、忍が探るように静かに夏希の横顔を見つめた。 夏希は、真剣な瞳をしていた。 冗談を言っているようには思えなかった。
「俺たちはな、あんたを守りながらヤツを仕留める。 あんたが何かする必要はないんだよ!」
誠が焦った様子でまくしたてる。 だが夏希はその瞳の輝きを曇らせなかった。
「あたし、待つのは嫌いなの」
そう言う夏希から、挑戦的な雰囲気さえ感じられた。 忍がフッと笑った。
「よほど信用されたようだな」
「忍っ!」
「いいだろう。やるか」
「ちょ、忍! そんなことしたら!」
焦る誠を無視して、忍は夏希に言った。
「ゆっくり歩いていけ。 それだけでいい」
「忍っ!」
誠の両手が、忍の胸ぐらをつかんだ。 そして睨みつけながら言った。
「お前なぁ! もし怪我でもさせたら、謹慎どころかクビだぞ! 分かってるのか?」
「分かっているさ」
慌てることも無く、忍はされるがままに体を反らせた。
「だが、協力してくれると言っているんだ。 無下にすることはないだろう?」
「相手は一般人だぞ!」
「はいはいはいはい!」
突然、夏希が二人の間に割って入った。
「喧嘩しない! 仲間なんでしょう? さっきまでラブラブだったのに、ホント、わかんない人たちね!」
『なんだこいつ?』
誠と忍は同じ事を思い、ため息をついた。
「あのなぁ! あんたの為を思って言ってんだよ! 俺たちは公務員だ。 これ以上一般人のあんたを巻き込むわけにはいかないんだよ!」
「もう充分巻き込まれてるわよ」
「だからさぁーー」
誠はぺちん、と額を叩いて空を仰いだ。 頑固にもほどがある、と、あきれた顔でうなだれた。
「巻き込まれついでに協力してやるって言ってるのに、有難く受け取らないわけ? うまくいったら、あなたたちの手柄になるのよ!」
「だけどお前……怖くないのか? 命の危険だってあるんだぞ」
誠は、もう一度考え直せと説得したが、夏希の気持ちは変わらなかった。 そして少し瞳を伏せると、呟くように言った。
「最後に人の役に立てるなら、それでいいわ……」
夏希はクスッと笑った。 誠が首を傾げ、その意味を考えようとしている傍らで、彼女をじっと見つめていた忍は、改めて銃を構えた。
「ゆっくり歩いて、俺の合図で走れ。 いいな?」
「忍……くっ! もう、仕方ないなぁ! 俺もクビかけるからな!」
「上等だ」
忍は無線機に顔を近づけ、周りで神経を尖らせている警官たちに指示をした。 そして夏希に視線を向けると、ひとつ頷いた。
「じゃ、行くわ」
夏希はすうっと息を吸い込むと、ギュッと唇を噛んで、二人から離れた。