52話
『ごちそう』。
これまで勇者が食べたものの中には、数々のごちそうがあった。
というか、この家に来てから食べたものはだいたい全部ごちそうである(例外は魔王の娘が握ったおにぎり)。
カツ丼。
トロットロの卵に包まれたサクサクのカツ。
中には分厚いオーク肉が入っており、噛み締めればあふれ出す肉汁と、下味をつけるためにふられた塩コショウが物凄くいい仕事をしていた。
ご飯との組み合わせはもはや芸術性さえ帯びており、しょうゆベースのつゆのしみこんだご飯と一緒に咀嚼すれば、味はもちろん歯ごたえも香りもなにもかもが見事に調和する作品であった。
フライドチキン。
衣の歯触りはもはや言うまでもないだろう。
サクリと噛み破った時にあふれ出すチキンの肉汁は、牛、豚などそれまで食べたどの肉と比較しても最上級のものだった。
今朝も黙々と何個も食べてしまった通り、気付けばどんどん口に入れてしまうような魅惑の食べ物であった。
おにぎりだっていいものだ。
他の食事にはない『携行のしやすさ』は特筆すべきだろう。
勇者はものを食べる時に『シチュエーション』をあまり気にする方ではなかったし、冒険暮らしだったから外でものを食べることだって少なくなかった。
でも、あの日、山の上で食べたおにぎりの味は、なぜだろう、筆舌に尽くしがたい格別さがあったように記憶している。
女神と二人、こっそりODENを食べたこともあった。
アツアツのだし汁で茹でられた、様々な具材。
食べる具に――『タネ』によっていかようにも変わる食感風味食べ応え。
みんなで食べたいと思った日から機会を逸し続けてしまっているが、いつかは絶対、みんなと食べたいと勇者は未だに思っている。
ぜいたくだと思ったのはオムライスだ。
ごろごろと大きくカットされたコカトリス肉の入ったチキンライス。
その上に半熟に焼き上げた玉子をかぶせてできあがる、黄金色の料理。
その見た目の美しさは記憶の中で美化されてどんな金銀財宝よりも美しいものになっているし、スプーンを玉子に差し入れチキンライスをすくい口に入れた時の、香ばしい甘酸っぱい香りと、ご飯一粒一粒の存在感、それに大きな鶏肉のジューシーさは未だに鮮烈だ。
忘れてはならないのは、お好み焼きだろう。
なにか歓迎会らしきものを――そういう発想で女神が紹介してくれた料理だった。
生地の中に好き放題色んなものを詰め込んだ。ワイワイガヤガヤ、自分のはこう、そっちはこう。みんな楽しそうに自分のお好み焼きを作っていた光景を思い出す。
そしてなんといっても、あの衝撃的な、ソースとマヨネーズの焼ける香り!
思い出しただけでヨダレが出そうな、楽しく、そして印象的なメニューであった。
みんなでワイワイ――となれば、ハンバーグもそうだった。
挽肉を好きにかたちづくった。
歪なのもあったし、よくわからないのもあったけれど、肉をこねるのは面白かった。
そういえばあの時は、料理苦手な女神ががんばって焼いてくれたのだ。
完成したハンバーグ。少し押しただけでもう透明な肉汁があふれ出てくるあの感動は忘れようもない。思い出しただけで口の中が勝手にモゴモゴと咀嚼をする、強烈で濃厚な肉の旨みのカタマリだった。
素材そのままだっていいものだ――焼き魚定食を思い出しながら、勇者は思う。
銀色の細長い魚。香ばしい魚独特の香り。ハフハフとアツアツの身をほおばり、奥歯でギュムウと押し潰した時にあふれ出てくる魚のうまかったこと!
