待ちに待った勅命
俺らは能登屋の京都支店?に二日ぶりに戻ってきた。
行きと帰りでは身分に大きな差ができたが、そんなことは前から気にしてもいないので、この際無視することにした。
無視したはずなのだが、世の中はうまく行かないのが定番だ。
能登屋さんが、しきりに恐縮しているので、少々うざったい。
正直勘弁してほしいが、そこは大人の対応を張さんが取ってくれた。
俺が大人の対応を取ったところで滑稽なだけだ。
張さんは、最初に今までの経緯を簡単に番頭さんに説明して、拠点の整備が終わるまでは迷惑をかけることのお詫びと、改めての願いを口にしていた。
元から能登屋さんも、俺が太閤殿下の娘と結婚することについては知っているようで、遅かれ早かれ俺に官位が付くことは予想していたようなので、早々問題はなかった。
俺の扱いに少しばかりの変化が加わっただけなのだが、それが俺にとっては、うざったい。
今後の商取引もあるので、張さんの説得により、今まで同様の扱いとなった。
今後、各方面からの客の出入りが予想されるので、俺の宿泊先を無理やりお願いして、配下と同じ離れにしてもらい、いわば居候、いや、離れの下宿人のような感じで、こちらからお願いを出すまではできる限り無視する方向で頼んでおいた。
このお願いは能登屋さん側では、かなり気にしていたようで、翌日、何をどうすればこうなるかは判らないのだが、隣の使われていない店を俺らに提供してきた。
「うちで買い取りましたから、ご自由にお使いください。」
こともなげに能登屋の番頭さんはこう言い放って、俺らに店を押し付けてきた。
この店なら奥の庭の壁の一部を取り壊せば離れとも繋がる。
え、もう壁を取り払っていた。
なんでも、かなり前から売りに出ていた商家で、はじめはこの辺りの雰囲気が悪くなるから、早く買い手がついてほしかったようだが、その後続々と戸を閉める商家が増え、今ではこの辺りで開いている店はなくなり、気にならなくなって、ほって置かれたのだそうだ。
俺らの借り住まいとしては少々格が落ちるが、今いる離れよりは格段に良いと買い取りを決めたそうで、すぐさま店を手に入れていた。
ここは、この後商売するにはもってこいの場所になる。
話を聞いて、そう感じた俺は、すかさず買い取りを希望した。
「申し訳ないが、この店、俺らが買うわけには行きませんか。」
「買って頂けるのなら、それこそうちとしては申し分ありませんが、理由をお聞きしてもいいですか。」
当てがわれる拠点ができるまでの当分は、我々の仮の拠点としてここで活動する。我々が絶対にこの辺りの治安を回復させるので、そうすればこの辺りも再び活気が戻ってこよう。
そう約束し、活気が戻った後の差配は伊勢屋に任せたいと考えていることを話した。
俺の説明を聞いた番頭さんはえらく喜んで、二つ返事で俺らへの売却を了承した。
その際、ほとんど利益も乗せずの価格を提示してきたので、俺は修正を求めた。
「商人が利を求めないのはいかがなものですか。
うちと能登屋さんとは十分に親しい間柄でもあります。
ですので、きちんと商談しましょう。」
と張さんが言うと、向こうも了承してくれ、能登屋さんの買い取り価格を提示して、そのうえで利を乗せ価格を示してきた。
元の買い取り価格が俺の予想に反してえらく安かったのには驚きがあったのだが、そこまで誠意を示してもらっては、我々としても気持ちよく取引ができた。
能登屋の店主宛てに礼状を書くついでに、支払いを賢島の店経由でしたいと、したためておいた。
治安の回復していない京に大金を持ち込みたくはない。
これには能登屋さんも同様で、快く俺からの提案を了解してくれた。
あれ、これってもうほとんど為替だよね。
まあ、俺らと能登屋さんとは信用上でも問題ないしね。
そのうち、うちらでも為替取引も商売のネタにしよう。
確か室町時代には為替取引はあったと聞いていたしね。
そういえばそういった取引は土倉がしていたと聞いていたのだが、俺はここに来て、まだ、土倉を見ていない。
確か京で盛んにあったと聞いていたんだが、下京にでもあるのかな。
俺らの引っ越しの準備を直ぐに始めた。
件の店が閉められてからかなり時間がたっていたので、使うには手を入れないと厳しいものがある。
早速、能登屋さんに頼んで職人さんを探してもらった。
そんなこんなで時間が過ぎていく。
俺は、京都での仕事にかかりきりになれるのだが、張さんをはじめ葵や幸はそうもいかない。
