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気が付くと、固い土間の上に横たわっていました。お姫様は起き上がり、周囲を見回して、全く見覚えのない場所に首をかしげます。そこは粗末な丸太小屋のようでした。つっかえ棒で開かれた小さな窓から陽が差し込んでいます。あれからかなり時間が経過しているようでした。
「マリアはどうしたかしら・・・?」
魔物に寄り添うマリアの姿が目に浮かび、悲しくなりました。マリアは自分を置いて、行ってしまったのです。
(これからどうすればいいんだろう)
突然、戸口が開き、誰かが中に入ってきました。黒いドレスを着た、背の低いおばあさんでした。
「おや、ようやく起きたのかい。寝汚い子供だね。もう日も高いというのに」
おばあさんはお姫様を上から下までじろじろ見ると、皺だらけの口元をゆがめて笑いました。
「お前は私が拾ったんだ。言うことを聞いてもらうよ。さあ、大人しくしておいで」
緩く結い上げていたお姫様の髪をほどくと、一束にして、片手で掴みました。
「なかなか手入れの良い髪だ。これなら上等なかつらができる」
上機嫌で言うと、懐からナイフを取り出し、長い髪をうなじのあたりでばっさりと切り落としてしまいました。そしてそのまま刃先を向けてきます。
「その上等なドレスをお脱ぎ。下着もだ。さっさとしないと怪我をするよ」
言われるままに服を脱ぐと、おばあさんは下働きの子供が着るような、簡素なシャツとズボンを投げてよこし、
「後でヤクが来たら、仕事を教わりな」
そう言い置くと、ドレスと下着を持って出ていきました。
お姫様はしばらく呆然としていましたが、裸でいるわけにもいかないので、ズボンをはき、シャツに腕を通しました。そして小屋の中を歩き回るや、驚きの声を上げたのです。
「なんて動きやすい服。それに頭も軽い!」
(これからどうすればいいんだろう)
お姫様はまたもや自問していました。窓の外をうかがっても、木立が広がるばかりです。
(逃げたほうがいいだろうか。でも、ここはいったいどこだろう)
恐る恐る外へ出てみました。おばあさんの姿は見当たりません。小屋の周りを偵察してみましたが、森の中だということ以外は何もわかりませんでした。がっかりしてうなだれていると、後ろから誰かに呼ばれました。
「おい、お前。何してる」
男の子の声でした。ヤク、という子が来たんだな、と気が付きました。
「逃げられると思ってるのか。おばばに見つかったら折檻だぞ」
お姫様は後ろを振り返り、驚きに目をみはりました。そこに立っていたのは、自分と同じ年頃の子供でした・・・たぶん。同じような簡素な服を着て、布靴を履いた、その子の頭は、狼だったのです。黒と茶色のまだらな毛並みはつやつやで、つぶらな黒い目が、じっとお姫様を見ています。
「何だ、獣人に会うのははじめてか」と言うと、牙をむきだしました。
「おまえ、美味そうだな」
ぎょっとして後ずさると、ヤクは面白そうに笑って、手を振りました。
「冗談だよ。食べたりはしないから安心しろ。仕事を教えるからついてこい」
そう言うと、小屋の中に入っていきました。
顔はどう見ても狼だけれど、表情は人間と一緒だな、とお姫様は思いました。
小屋の奥には扉があって、その向こうにもう一つ部屋があるようでした。ヤクが扉を開けると、強烈な臭いが押し寄せました。色々なものが混じり合った、苦いような、酸っぱいような臭いに、涙目で咳き込んでいると、部屋の中に押し込まれ、扉を閉められてしまいました。仕方なく袖で口と鼻を覆って、周りを見回しました。部屋は狭く、壺やら箱やら袋やらが、所狭しと置かれています。隅のほうには、干からびた虫やトカゲのようなものが、無造作に籠の中に放り込まれていました。窓際には、蛇の皮や草の束が吊り下げられています。これもすっかり乾いたら、籠の中に入れるのね、とお姫様は思いました。
