22 : 「おはよう、 」
幽霊も妖怪も見えない世界は、びっくりするほど静かだった。確かにこれは気持ち悪い。慣れって怖いんだな、と思った。
とらこが消えた次の日はちょうど休日だったので、唯ちゃんたちを誘って水族館に行くことにした。二人は急な誘いにも快く了承してくれた。
色んな魚を見て、イルカショーなんかも見て。なぜか知らないけど、アルマジロみたいな動物とかも見て。
帰りに、ちょっとおしゃれなカフェに入った。飲み物とケーキをそれぞれ注文して、テーブルに届けられるのを待つ。
「あの、さ」
今日誘った理由を、二人はわかっているはずだ。
緊張して口を開く私に、二人は顔を見合わせて、それから私に笑いかけた。
「元気になったね、ちーちゃん。よかったぁ」
「さーさー、あたしたち二人に話してご覧なさい! どんな話でも受け止めてあげるぞ?」
私が話しやすい空気を作ってくれたのだろう。緊張が少しほぐれて、「ありがとう」と言ってから話を始める。
「実はね、もう幽霊も妖怪も見えないんだ」
口に出してから、唐突過ぎたかな、とちょっと反省する。
これだけ時間があったというのに、どう話すかまったく決められていないのだ。順番なんてめちゃくちゃで、絶対わかりづらい話になるだろうけど。
たぶん二人は、最後まで聞いてくれるはずだから。気にせずに話してしまおうと思った
私の言葉に、二人は驚いた顔をした。
「え、そうなんだ。ここんとこ寂しそうだったの、そういう系が関係してたの?」
「……仲いい妖怪が消えちゃって」
「なるほど……そりゃあ寂しいね」
こんなに簡単に私の話を信じてくれる人なんて、きっとほとんどいない。……幸運なんだろうな、私。
二人の顔を真っ直ぐと見ながら、小さく深呼吸をする。
「その妖怪に会ったのは、六月なんだけどね。とらこっていう、白いちっちゃい虎の妖怪で」
昔のようにも、つい最近のようにも感じる。
とらこと出会ってからのことを、私はできるだけ丁寧に話していった。とらこはずっと私を守ってくれていて、嫌われようとしてひどいことを言ったときにも、バスにひっついてまで見てくれていたと言うと、「ごめん、悪いけどそれストーカーみたい」と唯ちゃんは笑ってくれた。瑞穂ちゃんまで微妙な顔をしていたので、とらこがここにいたらどんな反応をしていたかな、なんて考える。
まろんと遊んだボールもとらこが作ったものだと話したら、二人は申し訳なさそうな顔になった。「ありがとうって言いたかったなぁ」と唯ちゃんがぽつりと言って、瑞穂ちゃんもうなずいた。
それから、それから。
たくさん話した。ケーキが来ても、二人はそのまま食べずに話を聞いてくれていた。食べてもいいのに、と言うと、笑って首を振られた。
「……でも昨日、最後に会いに来てくれて、危険だからって私の見える力を取ってっちゃったの」
ようやく、最初の話に繋がった。
大分長い時間が経っていたような気がする。こんなに一人で話したのは初めてだから、ただの錯覚かもしれないけど。
「とらこは消えちゃったけど、二人に話す決心がついたからこうやって誘ったんだ。……ごめん、長々と」
「ううん、話してくれてありがとう。……話すの、怖かったでしょ。あたしたち、妖怪見えないからさ」
「怖くはなかったよ。まろんのことがあったし、そうじゃなくても信じてくれるかなって」
そう? と言って、唯ちゃんはふへへと笑った。
「わ、わたしは……信じたいけど、たぶん信じられてないんだ。けど信じたいから信じてる気分で、えっと、だから信じて、て……? うああ、ごめん、なんでもない、ごめんね、は、話してくれてありがとね!」
焦る瑞穂ちゃんに、相変わらずだな、と少し笑みが漏れる。それをどう勘違いしたのか、「ごめんね!?」とますます焦ったようにまた謝ってきた。いや、責めたり馬鹿にしたりしたわけではないんだけど。