京に来てからしきりに手紙のやり取りをしている。
各地に散らばった拠点に指示を出しているようだ。
本当に忙しそうだ。
このまま彼女たちをここ京都に置いておいて大丈夫かと心配になった。
まあ、俺が言っても彼女たちは京都から出て行かないだろうが。
明日には引っ越せるという時になって、勅使が離れを訪ねてきた。
明日ならば、きれいなところで勅使をお迎えできたのに、タイミングが悪い。
勅使が運んで来たのは、俺が太閤に頼んでいた勅命だった。
『御所付近の治安を守れ』という勅命を頂いた。
こんな命令、本来は勅命で出されるようなものではなく、それこそ検非違使あたりの通常業務なのだ。
権威が落ちきった今の朝廷でなければ絶対に出ない勅命だ。
だが、以前、俺らをはめようとした連中が出した怪しげな偽物じゃない、本物だ。
流石は殿下だ。
政治力が違う。
殿下の持っている絶大な政治力で、公家たちに見栄をすてさせて、無理を通してしまった。
権威も権力もない朝廷からの勅命とはいえ、俺にはどうしても、この勅命が必要だった。
ここ京都で活動するための強力な大義名分が欲しかったのだ。
実質的な支配力を失ってはいても、勅命ほど強力な大義名分はない。
なにせこれを使う相手が、これも実権を失った幕府の役人だ。
あいつらに俺らの京都での活動を邪魔されたくはない。
できれば、あいつら幕府ごと追い出したいのだ。
しかし、これさえあればあいつらには手出しさせない。
なにせ、この国始まって以来の法律を盾に取るのだ。
幕府からは口出しできないはずだ。
だいたい、幕府も主上からの勅命を根拠として政をしている。
しかもだ、幕府の主である征夷大将軍という役職は、本来京都にいるものじゃない。
東北辺りで夷族の征伐をするための臨時の役職なのだから、京都にいる方がおかしい。
クーデターで朝廷から政権を奪った鎌倉以来の慣例で日ノ本の政をしているしかないのだ。
俺の貰った命令が、通常のように検非違使かそれの準ずる辺りから出されたものだと、幕府相手では立場が微妙にもなろうが、勅命で命じられている以上、俺の方がここ京都での活動理由としては強くなる。
まあ屁理屈だけれどもな。
今の幕府には力がないので、このような屁理屈を通せる環境が、ここ京都にあるのだ。
まあ、今しかできない手段だということは重々理解しているが、他の大名たちを刺激せずに幕府と喧嘩するにはこれしか手が思い浮かばなかった。
今の京都にとって幕府は害悪でしかない。
いや、京都に限らず、この付近の癌とも言える存在にまで成り下がっている。
なまじ権威が多少とも残っているのが問題なのだ。
それも地方に行く程強く残る。
これはある意味当り前なことなのだが、害悪に成り下がった幕府を取り除くために力をもって京都に乗り込めば、地方の野心的な大名を刺激して、騒乱を引き起こす。
力が無ければ害悪の幕府を取り除くことができない。
この矛盾した状況を打破するには、絶対的な力を持つか、幕府自ら出て行ってもらうしかないのだ。
あいにく、今の日ノ本には、どこにも絶対的な力は存在しない。
辛うじて、ある程度力を持った大名は存在するが、これが複数あるのでかえって事態を複雑化する恐れがある。
俺の頭と、俺の知っている歴史的な知識では、平和的にこの辺りを治めるには、武家とは別勢力が幕府と喧嘩して幕府を無力化するしか思い浮かばなかった。
ちょうどがん細胞を薬で小さくするように。
とにかく近畿を治めれば絶対的なまでの力が得られる。
そこまでいけば無用な血を流さずに、再び日ノ本をまとめられると考えている。
しかし、その役を俺がする必要があるかは別問題だ。
何か、周りからいいように使われているようにしか感じられない。
唯一の救いは、今回貰ったように勅命を貰える伝手ができたことだ。
これがあれば、長島も抑えられるかもしれない。
とにかく、俺の知っている悲劇だけは、あそこで起こしたくはない。
そのための奉公と割り切って仕事をすることにした。
俺は勅命を出してもらった礼に、太閤殿下の屋敷を訪ねることにした。
翌日、太閤の屋敷を訪ねたら、拠点のための敷地についても手配が済んでいた。
すぐに案内され、鷹司別邸跡地に連れて行かれた。
その場所は下賀茂神社から近い、鴨川沿いにあるかなり広い場所だ。
俺が今拠点を置いている場所からも近い。まさにうってつけの場所だった。
早速、この場所に拠点を構えるべく、準備を始めた。