小さな違い
翌日。
朝の教室は、いつもと変わらなかった。
「おはよう」
「おはよう、レン」
アルトとユナに挨拶をして、レンは席につく。
少し遅れて、フィーリアも教室へ入ってきた。
「おはよう」
「おはよう」
いつもの四人。
校外学習から戻ってきて数日。
森で見た魔獣の話も、少しずつ日常の話題になっていた。
「そういえばさ」
アルトが言う。
「この前の森にいた小さい魔獣、名前なんだっけ?」
「知らない」
レンが答える。
「調べてみたら?」
「後で調べる」
「絶対忘れるだろ」
「……たぶん」
「ほら」
ユナが笑う。
そんな話をしているうちに、授業開始のチャイムが鳴った。
* * *
午前の魔法実習。
生徒たちは、それぞれの魔法陣の前に立っていた。
「今日は基礎術式の確認をします」
教師が説明する。
「先週までに習った属性術式から、一つ選んで発動してください」
レンは自分の魔法陣を見る。
風。
火。
どちらにするか少し考えて。
「……ウィンドでいいか」
中央の術式を確認する。
以前なら、魔力を流して術式を発動することだけを考えていた。
けれど、今は違う。
魔力を流したとき。
どこを通っているのか。
どこで変化しているのか。
ほんの少しだけ、意識できる。
レンは目を閉じる。
呼吸を整える。
自分の中にある感覚を探す。
胸の奥。
何かがある。
まだ、はっきりとはしない。
けれど。
「……ここか」
ほんの一瞬。
胸の奥から、腕へ向かって何かが流れた。
レンはその感覚を追う。
胸。
肩。
腕。
手。
そして――。
消えた。
「……」
目を開ける。
「レンくん?」
隣から声がした。
ミレイだった。
「……何?」
「……今、何かしてた?」
「ちょっと魔力を感じようとしてた」
「……魔力?」
「うん」
ミレイはレンの手を見る。
「……前と、少し違う」
「違う?」
「……うん」
ミレイは少し考える。
「前より……流れが、分かりやすい気がする」
「そうなのか?」
「……たぶん」
「そっか」
レンは自分の手を見る。
自分では、まだよく分からない。
けれど。
ミレイには何か違って見えるらしい。
「じゃあ、試してみるか」
レンは魔法陣へ意識を戻した。
魔力を流す。
先ほど感じた流れを意識しながら、術式へ送り込んでいく。
「――ウィンド」
魔法陣が淡く光る。
六本の線を光が走り、外側の円が輝く。
次の瞬間。
ふわり。
風が生まれた。
「……できた」
いつも通りのウィンド。
けれど。
発動した直後。
レンは、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
「……?」
魔力が外へ流れた。
そう思った。
なのに。
一瞬だけ。
外へ出たはずの感覚が、身体の奥へ戻ってきたような気がした。
「……今の、何だ?」
「レンくん?」
ミレイがこちらを見ている。
「……今、ちょっと変だった」
「やっぱり?」
「……うん」
「俺にも分からない」
レンは自分の胸に手を当てる。
もう何も感じない。
「……気のせいかな」
「……たぶん」
ミレイも、それ以上は言わなかった。
「二人とも、終わったら次の術式へ進んでください」
教師から声が飛んでくる。
「あ、はい」
「……はい」
二人は魔法陣へ向き直った。
* * *
放課後。
校門を出る。
「今日はちょっと疲れたな」
アルトが伸びをする。
「魔法実習?」
「それもある」
「じゃあ、帰ったら休めば?」
「そうする」
アルトとユナが先に別れていく。
「また明日」
「また明日」
フィーリアとレンも歩き始めた。
「レン」
「ん?」
「今日、魔力を感じてたね」
「見てたの?」
「うん」
「分かった?」
「少し」
フィーリアは歩きながら答える。
「前より、魔力を意識してる感じがした」
「やっぱり?」
「うん」
「実はな」
レンは少し考える。
「今日、流れを少しだけ追えたんだ」
「流れ?」
「胸のあたりから腕まで」
「そうなんだ」
「ほんの数秒だけだけど」
フィーリアは少し笑う。
「それでも前より進んでるね」
「まあな」
「よかった」
「何でフィーリアが喜ぶんだよ」
「レンが嬉しそうだから」
「……そっか」
レンも少し笑った。
* * *
その日の夜。
レンは自分の部屋で、一人で椅子に座っていた。
机の上には、魔素と魔力についての資料。
リーテルにもいくつかの資料を表示している。
「……もう一回」
目を閉じる。
呼吸を整える。
魔力を探す。
胸の奥。
そこから。
「……」
何かが動いた。
今度は少しだけはっきりしている。
胸から。
肩へ。
腕へ。
手へ。
「……ここまで」
追える。
ほんの数秒。
それでも。
昨日までなら、ここまで感じることはできなかった。
レンは目を開ける。
「……少しずつだな」
焦る必要はない。
今日分かったことが一つある。
魔力は、ただ身体の中にあるだけじゃない。
流れている。
そして。
その流れを意識できれば、少しずつ追うことができる。
ただ――。
「……さっきの、何だったんだろうな」
昼間に感じた、ほんの小さな違和感。
外へ流れたはずの魔力が、一瞬だけ身体の奥へ戻ったような感覚。
もう一度探してみる。
けれど。
「……分からない」
今度は何も起こらなかった。
レンは少し考えてから、資料へ目を戻した。
まだ知らないことは多い。
だからこそ。
もう一度、ページをめくる。
明日も。
少しだけ試してみようと思った。




