お市の縁談
岐阜に入り、そのまま信長さんを訪ねた。
いきなりだったので、信長さんは無理だとしてもせめて丹羽様かその配下の人には会いたかった。
まあ、あの目端の利く秀吉さん位には会えると踏んでいたが、いきなり俺は信長さんの前に案内されたのにはびっくりだ。
そういえば信長さんも俺の処に来る時も、いきなりがほとんどだったのでお互い様という気持ちは確かに俺の中にはあったが、俺の処と信長さんの部下たちにとっては勘弁してくれといった所業なのだろう。
時々俺には張さんから文句が来るから、現場の人が困っていることくらいは理解している。
果たして信長さんは理解しているかどうか疑問の出るところではあるが、あの人のことだ、そんな些細な事など無視でもしてろって感じなんだろうな。
幸い今日の面会では丹羽様も同席してくれる。
今日のことで現場にそれほど迷惑を掛けないように調整してくれることだろう。
「最近よく会うな、空よ」
「ええ、張さんとの結婚式以来ですかね。
私も新婚なんですが、おかげさまで非常に忙しく働かされております」
「何だ、その新婚って」
あ、この時代では結婚休暇なんかないか。
まあ葬式くらいは休めるだろうが、結婚した時の休暇なんかないな。
休暇を取って新婚旅行に行くという習慣は無かったな。
今思い出したが、日本で新婚旅行を始めて行ったのが幕末の坂本龍馬だった。
ならこのネタは無理だったか。
俺のくだらないフリを無視して信長さんが話を進めて来る。
本当に無駄を嫌う人だ。
「今日来たのは六角の件か。
空はどうするつもりだ」
「排除ですね。
先代は凄い人だったようですが、今代はダメですね。
部下の暴走が本当に酷い。
特に三雲は騒乱の元しか作らないから、あれを排除します」
「三雲は……
そうだな、すると南近江を支配地とする決心をついたか」
「いえいえ、南近江はうちからだと飛び地になりますので、私には無理です」
「飛び地だと。
お前は京にいるではないか」
「京は帝をお守りするためにいるだけですよ。
仲間のいる本拠地は伊勢ですから。
ですので、隣の伊賀はこちらで押さえます」
「伊賀を抑えれば南近江は飛び地でなくなるな。
なら良いではないか」
「いえ、伊賀を抑えるのに当然六角が邪魔になります。
やるなら一緒に片付けたいかと。
ですので、六角は信長さんにお願いできますか」
「バカ言え。
流石の俺でも大義の無い戦はせんぞ」
願証寺の爆発が歴史通りの元亀元年に起こったのだが、これは本願寺の命令で反信長でのことでは無く、本願寺の命令を無視した完全な暴発だった。
そのおかげで鎮圧もそれほど難しいものじゃ無く、被害も少なかった。
一向一揆の件はこのさいどうでもいいが、俺の言いたいことはこの辺りで完全に俺の知っている歴史から離れている。
本来ならば数年前に信長さんが義昭を将軍として仰いで入京しており、その時に六角は滅んでいる。
しかし、俺のせいで、まず京から三好の勢力を追い出して、実質上足利幕府は滅んでしまった。
まだ、制度上多分四国に将軍がいることになっているはずだが、これでは打倒偽将軍の名目での軍は起こせない。
義昭の方が何を考えているかは分からないが、今の京には幕府の入る隙はなくなった。
それに何より、俺と信長さんとは同盟関係にあり、仲も悪くはない。
なので、本来この時期に一挙に近畿の地を抑えている信長さんは、俺のいるこの時代では内政に力を注いでいる状態だ。
なので、尾張に続き美濃も完全に抑えたようだ。
それを俺は知っている。
今なら六角に向かって軍を起こしても問題はない。
あるとするならば軍を起こす大義だけだ。
流石に私利私欲で南近江に向け軍を起こそうものなら、京まで入り天下を取ろうとする野心を他の勢力から疑われる。
少なくとも朝倉は警戒するだろう。
上杉謙信も健在な今ならいきなり武田が攻めてくることは無いだろうが、領地を接する信長さんに警戒心はもつだろう。
どちらにしたって、信長さんにとってあまり良い事ではない。
とにかく今の信長さんは他の有力大名を警戒している。
それに何より、信長さんは今の京にそれほど魅力を感じてもいないし、心配もしていない。
俺が京に入り治安を守るようになったので、尊王の気持ちの篤い織田家では寄付こそすれ、自身が京まで行って帝をお守りする理由が無いのだ。
それよりも俺を側面から協力していく方が遥かに利があることくらい理解している。
だからなのだろう。
大義の無い戦は起こさないと先ほどからしきりに言ってくる。
