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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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23/23

22 : 「おはよう、   」

 幽霊も妖怪も見えない世界は、びっくりするほど静かだった。確かにこれは気持ち悪い。慣れって怖いんだな、と思った。

 とらこが消えた次の日はちょうど休日だったので、唯ちゃんたちを誘って水族館に行くことにした。二人は急な誘いにも快く了承してくれた。

 色んな魚を見て、イルカショーなんかも見て。なぜか知らないけど、アルマジロみたいな動物とかも見て。

 帰りに、ちょっとおしゃれなカフェに入った。飲み物とケーキをそれぞれ注文して、テーブルに届けられるのを待つ。


「あの、さ」


 今日誘った理由を、二人はわかっているはずだ。

 緊張して口を開く私に、二人は顔を見合わせて、それから私に笑いかけた。


「元気になったね、ちーちゃん。よかったぁ」

「さーさー、あたしたち二人に話してご覧なさい! どんな話でも受け止めてあげるぞ?」


 私が話しやすい空気を作ってくれたのだろう。緊張が少しほぐれて、「ありがとう」と言ってから話を始める。


「実はね、もう幽霊も妖怪も見えないんだ」


 口に出してから、唐突過ぎたかな、とちょっと反省する。

 これだけ時間があったというのに、どう話すかまったく決められていないのだ。順番なんてめちゃくちゃで、絶対わかりづらい話になるだろうけど。

 たぶん二人は、最後まで聞いてくれるはずだから。気にせずに話してしまおうと思った

 私の言葉に、二人は驚いた顔をした。


「え、そうなんだ。ここんとこ寂しそうだったの、そういう系が関係してたの?」

「……仲いい妖怪が消えちゃって」

「なるほど……そりゃあ寂しいね」


 こんなに簡単に私の話を信じてくれる人なんて、きっとほとんどいない。……幸運なんだろうな、私。

 二人の顔を真っ直ぐと見ながら、小さく深呼吸をする。


「その妖怪に会ったのは、六月なんだけどね。とらこっていう、白いちっちゃい虎の妖怪で」


 昔のようにも、つい最近のようにも感じる。

 とらこと出会ってからのことを、私はできるだけ丁寧に話していった。とらこはずっと私を守ってくれていて、嫌われようとしてひどいことを言ったときにも、バスにひっついてまで見てくれていたと言うと、「ごめん、悪いけどそれストーカーみたい」と唯ちゃんは笑ってくれた。瑞穂ちゃんまで微妙な顔をしていたので、とらこがここにいたらどんな反応をしていたかな、なんて考える。

 まろんと遊んだボールもとらこが作ったものだと話したら、二人は申し訳なさそうな顔になった。「ありがとうって言いたかったなぁ」と唯ちゃんがぽつりと言って、瑞穂ちゃんもうなずいた。

 それから、それから。

 たくさん話した。ケーキが来ても、二人はそのまま食べずに話を聞いてくれていた。食べてもいいのに、と言うと、笑って首を振られた。



「……でも昨日、最後に会いに来てくれて、危険だからって私の見える力を取ってっちゃったの」


 ようやく、最初の話に繋がった。

 大分長い時間が経っていたような気がする。こんなに一人で話したのは初めてだから、ただの錯覚かもしれないけど。


「とらこは消えちゃったけど、二人に話す決心がついたからこうやって誘ったんだ。……ごめん、長々と」

「ううん、話してくれてありがとう。……話すの、怖かったでしょ。あたしたち、妖怪見えないからさ」

「怖くはなかったよ。まろんのことがあったし、そうじゃなくても信じてくれるかなって」


 そう? と言って、唯ちゃんはふへへと笑った。


「わ、わたしは……信じたいけど、たぶん信じられてないんだ。けど信じたいから信じてる気分で、えっと、だから信じて、て……? うああ、ごめん、なんでもない、ごめんね、は、話してくれてありがとね!」


 焦る瑞穂ちゃんに、相変わらずだな、と少し笑みが漏れる。それをどう勘違いしたのか、「ごめんね!?」とますます焦ったようにまた謝ってきた。いや、責めたり馬鹿にしたりしたわけではないんだけど。


