葵と幸
入院のために1週間空きましたが、また、再開します。
控えの間と言えばいいのか、こじんまりとした部屋で、本当に内輪と言えるくらいの小人数での会談は和やかに進んだ。
信長さんは、久しぶりに妹の市さんと会えたのがうれしかったのか、軽口を飛ばしては市さんから怒られていた。
本当にほほえましい時間だった。
このほほえましい時間だけで終わるわけはない。
今回の訪問の目的が、葵たちの公人デビューだ。
ということで、これまた予想できたが、俺は信長さんに続いて大広間に通された。
席次が、正直勘弁してくれ。
九鬼さんの時ほどご家来衆からのいやな視線は無かったが、それでも面白く思っていなさそうな視線は向けられてくる。
信長さんの咳払いで、直ぐにその視線も無くなったが、かれらにとっても尤もな話だろう。
何せ、最上席に俺が座り、それより少しへりくだったところに大名である信長さんが座ったのだ。
自分の親分の上座にどこの馬の骨とも分からないようなやつ、しかも、子供だよ。
いや、この時代なら既に元服を済ませたような年頃だが、それでも歴戦の勇者足る彼らからすれば、ひょろっとした若造が何をってなるのも、はっきり言って当たり前のことだ。
信長さんの咳ばらいの後少しばかり付近がざわついたが、それも直ぐに治まり、辺り一面に静寂が訪れる。
そこで信長さん本人から俺の紹介が始まる。
「本日は京より、太閤殿下の婿様である近衛中将であられる孫殿が、正月の挨拶にと年賀用に貴重な賢島の酒を携えいらしてくれた。
中将殿は、我が妹の市の婿殿でもあり、本日はお忍びということもあって、わざわざ中将殿の方から挨拶に来て下さった。
織田家にとっていままでならありえない朝廷よりの御厚恩といえる」
すると、いつの間にか家老筆頭の席に丹羽様が戻ってきていた。
小声で俺に指示を出してくれる。
俺は信長さんから変わって、とりあえず年賀の辞を皆に言う羽目になる。
正月行事ってどこでも割と大切にしているんだよね。
特に信長さんのところは無神論者とは言わないけど、合理的でない仕来りは無視する傾向にあるが、それだけにこの正月を大切にしているようで、家臣一同、よく集まったものだ。
「あけましておめでとうございます。
本日は朝廷からの使者では無く、嫁の兄に初めての正月の挨拶に伺いました、検非違使庁の長である孫近衛中将です。
義兄を支える皆様方には嫁の市と常々感謝しております。
まだまだ、この日の本には戦がなくなりません。
この戦により主上の臣民である民が苦しんでおります。
一日でも早く、安寧が訪れる日まで、是非我らに協力ください」
この後丹羽様が引き受けてくれた。
「中将殿の奥方様も皆様にご挨拶がしたいとここまで来て下さりました。
これから、中将殿の奥方様方をお通しします」
丹羽様にそう言われて、広間上段に結さんを先頭に市さん、張さんと続いて入ってきた。
市さんが入る時には、ご家来衆の中には誇らしげにしている者もいたのには少し面白かった。
だが、その後に続く葵に幸になると、また周りが騒ぎ出した。
流石にこれには信長さんも予想していたのか、そのまま少し騒がせている。
まあ、今回の本当の目的がこれからなのだが、果たして……
今度は丹羽様が声をあげた。
「え~い、静まれ。
ここに居わすは皆近衛中将殿の奥方ぞ。
失礼に当たる」
「五郎左。
言うてやるな。
それに正確に言うと、葵殿と幸殿は、この春に奥方になると聞いている」
「はい、弾正忠殿。
このたび、故郷に当たる三蔵村にある寺で、春に祝言をあげることになりました」
え、葵がしっかりと対応している。
これって、茶番?
