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西国の神  作者: あすかK
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4、エリック青年とワイズ少年

 瞳を覆う瞼を下し、世界から光を遮断する。視覚が奪われ他の感覚が研ぎすまされ、例えば触覚や、嗅覚や、聴覚などが敏感になる。ここまでが、通常の人間の感覚だ。しかし、彼の場合、これだけに終わらない。

 男は瞑目し、感覚を、聴覚を研ぎすますことによって、遥か彼方遠くの音を聞くことが可能であった。まだ幼き頃はこの『力』をうまく制御できず、自分がどこの何を聞いているのかもわからない状態であったが、年を経るに従って、自分が何を聞いているのか判別できるようになった。そして、さらに年を経ると、聞くものを自ら選択することができるようになった。今では、一度会ったことのある人間ならば誰でも、その人間の周囲の音を聞くことができる。この『力』のことを、聖職者たちは「神に恵まれた力だ」と言ったが、当人は一度も恵まれた力だなどと思ったことはない。幾度『力』に振り回され、苦悩したことだろう。当人にしてみれば、これは呪われた『力』だ。恵みなどでは、決してない。


 その男、エリック・コーエンが生まれたのは、今から四十年近く昔のことだった。此処西国エウリアの首都ケトロより北の方へと外れた小さな田舎町に生まれた彼の両親は、決して裕福ではない小さな町の居酒屋を経営していた。彼の生まれる前には兄と姉が一人ずついたという。が、子供のかかる伝染病によりその二人の子供をなくし、失意の中で生まれた子供が、エリック・コーエンであった。悲願の子であった。

 しかし、悲願の中で生まれた少年は、生まれた時より少々風変わりであった。まず、言葉の覚えが恐ろしく早い。同じ年頃の他の子供に比べて早熟で、大人たちはとても利発な子供が生まれたのだと口々に述べ、その頃は両親も彼の利発を単純に喜んでいた。だが、言葉を扱うことのできるようになってからが、妙であった。

 少年は、彼の知るはずのないことも何でも知っていた。遠い町のことも、隣の町のことも、隣の家で密かに行われた家族会議の様子も、両親の夜の営みでさえ熟知しており、最初は「盗み聞きをするなどけしからん」と怒っていた親たちも、それが盗み聞きし得る範疇を越えると、怒りを越えて彼を恐れるようになった。この子供は、魔物かなにかの子供なのではないだろうか、と彼らは怯えた。少年は幾度も修道院に連れて行かれ、神の前で懺悔をさせられた。

 分別のつく年頃になると、少年は、自分の持つこの不思議な『力』が、他人を不幸にしてしまうのだと気付いていた。そのために、なるべく間違って聞いてしまったことを口にしないようにと努めた。だが、どこまでが本当に耳で聞いた情報で、どこからがこの妙な『力』によって盗み聞きしてしまった情報なのか区別をすることは難しく、結果的にとても無口な少年となった。少年は、情報を自分の中に蓄えるだけ蓄えて、吐き出すことさえ許されなかった。

 やがて口を閉ざし続けて数年、十五の年の頃になると、少年はついに家に留まっていられなくなった。この頃にはようやく己の『力』を制御し、自分の盗み聞きしている音とそうでない音とを聞き分けることができるようにはなっていたが、それもまだ不完全であった。聞きたくもない音を聞き、知りたくもない情報を知ってしまう。氾濫する膨大な情報を頭の中に抱えて、少年は家を飛び出した。あまりにも辛くて、一所に留まっていられなくなったのだ。

 家を飛び出した先で出会ったのは、田舎町に巣食うならず者の連中であった。ならず者と言っても、皆少年と同い年くらいの若者ばかりで、例えば身寄りがいなかったり、いたとしても勘当されていたり、少年と同じようにそれぞれ事情を抱えて家を飛び出した連中の集まりであった。連中は、悪さばかりしていた。善良な人間から金を恐喝したり、無銭飲食をしたり、盗みも働いた。それでも、互いに互いの深いところまでは探り合わない乾いた関係が気に入って、少年もしばらくそこに身を置いた。連中には、決して自分の持つ『力』の話はしなかった。

 そうこうしている間に実家からは勘当され、帰るところもなくなり、少年は完璧にならず者となった。盗みをするのは性に合わなかったため、自分の『力』を利用して、悪徳な商売を行って儲けた。他のならず者の連中からは「何故お前はそんなに商売が上手くいくのか」と問われたが、「才能があるんだろう」としか答えず、やはり『力』のことを説明する気にはなれなかった。

 そんな中で、唯一少年の『力』のことを知っていたのは、田舎町の修道院に住まう一人の修道士であった。まだ、少年が幼かった頃に両親が「魔物の子だ」と恐れ、神の下へ懺悔するようにと修道院に連れて行かれた際に、出会った。修道士は彼が不思議な『力』を持つことを見破り、しかしそのことは両親にさえ伝えず、少年にだけ伝えた。何故なら、その不思議な『力』のことを理解することは凡人にはとても難しかったためである。修道士は、言った。——それは、神に恵まれた『力』なのだと。