「でさ、ちっさー。どうしたらいい?」

「ん? 何が?」

「その話を聞いて率直に思ったことを言うか、下手くそーな慰めをするか、スルーしてケーキ食べるか。どうしてほしい?」

「唯ちゃんがしたいようにしていいよ」


 話したことですっきりしたから、後はもう二人に任せたい。唯ちゃんは「その答えが一番困るんだけどー」と不満げな顔をしながら、ちょっと考えた。


「じゃあ率直に言うけどさ」

「うん」


 何を言われるんだろう、と身構える。

 唯ちゃんはちょっとむくれた顔で、内緒事のようにひそっと言った。


「……なんかちっさー、その妖怪大好きな感じ?」


 思わず目を瞬く。


「え、うん、そうだね?」

「うっわぁ、妬けちゃうなーもう。まあ元気になったならいいけどさー」


 え、そんなことなんだ。

 拍子抜けというか、肩透かしというか。いや、どっちも同じようなものだけど。

 唯ちゃんはオレンジジュースをストローで吸った。ケーキにジュースは合わないんじゃ、と思うが、唯ちゃんは酸っぱそうな顔もせずに飲んでいく。

 ストローから口を離して続ける。


「とらこ、だよね? 今のちっさーの話聞いてると、とらこ大好き感が溢れててさー」

「と、とらこちゃんが羨ましいな、って思っちゃった」

「……そんなに?」

「うんうん。聞いてて、うわぁこれはとらこが消えちゃって辛いよなーって思ったもん。……あ、ごめん、今の無神経だった、なしなし。もう、二人の前じゃ気ぃ抜けちゃうな」


 オレンジジュースを一気に三分の二くらい飲んで、唯ちゃんはフォークをケーキに突き刺した。唯ちゃんが頼んだのはガトーショコラだった。

 自然と、私と瑞穂ちゃんもケーキを食べ始める。私はストロベリーソースがかかったティラミス、瑞穂ちゃんは蜜入りりんごのアップルパイ。見た目も綺麗で、どんどん食べてしまう。コーヒーの苦味と生クリームの甘さ、ソースの甘酸っぱさがすごく合っていた。生クリームはあまり得意ではないのだが、これならぱくぱくと食べられる。

 交換し合いながら食べると、なくなるのはあっという間だった。


「美味しかったー、このカフェ、結構当たりだったね」

「う、うん、また来たいな」

「結構遠いから、なかなか来れないだろうけどね」


 そんな会話をしながら会計を済まし、店の外に出る。


「……今日は付き合ってくれてありがとう。急に誘ってごめんね」

「そこはありがとうだけでいーの! へへ、どういたしまして」

「こ、こっちこそ、ありがとう。元気になって、よかった……」


 明日からはもう、バス停に行ってもとらこはいない。ここ二ヶ月はほとんどいなかったけれど……それでも、生きていたのと消えているのでは、全然違うのだ。

 もう二度ととらこと会うことはないんだな、と思うと。また少し、涙が出てきそうだった。

 帰りの電車では、また三人で並んで座った。涙は、眠ったふりをしてやり過ごした。




 学校帰り。

 バス停の看板の横に立って、バスを待つ。そういえばもう、あのおじいさんみたいにバスに乗る幽霊がいても、見えないんだな。もしもいたら、その上に乗っちゃったりしないだろうか。幽霊はさわれないし、乗るんじゃなくてすり抜けるけど。


 ――本当に、静かだな。


 辺りをぐるりと見回して、そう思う。視覚からも聴覚からも幽霊や妖怪たちがいなくなって。この普通の世界に慣れるのに、どれくらいかかるんだろう。

 バスに揺られること約二十分。一人でただスマホをいじった。

 最寄りのバス停で降り、歩き出す。

 今日は晴天だった。雲が一つもなくて、透き通ったような青い空。その空を、なんとなく見上げながら歩いていたときだった。


「――あの、すみません」


 恥ずかしそうな声は、この前と同じもの。

 え、と。思考が止まる。

 ……いや、とらこがいるわけない。いるわけないんだ。

 頭ではそうわかっていたけど、どうしたって期待はしてしまって。


「ちーさん」


 ――あ、とらこだ。


 そう認識した瞬間には振り返って、とらこを抱きしめていた。

 とらこはびっくりしたように、腕をばたばた動かす。


「ど、どうしたんですかちーさん!?」

「どうしたのはこっちのセリフ。なんで消えてないの馬鹿。……よかった」


 小さく言えば、「すみません」と同じく小さな声で返ってきた。

 とらこから体を離して、彼女の顔を見る。説明して、と視線で訴えた。


「あー、その。ちーさんから力を奪うのに、私の残りの力を使い切る寸前まで使ったんですけど」


 もごもごと口ごもりながら、とらこは話し始めた。


「ちーさんって、ちぃさまの生まれ変わりじゃないですか。それで、私はちぃさまに仕える妖怪。力の波動というか……それが合っていたみたいで」


 それを聞いて、そういえばと思い出す。

 私の力はちぃさまの力とほとんど同じ、と以前言っていた。私がとらこに嫌いと言った、あの日に。……そうだ、言ってた。

 とらこは昔、ちぃさまの力を借りて、この世界に顕現していたという話だった。……私の力を貸せば、それで済んだの? え、そんな簡単なこと?


