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 次の日の朝、大急ぎで準備をした後、お姫様はおばあさんについて町へ出かけました。おばあさんに急かされるなか、なんとかヤクに謝ることもできました。

「昨日はごめんなさい」そう言って頭を下げました。

「ヤクが変化できるよう、私も応援する。ヤクの毛並みはきれいだから、きっと素敵な狼になると思う」

 ヤクは眉を寄せたまま、黙っていました。


 お姫様はおばあさんの後に続きながら、周りを見回し、目印となるものを探しました。ようやく森を出られるのです。まだ逃げるつもりはありませんが、町までの道を覚えているに越したことはありません。そうやって注意深く森の中を歩いていたのに、気が付けば街なかに立っていました。はっとして見回すと、通りの向こうに立派な屋敷が見えました。目指す貴族の館です。見事な魔法に、お姫様はがっかりするより、感嘆しました。


 おばあさんが要件を告げると、使用人は丁重な態度で奥の部屋に案内しました。おばあさんの傍らに控え、しばらく待っていると、館の主が従者と共に現れました。顔見知りの伯爵でした。そのことで、ここが王都であることがわかりました。顔を伏せ、後ろに控えたお姫様に、伯爵は全く気が付きません。例え面と向かって会話をしたとしても、今の姿ではわかるはずもなかったでしょう。

「例の薬だ。確かめるがいい」

 おばあさんに目で合図され、お姫様は小さな壺を捧げ持って前へ進みました。伯爵がそれを受取ろうとした瞬間、把手が割れ、壺が床に砕け散りました。緑色の液体が、伯爵の豪華な上衣に染みを落としていきます。

「無礼者!」

 次の瞬間、お姫様は従者に壁まで蹴り飛ばされ、頭を強く打ちました。もうろうとしていると、おばあさんが杖を逆さに持ち、強く殴りつけてきます。

「この愚か者!たいへんな粗相をしやがって!大事な薬をどうしてくれる!」

 金属で作られた握りの部分は硬く重く、以前折檻された時とは比べ物にならないほどの衝撃でした。薄れゆく意識のなか、伯爵のつぶやきが耳に忍び込みました。

「気味の悪い子供だ。泣きも呻きもしない」


 ― 気味の悪いことよ。あれが我が子とは、とても思えぬ

 ― 気味の悪い目で見るな。私を呪うつもりか


 ― 大丈夫ですわ、お嬢様!私がついておりますから。


(マリア!)

「大丈夫かい」

 目を開くと、見知らぬおばさんが心配そうに顔を覗き込んでいました。濡れた布で頭を冷やしてくれています。

「ここは・・・?」

「下働きの使用人の部屋だよ。お前の主は旦那様と食事中さ。まったく、子供になんて仕打ちをするんだろうねえ」

 誰かがここまで運んでくれたようでした。おばさんは、ぷりぷりと怒りながらも丁寧に世話をしてくれます。

「さあ、ゆっくり起きて。これを飲めるかい?」

 差し出された椀には、白湯が入っていました。口をつけると、優しい感触が静かに喉を潤します。温めただけの水が、これほど美味しいと思ったことはありませんでした。

 おばあさんから呼び戻されるまでの間、この部屋で休ませてもらうことができました。痛みは耐え難いほどに増し、腫れもひどくなりましたが、親切なおばさんのおかげで、気持ちは和らぎました。お礼を言って別れる際、おばさんは、「元気になったらお食べ」と言って、揚げ菓子の入った包みを持たせてくれました。


 屋敷を出ると、おばあさんが不機嫌そうに待っていました。

「お前のせいで、薬の代金を負けさせられたよ。その分の対価は払ってもらうからね」

 おばあさんは揚げ菓子の包みを見つけると、取り上げて、中を覗きこみました。

「つまらないものを持ってるね」

「返して!」

 手をのばして取り返そうとしましたが、どうしても届きません。おばあさんは包みを通りの向こうへ投げ捨ててしまいました。物乞いが、すぐさまそれを拾って持ち去りました。

 その後、お姫様は痛む体を引きずるようにして、森への道を歩き切りました。


 小屋に戻るなり、お姫様は土間に倒れこみました。体中が痛くてこれ以上動けそうにありません。それなのに、おばあさんは、熱を持ってずきずきと痛む腕をつかみ、無理やり立たせました。

「服を脱いで傷をお見せ」

 なんとかシャツとズボンを脱ぐと、全身にあざがひろがり、ところどころ皮膚が避けて赤黒い血がこびりついていました。おばあさんが患部を強く押したりひっぱったりするので、お姫様は痛みのあまり悲鳴を上げました。

「どうやら折れてはいないようだね」

 そう言って棚から軟膏を取り出し、あざの酷い箇所に塗り付けました。それから奥の小部屋へ行くと、お姫様が服を着ている間に、小さなお椀を持って戻ってきました。

「これを残さず飲むんだよ」

 お椀の中には、強い臭いの、黒い水。完成間近の媚薬です。毎日へとへとになりながらかき混ぜている薬を、お姫様はぼんやりと眺めました。

「ほら、さっさとお飲み。貴重な薬だ、またこぼしたらただじゃおかないよ」

 あわてて一息に飲み干すと、何とも言えない生臭い味が口の中にひろがり、戻しそうになるのを必死で堪えます。その様子を横目で睨むと、おばあさんはため息をつき、小屋を出ていきました。扉の外からぼやき声が聞こえてきます。

「とっておきの媚薬も子供に使えばただの精力剤さね。もったいない」

(子供でなければどう違うの?)