 これが神に恵まれた『力』なのだとは少年にはとても思えなかったし、そのような綺麗ごとを吐き出す修道士にも嫌気が差した。それでも、彼の持つ『力』のことを知り、理解し、そして否定的にでなく肯定的に捕えてくれるのは修道士一人であったから、少年は度々修道士に会いに行った。人は誰でも自分の理解者が欲しいと願う。果たしてその修道士が少年のことを真に理解していたかどうかは不明であるが、少なくとも「魔物の子だ」などと言って自分を恐れる両親や、悪事でのみ繋がるならず者の連中よりは、ましだった。それだけであった。

 それからまた数年が過ぎて、『力』を利用した悪徳商法にも慣れたとある日のことである。少年から青年へと成長したエリック・コーエンは、その田舎町の修道院で、今まで見たこともないような冷たい目をしたとある少年と、出会った。

「エリック……今日は、君にも是非会ってほしい子がいるんだ」

 いつも通りなんとなく訪れた修道院にて、修道士に言われ、コーエンは珍しいなと思った。修道士はコーエンが特に誰とも深い交友関係を持ちたくないと思っていることを知っている。それなのに、一体誰に会わせたいというのだろうか。

「あの少年だ。遠い町の修道院にずっと住んでいたのだけれどね、あまりにも優秀だからと言うんで少しでも都に近い修道院で勉強をした方がいいと言われて今日からうちの修道院に住むことになったんだ。——こっちへおいで」

 修道士が声をかけると、奥の暖炉の前で静かに本を読んでいた少年が、目をあげた。黒髪の、恐ろしく冷たい目をした少年であった。彼はコーエンを睨みつけるようにして立ち上がると、面倒くさそうに本を置いて、こちらへやってきた。年の頃は十二か三、コーエンよりも五つほど年下であろうか。目付きがあまりにも鋭く、思わず震え上がりそうになるほどである。

「ワイズ・レヴィンだ。とても頭が良くて、たくさんのことを知りたいと望んでいる。きっと君にとってもいい刺激になるんじゃないかと思ったから、紹介した」

「……俺に?」

「ワイズ。こっちは、エリック・コーエンだ。彼はたぶん、君がどんなに勉強したって得られないであろうたくさんの情報を持っている。だから、いろいろ聞くといい。世界がいかに広大か、わかると思う」

 修道士はそう言って、互いに二人を紹介した。コーエンには、彼と出会うことがどうして自分にとって刺激になるのか、全く意味がわからなかった。しかし、後々になって振り返れば、これが彼の人生を大きく変える決定的な出会いであったことは言うまでもない。そんな田舎町の修道院の中で、若きコーエン青年は、幼きワイズと出会った。



 それからは、修道院に行くたびに、ワイズと話をするようになった。修道士がそう図ったのか、コーエンが修道院に行くと決まってワイズが暖炉脇で勉学に励んでおり、それまでコーエンの相手をしてくれていた修道士がいつも席をはずしているため、ワイズと話をするしかなかったのである。

 初めは、五つも年下の少年と一体何の話をすれば良いのやらと困惑したものであるが、実際に話をしてみると、ワイズは恐ろしく博識で利発で、五つの年の差を感じさせないどころか大人も顔負けの弁を持っていた。生意気だが彼の言うことは全て正論で、言い返せない。「なるほど、だからお前はもといた修道院を追いやられたんだな」と冷たいことを言うと、ワイズは少しも傷ついた様子を見せず、「奴らは何かと言えば『神に祈れ』『神の仰せのままに』と言う。俺と話の合うはずもない」とほざいた。ワイズは修道院に住んではいるものの、少しも神を信仰していなかった。彼は自分の描いた理論をのみ信じていた。彼のそんなところに、コーエンは興味を抱いた。

 ワイズは突貫して、無神論者であった。だからと言って神に祈りを捧げる人間を愚かだとは言わなかったが、自分は一切、祈らなかった。それは、神の裁きによって全てに白黒つける此処西国エウリアでは異端であった。彼は神の裁きの代わりに、己の善悪の物差しで、万事に白黒をつけていた。

 とある日、ワイズにこんなことを言われた。

「エリック。お前がつるんでいるあの連中。あれは良くないな。この間、女を殴って金を盗んだと聞いた」

 彼の言う連中とは、コーエンと同じ、帰る場所のないならず者の一人である。当然コーエンも、その仲間の一人が女を殴って金を盗んだのだという話は知っていた。噂にも聞いていたし、そしてコーエンには『力』がある。仲間のことで知らないことなど一つもなかった。

「良くない? 冷たい顔をして、ワイズにも情があるとは驚きだな。女を殴るのは、やはり非道だと思うか」

「情云々の話ではない。人の持つ財を強引に奪うことは罪だ。私利私欲目的遂行のためだけに暴力をふるうのも、当然罪。そして、相手が防衛するだけの力を持っていない女であることを知って暴力をふるったのであれば、それは相手の抵抗する気を削ぐための威嚇であることも自明。言語道断、罪である」

