10.血命
ケルファトは意識を取り戻すと牢で目を覚ました。
奴隷として使う事が許されている汚れた一室。他の檻には別の奴隷が入れられている。
「……ああ、そうだった」
負けたのだ。『コロシアム』の提示した条件を達成できなかった他、自分自身も最低下層に落ちた。
関節技という、魔法が主体の戦いにおいて全く意味をなさない技術に対応できなかった。
卑怯とは言えない。寧ろ、こっちの方が有利だったのだ。この結果は関節技を想定していなかった自分が悪いのである。
「…………」
やっぱり、俺は“嘘”しかつけなかった。どんなに強く生きようと志しても、結局はこうなる人生だったのだ。
「……なんだ?」
と、何気なく檻から通路を見ると“ナニか”が通り過ぎて行った。
ケルファトは、ソレを視界に映しただけで物言えぬ悪寒にさらされる。鳥肌が立つ。目をつけられないように、息をすることも反射的に制限するほどに、ソレは異質だった。
『ハートレス』。『コロシアム』の処刑人。心臓を喰らう者。死の宣告物。
色々な通り名があるのだが、『コロシアム』に来て日の浅いケルファトは、ソレが触れてはならない領域に居る怪物であると悟った。
ソレはケルファトには目もくれず去っていく。向かう方向は恐らく――
「戦いの場か……? 誰が……アレと戦うんだ?」
【闇の魔獣】と向かい合った時と、同等の恐怖を感じていた。
門が開く。奥の闇に何かが居るのは分かる。だが、その姿はまだ見えない。
同時に、アレックスの身体全体に悪寒が走った。肌が粟立つ。一瞬で凍り付いたように身体が動かなかった。
ホラー映画を見ているように、奥の闇から目が離せない。極度の緊張は有無を言わぬ金縛りとしてアレックスを拘束する。
と、一本の剣が戦いの場の中央に落ちる。
直刀の形をした西洋の剣。魔法ではなく、闇の中から放られた一本は回転しながら落下し、中央――目の前に刺さったのだ。剣は不気味に鎮座する。
「――――!」
注目が剣から外れると、目の前にムレタで覆われた“ナニか”が存在していた。
音も、気配も感じなかった。だがそれは、鏡面世界で経験した完全な無による不認識とは違う。
緊張と注視の中で生まれた隙をついて、この場に現れたのだとアレックスは見て取った。そして、それが出来る程に自分と目の前の“ナニか”の実力は圧倒的に違う事も――
「……」
ムレタ。それはアレックスの世界では闘牛を翻弄するマタドールが使っていた道具だ。目の前のムレタは幅が広く厚手の布。その下に居るのがヒトか……それとも怪物かはまだわからない
「……使っていいんですか?」
ムレタに隠れている対戦相手らしき存在に、目の前の剣を指さして尋ねる。すると僅かにムレタは隙間が開くと中から観察するような眼がアレックスに向けられた。
悪寒が走る。まるで心臓を貫かれたような一視は死を連想させられる。
「……お前は……知っているな? 死の……味を……」
瞬間、アレックスが仕掛けた。
隙をついて……というよりは自分を奮い立たせる為に動いたのである。このまま雰囲気に呑まれ続ければ、まともに動けずに、やられていただろう。
剣を取り、ムレタに投げる。相手に近づきたくなかったのだ。
ムレタの奥に居る“ナニか”は飛んでくる剣を止めた。ムレタに入り込むように止まっており姿は相変わらず見えない。それでもアレックスは次の動作へ動いていた。
止められている剣を蹴りこむように柄尻に足の裏を向けて叩き込む。刹那――
「……奮い立たなければ……動けないか?」
ムレタがバサッと広がり、“ナニか”はマタドールがごとく、アレックスの攻撃を入れ替わるように躱していた。
色の違う両目。額に生える一本の角。アレックスよりも頭一つ高い身長。相手を見る様な目は獣――というよりも獣を狩る“狩人”の眼をしている。それは『角有族』と呼ばれる“戦闘一族”と呼ばれる種族の一つだった。
『心臓狩り』。その男はそう呼ばれて畏怖されている『コロシアム』の処刑人。
「くっ……」
恐怖と緊張。それにより動きが単調になってしまった。アレックスは態勢を立て直そうと向き直るが――
