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その鈴をなんと呼ぶのか護衛は知らない  作者: にちこ


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第十六章 片づかないもの

春鈴祭から一夜が明けた。


祭りは終わった。


笛も太鼓も鳴っていない。


通りを埋めていた人波もなく、色鮮やかな布飾りは次々と軒から外されている。


屋台では残った品が箱へ戻され、広場の隅には、使い終えた器や空になった桶が積まれていた。


町は、いつもの姿へ戻ろうとしていた。


ただし、人々の口だけは、まだ祭りの最中だった。


「それで、あの若様はどなたなの?」


縄を束ねていた女が尋ねた。


「漢陽からいらした方でしょう?」


別の女が、外した鈴を籠へ入れながら続ける。


「驪興閔氏の若様だって聞いたわ」


「まあ、やっぱり名家の方なのね」


「お姿からして違ったもの」


「背も高いし、お顔もきれいだったわねえ」


「子どもにもお優しかったでしょう。餅をぶつけられたのに、怒るどころか飴まで出して」


「お召し物、ひどく汚れていたわよね」


「でも、少しも嫌な顔をなさらなかったのよ」


話を聞いていた娘たちが、うっとりと息をついた。


そのすぐ横で、ジュノは黙って木箱を持ち上げ、呆れたように女たちを見た。


餅がぶつかったことだけなら、遠目にも分かったかもしれない。


だが、ソンジンが子どもへ飴を出したことも、怒らなかったことも、衣がどれほど汚れたかまで知っている。


いったい、どこで見ていたのか。


それとも、誰からどこまで聞いたのか。


祭りが終わってまだ一晩しか経っていないというのに、話だけは当人たちより先に町中を歩き回っているらしい。


片づけより、噂話が広がる方がよほど手際がよかった。


朝から、同じ話を何度聞かされたか分からない。


東口で三回。


広場へ来るまでに二回。


先ほど、空の桶を運んでいた男からも尋ねられた。


男まで気にしているとは思わなかった。


「それで」


女の一人が、ジュノの進路を塞ぐように一歩出た。


「あの若様と、洪家のお嬢様とは、どういうご関係なの?」


ジュノは木箱を抱えたまま立ち止まった。


「昨日、一日ご一緒だったでしょう?」


「鈴探しもなさっていたわ」


「餅も一緒に召し上がっていた」


「ほかの遊びも、ずいぶん楽しそうだったわよね」


「お嬢様のために、赤い紐の鈴まで買っていらしたでしょう?」


「でも、お嬢様は受け取らなかったけれど……」


最後の一言で、全員の声が少し低くなる。


「どうして受け取らなかったのかしら」


「別の方からいただくおつもりなのではなくて?」


「でも、あの若様とは、とてもよい雰囲気だったでしょう」


「もしかして、縁談でいらしたの?」


ジュノは木箱を地面へ置いた。


少し強く置いたため、中で木札が大きな音を立てた。


周囲の者たちが口を閉じる。


「朝から、同じことばっかり聞くな!」


広場に声が響いた。


「喋ってないで手を動かせ! 鈴は色ごとに分けろって言っただろ。布は畳んでから箱へ入れろ。そっちの柱は勝手に倒すな。下に人がいる!」


「でも、ジュノ」


「でもじゃない!」


「本当に知らないの?」


「知ってても言えないことくらいあるだろ!」


その場にいた全員の目が、一斉に細くなった。


ジュノはしまったと思った。


「言えないことがあるのね」


「やっぱり、何かあるんだわ」


「縁談ね」


「そういう意味じゃない!」


「では、どういう意味なの?」


ジュノは答えに詰まった。


ソンジンが洪家へ縁談の顔合わせに来たことを、洪家で知っているのは、泰元と乳母、ジュノ、シウォンだけだった。


肝心のインファだけは、まだ何も知らない。


ソンジンを、春鈴祭に合わせて漢陽から訪れた客人だと思っている。


町の者たちへ話してよいことではない。


だからといって黙れば、皆が勝手に答えを作る。


「とにかく!」


ジュノは声を張り上げた。


「今日中に全部片づけるんだ。口より手を動かせ!」


「顔が赤いわよ」