「なるほど、合理的に聞こえるが、やはりそれを言語道断、罪であると言うのは人の情じゃねえのか?」

「情というより、秩序だ。人と人が構成する社会の中では、それ相応の秩序が働かなければならない。最低限の道徳倫理が敷かれ、それは例えば人を殺してはならないとか、人の物を勝手に盗ってはならないとか、そういった道徳倫理の中で互いに譲歩しあって生きなくてはならない。その根底にあるのが人の情であると言われれば、否定する気はないが」

「その通りだな——お前、将来お役人にでもなればいいんじゃないのか。国家の刑部にでも務めて、裁き役にでもなればいい」

 コーエンが笑うと、ワイズは「そこが俺に提示された役目ならば」と答えた。思えば、彼はこの頃から国政の指揮を握るという野望を抱いていたのかもしれない。

「だが、ワイズ——お前は秩序でのみ人の善悪を裁くが、それだけじゃどうしようもなんねえこともあるってことを知っておく必要がある」

 コーエンがそう言うと、「なんだそれは」とワイズは目を細めた。世の中を法律や仕組みでのみ捕えようとするワイズは博識ではあるが、コーエンから見れば恐ろしく無知でもあった。

「例えば、合法的であっても法律で裁けなくとも、悪さばかり働く奴がいるかもしれない。例えば、法律に背いていたとしてもそれが善行である可能性もあるかもしれない」

「そんなもの、あるものか」

「そうか? なら、俺はどうだ。今お前が面と向かって話している俺は、悪徳商法で市民ひっかけて金をもぎとっている。だが、そうしなきゃ食い扶持がねえからだ。生きるためには他には手がない」

「確かに、お前がやっていることは善行ではない……だが、お前の商売は、ぎりぎり法律には触れない。故に、市民は泣き寝入りだ」

「その通りだな。俺だって裁かれるのは御免なんだ。だから法律には触れない。そんな俺のやっていることは、罪ではないのか?」

「今のところは、罪ではない。少なくともお前は強引に財を奪ったわけでもなければ誰かに暴力を働いたわけでもない。そのうち法が改正されればどうなるかわからないが……今のところ、罪ではない」

「ふうん……? ならば世の中は俺みたいに狡い奴ばかりが得をするようにできてるってことだな」

 言ってコーエンが含み笑いを浮かべると、ワイズは表情もなく「そうだな」と答えた。彼は世の中には最低限の道徳倫理があると言いながら、道徳倫理を無視するような行いも、法律として明文化されていない限りは可能であるという矛盾に、見て見ぬふりをする。

「エリックは、確かに……商売が上手い。上手すぎるという話もあるくらいだ。まるで、誰が何を欲しているのか熟知しているみたいだ。だから莫大な値段で物を売りつける悪徳な商法が成り立つ」

 そう呟いたワイズは、まだコーエンの持つ不思議な『力』の存在を知らない。この手の内を、コーエンはほとんどの人間に口外したことがなかった。言ったところで信じてもらえないと思っていたし、そもそもこんな呪われた『力』のことを、口にしたいとも思わなかったからだ。

 それなのに、何故だろう、この少年の前ではふと、箍が緩んだ。

「……実は、俺には妙な『力』があるんだよ、ワイズ」

「は?」

「俺は自分のいないどこか遠くの話を、盗み聞きすることができる。誰かが遠いどこかで会話していることを、その場におらずして聞けるんだ」

 何を言っているんだ、と眉をひそめたワイズはやはり、コーエンの言葉を信じてはいないようだった。だが、コーエンは嘘など言っていない。全て、真実だ。

「故に、誰が何を欲していて、その人がいくらまでならその商品に金を出せるのか。その商品はどこに行けば手に入るのか。俺には何でもわかるんだ。だからこの商売が成り立つ」

「どういうことだ? ……お前、何を言っている?」

「全て真実さ。お前がどんなに勉強したって手に入れられない、不思議な『力』の話をしている。——ワイズ、お前はそれでも、俺を善人だと言えるか?」

 その時の、訝しむような、彼の目が、今でもコーエンは忘れられない。

 コーエンが己のことを全て吐露した相手は、物心ついてからではワイズが初めてであった。上辺だけの友好関係を築くのは得意であったから、そこそこ交流関係は広かったものの、誰一人として己の全てを吐き出す気にはならなかった。それをこの五つも年若の少年に吐き出したのは、彼にそれだけの魅力を感じていたためだと思う。


 やがてワイズがコーエンの『力』のことを理解し、信じるようになると、彼らの仲はさらに接近した。後に互いに国城に入り、ワイズは役人として、コーエンは軍人として国に仕えるようになってからも、彼らの密な関係は続いている。

 コーエンは己の『力』のことを話し、己の全てを彼の前に曝け出して、腹を割った話をした。ワイズもまた、一見、コーエンにだけは気を許して自分の全てを話してくれたかのように見えた。——だが、実のところ、本当に彼はコーエンに気を許したのかどうか、定かではない。

 冷徹な参謀と呼ばれて久しいワイズの心の奥は、恐ろしく巨大な氷晶によって固められている。それによって彼は感情もなく業務だけに専念し、誰にも心を開かない。二十年来の付き合いであるコーエンですら、彼の氷晶の奥を見たことはない。そして、その氷晶を解かすことは、できなかった。

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