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必死で山を登っていた さなは、少し開けた場所へ出た。


辺りを見渡すと、はやしっぱなしの原生林の中に少し手入れされた一角を見つけた。

林の中に数軒だけ粗末な小屋が見えた。


さなは、きっとあそこに清兵衛がいるに違いないと、高鳴る胸を押さえながら林の中へ分け入った。


小屋の中を覗いて見ると、どれも喪抜(もぬ)けの(から)だった。

しかし、一番奥の一軒に清兵衛の姿を見つけた。

清兵衛は、ボロボロの薄汚れた丹前(たんぜん)にくるまって、壁の方を向いて眠っていた。

「じっちゃ、おらだ、さなだ、会いに来たど」


清兵衛は、息苦しそうだったが、肩に触れた さなの小さな手に、節くれだった手を乗せて答えた。

「あ、あ……」息が漏れるのが聞こえた。

それでも、さなには充分だった。

清兵衛が、ありがとうと言ってくれたのがわかったからだ。

さなは、清兵衛の枕元に持って来たにぎりめしの包みを置いた。

「……これ食ってけろ、おらが握っただよ」

と、さなが言うと、清兵衛はこっくりと頷いたようだった。


さなは、

「また、明日くる」と言って、

夜が明ける前に山を下った。


翌晩も、さなは同じようにして山を登った。

清兵衛は同じように寝転がっていたが、

さなの呼びかけには何かしら答えてくれた。

数日同じことを続けたある日の昼間、

いつものように五兵衛とさなが畑に出て野良仕事をしていると、久しぶりに清兵衛が畑に姿を現した。


連日にぎりめしを持参したのが(こう)(そう)し、清兵衛の容態(ようたい)快方(かいほう)に向かったのだと、さなは確信(かくしん)した。

例により五兵衛は、清兵衛の方を見もしなかったが、さなは畑の(すみ)の方でこちらを(なが)めている清兵衛をチラチラ見やっては、五兵衛に気づかれぬよう、小さく手を振った。


清兵衛は、ぼうっと畑を見渡していたが、

さなに気づくと、こちらを向いて手を振り返してくれた。

さなはすぐにでも駆け寄って、清兵衛に抱きつきたい心持ちであった。


その晩も、さなは清兵衛に会いに山を登った。


清兵衛は小屋の軒先(のきさき)まで出て、月を眺めて座っていた。

前より顔色も良くなって、調子が良さそうに さなには見えた。


「じっちゃ、また にぎりめし持って来ただよ……」

と、さなが、にぎりめしを差し出すと、

清兵衛は首を横に振って受けとらなかった。

「おめぇ、食う分切り詰めて持って来てくれてたんだべ、こったら()せてまって、じっちゃもう、さなの気持ちだけで胸がいっぱいだ、さなが食え」

清兵衛はそう言って、さなの頭を優しく()でた。

さなが握り飯を、美味しそうに頬張(ほおば)るのを見て、清兵衛は歯が一本も残っていない口を広げて、ニコニコと笑っていた。


明る日の朝早く、さなの家に見知らぬ男が訪ねて来た。

とても綺麗(きれい)(えり)(ととの)った着物を着て、(まげ)月代(さかやき)も、五兵衛とはまるで違い、手入れが行き届いている。

男は、家に入ってくるや、さなの体を()めるように見回して、ニヤニヤと笑うのだった。

「さなっ子、先に畑さ行ってれ」

いつになく五兵衛が(けわ)しい表情で言った。


さなは、何か様子がおかしいと思い、家を出てすぐに、炊事(すいじ)()辺りの格子戸(こうしど)の下に身を(ひそめ)て聞き耳を立てた。


しばらく五兵衛が黙ったままでいると、


「はぁ、あの子なら高く買い手がつくと思います、江戸に出れば引く手数多でしょうな、江戸は遊郭にも旗本やお上のお偉方が出入りしとりましてな、お眼に止まれば玉の輿なんてぇのも、夢じゃございません」


男はシャーシャーと言ってのけてほくそ笑む。

遊郭(ゆうかく)?」

と、五兵衛が顔を(しか)めると、

男は少し焦って、

「いやね、一番良い値がつくのが遊郭って話で……ものの例えってヤツですよ、

他にも名のあるお(たな)にも口利けますぜ、方々あたってみますか……」


さなは、あのシャーシャーと話す男は口入れ屋に相違ないと思った。


それからと言うもの、さなは、五兵衛の顔を見ると腹わたが煮えくりかえる思いだった。

野良仕事も涙を堪えて、歯を食いしばって精を出した。


なんで、毎日文句も言わず頑張ってるオラを……そんな腹に積もった思いは、

そう長く留めて置けるものではなかった。

「おっとー、オラば売り飛ばすだか」

その夜、さなの気持ちは溢れ出してしまった。

「……んだ、」

炉端で藁を依ながら、五兵衛はポツリと答えた。

「なして、オラいなくなったら、おっとー、独りぼっちになるでねーか……オラいれば、野良仕事もやる煮炊きも洗濯もすっべ、おっとー、オラいねぐなったどうすんのよ、」


そう声を荒げる さなの目からワラワラと涙が溢れ出していた。


「オレは、なーんも困らねじゃ、」

五兵衛は囲炉裏の方を向いたまま、さなを見ずに言った。


「《デンデラ野》さ、じっちゃも、ばっちゃも、おっかーも、坊っこらもいんだって、オラこの村、離れたくねー」

さながそう叫ぶと、


「んだから……おめぇは、この村ば出ねばなんねんだっての、オレば山さ捨てられっか、おっかねくて駄目だべ、そったら思いば、おめぇにさせられねんだっての……、そのうち、にっちゃも帰ってくるべし、」


と、言うと五兵衛はさなの顔をチラリと見やった。

すると、さなは目にいっぱい涙をため、俯き加減で固まっていた。


「さなっこ、もう《デンデラ野》さ、行くんでねぇ」

と五兵衛が囲炉裏端で藁を依ながらポツリと言った。


「オラ、行ってねぇ」

さなはそう言い放つと、隣部屋の戸口の陰にヒョイっと身を隠してしまった。


それ以上五兵衛が何を言おうが、さなの返事はなかった。


しばらくして五兵衛が、戸の陰を覗くとさなは板間の上で、膝を抱えたまま寝転がっていた。

五兵衛はスヤスヤ眠っているさなを抱き抱えて、煎餅布団の上に寝かしつけた。


その夜半過ぎ、五兵衛が厠に起きると、

さなの姿がなくなっていた。


つづく

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