「朝から走り回ってるからだ!」


「お嬢様の縁談が気になるのね」


「違う!」


違わない部分も少しあった。


それが、さらに腹立たしかった。


ジュノは木箱を抱え直すと、逃げるようにその場を離れた。


背後では、早くも話が再開している。


「やっぱり縁談なのかしら」


「でも、赤い紐の鈴は断っていたでしょう?」


「だからこそ、何か事情があるのよ」


「きっと簡単には結ばれないお二人なのね」


一晩しか経っていないのに、ずいぶん壮大な話になっていた。


祭りの飾りは片づき始めているのに、噂の方は、昨日より増えていた。


その頃、ソンジンは広場の西側にいた。


祭りの前日にも、同じ場所を歩いた。


子どもたちへ手遊びを見せていたところへ、目を輝かせた娘が迷いなく輪の中へ入ってきた。


仕掛けを見つけようと手元を追い、最後には自分の髪から簪まで抜いて差し出した。


その娘が洪家の令嬢だと、宿へ戻る頃に護衛から報告されていた。


あのときの驚いた顔を思い出し、ソンジンの口元が自然と緩んだ。


二日前は、何もなかった広場へ屋台が組み上がり、柱と柱の間へ色布が渡され、鈴が一つずつ吊るされていくところだった。


昨日は、そのすべてが人と音で埋め尽くされていた。


そして今日は、出来上がったものが、再び一つずつ解かれている。


ソンジンは、外された横木を眺めた。


二人の男が縄をほどき、別の男が下から柱を支えている。


掛け声に合わせて柱が倒され、長い木材へ戻る。


それを見届けると、今度は積み上げられた器の方へ歩いた。


洗った器を乾かす者。


欠けていないか調べる者。


数を帳面へ記す者。


空の籠を運ぶ者。


誰も立ち止まらない。


けれど、互いの動きを見ながら、必要な場所へ手を伸ばしている。


「面白いものですね」


ソンジンは独り言のように言った。


返事はなかった。


少なくとも、姿の見える範囲には。


「作るときには、何になるのか分からなかった木や布が、祭りのあいだだけ町の景色になる。そして翌日には、また木と布へ戻る」


近くで縄を巻いていた老人が顔を上げた。


日に焼けた顔には深い皺が刻まれ、腰もわずかに曲がっている。


「若様は、こういうものが珍しいので?」


「ええ。出来上がったものを見る機会はあっても、作るところや片づけるところは、なかなか見られませんから」


「片づけなど、見ていても面白くないでしょう」


「私は好きですよ。人が働いているところを見るのは」


老人は手元の縄へ目を落とした。


「見ているだけでなく、手伝ってくだされば、もっと助かりますがね」


少し離れた場所で、解体中の柱が傾いた。


ソンジンがそちらへ顔を向けるより早く、老人が鈴の積まれた籠を足元へ押し出した。


「若様。その鈴から糸を外していただけますか」


「私が?」


「細かな仕事は、若い者の方が向いておりますので」


先ほどまで軽々と太い縄を巻いていた者の言葉とは思えなかった。


だが、ソンジンは気にした様子もなく、楽しそうに笑った。


「では、やってみましょう」


袖を押さえてしゃがみ、鈴を一つ拾い上げる。


その背後で、柱が音を立てて倒された。


老人は一度だけそちらを見た。


ソンジンとの間に入るよう、さりげなく立つ位置を変える。


その動きに気づいた者はいなかった。


少なくとも、ソンジンは気づかなかった。


「若様」


いつの間にか、旅装の男が立っていた。


「何でしょう」


「先ほどから、広場を端から端まで歩いておられます」


「歩いていますね」


「解体中の柱の下へも、三度お入りになりました」


「何も落ちてきませんでしたよ」


「落ちる前に止めておりますので」


男の声は平坦だった。


「それなら問題はないのでは?」


「若様が問題へ近づかなければ、止める必要もございません」


ソンジンは少し考えた。


「それでは、お前たちの仕事がなくなってしまう」


男は答えなかった。


代わりに、腰の前で指先をわずかに動かした。


縄を巻いていた老人が、顔を上げることもなく、巻き終えた縄を近くの男へ渡すと、曲がった腰のまま人の間へ紛れ、広場の向こうへ消えていった。


あまりに自然な動きだった。


