ハシミコフを返して!
「ちょっと! 離してってばあっ!」
金切り声が、会場の一角で響いた。
腕をつかまれ逃れようと暴れているのは、さっき監視していた女だった。 いち早く駆けつけた誠に捕獲された女は、誠の足を思い切り踏みつけた。
「いぃっっっってぇぇぇぇ!」
ヒールの踵が誠の足の甲に食い込み、悶絶する声と共に力を緩めた彼の手から腕を抜くと、素早く踵を返した。 が、次の瞬間には、その身体は一気に引き戻された。
「ぐえっ!」
カエルが潰れたような声を出してくず折れる女の首が、後ろからつかまれたシャツのせいでギュッと締まっていた。
「ごほっ!」
不意をつかれて尻もちをついた女は、大きく咳き込んだ。
「観念しろ」
そう冷たい言葉を放ったのは、忍だった。 眼鏡のレンズがキラリと輝き、見下ろす忍は、ロボットのように無表情だった。
「な……なんなのよ、一体?」
猫のように首根っこをつかまれたまま、力なく座り込む女に、誠が足を抑えながら痛みに顔をしかめながら覗き込んだ。
「あんたがヤクの密売に一役買ってるのは、もう分かってんだよ!」
「はあ? なんの話? あたしは知らないわよ!」
「はああっ? こちらこそ、はあ?だぜ! しらばっくれても無駄だ!」
誠は引く様子もなく、女を睨みつけていた。 女は少し怯えたように誠を見つめた。 涙が滲んだように、瞳が潤む。
「泣き落としは効かねえよ! そんなの、俺たちは慣れてる。 しっかし、あんたさ、まだ若いんだろ? あまり遊びが過ぎると、あとあと後悔するって、知らなかったか? ま、これで年貢の納め時ってやつだ。 観念しろよ、加藤光代!」
そう言う誠に、女は息を飲んで瞳を見開いた。
「あたしはそんな名前じゃないわ! 相沢夏希!」
「えっ!」
驚く誠の声に、忍もつかんでいた首根っこを離すと、夏希はぺたりと座り込んだ。 そしてうつむくと、肩を震わせ始めた。
「あーー、泣かせた! 忍、悪いんだーー!」
そう軽い口調でからかう誠に、忍はピクリと眉を動かした。
「何よ! 一体、なんなのよ? あたしはただ、ハシミコフと握手しにきただけなのに! なんでこんな目にあってんのよ?」
「ハシミコフ?」
きょとんと見下ろす二人を、夏希は潤んだ瞳で睨むと叫んだ。
「そうよ! ダイバプロレスのエース、ロウハンキン・ハシミコフよ! せっかく間近で観られるチャンスだったのに! これじゃあ、仕事早く終わらせて急いで来た意味無いじゃない! どうしてくれんのよっ? ハシミコフを返してっ!」
「えっ? ……ええっ?」
誠は、すがるように忍を見た。 彼もまた戸惑った雰囲気で、ハシミコフを連発している夏希を見つめている。
≪対象が逃げたぞ!≫
裏で指揮をしていた神田警部補の声が無線機から響いた。
「ええっ!」
驚きの声をあげる誠に、忍は慌てて辺りを伺った。 会場に駆け込んでいた警官たちが、駅の中へと走っていく。 喧騒に包まれる広場が閑散としてくるのを見て、忍は無線機に鋭い声を突き刺した。
「警官たちを少し残してくれ!」
「えっ? 何を言ってるんだ、忍?」
驚く誠を無視して、忍は続けた。
「まだ相手は勘違いしている。 証拠に、さっきからスコープの反射光が丸見えだ。 このままヤツを仕留める。 逃げた対象は、そっちに任せる!」
≪はあっ? 何を言っているんだ? お前たちは任務を――≫
「そうだ! その【任務】を遂行する!」
その言葉に、無線機の向こうが沈黙した。 そして小さく息を吐いたのが聞こえたあと、ため息のような声が届いた。
≪そっちは任せた。 必ず確保しろよ≫
「了解」
無線を切る忍に、
「お前なぁ。 そういうことはさーー、一番最初に、パートナーであるこの俺に相談しない?」
「お前のことは信じている」
忍が眼鏡を上げながら見つめると、誠は思わず頬を赤らめた。
「ちょっとちょっと! 何二人でラブ劇場繰り広げてんのよ? あんたたち、あたしの事間違えたんでしょ? どうするつもり?」
夏希が怒り心頭な口調で二人に噛みついた。 彼らは顔を見合わせ、誠が夏希の肩をポンと叩いて言った。
「すまん、間違えた!」
「それだけぇっ?」
「迷惑ついでに、ちょっと付き合ってくれ」
「はぁっ? 何言ってんのか、全然理解できないんだけどっ!」
申し訳なさそうに頭を掻く誠と怒る夏希の横で、忍がおもむろに銃を取り出した。
その時――