もう一方の隅では、風呂桶ほどもある鍋が火にかけられ、濁った黒い液体がぐつぐつと沸いています。ヤクはそれを指さしました。
「これは媚薬だ」
「びやく・・・」
「知ってるか?」にやにやと笑いながら聞いてきます。
「知ってる。精力剤でしょう?」
「・・・おう」
「飲むと元気になる薬」
「・・・まあ、そうだな。これを、サバトの夜までに完成させる。お前はこの棒で、これをかき混ぜるんだ」
ヤクは自分の身長ほどもある木の棒を持ち上げましたが、お姫様は見ていませんでした。
「サバト・・・魔物の宴!」
「ああ。次のサバトは一週間後だ。この薬はそこでふるまわれるのさ」
(一週間ここにいれば、マリアに会えるかもしれない)
お姫様は棒を受け取り、うなずきました。
「疲れた・・・」
お姫様は、棒を放し、鍋の横に座り込みました。布を巻いた掌を見ると、大きな赤いしみができていました。仕事を始めて半刻もしないうちに、豆が潰れてしまったのです。鍋の中の黒い液はどろりと重く、底のほうには何やらぐちゃぐちゃしたものが沈んでいて、棒を持つ手に力を入れてもなかなか動いてくれません。「ただかき混ぜればいいのか」と軽く考えていたお姫様は、あっという間に動けなくなってしまいました。汗をぬぐい、痛む体を休めていると、ヤクが部屋に入ってきて、呆れたように頭を振りました。
「何だ、もう音を上げたのか。そんな事で一週間もつのかよ・・・まあいいや。別の仕事だ。こっちに来い」
後について小屋を出ると、戸口の近くに麻袋が置かれていました。盛んに動く袋の口からヤクが取り出したのは、まるまると太った一羽のウサギでした。
「これをさばけ」
お姫様はウサギとヤクを交互に見つめました。
「殺して、皮をはぐんだよ」
にやりと笑うと、ウサギを殴って気絶させ、鋭いナイフを差し出しました。
「やれ。嫌だとは言わせないからな」
お姫様は固く目を閉じ、震える手でナイフを握っていましたが、おもむろに目を開くと慎重に狙いを定め、ウサギの喉元に刃を深く突き刺しました。ウサギはびくりと痙攣し、すぐに動かなくなりました。不器用な手つきで皮をはぎ始めると、ヤクが拍子抜けしたように言いました。
「何だ、初めてじゃないのか」
「傍で見ていたことは、ある。自分でするのは初めて」
遅々として進まない作業を、ヤクはしばらく黙って見ていましたが、だんだん焦れてきたらしく、お姫様からナイフを取り上げると、あっという間に残りの工程を終えました。
「肉は晩飯。皮は後でなめす。骨と血と内臓はおばばの薬の材料だ」
鮮やかな手際で解体されていくウサギを見ながら、お姫様は、同じ作業を暗い森の中で眺めていた時の事を思い出していました。何年か前、兄の刺客に追われ、護衛の騎士と共に森に身を隠したことがありました。追っ手を避けるため、野宿を繰り返したのです。
(あの時は、辛いばかりだと思っていたけれど、今思えば何もかも人任せだった)
ウサギの体温も、命が消える感触も、両手から離れません。ただ見ているのと、実際に手を下すのとでは、全く違うのだと思い知りました。自分は何も知らない、何もできない、役立たずな子供だとお姫様は思いました。
小部屋に戻って媚薬をかき混ぜていると、ヤクに呼ばれ、夕食のスープを一緒に食べました。ウサギの肉が沈んでいて、噛むと滋味が沁みわたります。ひどく空腹だったのに、出された一杯のスープだけでお腹がいっぱいになりました。不思議に思ってヤクを見ると、意味ありげな顔をしています。
「魔女のスープだ、ただの食い物とはわけが違うさ。何が入ってるか、聞きたいか?」
(聞きたいような、聞きたくないような・・・)
「ま、聞かれても教えてやらないけどな」と、いじわるそうに笑うので、つんと横を向きながら、お姫様は別のことを考えました。
(おばあさんは、やっぱり、魔女なんだ。そうだろうとは思っていたけれど)




