新たなブレイン
近々義理の父となる五宮さんを連れて、奥の私室に入った。
この時に張さんや葵たちにも同席させた。
「五宮様、手間を取らせて申し訳ありません。
この者たちは、私に古くから一緒に苦労を重ねてきたものです。
ご息女を嫁に迎えるにあたり、先に彼女たちを紹介させていただきます。
色々とお互いに立場もあり、公ではできませんで、申し訳ありませんがお許しください。」
と最初に断ってから、張さん達を紹介しておいた。
どうせ、俺がいくら頑張っても彼女たちの奥入りは防げない。
なら最初からきちんと説明しておいた方が俺の精神的に良い。
ただそれだけの理由だ。
太閤殿下には弾正から報告も入っているはずなので、五宮さんも知っているかとは思ったのだが、初耳だったようで、少々驚いていた。
しかし、武家での側室などは文化と言ってよいほど一般的であり、別に気にはしていないようだが、俺から紹介された事に戸惑いがあったようだ。
それでも俺の誠意が伝わったようで、これで五宮さんとは仲良くなれたような気がした。
紹介の後、京での仕来りや、文化、最近の様子など、雑談を通してお互いにお互いの理解を深めようとしていた。
場もかなり盛り上がって来た時に、話題が検非違使の話に飛んだ。
そこで五宮さんから聞いた情報で、俺は青くなった。
俺は知らなかったとはいえ、やらかしてしまったようだ。
五宮さんから、俺が検非違使の地位を望んだことを聞いた時に、幕府に変わる政をするおつもりかと聞かれて、俺が戸惑ったのがきっかけで、検非違使について知っている限り教えてくれた。
検非違使について俺の知っていることなど大したことはない。
せいぜい、令外官であり、京の治安を守る組織くらいだ。
だからこそ、京の町の治安を命じられた時に、公家を含む町の人たちにもわかりやすい官職を欲してお願いをしていたのだが、どうもこれがやらかしだったようだ。
五宮さんが、俺の理解との齟齬を感じて、詳しく説明してくれたことによると、以下のようになる。
まず、令外官だが、これはこの国の憲法に当たるような基本的な法律である大宝律令に記載されていない官職のことを言う。
大宝律令の制定は大宝元年と言われても良く分からないが、藤原不比等が関わって作られたというから、相当に古いものだ。
しかし、その大宝律令はいまだに生きており、官位などはこれに由来して定められているという話だ。
ちなみに、関白や征夷大将軍なども令外官に当たるようだが、この検非違使もそのようだった。
関白だって令外官のくせに俺が令外官を欲しただけで何を云うかと言いたい。
逸れてきた話を戻して、そもそも検非違使の制定は、桓武天皇による軍団の廃止から始まる。
武力という名の力なくして、どうして国を守れるのかと思うが、歴史にあることだから文句を言ってもしょうがない。
要は、当時は国による強制力を無くしたことにより、著しく治安の悪化を招き、その対策として作られた役所だそうだ。
作られた当時は衛門府の役人が宣旨により兼務していたとか。
時代が少し進み、都で唯一最大の軍事力を誇る組織が、そのまま大人しくしている訳は無く、どんどん暴走を始めて行き、司法を担当していた刑部省、警察、監察を担当していた弾正台、都に関わる行政、治安、司法を統括していた京職等の他の官庁の職掌を段々と奪うようになり、大きな権力を振るうようになった。
この流れで、平安の末期に力を持った武家にとってかわられるようになっていったようだ。
この役職の拡大解釈がのちの幕府に繋がるようだとも考えているとも教えてくれた。
さきの近衛関白の俺への対応は、俺の検非違使長官就任を警戒したものが根底にある物だというのだ。
そんな物騒な役職だと知っていたら、新たな役職名でも考えてそれにしておけばよかった。
例えば現代の警察にあやかって京都府警、これは流石にないか、でも警察寮とでも名をつけてそんな役職を創設してもらえばよかったと、今更ながら後悔した。
近衛関白たち一派だけでなく、五宮さんまでもが、俺が京で新たな政を行うために着いたものだと勘違いをしていた。
尤も検非違使に警戒感と嫌悪感を持つものなど、関白のような上級の公家の一部くらいで、庶民などはそんな感情は持っていないとも教えてもらった。
公家もほとんども、そこまでの感情を持ち合わせていない。
そもそも、今の京にいる公家たちには子弟たちに十分な教育をさせる余裕などない。
それも親子数代にわたって余裕などないので、検非違使の過去のやらかしについて知る人はごく一部だそうだ。
確かに、納得できる話だ。
歴史の授業でも受けている訳でない人たちに鎌倉時代以前の話など知る訳もない。
俺を警戒していた関白も、俺の野心よりも俺の持つ経済力と軍事力を恐れている方が断然強い感情だろうが、そもそも、俺には野心など無いのだが、そう思われてもしょうがない。
既に仕出かした後だ。
将来的には分からないが、当分の間は、本来の趣旨に沿って、治安の維持だけに絞って活動をしていくことを五宮さんには説明しておいた。
その上で、関白に異様なまでの警戒を受けていることを説明しておいて、今後の立ち振る舞いについての助言を求めることを話しておいた。
五宮さん曰く、尤もな話だ、どこの出だか分からない俺が持つ経済力と軍事力は敵と思っている人たちからは十分に脅威だという。
しかも、その関白と俺の義父となる太閤殿下との関係もかなり微妙だというのだ。
これで警戒されない訳はない。
結の旦那となる俺に最大限の協力することを約束してもらった。
最後に、大学寮での五宮さんの仕事の話を聞いたが、そもそも、大学寮は今では只の名前だけの存在で、役所など、とっくに無いそうだ。
五宮さんも日々の生活にかなり困窮しているとかで、俺からの誘いには大変ありがたいとも正直に教えてもらった。
そう言う話を聞いたのでは、そのまま放っておけるわけには行かず、この屋敷内に仮の大学寮なる場所を作った。
仕事としては、俺のアドバイザー役だ。
しかし問題はある。
大学寮だけが無いわけじゃ無かろう。
他の役所も同様と考えた方がよさそうだ。
そうなると、政府の持つ文書が心配になる。
令和の時代ですら政府文書の扱いに問題が山積しているのに、政府が機能していない現状なら、散逸する文書が出ても不思議はない、いや、文書だけでなく、文化財全般に言えないか。
令和の時代までに残る文物は相当あるが、それ以上に散逸したものも多い。
できれば早急にそれらについて保護に努めたいのだが、俺の財布とて、その大きさはたかが知れている。
どこかに早く金の生る木でも作らないといけないな。
とにかく当面の仕事は京の治安の回復と、税収の確保だ。
文官としての五宮さんも当てにできそうなので、彼にその辺りを任せてみてもいいかも。
今回の五宮さんとの面談で、俺はかなりの収穫と、課題を得ることができた。
できれば課題は要らなかったのだが、これはすでにお約束になっているようだ。
……
……
……くそ~~!