そして新鮮だったのは、大根おろしだ。アツアツでやや脂っぽい魚との相性は抜群で、魚を食べて大根おろしで口の中を洗い流す時、「ほう」と息づく瞬間はたいそう気持ちよかった。
気持ちよいと言えば、やはりTEMPURAだろうか。
カリッと弾けてサクッと香ばしい。衣に包まれたマンドラゴラはたいそう味が濃く、野菜そのものの旨みというものを思い知らせてくれた。思い起こせば、揚げ油の香り、だろうか――それもとても食欲をそそったものだ。
香りで思い出すのは、炭火。
ミノタウロス――の、舌。
薄切りみのたんは、薄いのにたいそうな歯ごたえがあった。塩だけなのに、いや塩だけだからこそ引き出された素材のうまみ。何度も何度も噛まないといけないような歯ごたえなのに、スルスル入ってしまった。
厚切りだって忘れられない。
あの迫力は厚切りみのたんならではのものだ。
少し強めに焼いた厚切りみのたんの歯ごたえは驚異的であった。噛んでも噛んでもかみ切れない。だというのに噛み飽きない。思い出すのは炭火の香りと、噛むほどしみ出る肉の旨み。夜空の下で行ったバーベキューには印象深い思い出ばかりだ。
それら、きら星のごとく勇者の記憶の中で輝き続ける『ごちそう』――
それを女神は――
「じゃあ、全部やりましょうか」
――大盤振る舞いする、と言うのだ。
神だった。
食べきれないかも、という思いがさすがの勇者にもわく。
だが、足りないかもしれない、という思いさえ、勇者には同時にわいていた。
「まあ、普通は絶対食べきれませんけど、勇者様ならいけそうなので……人数もいますし」
女神は勇者の胃袋を信じていた。
ならば勇者も、己の胃袋を信じようと決める。
――そんなわけで、家の外。
夜空の下、大量に用意された食材があちこちでジュウジュウ焼ける、今日はパーティだ。
参加者は十人。
勇者。
女神。
魔王の娘。
牧場長。
マンドラゴラ屋。
漁師。
剣の精。
影武者。
コカトリス飼育員。
道案内妖精。
漁師の飼っているリヴァイアサンもふくめれば、十一名になるのか。
思えばだいぶ増えたものである。
勇者は女神が用意した紙皿に肉や野菜や魚を山盛りにしながら、あたりを見回す。
魔族たちはそれぞれ自分が捕獲した食材を調理しているのだが――
一次産業系魔族ではない者は、そのへんをうろちょろしているのだ。
そんな中――
勇者はようやく、目的の人物を捕捉する。
魔王の娘だ。
彼女はやはり勇者と同じように、紙皿の上に色々な食事を山盛りにしながら、あっちにふらふら、こっちにふらふらしていた。
勇者は――
彼女に、このように声をかけた。
「魔王」
魔王の娘――
――否、魔王は、足を止める。
「どうした勇者? 今わたしのこと『魔王』って言った?」
周囲を七輪とか簡易バーベキュー台とか炊事場にあったテーブルとかに囲まれた場所で――
勇者は、魔王と横に並び、なんとなく家の方向を見ながら、うなずく。
「いつまでも『魔王の娘』はちょっと長いと思ったんだ」
「えええ……そんな理由なの……? そして今さらなの……?」
「あと、今日のこのパーティみたいなのは、お前の精神的成長を祝ってのものらしいぞ」
「そうなの!? わたし、成長した!?」
「そうみたいだ。だからそろそろ、お前も魔王でいいんじゃないかって思ったんだ」
「……そっかあ」
魔王は少しだけ笑う。
でも、すぐに肩を落として――
「……でもさ勇者、わたし、まだまだ全然、父みたいじゃないよ」
「そうだな」
「弱いし、悩んでるし、魔族たちの中にはわたしに従わないのもいるし……」
「そうだな」
「……わたしは王だけど、わたしは王でいいのかなあ」
「知らない」
「……アドバイスとかしてよ」
「俺、王になったことないし、アドバイスなんかできないぞ」
「……」
「でも、先代魔王と殺し合った体験から言うと――」
「……」
「別に弱くても悩んでてもいいと思う。従わないのがいてもいいと思うぞ」
「そうかなあ?」
「そもそも『強い』とか『弱い』は『勝った』か『負けた』かだろ? 俺は先代魔王に勝ったんだから、俺から見たら先代魔王もお前も『弱い』に入ると思う」
「その基準はちょっと……」
「……俺も今のは無理あると思った。とにかく――先代魔王は強かった。でも、俺は勝ったし、殺した」
「……」
「だから強い弱いは気にすることないと思う。最終的に勝てばいい。勝てばご飯がうまい」
「……ご飯がうまい」
「ご飯がうまい」
「ご飯がうまい!」
「ご飯がうまい。それでいい」
「……なんかそんな気がしてきた」
「というかそれが全部だ」
「いや、それは全部ではないと思う……」
「……ご飯がうまい以上に重要なことはあるのか……?」
勇者は心の底から疑問みたいな顔だった。
魔王は笑い――
「わたし、またがんばるよ」
「そうか」
「ご飯で解決できないものごとは、やっぱりないと思うし」
「そうだな」
「……でもさ、勇者」
「なんだ?」
「……ちょっとだけ」
魔王はそう言うと、勇者の脇腹あたりに頭を寄せた。
勇者は魔王を見下ろし、首をかしげる。
「どうした?」
「…………わたし、魔王になっちゃったんだって思ったんだ」
「……」
「うまく言えないけど、魔王になったと思ったら、なんか、ちょっと泣きそう。嬉しくてっていうか――父はもういないんだなって思って」
「……俺が殺したからな」
「…………うん。知ってる」
「お前は俺をどうしたい?」
勇者はハッキリとたずねた。
魔王はしばし、口ごもり――
「今日はいっぱい、難しいこと考えて、疲れた」
「……」
「ご飯食べて眠って、覚えてたら考えるよ。勇者のこと」
「そうか」
「うん」
魔王は勇者の脇腹に頭をよせたまま、肉を食う。
――見上げた空には満点の星。
魔王はなんだか、いつもより世界が広く見えたような気がした。