ソンジンは老人の消えた方を見たあと、目の前の男へ視線を戻した。


「……あれも、お前たちの一人か」


「はい」


「いつからいた?」


「若様が広場へお入りになる前から」


ソンジンは手元の鈴を見下ろした。


「では、私にこれをさせたのも?」


「解体中の柱から、若様を遠ざけるためかと」


どうやら護衛たちは、仕事を失うどころか、ソンジンが気づかないところで十分に働いていたらしい。


「ずいぶん自然に働かせるものだな」


「若様は楽しんでおられましたので」


「否定はしない」


ソンジンは次の鈴へ手を伸ばしかけ、ふと袖口へ触れた。


男の視線が、その手元へ落ちる。


「手巾なら、まだそこにございます」


ソンジンの手が止まった。


「よく分かったな」


「宿を出られてから、何度も所在を確かめておられます」


「落としていないか確認していただけだ」


「昨夜は、手巾がもう乾いたかと三度もお尋ねでした」


「借りたものを丁寧に扱うのは当然だろう」


「はい」


男は否定しなかった。


否定しないことが、かえって余計だった。


ソンジンは扇へ手を伸ばしかけ、指先が何にも触れないことに気づいた。


今朝、宿を出るときに持ってくるのを忘れたらしい。


長年、外へ出る際には欠かしたことのないものを、である。


「我ながら、ずいぶん気が緩んでいるな」


小さく独りごち、行き場を失った手を下ろした。


隠すものがないまま、仕方なく鈴へ視線を戻した。


「返す機会があれば、返そうと思っているだけだ」


「さようでございますか」


「何だ、その返事は」


「何も申しておりません」


「言わなくても分かることはある」


「若様も、ようやくお気づきになりましたか」


ソンジンは男を見た。


男は何事もなかったように、広場へ視線を戻していた。


そのとき、東の通りから声が上がった。


「洪家のお嬢様だ」


誰かが言った。


広場にいた人々の手が、一斉に止まった。


すべてではない。


縄を巻いていた手。


布を畳んでいた手。


器を重ねていた手。


皆、動かしているつもりではいた。


ただし、目だけは同じ方向を向いていた。


インファが通りの向こうから歩いてくる。


淡い衣の裾が、朝の風に揺れていた。


後ろには、差し入れの籠を持った女中たちが続いている。


その半歩後ろには、いつものようにシウォンがいた。


黒い護衛服。


腰の刀。


周囲へ向けられた鋭い視線。


祭りが終わり、人の数は減っている。


それでも警戒を緩める様子はない。


インファは広場へ入ると、片づけをしている者たちへ笑顔を向けた。


「皆さん、お疲れさまです。お餅と温かいお茶を持ってきました」


返事がない。


インファは足を止めた。


「……皆さん?」


声を掛けられ、人々は慌てて動き始めた。


「ありがとうございます、お嬢様!」


「ちょうど休もうと思っていたところです!」


「さあ、手を止めて休もう!」


先ほどまで誰より熱心に噂をしていた女が、急に大きな声を出した。


インファは不思議そうに首をかしげた。


「どうしたの?」


「何でもございません」


「でも、今、皆で私を見ていたでしょう?」


「お嬢様の後ろに危ない物がないか、確かめていたのです」


シウォンが即座に周囲を見る。


インファの後ろには、何もなかった。


「何もありません」


シウォンが言った。


言い訳をした女が目を逸らす。


少し離れた場所で、ジュノが額を押さえた。


来た。


しかも、一番面倒な時に来た。


インファは、まだソンジンに気づいていない。


ソンジンの方は、すでに気づいている。


町の者たちが、二人を交互に見ていることにも。


ソンジンは、絡んだ糸をほどいた鈴を籠へ入れ、立ち上がった。


「インファ様」


呼ばれて、インファが振り返る。


「あ」


顔が明るくなった。


その呼び方に、広場のあちこちで小さなどよめきが起きた。


「ソンジン様もいらしていたのですか?」


「ええ。片づいていくところも見ておきたくて」


「片づけがお好きなのですか?」


「物が組み上がるところも、元へ戻るところも好きなのです。人が働いているところは、見ていて飽きません」


