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少女に触れたもの

 人の夢を通じて記憶を見ることができた。父も母ももう顔は覚えていないが、彼らもそんな私を気味悪がった。しかし本当に気味が悪かったのは私の方だ。お前達の醜い記憶を沢山見た。私はお前達のように醜くない。彼らが夢の中でしていることを理解できるようになった頃、しかしまだそれを汚らわしいとしか思えなかった。

 汚いモノを沢山見せられすぎた。でも今思えば、あんなものは汚いうちに入らない。消してやる、そう思うようになった頃、国を失い、家族を失い、そして私は奴隷の身分になった。そこで見るようになった世界に比べれば、あれは美しかった。

 どこまでも美しい人がいた。記憶に触れるとその人の感情にも触れる。どこに触れても美しくて、私は夢中になった。あの人の記憶に触れて、私は自分がなにかを知った。女でも、男でも、人ですらない。あれはもう、いつだったか。人の記憶は覗けるのに、私の記憶は覗けない。

 私の美しい人の記憶に映り込んだ男がいた。それはいつかの私に触れたあの人の感情と似ていた。男のことをどこまでも白く美しい色をしているとその人は言った。どこが美しいものか。奴はどこまでも汚れた男だ。抵抗され、しかし垣間見える奴の記憶はどれもおぞましいものばかりだった。感情も。このまま首を絞め殺してやろうかと何度も思った。なのに、奴の記憶の全てに触れ、私は動揺した。

 彼は醜い世界から抜けだそうと誰よりも抗っていた。その姿はとても憐れだった。醜い世界の全ての破壊を続ける彼は、しかしその道中間違いに気付いてしまった。彼は罪を背負った。常に罪に監視されるようになり、罪と戦い、そして罪に滅ぼされ、全てを失い、全てを忘れ、いつしか罪を罪とも知らず縋るようになっていた。とても愚かで、だが彼を誰が責めることができるのだろう。彼はただ、あの醜い世界から抜けだそうと抗っただけなのだ。私は抗うことを諦め、なのに救いだされた。彼は最後まで抗い、最後には自らを崩壊させてしまった。

 確かに彼は美しかった。どこに触れても。

 でも分からない。なぜ彼は人ではないのに、男なのだろうか。

 なぜ彼は、彼らに気付かないのだろうか。




「タカラオ。」

 傍らの存在に呟く。タカラオは言う。

 業を受け入れろ。

 タカラオはいつも同じことを言う。違う。タカラオが言っているのではない。迷う心を自身がタカラオの言葉を使って紡いでいるだけ。欲していたものを、歪過ぎる形で与えられていたことを知って、認めたくなかったんだ。

 業に抗うな。

 クロは傍らに横たわる少女を見た。

 生きよ。

 生きることそのものが罰であるかのようだった。

「もう、ここで終わりにしよう。それでいいだろ。タカラオ。」

 耳元でタカラオが低い声で囁く。

 お前を誇りに思っている、クロ。

「・・・やめてくれ。もう、やめてくれよタカラオ。俺をもう許してくれ。ここで、彼女の隣で俺を殺してくれ。お願いだ。」

 タカラオは笑う。スニルの後悔の叫びが響く。

 業を恐れるな、生きよ。

「俺はもう耐え切れない。耐え切れなかったんだ。だから俺は、俺の全てを殺して生きてきたんだ。それでも苦しさは忘れられなかった。・・・・ずっと苦しかった・・・・それでもここまで生きたんだ・・・・まだ・・・足りないのか?」

 タカラオは答えない。

「俺を、もう解放してくれ・・・・お願いだ・・・・お前が言ってくれさえすれば・・・」

 タカラオは答えない。

「どうして・・・お前は・・・・お前はあの時・・・俺を・・・・殺さなかった?」

「お前が望んだからだ。」

 クロは傍らを見た。タカラオはそこにいなかった。




 明け方の街は騒然に包まれた。

 まさかバレたのか?ユーリは窓から身を乗り出し騒ぎを聞き焦りを募らせた。すぐにネイの部屋へと向かい、途中ベアトリーゼとも合流した。

 ネイはベランダで静かに騒ぎを眺めていた。

「早く逃げましょうネイ様!」

 ベアトリーゼは逼迫したように伝える。しかしネイは反応薄く、向き直りもせずにまだ星が残り透明さを取り戻しつつある空を眺めていた。

 彼女はなにを考えているのだろう。しかし予想はできる。ネイのことだ、きっとイサイを見捨てて行くに違いない。船上の暗い影に沈んだ彼の横顔がフッと頭に浮かんで過去の自分と重なった。そんなの、救いがなさすぎる。