「いくら空のためとはいえ、流石に俺でも大義の無い戦はできないぞ」
「確かに大義の無い戦は私も望みませんが、それでも、今の六角氏は害にこそなれ益には絶対にならない存在なのに、居る場所が交通の要衝だという最悪の組み合わせ。
先代なら仲間に引き入れることも考えましたが……」
俺の気持ちを察した丹羽さんが一つの解決策を提案してくれた。
「空さん。
朝廷から綸旨でも出ませんかね」
「丹羽様。
出せなくはないですが、どうも綸旨はね~」
これよりも前の建武の新政の時にかなり数の綸旨が出され、京の庶民ですらバカにしていたくらいの歴史がある。
正直言って評判は良くない手だ。
それに俺らが伊勢を取ったのも綸旨より権威のある勅命を以てしたこともある。
「綸旨か。
それでも弱いな、何か……」
「そうそう勅命を出させるのも。
それに最近近衛関白とはうまくいっていないので、勅命は無理ですね。
私では綸旨が精々でしょうか」
「そうだ、それよりも空よ。
この前結婚したが、残りはどうするのだ」
何を思ったのか急に信長さんが話を変えて来た。
「残りといいますと、葵や幸のことですか」
「おお、その二人のことだが、どうするつもりだ」
「彼女たちはまだ幼いので。
でも約束はしておりますから、来年にでも正式に側室にしないといけないかなとは考えております」
「来年か。
来年にさらに側室を囲うのならうちからも出しても良いよな」
「へ?」
「殿。
まさか、お市様をお考えですか」
「ああ、美濃攻略する時、俺らと反対側の浅井に市を嫁がせて牽制しようかとも思ったが、思いのほか堺との交易が成功したことで、十分な鉄砲も手配できたし、それで浅井と同盟を組む必要が無くなったしな。
どうせ浅井は朝倉の寄子だ。
織田とは相性が悪い。
なにせ、守護である斯波から領地を奪った因縁もあるし、所詮は我ら尾張勢とは仲良くはできないしな。
浅井長政は良い男とは聞いていたが、それよりも良い男も身近にいるから、どうせならそっちの方が良いだろう」
「そうですね。
そうお考えでしたら、良きお話かと。
これで近衛少将とは血縁を結べますし、より強力な同盟関係を築けるかと」
「ちょっと、ちょっと。
俺の目の前で、勝手に俺の嫁を決めないでよ」
「何言っているんだ。
どうせお前の正室だって政略結婚だろう。
何も正室にしろと言っているんじゃないし、太閤や弾正にはきちんと筋は通しておくから心配せずとも良いだろう」
「空殿。
殿は十分に待っていたのです。
ただの思い付きではございません」
「だって、丹羽様は先ほど……」
「ええ、ああ申しましたが、殿の中ではかなり前からお考えだったのでしょうね。
張殿に遠慮していた節もあります。
なにせ殿に勝てる人などそうそういませんから、張殿は数少ないお人なのです。
殿もたいそうお気に入りですし、その張殿が側室に入られたのなら遠慮しなくても済みますからね」
「五郎左、余計なこと申すな。
空よ、これは決まりだ。
この乱世ではそういうものだと理解せよ」
「分かりました。
では市殿を娶りましょう。
ただし、その代わりに南近江は信長さんに面倒見てもらいますよ」
「ああ、うちから軍勢を出すから安心されよ」
「軍勢もそうですが、その後です。
南近江も織田家でということです。
私から上奏しておきますから占領後朝廷からお墨付きを出すようにします」
「空殿。
我らにはこれ以上の領地など……」
「五郎左。
何を言う。
良いではないか。
市の結納の品として受け取ろう」
「六角攻めの大義はこちらで準備します。
また、伊賀は望月さんに任せてありますから、伊賀より伊勢の軍を南近江に織田勢と合わせて向かわせますので、占領後はそのようにお願いしますね。
でないと、大好きな兄との間に敵国があれば、お市の方が心配なさるでしょう」
「ああ、南近江を抑えられれば京まですぐだな。
せいぜい邪魔するのは叡山くらいだろう」
「あ、それも大丈夫ですよ。
やっと水運の目途も就きそうです。
水運なら叡山の妨害はありませんよ。
あれ、丹羽様はご存じであったはずでは」
「ああ、でも淀もできていないうちから一々殿には報告していませんよ。
それに何より、六角がいるうちでは我々には使い勝手も無かろうに」
「確かにそうですね。
どちらにしても南近江を抑えなければ我々には旨味も出ませんしね。
では、詳しい事は伊勢から人を出しますので、そちらと相談ということで」
俺の目的である南近江の件を無事に信長さんに丸投げして岐阜での会談を終えた。