「ちぃさまが生きてたころくらい、全回復しちゃいました」


 てへ、ととらこは誤魔化すように笑った。


「……最初から、私の力を貸してればよかったってこと?」

「……ですねぇ、たぶん」

「はー……今まで悩んできたのはなんだったの」


 こう、一気に体から力が抜けた感じだ。

 だって、そんなに簡単な話だとは思わないじゃん。もう手遅れだ、私にはただとらこが消えるのを待つことしかできない、なんて思ってたのに。昨日なんて、もう二度ととらこと会うことはないんだな、ってちょっと泣いたのに。

 ……恥ずかしい。とても恥ずかしい。いや、心の中で思ってただけだし、誰にも言わなければいいんだよね。恥ずかしがる必要はない。でもやっぱり恥ずかしい。

 恥ずかしさに耐え抜いて、ふう、と息をつく。そしてふと疑問に思ったことがあった。


「なんで私、見えるの」


 人の姿をしているとはいえ、とらこは妖怪だ。今の私には、見ることはできないはずなのに。

 私の問いに、何てことのない顔で答えを返してくる。


「だって、人に化ければ普通の人間にも見えるって言ったじゃないですか。実際、兄のことは皆さん見えていたでしょう?」

「……あ」

「なんて、わたしも兄に言われるまで気づいてなかったんですけど」


 とらこは苦笑いする。

 そうだった。虎太郎さんは人間にも見える。だから唯ちゃんは、あのときの話し合いを目撃して私に声をかけてくれたのだ。

 言いにくそうに、とらこは続けた。


「それで、ですね。あのとき力をほぼ使い切って、この世界にいられなくなって。半強制的に向こうに戻ったんですけど、ちーさんの力がだんだんなじんできてしまって、ですね」


 ……そりゃあなじむだろう。ほとんどちぃさまの力と同じなんだから。


「こんなの全然予想していなかったので、びっくりしちゃいました」

「私も予想してなかった。こっちこそびっくりだよ」

「びっくりですねぇ」


 私たち二人とも……いや、正確には一人と一匹……もうめんどくさい。二人とも、あほみたいだ。

 全てが上手くいく方法が身近にあったのに、それにまったく気づかないで。二人とも悩んで、一匹は勝手に決めて、一人は諦めて。

 ……なんだこのあほな話。


「というか、あんな別れ方しといて、また会うのは恥ずかしいっていうか、その、今ものすごく恥ずかしいです」


 私だって恥ずかしいよ。

 でもそれは言わないと決めたから、無理やり笑顔を作った。


「じゃあ笑ってあげる」

「……泣いてるじゃないですか」

「嬉し泣きってほんとにできるんだね、初めて知った」

「恥ずかしさに照れも加わりましたよ……!?」

「いっぱい照れて」

「なんの嫌がらせですか!?」


 ……虎の姿のときから感情豊かだと思っていたけど、人間の姿だとそれが表情にすごく出るな。ころころと大きく変わって、見ていて面白かった。

 私がじっと見ていると、何を思ったかとらこはふふんと自慢げな顔をした。わざとらしくツインテールの白い髪の毛をばっと手で払うと、一瞬のうちにそれは黒に変わった。


「ふふふふふ、どうですか? この前は力が残ってなくて無理でしたけど、本当は髪とか目の色も変えられるんですよー」


 そう言われて顔を覗き込めば、確かに目も黒い。

 美少女なのに変わりはないが、見た目は完全に日本人だ。人ごみの中を歩いていたって、きっと振り返ってまで見る人はほんの数人だろう。


「なんか変な感じ」


 むぅ、ととらこは少し頬を膨らませた。期待していた反応と違ったらしい。もっと驚いてみせたほうがよかったんだろうか。


「でもこのほうが目立ちませんから、明日からは黒髪黒目にしますね」

「明日か……」

「明日です」

「明日もいるんだ」

「ふふっ、いますよ」


 とらこの笑顔に、心がふわっと軽くなった気がした。

 また明日、と言っていいんだ。もう、それを口にできなくなることを怖がらなくていいんだ。


「――おかえり、とらこ」

「……はい、ただいまです」




     *  *  *




 学校が終わると、足早にバス停に向かう。

 バス停で待つのは、白い奇妙な虎。ではなく、黒くて長い髪をツインテールにした、小さな少女。


「ちーさん」


 彼女がこちらに気づいて、私を呼ぶ。

 もう返事をするのに、周りを気にする必要はない。

 だから私は、彼女の笑顔に。


「おはよう、とらこ」


 笑って、こう返すのだ。







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