太閤の養女
とにかく俺は自分を落ち着かせるために頂いたお茶を飲んだ。
この際この部屋にはくそ爺しかいないので、作法なんか無視だ。
もっともお茶の作法なんて知らないが、とにかくそのままお茶を頂いて心を落ち着かせた。
俺はお茶は嫌いではないが、落ち着かないこのようなときにはブラックコーヒーが飲みたい。
そういえば、令和時代の何かを欲しいなんて思ったのはこの時代に来て初めてかもしれない。
それだけ俺の置かれている状況はやばい……やばくはないか。
ところでいったい誰なんだ。
そんな疑問を抱きながら、茶碗に入っているお茶を全て飲み干していた。
そういえばお茶って茶碗を回し飲みだったっけ。
全部飲んでしまってはまずかったような。
俺は慌てて弾正の方を見たら、弾正にもお茶が振舞われていたので、とりあえず一安心。
ちょうど部屋の襖も開いて偉そうな人が入ってきた。
「弾正殿、お待ちしておりました。
彼がそうなのですね。」
「そうです、太閤殿下。」
太閤だって、あの太閤だよな。
確か太閤って関白を辞めた人の尊称だったような。
「いかにも、ご挨拶がまだでしたな。
私は先の関白で藤氏長者でもあった二条晴良と申す、よしなに。」
「これ、空、何をして居る。
お前からご挨拶をせねばらなないのに失礼な。
さっさと太閤殿下にご挨拶をしろ。」
「あ、あ、あ、大変失礼しました。
下賤な身なれば、高貴な方とのご挨拶、存じておりませんので、平にご容赦をお願い申し上げます。
あ、まだ名乗っておりませんでした。
私は、伊勢志摩の国で三蔵の衆を束ねております空と申します。
先の伊勢の乱の折には我が領主九鬼様に格段のご配慮を頂きましたこと、一領民なれど、ありがたく御礼申し上げます。
本日、殿下の御前にまかり越しましたこと全く知らず、献上品の類を一切持ってきておりません。
手ぶらでのお目見えとなりましたこと改めてお詫び申し上げます。」
横でくそ爺が笑っている。
こいつ俺に恨みでもあるのか。
いいだろう、その喧嘩を買ってやる。
「良い良い。
あなたをここに呼んで頂いたのは私の方だからな。
本来ならば私の方からお願いに上がるのに失礼した。」
何やら訳の分からないことを言っておられるが、俺は唯々頭を下げて聞いているだけだった。
覚えていろよ、くそ爺。
「空よ、そこまで畏まらなくとも良いぞ。
殿下もああおっしゃって下さるしな。」
「空殿とおっしゃるのか。
弾正殿の云われるとおりだ。
武士の世になっていく百年、この京においても公家など何ら力を持ち合わさぬ。
恥ずかしい話だが主上すら日々の生活に困ることもある。
何より一番困るのは、この町が荒れていることだ。
そこの弾正に頼んで辛うじて政の真似だけはできるようにはなっておるが、しょせん真似だけだ。
町の治安すら弾正任せだ。」
「その街の治安維持も満足できるまでには全然足りません。
ひとえに私の不足の至りです。」
「この町が荒れたのは今日昨日に始まったことではない。
特に応仁の乱以降、町は酷い物だ。
五摂家が一つの一条家が逃げ出すのも責められないことだ。」
この後もよくわからない話が延々と続いた。
どうにか話を理解したところによると次のようなものだった。
本当に回りくどく話すな。
まずは主上、この場合天皇陛下の事だが、主上を始め京にいる公家全員の切々たる思いが、治安をどうにかしてほしいとのことだ。
現状、彼らの生活は京の町人の援助で賄われている。
これは天皇陛下すらも同じだ。
その町民の生活を脅かす治安の悪化だけは是が非でも防ぎたいとのことだ。
今京の町は政治的には空白地の様なもので、少し前ならば三好長慶がしっかり押さえていたので、治安に不安が無かったのだが、彼の没後に三好家は色々やらかして最後には逃げ出したものだからこんな状況になった。
この人太閤は予てからの知り合いである弾正に泣きついて、治安の維持をさせている状況で。
弾正がどうにかやりくりをしながら自身の部下を京に回して治安維持をしているのだ。
そこに先の伊勢の乱である。
あまりにも鮮やかに乱の平定をした九鬼家は弾正も知らない仲じゃないと聞き、九鬼家と一緒に京に入って貰い政を行ってほしいと頼み込んだ。
その願いを弾正があっさりと断った。
断ったというよりも九鬼嘉隆にはそんなことを決める決定権がないと太閤に説明したのだ。
当然太閤は納得しない。