インファは、ふと思い出したように目を瞬いた。


「そういえば、準備の日にも、子どもたちに囲まれていらっしゃいましたね」


簪へ鈴を結ばれたことと、そのあとに言われた言葉まで思い出し、インファはわずかに頬を膨らませた。


「……あのときは、私をからかっていらしたでしょう」


「覚えていてくださったのですね」


「忘れられるような言い方ではありませんでした」


「覚えていてほしくて言いましたからね」


ソンジンは、悪びれる様子もなく微笑んだ。


「準備の日から見てきたのです。こうして終わっていくところまで、見届けたくなりまして」


「では、祭りを最初から最後までご覧になるのですね」


「最後は、まだこれからでしょう」


ソンジンは、半ば解かれた広場を見渡した。


そのやり取りさえ、周囲の者たちは聞き逃さなかった。


気軽に話している。


やはり、ただの客人ではない。


視線だけで、いくつもの話が出来上がっていく。


インファは、ようやく広場の妙な空気に気づいた。


「さっきから、皆さん、どうしたの?」


ソンジンは穏やかに笑っていた。


分かっている顔だった。


ジュノは、あからさまに顔をそらした。


分かっているが、説明したくない顔だった。


シウォンは変わらない。


少なくとも、見た目には。


ただ、ソンジンがインファへ一歩近づくと、自然に立つ位置を変えた。


二人のあいだを遮るほどではない。


けれど、何かあればすぐ動ける距離だった。


「昨日のお二人のことを話していたのですよ」


とうとう、年配の女が言った。


「私たちのこと?」


「はい。ずいぶん仲がよろしかったので」


インファが目を丸くする。


「昨日、初めてお会いしたのに?」


広場がざわついた。


初めて会った。


それなのに、あれほど親しげだった。


どうやら人々の中では、説明ではなく、新しい材料になったらしい。


ジュノは小さく天を仰いだ。


「お嬢様」


シウォンが呼ぶ。


「差し入れを配られた方がよろしいかと」


「そうだった」


インファは女中たちを振り返った。


「皆さんで休んでください。昨日も遅くまで働いていたでしょう?」


人々が籠の周りへ集まり始める。


これで話が逸れる。


ジュノがほっと息をついた、そのときだった。


「その前に」


ソンジンが言った。


「お返しするものがございました」


ジュノの嫌な予感は、大抵当たる。


「お返しするもの?」


インファが尋ねる。


「昨日、お借りしたものです」


ソンジンは右手を差し出した。


何も持っていない。


掌を返して見せた。


やはり、何もない。


インファの目が、すぐに輝いた。


「手遊びですね?」


「さて、どうでしょう」


ソンジンは空の手を軽く握った。


左手で袖口を払う。


それから、握った右手へ息を吹きかけた。


ゆっくり指を開く。


指の間から、淡い布の端がのぞいた。


「あっ」


インファが声を上げる。


ソンジンが布の端を引くと、折り畳まれていた手巾が、するりと掌の上へ広がった。


昨日、インファがソンジンの帯へ挟んだものだった。


汚れはきれいに落とされ、丁寧に畳まれている。


広場のあちらこちらから、甲高い声が上がった。


黄色い悲鳴、と呼んで差し支えのない声だった。


ジュノが目を閉じた。


どうして、ただ返すだけで、その返し方を選ぶのか。


「すごい!」


インファだけは、周囲の声など耳へ入っていなかった。


手巾ではなく、ソンジンの手を見ている。


「今、どこから出したのですか?」


「どこでしょう」


「袖?」


インファはソンジンの右袖を覗き込んだ。


広場の娘たちから、再び声が上がる。


「違う。こちらには何もない」


インファは反対側へ回った。


「では、左の袖?」


さらに声が上がった。


「お嬢様」


シウォンの声がした。


いつもと同じ、静かな声だった。


「人前で殿方の袖を改めるのは、おやめください」


インファが振り返る。


「でも、昨日も見つけられなかったの」


今度は、広場全体がどよめいた。


昨日も袖を調べた。