 土間にうずくまり、首をかしげていると、ようやく吐き気が収まりました。すると体がぽかぽかと温まり、力が湧いてきます。痛みも少し和らいだようです。

(本当に、飲むと元気になるんだ)

 半時もすると、まだあちこち痛むものの、いつも通りに動けるようになりました。


 寝藁の上で休んでいると、ヤクがやってきたので、お姫様はシャツのポケットを探り、布袋を取り出しました。袋の中には下働きのおばさんがくれた揚げ菓子が入っています。あらかじめいくつかを取り分けて、ポケットの中に隠していたのです。

「向こうでもらったの。手に持っていた分はおばあさんが捨ててしまったけれど、こっちは無事だったわ。一緒に食べよう」

 ヤクは、黙ってお姫様の顔と袋をじろじろと眺めると、袋の中からお菓子を一つつまみあげ、差し出しました。

「食ってみろよ」

 お姫様はそれを受け取り、ぱくりと一口食べると、にっこり笑いました。

「毒なんか入ってないよ」

「わかってるよ」

 吐き捨てるように言うと、ヤクは、お姫様の隣に胡坐をかいて座り、お菓子を両手に取って交互にかぶりつきました。お姫さまも手元の残りを口に入れ、ゆっくり噛んで飲み込みました。二人とも無言のまま、しばらくお菓子を食べ続けました。

「どうして俺にくれるんだ」ぽつりとヤクがつぶやきました。

「一人で食べてもつまらないから」お姫様が答えます。

「お前、気が付いてるんだろう。俺があの壺に細工したんだって」

 伯爵に渡した小壺は、把手が壊されていたのです。

「うん。でも、ヤクが私を嫌いなのは、仕方がないから。みんなが私を嫌うもの」

 侍女のマリアも魔物と一緒に行ってしまいました。

「私はきっと、とんでもなく嫌なやつなんだね」

 お姫様はため息をつき、目を伏せました。ヤクはじっと前を向いたまま片膝に肘をつき、掌の上に顎をのせました。

「ああ、お前はとんでもなく嫌なやつだ」


 その日の夜、お姫様は翌日のサバトのことで頭がいっぱいでした。マリアに会うためには、宴が開かれる場所に行かなければなりません。それはどこなのか、連れて行ってもらえるだろうかと考えていると、一度出かけたヤクがまた戻ってきて、お姫様を小屋の外にひっぱり出ました。積み上げてある薪の陰に隠れ、周囲をうかがうと、緊張した声でささやきました。

「いますぐ逃げろ」

 お姫様は目を丸くしました。

「お前はいけにえだ」

「いけにえ?」

「サバトの儀式では、子供をいけにえにする。生きた心臓を、悪魔に捧げるんだ」

 あまりのことに、言葉も出ませんでした。足ががくがくと震え、積んである薪につかまります。驚きと恐怖に混乱を極めるなか、どこか冷静なもう一人の自分が、頭の中でつぶやきました。

(だから、私の怪我を治したのか。儀式で使い物にならなかったら困るから)

「すぐにここを出て、今夜中に森を出ろ」

 中空をさまよっていたお姫様の視線が、ゆっくりとヤクの上に落ちました。

「どうして逃がしてくれるの?」

 ヤクは横を向いて答えません。

「いいから早く行け」

(逃げる。逃げてどこへ行く?お城へ帰る?マリアのいない、誰も来ない北の宮へ?)

「ねえ、私が逃げたら、いけにえはどうなるの?・・・まさかヤクが代わりに・・・」

「俺は魔物の眷属だからいけにえにはならない」

「そう」

「どこからか赤ん坊をさらってくる」

「・・・・・」

 うつむいて黙り込んでしまったお姫様の肩をヤクが焦れたように揺らします。

「何をしてる。怖くないのか。」

(怖い。気が遠くなるほど怖い。でも・・・)

「逃げない・・・ここにいる」

 下を向いたまま、お姫様はつぶやきました。ヤクが息を呑んだのがわかりました。

「逃げてもきっと、捕まるから。それに・・・サバトには、私の大切な人が来るはず」

(マリアにもう一度会いたい)

「私は行かなければならない・・・ような、気がする」

 突然、ヤクが地面を蹴飛ばしました。

「お前、馬鹿じゃないのか?胸を割かれて心臓をえぐられるんだぞ」

 お姫様がヤクをじっと見つめると、ヤクはいきり立ったように腕を振り、お姫様を睨みつけました。

「せっかく、逃がしてやろうと思ったのに」

「ごめんなさい・・・」

「馬鹿だ!お前は大馬鹿だ!もう、顔も見たくない」

 踵を返して行こうとする背中に、お姫様は呼びかけました。

「ありがとう、ヤク」

 ヤクは何も答えずに走り去りました。その姿をどこか呆然と見守りながら、自分は馬鹿だと、お姫様も思いました。いまだに足は震え、冷や汗が全身を濡らしています。でもその一方で、もう一人の自分は他人事のようにつぶやきました。

(人は、動物の皮を剥いで肉を食べる。悪魔は、人の胸を割いて心臓を喰らう。道理に外れたことは、何もない)


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