「!? しまっ――」
投げられたムレタがアレックスの視界を奪うどころか、前面を覆うように被される。動きが止まった。
「一突き」
剣の刺突がムレタを貫き、その奥に居るアレックスも貫くと背後から血と共に突き出る。身体のほぼ中心を確実に貫かれた。
「――――」
ハートレスは剣を奪われる前に引き抜くと、刃から滴る血を見て納得するよう呟く。
「……いいぞ……」
ムレタに覆われたアレックスの表情は伺えないが、地面を染めていく出血が無傷でないことを認知させていた。
「獣は……手負いでこそ……獣だ……」
ハートレスは狩りを開始する。
「ハ、ハートレス……!」
コルテはその姿を見ただけで動揺していた。
存在するだけで多くの死を生み出してきた怪物。もし、アレと戦えと言われたら迷わず自害を選ぶだろう。
それほどに、『ハートレス』がもたらす“死”はヒトの死に方ではない。噂では条件が整えば『英雄』をも殺すことほどの能力も持っているとも言われている程に高い実力を持つ。
「っ――」
ノーフェイス(ビクター)は、アレックスが受けたダメージが致命的であると観た。
あのムレタは防御も兼ねている代物だろう。だが、刺突という一点の力を防ぐにはそれなりの技量が必要だ。相手の挙動を見て、刺突のタイミングに完璧に合わせなければならない。
アレックスにその技量があったとしても、不意打ちで目隠しされたことで対応が間に合わなかったのだ。
「アレが『ハートレス』か……ただの狂人ではないな……」
ハートレスは相対者を殺すためにとる手段が高水準に位置にある。戦いの才能は噂通り『英雄』にも匹敵するだろう。
「外したのかな?」
レジトリスはアレックスの様子を見て呟く。
アレックスは膝をついていない。姿をムレタに隠しながらもハートレスに対して、正面から両足で立って対峙している。それでも、ムレタを伝って流れる血の量は尋常ではなく、一撃で決まらなかったとしても命の砂時計はひっくり返った。
「致命傷?」
ネスはダメージを負いながらも姿をさらさないアレックスに疑問を抱く。
ハートレスが剣を持っている以上、ムレタによって視界が制限され、動きが遅れるのは危険だ。ムレタごと貫いた刺突といい、ハートレスの剣技は高水準にある。
斬撃は受けられるかもしれない。しかし、刺突を捌くために、視界と速度は必須。既に一撃受けたアレックスが身をもって理解しているハズだ。
そして、長期戦は出来ない。短期戦で決着をつけなければ――
「――――」
アレックスが動く。
ムレタに身体を隠しながら、アレックスはハートレスへ突撃する。それは何の策もない無謀な特攻に見えるが、ハートレスはそうは思っていなかった。
ムレタの向こうに居るアレックスに対し、ハートレスは突きを三刺見舞う。洗練された刺突は中心線を狙ってムレタを突き抜けたが、手ごたえはない。
目測を惑わし、剣の間合いの内側に入ったアレックスは、ハートレスの脇腹に肘打ちを叩き込む。
「恐ろしい……」
ハートレスは届かない間合いへ半歩下がって躱していた。ムレタに隠れているにもかかわらず、アレックスの攻撃可能範囲を見切っての動きだった。
剣は弧を描き、撫でるようにムレタを切りつける。僅かに開いた切り口からアレックスの眼が見える。
「そこか……」
その切り口にハートレスは剣を差し込む。だが、感覚は空振り。逆に接近しすぎたハートレスの身体の方が吹き飛んだ。
ムレタから突き出た正拳。アレックスの攻撃が腹部へと叩きつけられた。だが、
「流石だ……血の味を知る……獣よ……」
倒れるまではいかず、ハートレスは耐える。僅かに口の端から血が流れていた。
ムレタに隠れたままで放たれたアレックスの拳はハートレスを吐血させる程度しかダメージが出ていなかった。
「……今ので吐血だけですか」
ムレタの切り口からハートレスの異常性を垣間見たアレックスは、今の一撃を急所に叩き込まなくては倒せないと見る。
だが、行動パターンを見極めている時間はない。長引けば長引くほど不利に――
「――――っ」
