騒ぎ出した公家たち
やっとのことだが、俺が今面倒を見ている越前の半分と半兵衛さんに丸投げしている若狭の収穫が終わって、年貢の取り立てが始まったと報告があった。
先に示し合わせたように、今年は両国ともに年貢についてはかなりの減免をする方向で進めてもらうが、これは注意しないと、俺たちが減免した分をかすめ取る連中が現れないとも限らない。
今年は年貢の取り立てよりもそちらの方に重きを置いて処理してもらっている。
すでに報告が数件上がっているのだが、本当にどうしようもない連中はいるものだ。
減免して助けるはずの領民に対して、地元の豪族の一部は重税を課して取り立てた者もいるとある。
当然、俺たちに従えない豪族連中はすぐに取り潰したのだが、これに地元の寺までもがかかわっているような例もあるとかで、本当に宗教勢力って面倒だ。
さすがに寺関係については豪族のように即取り潰しとはいかないが、余分に取り立てた分と、罰金を合わせて兵をもって取り立てさせているが、はっきり言って、そっちの方が手数ばかりがかかって、なかなか他の政に手が足りないと俺に会うたびに愚痴ばかり聞かされる。
中には仕事をさせている公家までもが中抜きをする奴まで出る始末だ。
そういう連中は即島流しとばかりに隠岐に連れて行った。
後はどうなるか知らんけど。
そうだ、建武の新政とか何とか言っているあいつらも、建武の新政の時のように隠岐に連れて行こう。
大好きな後醍醐天皇陛下と同じ体験でもしたら感激してくれるかもしれない。
とにかく、一応、越前は西側半分だが、年貢まで徴収するところまで来たので、俺は一度京に戻ることにした。
先にもあるように、京に居る騒がしい連中がどうにも抑えが利かなくなってきているらしい。
中には密かに本願寺にいる近衛とも繋がっている者までいるらしい。
俺が長く京を離れるには、危ない状況になりつつあるようだ。
京に戻ると、さっそく宮中行事に強制参加させられた。
秋はこの間復活した新嘗祭などの大切な行事が目白押しだとかで、俺には最低限でもその行事には参加しろと太閤殿下が言ってきていたのだ。
新嘗祭の席で空き時間に太閤殿下と話した。
その話の中では、どうしても公家たちの跳ね返りについて話題に上る。
はっきり言って建武の新政の再来派の方が主流のようで、仕事を俺からもらう派閥は弱小というよりもはっきり言ってレアの存在のようだ。
それなら一乗谷の方がまだ働く意思がある公家の方が多かった。
今までさんざん尽くしてきた下僕を生贄にして逃げだすような下種ばかりの連中だったが、それでも働く意思はあった。
それが京では、身分が上に上がれば上がるほど武士を傅かせて遊んで暮らすことを望む者たちばかりだとか。
これなら近衛の方がある意味ましなのではとすら思ってしまった。
あいつ、やたらとフットワークが軽く色々と働いていたからな。
尤も、その働きが謀略がらみで厄介なものばかりだったのだが、それでも働く意思はあった。
どうも京に残った公家は骨の髄から働く意思に欠けた者たちばかりのようだ。
こいつら政をなんだと考えているのか、頭の中を覗いてみたくもあった。
太閤殿下の話からは一乗谷に限らず、今川館や四国の一条氏に庇護を求めた公家たちの方がはるかにましな連中のようだ。
大内の長門に逃げた公家たちは、それこそ輸入品の鑑定などを通してしっかりと貨幣経済の下で働いていた。
彼らの鑑定の結果を裏書きなどで輸入品に価値を持たせるというかなり高度な商売をして大内氏を大いに助けていたと聞く。
尤も、今では陶隆房による乱によって、長門では貿易どころではなくなったそうだ。
その乱の騒ぎを嫌ってその地にいた公家たちのほとんどがどこかに逃げているとも聞いている。
何せ、公家たちが寄生していた大内氏が没落してしまえば、鑑定どころではないだろう。
太閤殿下の話を聞いていたら、どうも現状を良しとせずに一歩を踏み出して、生活を変えていける連中の方が外に出て行ったと感じた。
とにかく京の生活に見切り付けられる公家は使える者もいたようだが、京に残った公家たちはその多くに覇気など一切を感じない。
口の悪い連中に言わせれば残った公家は出涸らしなどど陰口を叩くものまでいた。
京に残った公家たち全部がさすがに出涸らしばかりではないだろうが、京には出涸らしが多くいるのもある意味やむを得ない話なのかもしれない。
とにかく、俺のところは相変わらずの人手不足なので、太閤殿下にも協力してもらいながら行事に参加している公家たちと話をしながら使える公家の選別をしていった。
今は一人でも多くの人材は欲しいが、公家が欲しいわけではない。
どうしても政には読み書きは最低条件なのだが、残念なことにその読み書きができるのが公家や武士に限られているような時代だ。
しかも、武士も下級になればなるほど読みはできても書きの方が怪しくなるものまで出る始末。
計算に至っては、加減まではどうにかなっても加減乗除すべてにというともうほとんど学者に頼るようになるとか。
もうこうなると、三蔵寺に預けている子供たちの方がよっぽど役に立つ。
現に、今越前では公家たちに子供たちを貸し出して仕事をしてもらっている。
特に計算については子供たちの領分になっており、計算結果については検算などもできずにそのまま次に流れているとか。
まあ、そのおかげもあり、年貢の扱いについても慣れない公家たちにもできているわけだが、この状況を張さんが知ればなんというか。
張さんのブートキャンプでも始まらないとも限らない……ありえないか。
張さんも暇など一切ないからね。
それでも俺のところの政は公家と子供たちの組み合わせで回っているけど、子供たちが経験を積めば公家もいらなくなりそうだ。
まだこの時代は家格というか、経験やそれの下になる年齢などの要素も必要なので、公家の用途はなくならないから、彼らにも仕事を回せるだろう。
とにかく、今まで留守にしていたこともあり、京での仕事はなくなりそうにない。
しかも、京だけでなく、丸投げしていた若狭についても冬になる前に一度訪れないとまずそうだ。
九鬼さんからは、気にせず人を使ってくれとありがたいお言葉を頂いているので、俺は半兵衛さんだけでなく藤林さんと孫一さんもまだ使い続けている。
珍しく半兵衛さんと、藤林さんがそろって京にやってきた。
年貢を納める名目で、領主である俺に挨拶に来たことになっているが、本来の目的は違う。
「若狭については、落ち着いてまいりましたね」
「越前は、流石に来年も難しいかな。
西は良いが、東がね。
そこに持ってきて、お隣から一向宗がちょくちょく邪魔を寄こしやがる」
「そろそろ加賀を抑えないとまずいかな」
「いや、藤林殿。
加賀を攻める前に叡山を抑えないと背後を突かれる恐れがあります。
最低でも坂本だけでもこちらで完全に抑えませんと」
そうなのだ、うちの頼りになる武将たちを集めて、今後の相談をしていた。
京に呼び出せば敵がそこら中にいるので、逆を突かれないとも限らない。
なかなか面と向かって相談ができない環境なのだ。
気が付くとクリスマスはすぐそこまで来ておりました。
本作品ですが、一足早く仕事納めとさせてもらい、今年に投稿は最後となります。
読者の方々にはよいお年をお迎えください。
来年の投稿につきましては、鬼が笑うので、ここでのお約束は致しません。
ただ怠けたいだけですが、多分来月中旬になるかと思います。
今年もお付き合いいただきありがとうございました。
読者の方々の良いクリスマスと、良い年明けを祈念して今年最後のあいさつに代えさせていただきます。