 ベアトリーゼの前に出てネイに意見をするつもりだった。前に出るとそれに反応したかのようにネイは振り返る。

「いや。彼を待つ。」

 意外な言葉がネイの口から出た。そして一瞬ユーリには彼女が見たことのない誰かに見えた。いつも彼女が持つ凛とした冷静な、しかし裏に激情を持つ顔。そこにあったのはそれではなくおよそネイらしくない、そうだ、ある種彼女の容姿に似合うどこか気弱さすら感じる少女の表情。

「しかし、しかし奴は、イサイならば見捨てられたとしても納得するはずです!あいつはまだ子供ですが冷静さは既に身につけています!それにイサイも今は近衛の衛士です!ネイ様の身と引き換えになったと思えば我らの命など・・・」

 ネイは詰め寄るベアトリーゼの唇に向けて人差し指を立てて口を閉じさせ、それだけでつんのめるように身を引かせ、そしてちゃんと黙りこむ彼女を見て優しげに笑う。

「そんなことを言うな。失われていい命などありはしない。それに、アイシャ様もきっと私の判断を認めてくれる・・・」

 その様子その言葉にユーリに続いてベアトリーゼもネイの変調に気付いたようだった。

「どうか、されたのですか?ネイ様、今は・・・」

 バンッ、来賓室の扉が乱暴に開かれる。

 三人が振り返るとそこには武装した衛兵を引き連れたガーダマが普段と変わらずの温和な表情を浮かべて立っていた。彼らは無言で部屋に立ち入り、ネイらと対峙する。

 ベアトリーゼは殺気立ってネイを庇うように前に立ち腰元の剣に手をやって彼らを睨んだ。

 部屋の無言を街から響く非常招集の鐘が、民らの狼狽え叫ぶ声が、館中で響く怒鳴り声が満たしていく。 

「ネイ様、あなたを拘束致します。」

「無礼な!貴様如き下官が総監になんたる口を利く!それに貴様兵を率いるなどとどういう了見だ!」

 ベアトリーゼは代わりに口を開いた。ネイはきっと今不調をきたしているのだ、そうなればなんとしてでも自分が彼女を守らなければいけない。

「いい。ベア、下がれ。」

 しかしそんな彼女の腕を引いてネイは後ろに引かせた。アイシャ程ではないが、彼女の気持ちが見えるようだった。

 殺気立つベアトリーゼは守るべき少女が逆に彼女の前に立とうとすることに抵抗を覚えたが、同時に彼女の近衛の衛士たらんとする忠誠心が間で揺れる。ネイが前に立つことを邪魔することはできない。だが、奴らがネイに近付こうとするならばすぐにでも斬り伏せる。命に代えても。

「聞こうではないか。」

「市の塔を荒らした賊を発見しました。どうやらあの異教徒が賊の正体のようです。私も心外なのですがネイ様の関与を疑わないわけにはまいりません。」

「塔、か。物見の塔をどこぞの賊に覗かれた程度で結構な騒ぎようだな。非常招集までかけて陛下の臣民らもさぞ迷惑しているだろう。陛下もこれを知れば如何に思われるだろうな。」

「これは、念には念を重ねただけのことです。それに幾ら陛下といえど我が国の内政に干渉される言われはありません。」

 ネイはガーダマとの会話に急速に内部の熱が高まってくるのを感じていた。鼻を鳴らす。よくこうもつまらぬ言い訳ができるものだ。一度ネイはベランダの外、微かに見える空を見た。次に殺気が全く抜ける様子のないベアトリーゼと緊張した面持ちのユーリを見る。