その一言だけで、噂は新しい段階へ進んだ。


ジュノは両手で顔を覆いたくなった。


「お嬢様」


今度はジュノが呼んだ。


「何?」


「手巾を受け取ってください。それから、もう何も説明しないでください」


「どうして?」


「頼むから」


インファは分からないまま、ソンジンから手巾を受け取った。


「ありがとうございます。きれいにしてくださったのですね」


「お借りしたものですから」


「でも、こんなに早く乾いたのですか?」


ソンジンの護衛が、少し離れた場所で目を伏せた。


昨夜、火のそばで何度も乾き具合を確かめさせられた宿の女中へ、心の中で同情しているのかもしれなかった。


「宿の者が、丁寧に扱ってくれました」


ソンジンは穏やかに答えた。


「大切な手巾ですので」


また声が上がった。


ジュノが、とうとう我慢できず振り返る。


「皆、いい加減にしろ!」


広場中へ声を張った。


「休むなら休め! 働くなら働け! いちいち声を上げるな!」


「だって、ジュノ」


「今のは仕方ないでしょう」


「大切な手巾ですって」


「聞こえてる!」


「お嬢様の手巾を、若様が一晩大切に――」


「それ以上言うな!」


インファは手巾を持ったまま、隣のソンジンを見る。


「皆さん、何を騒いでいるのでしょう」


「私にも、よく分かりません」


ソンジンは答えた。


嘘だった。


扇を持っていれば、口元を隠していたところである。


インファは今度はシウォンを見た。


「シウォンは分かる?」


「いいえ」


返事は短かった。


こちらが本当に分かっていないのか、分かっていて答えないのかは、誰にも判断できなかった。


ジュノだけは、シウォンの眉間にごく浅い皺があることに気づいた。


ああ。


分かっている。


そして、面白くないらしい。


ジュノは少しだけ気が晴れた。


「ほら、お嬢様」


差し入れの籠を示す。


「皆に配るんでしょう」


「そうだった。シウォン、手伝って」


「はい」


シウォンが籠を受け取る。


ソンジンも手を伸ばした。


「私もお手伝いしましょう」


「客人にさせられません」


ジュノが止める。


「ジュノ」


インファが、たしなめる。


「ソンジン様が手伝ってくださると言っているのに」


「お嬢様まで話題を増やさないでください」


「どうして私まで怒られるの?」


「怒ってません」


「怒ってる顔だよ」


「これは元からです!」


「元から、そんな顔だった?」


「お嬢様が覚えていないだけです!」


人前だということを忘れ、いつもの調子に戻っていた。


周囲から笑いが起きる。


ジュノは咳払いをして姿勢を正した。


「……とにかく、差し入れを配ったら、お嬢様は少し離れて休んでいてください」


「私も何か手伝うよ」


「結構です」


「鈴を籠へ入れるくらいできるもの」


「お嬢様が手伝うと、気に入った鈴を見つけるたびに止まるでしょう」


インファは反論しようとして、口を閉じた。


否定しきれなかったらしい。


ソンジンが小さく笑った。


その笑いを聞いて、インファが頬を膨らませる。


「ソンジン様まで笑わないでください」


「失礼しました」


謝ってはいるが、まだ笑っていた。


それを見ていた町の者たちが、また何かを囁き始める。


ジュノはもう聞かないことにした。


昼を過ぎる頃には、広場に並んでいた屋台の半分が解体された。


色布は畳まれ、鈴は籠へ収まり、借りていた器も数を確かめて倉へ戻された。


祭りの跡は、少しずつ消えていく。


けれど。


洪家のお嬢様と漢陽の若様が、祭りの翌朝にも会っていた。


若様は、お嬢様の手巾を一晩預かっていた。


しかも、手遊びで返した。


お嬢様は、若様の袖を自ら調べた。


その頃には、話は片づけに来ていなかった者のところまで届いていた。


夕方には、手巾の色が変わった。


夜になる頃には、ソンジンが手巾で花を包んで返したことになっていた。


祭りの飾りは、その日のうちにすべて片づいた。


噂だけは、一つも片づかなかった。


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