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11.勝者

 鏡面世界で彼女はアレックスが落ちた水面を覗いていた。映っているのは中世の街並みでなく、一つの戦いの場だった。

 『コロシアム』。アレックス。ハートレス。

 魔法の使えない彼がアークに存在しづけるのは不可能だと彼女も解っていた。

 彼には“彼女”と出会ってもらわなければならない。だから渡したのだ。

 ソレを使えば……数多の命を奪う事も、多くの人を救う事も、全てを滅ぼす事も……様々な道へ進む事が出来る。

 ただの“思い”ではソレは応えない。

 君にはありますか? ソレが応えるに値する理由がありますか?

 状況や感情によって変わる言葉でもない。人に言われて決まる意志でもない。


 赤子の自我。魂の本質。


 その根源からある意思を、想いを――最後の最後まで思い続けられる確固たる魂の意思を――アナタは持っていますか?

 そうすれば応えてくれるでしょう――

 世界は……【星落(ほしおとし)】は君に力を貸してくれる――






 ハートレスはアレックスが抵抗できないと判断すると片腕だけで持ち上げ、残った腕で心臓をえぐり出すべく力を入れる。


「僕は……」


 もう二度と、約束を破らないと……彼女が最後に見せてくれた笑顔に誓ったんだ――

 足が動く。吊るされた状態のアレックスの蹴打がハートレスの眼を狙って放たれた。


「ぬ……」


 目を抉る事もいとわない反撃だったが、ハートレスは反射的にアレックスを放して身を引く。攻撃は浅く当たるに留まった。


「抗うな……獣よ!!」


 力なく仰向けに地に落ちたアレックスへ、ハートレスは心臓を抉る為に、再び襲い掛かった。


 その瞬間が、アレックスにとって最後の勝機だった。

 向かってくるハートレスの膝を蹴り、バランスを奪う。倒れこんだハートレスは反射的に膝を着いて地面に倒れこむ体勢を回避するが、その一瞬をアレックスは逃さなかった。


「!」


 滑り込むようにハートレスと地面の間に入り込むと、脇下に抱える様にハートレスの首を折れた腕を絡め、動く腕で固定するように締め上げる。


「これで……最後です……」


 フロントチョーク。倒れた体勢を利用した絞め技である。どれだけ力があっても、ここまで地面に伏した状態では脱出は不可能だ。


「ごほ……」


 絞めつけられるハートレスは口から血吐する。アレックスの絞め技は完全に極まっており、ハートレスの意識が消えるまでの秒読みが始まっていた。


「勝負……だ……」


 だが、ハートレスは無事な腕でアレックスの脇腹を殴りつける。


「!? がっ!?」


 刺された箇所を殴りつけられる。激痛にアレックスの顔が歪む。

 これを放したら……勝てない――

 倒れこんだ状態では暴力的な攻撃力は出せないが、それでも何度も刺し傷を殴られ続ける痛みは、意識をかき乱す。


「僕は…………」


 それでもアレックスの絞めは僅かにも緩まない。殴られるたびに脇腹から噴き出る血によって二人は真っ赤に染まっていく。


「ぐ……が……おのれ……」


 その時、ハートレスは“魔法”を行使するために魔力を開放した。

 ハートレスの適正は『水』。ここまで接近し更に出血しているのならアレックスの血液を逆流させることも可能なのだ。

 本来ならば魔力を宿す存在に対して内部の体液を操作することは不可能。しかし、アレックスは体内に魔力を持たないため、その不可能は可能となっている。


 ドックン――


 アレックスの心音が耳に聞こえる程に大きく鳴り響く。


「――――」


 二人の動きが停止する。身動き一つ取らない様は静寂となって、観ている者は言葉を失っていた。


 どちらが勝ったのか。それが判るのは、戦っている二人だけ。すると、人影が動く――


「……どうやら、終わったようですね」


 ネスはこんな結果になるとは予想もしていなかった。まさか――


「まさか、“彼女から渡されたモノ”を使わずに勝ってしまうとは」


 ハートレスを絞め落とし、その下で勝利を宣言するようにアレックスは拳を突き上げていた。






 勝負が終わった戦いの場に『コロシアム』の従業員たちが入り、ネスは観客席から飛び下りた。瀕死のアレックスの治療を優先して行う為である。

 気を失ったハートレスは担架で運ばれ、応急処置を施されたアレックスも、ネスが付き添い共に消えて言った。


 従業員が行う本来の役目は、ハートレスがアレックスを殺しても止まらなかったときに抑える為の戦力だったのだが、こんな形になるとは誰も予想していなかった。


「負けるとはねぇ」


 血痕だけが残った戦いの場を無言で見ていたレジトリスは、ふー、と疲れを吐きだす様に息を吐く。


「……やれやれ。計画を軌道修正しなければならないねぇ」


 今回は運が悪かった。痛い結果だが、結果は結果。引き際が判らない程に追い詰められているわけでもないので、今回の結果は咀嚼して次に備えよう。


「レジトリス様……」


 そこへ、コルトがやってきた。見るとノーフェイス(ビクター)の姿もいつの間にか無い。


「ご苦労様だったね、コルト君。負けは負けだよ。ノーフェイスには払うものは払ってくれたまえ」


 負けしたが、レジトリスの実質的な損失はノーフェイスとの個人的な賭けだけだ。

