特別編:春告げ鳥を愛した人
色覚異常とも取れる描写があります。
不快に思われる方は、どうか閲覧をお控えください。
彼らが交わした約束について。
――――きっかけは、些細な勧めの言葉だった。
皇帝に新たに子が産まれるにあたり、その子らの乳母が必要になるのだと。
それに折よく同じ頃に身籠り、そして皇帝の厳しい審査を潜り抜けて乳母に選ばれたのが、少女の母親だった。
言われなければ身籠っているとは分からぬ母親と共に、彼女は皇宮にやって来た。
皇后の懐妊は厳重に秘されなければならなかった為、腹が目立たぬ妊娠初期に呼び寄せたかったのだと、後に聞いた。
だがその時は、少女の存在など知りもしなかった。
知ることになったのは、政務の合間の暇つぶしに付き合わされていた時だ。
乳兄弟以外で初めて身近な年が近い相手だ、会いに行ってみたらどうだと、珍しく口にする御仁がいたものだから……。
どういう意図でそれを口にしたのか、これは命令なのかと勝手に邪推し、半ば義務感で彼女に会いに行った。
そこで初めて――――薄墨以外の色を、見た。
その名の鳥と同じ色をした少女――鷺舂は、烏竜の世界に初めて灰色以外の色をもたらした。
物心ついてからこのかた、色自体は分かるし理解できるのに、すべて同じ色にしか感じることができなかった視界に初めて違う色が。
――――世界が薄墨色に染まっている。
それが病ではなく心因的なものだということは、幼いながらも早々に理解していた。
だからこれから先もずっと、生まれ落ちたこの身を変えられないのと同じで、己が見る世界の色もまた未来永劫変わらぬままだと思っていたのに……。
それがすべてではないが少なくとも大きなきっかけとなり、その出会い以降可能な限り鷺舂と共に過ごした。
一年にも満たない期間だったが、烏竜が彼女に対して他の誰とも違う特別な感情を抱くようになるのには、十分すぎるほどの時間だった。
やがて皇后と鷺舂の母親は臨月を迎え、彼女の母親の方が数日早く子を産んだ。
その時初めて、赤子を抱いた。
小さいのに、その小ささに似合わずずっしりと重く、何より……。
(あった、かい……)
触れている腕と手が、いつの間にか汗ばむほど。
命の温かさとは、このことを言うのだろうか。
嗅ぎなれないどこか温もりを纏った匂いが鼻腔を擽るのに、酷く落ち着かない気分になった。
自分にもこんな頃があったのだと言われたことがあったが、まったく実感は湧かなかった。
また、思った以上に抱く腕の痺れや辛さをもたらす赤子に、危うく落としそうになって慌てて抱え直す。
そばではくすくすと時折声を漏らしながら、こちらの腕の中にいる弟を覗き込む鷺舂。
その笑顔を見るだけで、自然と眦が下がった。
今度は彼女が烏竜から受け取り、赤子を抱いた。
烏竜の腕の中でずり落ちそうになっていた赤子の、まだ据わっていない首をきちんと支え直してやる。
烏竜などとは比べものにならないほどその様は手慣れていて、まるで母の腕の中にいるかのように赤子は安心した様子を見せた。
慣れぬ腕の重みから解放されてほっとしたはずなのに、なぜだかどうしようもなく疎外感を感じた。
姉弟という繋がりを持つ彼女達と、何も持たぬ自分というのを、赤子を取り上げられたことでより実感してしまったのかもしれなかった。
――――どうしたら……。
どうしたらぼくも、そこに入れる。
「あぅ……うぅ……ふえぇ……っ」
「ど、どうしたの?」
突然ぐずり出した赤子に、鷺舂が慌てる。
いくら慣れていると言っても所詮は幼い娘だ、赤子の急な変化に慌てたせいで簡単に体勢を崩す。
危うく放り出しそうになったため勢いよく胸に抱き寄せたが、かえってその反動で彼女の体が後ろに傾く。
「っ危ない!」
烏竜は倒れそうになった彼女の背に腕を回し、そのまま赤子ごと抱え込んだ。
とはいえこちらも同じく幼い少年だ。
支えきれるわけもなく、二人揃ってその場に尻もちをついた。
痛みに顔を顰めるのもそこそこに、揃って急いで赤子の顔を確認する。
赤子はきょとんとした顔をしており、ついで、ふにゃあと気の抜けるような笑みを浮かべた。
どちらともなく顔を見合わせ、笑いあった。
「ふっ……ふふ!」
「……ふ、ははっ!」
「あら?」
そこに顔見知りの女官達が通りかかった。
「あらあらまあまあ、貴方達、そうしているとまるで家族みたいねぇ」
「あら本当……まるで小さなお父様と小さなお母様ね」
家族……。
小さなお父様と、小さなお母様。
女官達に向けていた顔を、再度目の前の彼女と赤子に戻す。
幼いながらも、慈愛と言ってもいい優しい顔で弟を見つめる鷺舂。
家族というものの知識は、ある。
父というものも、母というものも。
それが世間一般の常識というものと一致しているのかは分からないが……。