出来レースか。
「皆に申しておく。
ここにおられる、葵殿や幸殿はあの妖怪と言われる大和の弾正殿が後見をして居られる方々だ。
しかも、既にご両名はそれぞれに三蔵の衆内で要職を兼ねて居る。
ご機嫌を損なわれると我らなど簡単に干上がると思え」
イヤイヤ、信長さん。
それは言い過ぎでしょ。
確かに我らが京方面への物流を今では一手に握ってしまったが、それでも流石にそこまででは無いでしょう。
「信長様。
いくら何でも言い過ぎですよ。
我らにそんな権限はありませんし、そんなことは我が夫が許しませんから」
張さんが敢えて、内輪での呼びかけで信長さんに声を掛けた。
も~やだ。
何この茶番。
「お兄様。
我らに、織田勢には悪意など一かけらもありませんよ。
それは市が保証します。
それよりも、皆様方には婚儀の際にお世話になりました。
結殿と張殿に良くしてもらい、市は幸せに暮らしております。
此度は優しい旦那様に無理を言って、少しだけ里帰りをさせてもらった関係で、時間もあまりありません。
ですので、この場で申し訳ありませんが新年の祝意を述べさせていただきます。
織田が、益々の発展がありますようこの一年皆様方にご多幸がありますようお祈りします」
すると、最後に結さんが閉めた。
「近衛中将の嫁の結です。
中には市殿の婚儀の折にお会いしている方もおりますが、ほとんどの方は初対面かと思います。
本当はゆっくりと宴でも開き、皆様にご挨拶をしていきたかったのですが、あいにく此度はお忍び。
我らには時間がありません。
我ら以上に殿に時間がない以上、この場でのあいさつで、お別れすることをお許しください。
皆様にはご多幸の一年でありますよう祈念いたします」
そう言って。丁寧に頭を下げた。
すると嫁全員が結さんに続いて頭を下げ、この場を終えた。
俺達はまた、先ほどの部屋に通されて信長さんと対面している。
「信長さん。
今回のあれ、酷くないですか」
「酷いものか。
あれくらいでも足りないが、少なくとも、あれで葵や幸のことを頭ごなしに貶してくるものは出ないだろう」
「葵殿、幸殿。
殿の話では無いですが、そんな不届きな輩がおりましたら拙者に遠慮なく申して下され。
必ず成敗しますから」
「丹羽様。
今までも信長様のところでいやな思いはしたことがありませんから、ご安心ください」
「空よ。
本当なら、この後の大評定の後の宴会まで参加してもらいたかったが、お迎えも来たことだし、いずれ再会を果たそう」
お迎え??
すると、この小部屋に本田様がいらっしゃった。
「ご無沙汰しております、織田弾正忠殿」
「そちも息災だったか、本田殿」
「ええ、おかげさまで」
「大和の妖怪も息災であろうな」
「妖怪とは、ずいぶんな云い様。
まあ、お互い様ですか。
わが殿も、悍馬とか、色々言っておりますから、聞き流すことにしております」
何、この二人のやりよう。
絶対にこの時代の人じゃ無いよね。
身分のある人に向かって、そこまで言えないでしょ。
正直勘弁してくれ。
先程の茶番も酷かったし。
小心者の俺には付いて行けない。
本当にチートたちの茶番は勘弁してくれ。
「空さんとは元日以来ですか。
相変わらずお元気そうで」
「ええ、こんにちは、本田様」
こちらは既に予想されていた。
信長さんのところに来たのだから、松永の弾正さんが黙っているはずがない。
もうあきらめたからどうとでもしてくれ。
熱田から船に乗せられ、そのまま堺へ。
堺で休憩も宿泊もすることなく、川船で淀川を上る。
淀を左手にして、寄ることなくさらに川上へ。
日の暮れるにはまだ十分な時間を残して木津川口まで到着した。
ここから多聞山城までは本当に直ぐで、木津川口に整備されている湊にも出迎えが来ている。
でも、ここは他と違い葵や幸には優しい感じがする。
どうも二人には既に多聞山に幾人かの顔なじみもいるようだ。
百姓の小娘が戦国大名家の家臣たち、それも平では無くそれなりの役に付いている家臣たちと顔見知りって、どんなんだよ。
お前たちいったい、どこで何をしているのだ。
正直、正月早々不安になったよ、本当に。