どうしてお前がここにいる!
しまった、と思った瞬間、頬に走る衝撃。
「ちっくしょ…」
油断して殴られた頬が痛みを主張する。
腫れる前に冷やしておくか、と僚は保健室の扉を開けた。
「こら、ノックしてから入りなさい」
すぐさま小言が降ってきた。
声のした方を見ると、白衣を着た男が僚に背を向け、机でPCをいじっている。
「で、何しに来たのかな?」
顔を上げないまま、白衣の男が尋ねる。
「怪我したんで、氷を…」
「怪我?」
僚の言葉に、男が顔を上げた。
「あ」
男が驚いたような声を出す。
「おまえ!」
次いで僚も声を上げた。
「駄犬!」
「エンヴィ!」
どうしてお前がここにいる!
「人間の生活を体験しようと…」
「た、体験学習…?」
人間ごっこ。
なんとも力の抜ける話である。暇を持て余した彼らの、新しい遊びなのだそうだ。
「なんで君なのさ。どうせなら子猫さんと保健室で…」
「それ以上言ったら殴る。ってか、ネコさん大学生だから無理だろ」
教育上よろしくない発言につながりそうな流れはぶったぎる。
「まぁ、そうなんだけどね。サタンと貧乏神が大学のクジ引いちゃったから」
「…行くとこクジで決めたのか」
「あみだくじね」
「んな細かいこと訊いてねーよ」
僚は保健室の椅子に座り、エンヴィによる手当てを受けていた。
いつ攻撃を受けるかと冷や冷やしていたのだが、エンヴィは「養護の先生ごっこ」が気に入っているらしい。養護の先生の仕事には手を抜かないつもりらしい。
「はい、できた。じゃあ、邪魔だからさっさと出てってね」
「いっ」
手当てした僚の頬を強めに叩いて、椅子から立ちあがる。
そのままさっさと机にもどる。
「それ、仕事か?」
叩かれた頬を押さえながら、僚が尋ねる。
「これかい?」
PCを指し、首を傾げるエンヴィ。
「これは…まぁ、人生のお仕事、かな」
にっこりと爽やかな笑みを浮かべるエンヴィに、僚は嫌な予感に顔をこわばらせる。
無言で近づき、PCを覗き込む。
「…………」
「可愛いよねー。今日は午後から講義の日だから、お寝坊の日なんだよ」
上機嫌で画面を指すエンヴィ。
そこには案の定、というか、お約束、というべきか…。
気持ち良さそうに眠る、ネコの姿が。
「……このっ、ストーカーがぁっ!」
「や、だってこれ、」
人生のお仕事だから!
胸を張るエンヴィに掴み掛る。
「今すぐ消せ!」
「嫌だよ」
「良いから消せ!」
「何がいいんだ、嫌だって!」
進展しない問答に、実力行使が頭に浮かぶイヌ。
空いた手で握り拳を作る。
「蛇塚せんせー。この子、お腹が痛いって…く、九条!?」
「えぇ!?」
保健室のドアを開けた何も知らない二人組が、取っ組み合う二人をみて声を上げた。
けれど、どちらも存在にすら気づかない。
「ざけてんじゃねぇぞ!」
「それはこっちの台詞だよ!駄犬!」
「あぁ!?」
ますます激しくなる争いに、二人の罪なき生徒は顔を青くさせた。
「お…お腹が…別の意味で…」
一人が腹を抑える。
「し、失礼しました!」
律儀にもそう言い残して、生徒たちは去って行った。
殴り合いまで、あと五秒。