 この負けによって『コロシアム』の負債は金貨30000枚。裏の営業の運営資金で到底まかなえない金額だ。どちらにせよ、コルトは左遷を間逃れないだろう。


「その件ですが……ノーフェイス様から提案がありまして――」


 コルトから話を聞いて、レジトリスは思わず大笑いした。






「よくやった」


 牢に戻されたアレックスをノーフェイス(ビクター)は迎えに来ていた。

 見張りに奴隷商から金貨1000枚でアレックスを買い取った書類を見せ、牢のカギを受け取る。


「当然の様に言ってるみたいですけど……死ぬかと思いましたよ。見てたでしょ?」


 アレックスは片腕の骨折と脇腹の刺し傷、更に大量出血と本来なら数日は起き上がれないほどの重体である。だが、ネスの治療が効いているのか、思ったほどに身体は動けていた。


「だが、結果は勝ちだ」


 ノーフェイス(ビクター)はアレックスを起き上がらせながら、ネスが用意してくれた松葉杖を手渡す。


「歩けるか?」

「なんとか」


 慣れない松葉杖を片手で操りながらアレックスは答えるとノーフェイス(ビクター)は踵を返す。


「ソニアを連れてくる。お前は出口の所に先に向かっていろ」


 『コロシアム』の運営とは全て話はつけてある。あちらが断る事が無いほどに好条件で脱出できるように手配も済んでいる。


「すみません。もし、融通が利くなら……一つお願いがあるんですが――」


 アレックスはビクターに、功労賞として一つだけ“お願い”を聞いてもらった。






 ケルファトは牢でこれからの処遇を待っていた。

 死ぬまで戦わされるのだろう。それとも、先ほど通り過ぎた怪物と戦わせられるのか。これからどうなるかなんて何も想像できない。

 そもそも……俺には何も残ってない――


「ケルファト。出ろ」


 と、牢が開けられ指示に従い外に出る。どうやら戦わされるらしい。時間的に言えば、さっきの怪物とだろう。

 しかし、そんな予想とは裏腹に渡されたのは彼の荷物だった。


「……は?」

「お前は買い取られた。自由だとよ」

「え……? おい! どういうことだよ!」


 呆然とするケルファトを残して従業員は去って行った。


「……訳わかんねぇ」


 『コロシアム』がケルファトの条件を呑んだのは『ヒュドラ族』という事もある。高い戦闘能力を持つ事は知られており、奴隷として御す事が出来れば多大な利益を生む。

 それを運営長(コルテ)が手放すなど、とても思えない。


「…………あ?」


 荷物を持って通路に出ると他の奴隷の牢も開放されていた。その中にいる奴隷達は信じられないという様子で通路へ出て来る。

 ただ、運営の人間に危害が加えられないようにするための“女神の契約”までは外されていない様だが。


「怪我で立てない方は声をかけてください。歩けるようになるまで治療するように言われています」


 ネスが立ち上がることの出来ない奴隷を優先して治療していた。ケルファトも何度か世話になったことがあるので面識はある。


「はい、これで大丈夫です。裏門へ向かってください。当面の生活費を渡されますので」

「なぁ」


 一通りこれからのことを説明して回っているネスにケルファトも状況を尋ねる。


「ケルファト君には治療は必要なさそうですね」

「ネスの姉(あね)さん。何がどうなってんだ?」


 笑顔のままネスは更に嬉しそうに、ふふ、と微笑んでから一言だけ説明する。


「親切な方が皆さんを買い取ったそうです」






 ビクターは高位奴隷室へ足を運んでいた。見張りの従業員から鍵を受け取り、扉を開ける。


「君がソニアか?」

「……誰ですか……?」


 ビクターは扉を閉めて、外に聞こえない方に声を絞る。部屋の中央に設けられたベッドに座る『長耳族』は、声のする方へ意識を向けた。


「君の身内から依頼を受けた。君の妹のソーナからだ」

「……ソーナが……一つ……質問させてください」


 当然、突然現れたビクターの事を信用できない。ソレは確認のために質問だった。


「祖父の……名前は?」

「ソリティス。三女はソマル」


 その言葉から彼女――ソニアはビクターに対して確信を得た。彼は自分を助ける為に、ここに訪れたのだ。


「……ごめんなさい。私の……せいで……誰かが傷ついたのでしょう?」


 並大抵の事では扉の前に立つことも出来ない。扉を開き、入ってきたのなら尚更だ。その事を承知しているソニアは心を痛める。


「君を助ける為に、命を賭けた者が二人居る。一人は心当たりがあるんじゃないか?」

「……ケルファトは――」

「無事だ。今頃解放されているはずだ。会いに行くか?」


 ビクターはケルファトとソニアは関わりがあったと確信する。どういう流れで、ケルファトが尽力していたのかは本人に聞いた方が良いだろう。


「……はい」






“『コロシアム』が負債する金貨30000枚を免除する代わりに、『コロシアム』に居る自由になりたいと願う奴隷を全て解放して欲しい。それだけではなく、動けぬ者には動けるだけの治療と足を用意させ、当面の食料と生活費を工面することも条件だ”


 それがアレックスに言われて、ノーフェイス(ビクター)の提示した『コロシアム』への要求だった。

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