一瞬、意識を失いそうになったアレックスのふらつきを、ハートレスは逃さなかった。瞬時に踏み込み、刺突が最初と同じようにムレタを貫く――
「ぐほ!?」
カウンターの様に、ハートレスの脇腹にアレックスの肘がめり込んでいた。
ふらついたのは演技ではないが、ハートレスの殺意にあてられ、この一撃だけは返せる余力を引き出したのである。
骨の折れる音と肉にめり込む手応えから、限りなく深いダメージを与えたとアレックスは感じた。そして、握力が弱まるこの瞬間に剣にムレタを巻き付けて奪う――
「ハァァァ……」
蹴打。今度はハートレスが重い一撃を見舞う。ムレタごとアレックスの身体を宙に浮かせるほどの一撃は完全に想定外のモノだった。
「がは!?」
まともに受けたアレックスは剣を奪うことが出来ず、血の尾を引きながらも何とか着地する。
「…………」
ネスはアレックスの放つ、異様な威力の打撃の正体に気づいていた。
確かに、アレをまともに受ければ立っていられる者は少ないだろう。それは肉体的に見ればハートレスも例外ではない。
今の脇腹に入った一撃で勝負は決まっていてもおかしくないのだ。しかし、ハートレスが未だに戦闘を続けているのは、その異常な暴力性に他ならない。
相対者を殺すことを何よりも優先する異常な暴力は、今のダメージをダメージとして感じていないのだ。
「勝ち目はありませんね」
剣を奪えなかったのも痛いところだ。武器と無手では戦力に明らかな差がある。
すると、ハートレスは剣を地面に突き刺し、更に柄尻を踏みしめて刀身を完全に埋める。そして、柄を蹴って剣を折った。
「剣を捨てた?」
これはアレックス側から見ればあまりにも不利でしかない。既にダメージが溜まっているアレックスに対し、剣を捨てるのは石橋を叩くよりも慎重に動いている証だ。
剣を奪われることを懸念している。実力が下で、自分よりもダメージを受けているアレックスに対して、ハートレスは毛ほどにも“油断”を抱いていない。
唯一の勝機である圧倒的な実力差から来る“油断”。それさえも、ハートレスは潰していく。
「獣め……くびり殺してくれる……!」
ハートレスは剣を使えないように処理するとアレックスへ迫る。
対するアレックスは着地したまま全く動かない。ムレタに姿は隠れているが、その下から血の池が広がっていく。
「ハハァ……」
ヒトを容易く殴り殺すハートレスの拳を受けて、アレックスは吹き飛ぶとムレタが離れ、その姿があらわになる。
「……本当に……キツイ……」
脇腹に残る刺し傷から、止めどなく流れる血を片手で抑えているアレックスが居た。
明らかな致命傷。再び意識がふらつくが、ハートレスが追撃を加える様に反応し、咄嗟にガードする。
「ぐ……あ……」
ハートレスのサッカーボールキックは両手で防ぐが、その衝撃で片腕の骨は折れ、力んだことで刺し傷から血が噴き出る。
壁に叩きつけられて、座り込むように停止した。この時点で本来の“一対一”では誰もが勝敗は決したと判断されるだろう。だが、
「あ……かは……」
だが、ハートレスはそのアレックスを掴み上げた。首枷を避けるように絞まる指は幾度となく殺してきた者たちと同じ形として機能する。
アレックスは片腕が折れてまともに抵抗も出来ない。そもそも血を流し過ぎて身体に力が入らないのだ。
彼に残されたのは“死”だけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ねぇ、テラ。なんで僕を助けてくれたの?」
アレックスは彼女といるのが当然だと思っていたから、今まではそんな事は考えた事もなかった。
しかし、少年は成長して行く。あらゆることに疑問も持ち始める時期に、その事も唐突に思いついたのだ。
「私がそうしたかったからだ。お前だけじゃない。ビクターもロードもクルーガーもガロンも……皆を助けたのは、ただそれだけなんだよ」
何の理由はない。ただ見捨てられなかった、とテラは微笑む。
「アルバート。私からお前たちへの願いはただ一つだけだ」
彼女は優しい瞳にアレックスを映しながら、その頭を撫でる。
「何があっても私よりも先に死ぬな」