今やこの日の本有数の大大名である九鬼嘉隆に意思決定権がないなどとは信じられない。
詳しく説明を求められた弾正はいともあっさりと俺の存在を説明したそうだ。
その上で彼ならこの町を簡単に治められるだろうとまで言ってのけた。
おいおい、いい度胸だよな、そこになおれこのくそ爺。
その喧嘩を買おうじゃないか。
その上で、先の乱平定の絡繰りまで全部ばらしやがるの。
どうしてくれようか。
それを聞いた太閤はえらく感動?して、すべてを主上に報告したら、主上も偉く気に入ったのか、俺を召し出して皇室の誰かを娶せろと言い出したのだ。
いくら日々の生活に不安があろうが、陛下が言って良いセリフじゃない。
とにかく陛下としては俺らを何としても取り込みたいとの話が出てきたそうだ。
太閤も自身の派閥に取り込めるのならどんな手を使っても取り込もうと決めたとか。
もっとも、皇室の誰かを降嫁させるわけにはいかないという危機感があったのも理由の一つだが。
そんなときに弾正が俺の嫁探しを太閤に頼んだので、今日の運びとなった。
要は強大な軍事力と類稀な政治手腕、それに豊富な資金力で我々を守って欲しいと言ってきたのだ。
この話を理解したらおいそれと受けられる話じゃない。
正直勘弁してほしい。
どうにかして断る算段を考えていたら、先ほどの少女が呼ばれてこの部屋に入ってきた。
太閤は俺に構わずに少女の説明を始めた。
何でも今は断絶している鷹司家に連なる貴族の出で、五宮師雅殿のご息女だそうだ。
家格は非常に低いが、歴とした藤原の一族の出で、正六位の下 明経博士を務めており、彼女の教育だけはしっかりとされているそうだ。
確かに所作に品がある。
名前を結といい、御年12歳、結婚に際して何ら問題はないとか。
さらに、彼女の出が藤原一門とはいえ末席にあるので、この太閤が自分の養女としたうえでの結婚となるとまで言ってきた。
最後に、彼は氏を持たない空に対してこのまま断絶している鷹司を再興してはくれないかとまで言ってきた。
さすがにそれだけは丁重にお断りをしたが、なお、彼は鷹司が嫌ならこの二条でも名乗って貰って構わないとまで言い出した。
とにかく俺が結婚するまでには何らかの氏を名乗らないと収まりがつきそうにない。
と言うより、彼女との結婚は既に決定事項となっている。
やっとの思いで、太閤の御屋敷を弾正と一緒に後にした。
そのまますぐに室町の仮御所に戻り幸たちに先ほどの事を報告した。
予想通り幸は思いっきり怒り出してこともあろうか弾正に食って掛かった。
そのまま無礼打ちにされても不思議じゃないが、弾正は笑って幸の相手をしていた。
どれくらいたったのだろう。
幸の機嫌が良くなっている。
解らない。
しかも、こともあろうに今度は幸が俺の結婚を賛成しだしたのだ。
「大丈夫、私がみんなを説得するから」なんて言い出す始末だ。
解らない。
なにがどうなればこうなるのだ。
弾正に聞くのもあまりに癪なので、横で聞いていだだろう本田様に素直に頭を下げて教えを乞うた。
とんでもない事実を教えられる。
そんなことがゆるされてもいいのかと俺は怒りたかったのだが、この時代ではあたりまえであるとか。
何がどうなったかと言うと、あのくそ爺が幸に要らんことを吹き込んだのだ。
何でも幸が食って掛かってきたときにあのくそ爺は幸に
「空が誰かに取られるのが癪なだけだろう。
でも考えても見てごらん。
このままで幸が空のお嫁さんになれるのか。
あの張さんや確か葵とか言った娘と競争して空のお嫁さんになれると思っているのか。
でも、この結婚が済めば、幸にもその可能性が出て来るぞ。
だいたい空の地位が低すぎるのだ。
地位が上がれば嫁を沢山娶るのは当たり前だぞ。
もし、空があの娘と結婚すれば、張さんだって、葵だって、もちろんお前幸だって側室とはなるのだろうが嫁さんにしてもらえるはずだぞ。
かえってそっちの方が良くはないか。
誰か一人の旦那さんでなく、みんなの旦那さんになるのだぞ。
どうだ、良いだろう。」
何と言うことだ。
幸はすっかりその気になっている。
もうどうとでもしてくれ。
今後の事は九鬼家とも話し合いながら進めていくそうだ。
婚約もしばらくしたら古式にのっとってここ京で執り行うとか。
婚約は本人不在でもいいそうだ。
と言うか本人不在で家の代表者だけでやるのだとか。
本当に勝手にしてくれ。