(…………あの人が言っていた)
――――家族になれば、離れなくてすむんだ。
家族になれば、烏竜も彼女達と共にいられるのだろうか。
家族になれば、いずれ必ず来るであろう別れが来ても、離れなくてすむのだろうか。
家族になれば。
……その人が言う「家族」とは、どろりとしたものが混ざったものだと知っていたのに……。
それなのに、願ってしまった。
家族になりたい、と。
彼女と、この子と、ずっと共にいられたら……なんて。
だからきっとあの日。
阿俊をあの人に差し出してしまったのは、自分の願望でもあったのだ。
だが夜が明けた次の日。
ずっと共にいられると思った少女は、烏竜の手など到底届かないどこか遠くにいなくなってしまっていた。
彼女の母親も、死んだ。
唯一の「白」は、もういない。
烏竜の世界はまた、くすんだ薄墨色一色になってしまったのだ。
(どうして……)
残された彼女の弟を抱いて、途方に暮れた。
己の浅はかな願いが、すべてを壊してしまったのだと思った。
「ぅあ……ああ…………あああ……っ」
口を大きく開けて、声を上げて泣いた。
両腕は赤子を抱いたままの為、当然顔を覆うこともできない。
涙に鼻水、それらすべてを曝け出していたはずだ。
どちらが赤ん坊か分からなかっただろう。
周囲に誰もいないことをいいことに、それぐらいみっともなく泣き喚いた。
――――だが、そんな騒音とも言っていい泣き声の中に、不意に赤子の声が混じった。
涙で滲んだ視界で、とりあえず下を向くと……。
あうあうと声を上げて、まだ目が開いていても視力としては見えていないはずの赤子の目が、確かに烏竜を捉えていた。
それを見た途端、今なお涙を流させ続けている感情とは別の感情で、訳も分からず胸が締め付けられた。
滅茶苦茶とも言える動作で、赤子を胸に抱き込んだ。
子どもらしい乱暴さと危なっかしさで、ともすれば泣き出してもおかしくなかっただろうに、赤子が笑ったのが気配で伝わってきた。
――――この子がいる。
(この子が、いる)
鷺舂はいない、でも烏竜にはこの子がいる。
彼女と烏竜の、大切な”吾子”が。
「……く、そく……した、じゃないか……」
――――”ぼくがきっと守るよ”。
その時は、突然訪れた。
薄墨色の世界に、次々と色がつき始めたのだ。
灰色だったものたちが、鮮やかにその身から色を吹き出す様は、さながら春に花が咲き乱れるかのようだった。
こんなことは、今までなかった。
(なんで……)
鼻水が垂れたままなのも構わず、呆然と周囲を見回す中、きゃっきゃっと無垢としか言いようがない笑い声が耳に入ってきた。
腕の中に視線を落とすと、赤子は何が楽しいのか、ひどく御機嫌にこちらにその小さな両手を伸ばしてきていた。
色はその子から発せられているように、見えた。
目の錯覚だとか、幻覚を見たのだとか、あまりの絶望でおかしなものを見たのだとか、いくらでも説明はついたのかもしれない。
だがその時の烏竜は、その子が自分の世界に色をつけてくれたように見えたのだ。
その時の感情は、正直なところすべて正確に憶えているというわけではない。
だが自身の感情さえまともに名付けることもできない子どもながらに、これだけは思ったのは確かに憶えている。
――――あの約束を、絶対に守り切ろう。
その為なら黒を白に、白を黒にすることだって構うものか。
他でもない己の手で、世界の色をいくらでも塗り替えてやろう。
そして何よりも……。
涙で湿った頬を、赤子の羽のように柔らかなそれに寄せた。
この子が烏竜に、”春を運んできてくれたのだ”――――と。
~『春告げ鳥を愛した人』~
大影帝国記、完。
「大影帝国記」これにて完結です。
やっと、やっと完結しました!
まさか三年半近くかかるとは思ってもみませんでした。
大変お待たせしました。
改めて読んでくださったすべての皆さんに、心からの感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました!
特に最初の頃からずっとブックマークしてくださっている方と、してくださっていた方、本当に本当にありがとうございました。
ずっと読んでくださっている方がいるというのが視覚的に分かるのは、とても心強かったです。
もちろんブックマークせずに読んでくださっていた方にも、感謝しかありません。
なにぶん投稿など初心者も初心者で、おまけに処女作でとても拙い文章だったと思います。
数えきれないほど多くの方の、多くの作品が溢れる世の中では、小説というものの数に入れるのも烏滸がましい代物だったかもしれません。
ですがせめて誰かの暇つぶし程度になっていればいいなと、そう思っております。
最後にもう一度。
ご愛読、誠にありがとうございました。