五宮さんとの面会を終え、一人仕事をしていると、珍しく能登屋さんが訪ねてきた。
能登屋さんのここへの訪問なんか初めてのことで、早速会うことにした。
「ここに来るのなんて珍しいですね、能登屋さん。」
俺が正直な感想を口にすると、能登屋の京番頭さんが答えてきた。
「お忙しいところ大変恐縮ですが、空さんにお耳に入れておいた方が良いかと思いましたので。
それに、今では湊を使う都合上、毎日ここには通ってきてますから、手間はありません。」
「そうですか、でも今のお話からは、あまりいい話じゃなさそうですね。」
「はい、そうですね。
でも悪い話でもないかと、只面倒なだけかもしれませんね。」
「で、お話とは何でしょうか。」
「そうですね、やたら前置きが長くなり、申し訳ありません。
先ほど、店に烏丸屋さんが見えまして、無理を通してきました。
すぐにお断りを申しましたが、烏丸屋さんは何でも近衛様とも懇意だとかで、空さんに迷惑がかからないうちに情報だけでもとお持ちしました。」
「また、関白様がらみですか。」
「え?
またとは?」
「いえ、こちらのことで、お気になさることではありませんよ。
それより、なんですか、烏丸屋さんとは。」
「ええ、ここ京の町で古くから土蔵を営んでいる、少しばかり評判のよろしくない大店です。
烏丸小路に面した割と大きな店を構えております。
そこの烏丸屋が、うちで営んでいる堺への船便に目をつけ、うちにもやらせろと言ってきたんですわ。」
「別に勝手にやればいいだけなのでは。」
「違います。
うちで使っている湊を使わせろと言い出すのです。
ここは、近衛少将様のお屋敷内ですから、私ではご返事できませんと云ったのですが、かなりしつこく、最後には関白殿下からのご命令でもそんなことが言えるのかと、捨てセリフを残して去りました。
後で、空さんのところに関白殿下様から無理でも言われたらと思い急ぎ来ました。」
「なにやら、川便を任せているためにご迷惑をおかけしたようで、お詫びします。
分かりました、殿下の件についてはこちらで対処します。
まさか頂いた屋敷を追い出されることはされないでしょうし、もしそんな無理を通すのなら、逆にこちらも武力で応じます。
今では私の持つ武力が多分京一番だと思いますので。
しかし、俺らの川便も見て儲かりそうだと思い真似をしたいのでしょうが、真似したければ自分らで船着き場位作って勝手にすればいいのに、人のものを勝手に取り上げようとするのは納得ができませんね。
……っていうより、ここは良いけど、どこと船便を結ぶ気だったのでしょうね。」
「堺でしょうね。
そこ以外では旨味は全くありませんから。」
「え?
でも、堺って、誰でも船を接岸できましたっけ。
私の場合は紀伊之屋さんから船印をお借りしての接岸でしたが。
烏丸屋も堺商人とお付き合いでもあるのかな。」
「確かにそうですね。
まず、南蛮船や明の船でもなければ、只の川船の出入りはできませんね。
でも、まあ、古くから商いをしているようですから堺のどこかの商家とはお取引があるのかもしれませんね。
分かりました。
今後も、湊に着いてはご許可できないということで、返事をします。」
「面倒をおかけしますが、その方向で宜しく頼みます。
一応、私の敷地ですので、知らない人を入れたくはありませんしね。」
しかし、確かに面倒そうだな。
物流は確かに儲かるし、やりたければ自分でやればいいんだけれどもな。
俺なんかが来る前からできそうなのに、誰かがしても受けられる保証が無いとやらないなんて商人のすることじゃないような気がするのは俺だけだろうか。
これから近江の草津とも船で結ぼうならもっと参入の圧力がありそうだな。
先に対策から考えておく方が良いようだな。
俺はひそかに考えている琵琶湖への船便構想について新たな問題点を認識したのだ。