「非常招集までかけてそれが内政事で済めばいいな。それに異教徒とは誰のことを指すのか分からないが我々の関与を疑うのであればなぜ下手人を連れてこない。私を事実無根のことで拘束するなどとそれがなにを意味するのか理解した上での行動なのだな?」

 ガーダマは温和な表情を崩す。

「では、なぜあのイサイとかいう異教徒がこの館にいないのです。」

「なんだと、つまり貴様は下手人を捕えずして私を拘束しようとしたのか?これは問題だぞ、ガーダマ!」

 ガーダマは表情を隠しもせずネイを睨みつける。両者の無言の対峙の中、ユーリはふと人々の喧騒の中から妙な音を耳にした。遠く空気を揺らすような振動にも似た音。

「・・・分かりました、ネイ様。こちらも賊を取り逃がし焦り曖昧な報告を鵜呑みにしてしまったようです。ご無礼をお赦しください。しかし我々にも我が国の法があります故ネイ様と近衛衛士の皆様にはこの部屋にて待機して頂きます。・・・それはご了承頂きたい。」

 ガーダマは部屋から去っていく。その後、ユーリは急ぎベランダに出て耳を傍立てた。しかし大きな喧騒の中では先程の音は聞き取れない。

「どうしたんだ少尉。」

 ベアトリーゼがユーリの様子に気付いて声を掛ける。

「今は聞こえないんですが、さっき確かに聞こえたんです。たぶん・・・砲声を。」

 ベアトリーゼは驚きの表情を見せネイを見た。しかしネイにその様子はなかった。

「それは確かなんだなユーリ。」

 ユーリは頷く。

 非常招集がかけられているとはいえ、国防軍が市中の民を兵に替え部隊を編成するには早すぎる。狼狽える民を静める為に砲を鳴らすなどというのも論外の手法だ。それに微かに聞こえたということからしてもやはりそれは市中から聞こえたのではない。

「やはりそうか。イサイを待つのはやめだ。直ちに館から脱出するぞ。イサイを救出の後王都へ戻る。」

 方針を変えるなどネイらしくないことだが、両士官がそれに反論することはなかった。砲は恐らく西の空の下、この都市からも近い最前線、ジル=スム要塞を中心として連なる国境線から聞こえたのだ。

「恐らく獣の攻勢が始まったんだ。」

 非常招集が掛けられている事実とも符合する。

 獣の攻勢が始まったというのにそれを知らせず館へネイらを押し込めようとするガーダマの意図を思った。恐らくカスぺリに最後の決断を伺いに行ったのだろう。どんな理由があろうとも領国内でネイが不慮に遭えば女王はなにをおいても黙っていないはず。幾らガーダマがカスペリからの信任厚かろうとも独断でネイを亡き者にする判断を下すことが難しかったのであろう。

 カーテンで縄を作り庭へ下りた三人は門の様子を見ていた。門には四人の衛兵がいる。

「押し通しますか?」

 ベアトリーゼがネイに伺いを立てる。ネイは彼女を見た。先程彼女が見せた殺気はその目に完全に残ったままでいる。きっと彼女はネイのためであるならば一人ででもあの武装した衛兵に向かって走り剣一本で戦い彼らを地に伏せて見せるだろう。しかしそれでは彼女が無事に済むわけがない。

 彼女に続きユーリを見る。軍人として経験の無い彼は緊張し、ネイと目が合うと狼狽えるように小さく身じろぎする。

 ネイは不意に不敵な笑みを浮かべて無言のまま悠然と門に向かい歩き始める。

 今守られるべきは私ではない。皆を、三人を守れるのが私だけなのだ。そんな状況で自分を守ろうと必死になっている彼女や、この程度にあの緊張を見せている彼を可笑しく思った。  

 不意のネイの動きに判断が遅れ彼女を止め損なった二人は呆気にとられて一度顔を見合わせたが、すぐにベアトリーゼは慌ててネイの後ろに続く。

 一体今からなにが始まるのだろう、ユーリは緊張に鳴る心臓に耐えながらも肚を決めてそんな彼女達の後ろに続いた。

「どけ。」

 衛兵は返事の代わりに槍を交差させて門を塞いだ。

「貴様ら、私を誰かと知ってそのような態度をとっておるか。」

「存じ上げております!失礼ながら街は混乱しておりネイ様の身の安全を保証致しかねます故館から出さぬよう閣下から申し付けられております!」

 衛兵らは一気に申し立てた。その様子にはネイ達を捕らえようとする意思までは見られず、まだ彼らには彼女らを拘束しなければならない、そこまでの伝達は届いていないのだろう。

「獣の攻勢が始まったのだろ?私は陛下をお守りする義務があり、すぐに帰国せねばならない。私の身の安全など、その次だ。貴様ら、それでも私を押し留めるつもりか?」

 ネイはよく通る声で静かに伝える。少女の目の冷たさに衛兵は一瞬怯まされたが、あくまで少女でしかないネイの容姿にその本性を想像できるはずもなく、彼らは態度を改めなかった。

「無礼者が!」

 ネイの一喝と同時に彼女の剣の切っ先が衛兵の鼻の下で止まった。唇が割れて血がぽたぽたと垂れる。

「どけ。」

 再度ネイは言い放つ。剣を突き付けられた衛兵は硬直し動かなかったが、残りの衛兵はそれを見て後ずさるように身を引いた。

 自分の後ろに続く二人。そしてイサイのことを思う。自分を重ねているわけじゃない。今はまだ彼女のせいで自分が混乱している、そう思いたい。しかし受け入れなければいけない。多分この変質はもう覆らないだろう。そうなれば、彼を救わないことには次に進むことはできない。

 ネイの後ろに続いて門を潜り、今更ながらユーリは彼女のことを恐ろしく思った。彼女の姿に今日彼女と会ったばかりに感じた気弱な少女性は微塵も感じなかった。ユーリが知ることになった彼女の普段の姿そのままだった。

 初めて間近にネイを見た時、その容姿の可憐さに思わず目を奪われそうになってしまった自分を末恐ろしく思う。もしあの時エリザの手前でなかったら、気分が沈んでいなければ、ゲルティと女王に次いで話題にすることが多かったいつかは憧れたネイを目の前にして、エリザに、ただの同年代の少女に話しかけるような気軽さをもって話をしてしまっていたら今頃自分はどうなってしまっていたのだろう。

 中尉の彼女に対する怖がりようを理解しなかった自分も恥ずかしい。自分は緊張するばかりで、ベアトリーゼのように武装した複数人の衛兵に牙を剥く勇気も無ければネイのように啖呵を切る胆力もなかったのだ。一人男でありながらこの二人の女性の後ろに付いて回っているだけだ。

「ネイ!貴様ぁ!待たんかぁ!」

 背後を振り返ると館の最上階のベランダから叫ぶカスペリの姿があった。目がやけにギョロついて遠目にも彼が取り乱しているのが分かった。

 すぐに走って逃げるか、ユーリは更に喉を鳴らしてネイの指示を仰ぐ為に彼女を見た。しかしネイは平然そのものでじっとカスペリを観察していたかと思えば、次になぜか彼女は心底嬉しそうな表情を浮かべた。

「アイシャ様に色目を使う色欲爺が!次こそは貴様を地獄へ叩き落としてやる!その汚い首を洗って待ってろ!」

 それを聞きカスペリは更に何事かを大声で喚いていたが、彼を無視するかのようにネイは走りだした。

 私は私だ!それが変わるものか!

 心の奥底から湧いてくる愉快さ。心の底からくだらない取るに足らないことだが、念願だ。しわがれたあの醜い老人が絞首台で喚く姿を重ねると愉快で仕方なかった。

 ユーリは走りだしたネイをベアトリーゼと共に慌てて追いかけ、ようやく追いついた頃ネイの横顔を盗み見た。いたずらが成功した子供のように彼女は嬉しそうに笑みを浮かべていた。



更新が遅れ申し訳ありません。次回は金曜日夕方の更新になります。

今後のご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

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