「でさ、ちっさー。どうしたらいい?」
「ん? 何が?」
「その話を聞いて率直に思ったことを言うか、下手くそーな慰めをするか、スルーしてケーキ食べるか。どうしてほしい?」
「唯ちゃんがしたいようにしていいよ」
話したことですっきりしたから、後はもう二人に任せたい。唯ちゃんは「その答えが一番困るんだけどー」と不満げな顔をしながら、ちょっと考えた。
「じゃあ率直に言うけどさ」
「うん」
何を言われるんだろう、と身構える。
唯ちゃんはちょっとむくれた顔で、内緒事のようにひそっと言った。
「……なんかちっさー、その妖怪大好きな感じ?」
思わず目を瞬く。
「え、うん、そうだね?」
「うっわぁ、妬けちゃうなーもう。まあ元気になったならいいけどさー」
え、そんなことなんだ。
拍子抜けというか、肩透かしというか。いや、どっちも同じようなものだけど。
唯ちゃんはオレンジジュースをストローで吸った。ケーキにジュースは合わないんじゃ、と思うが、唯ちゃんは酸っぱそうな顔もせずに飲んでいく。
ストローから口を離して続ける。
「とらこ、だよね? 今のちっさーの話聞いてると、とらこ大好き感が溢れててさー」
「と、とらこちゃんが羨ましいな、って思っちゃった」
「……そんなに?」
「うんうん。聞いてて、うわぁこれはとらこが消えちゃって辛いよなーって思ったもん。……あ、ごめん、今の無神経だった、なしなし。もう、二人の前じゃ気ぃ抜けちゃうな」
オレンジジュースを一気に三分の二くらい飲んで、唯ちゃんはフォークをケーキに突き刺した。唯ちゃんが頼んだのはガトーショコラだった。
自然と、私と瑞穂ちゃんもケーキを食べ始める。私はストロベリーソースがかかったティラミス、瑞穂ちゃんは蜜入りりんごのアップルパイ。見た目も綺麗で、どんどん食べてしまう。コーヒーの苦味と生クリームの甘さ、ソースの甘酸っぱさがすごく合っていた。生クリームはあまり得意ではないのだが、これならぱくぱくと食べられる。
交換し合いながら食べると、なくなるのはあっという間だった。
「美味しかったー、このカフェ、結構当たりだったね」
「う、うん、また来たいな」
「結構遠いから、なかなか来れないだろうけどね」
そんな会話をしながら会計を済まし、店の外に出る。
「……今日は付き合ってくれてありがとう。急に誘ってごめんね」
「そこはありがとうだけでいーの! へへ、どういたしまして」
「こ、こっちこそ、ありがとう。元気になって、よかった……」
明日からはもう、バス停に行ってもとらこはいない。ここ二ヶ月はほとんどいなかったけれど……それでも、生きていたのと消えているのでは、全然違うのだ。
もう二度ととらこと会うことはないんだな、と思うと。また少し、涙が出てきそうだった。
帰りの電車では、また三人で並んで座った。涙は、眠ったふりをしてやり過ごした。
学校帰り。
バス停の看板の横に立って、バスを待つ。そういえばもう、あのおじいさんみたいにバスに乗る幽霊がいても、見えないんだな。もしもいたら、その上に乗っちゃったりしないだろうか。幽霊はさわれないし、乗るんじゃなくてすり抜けるけど。
――本当に、静かだな。
辺りをぐるりと見回して、そう思う。視覚からも聴覚からも幽霊や妖怪たちがいなくなって。この普通の世界に慣れるのに、どれくらいかかるんだろう。
バスに揺られること約二十分。一人でただスマホをいじった。
最寄りのバス停で降り、歩き出す。
今日は晴天だった。雲が一つもなくて、透き通ったような青い空。その空を、なんとなく見上げながら歩いていたときだった。
「――あの、すみません」
恥ずかしそうな声は、この前と同じもの。
え、と。思考が止まる。
……いや、とらこがいるわけない。いるわけないんだ。
頭ではそうわかっていたけど、どうしたって期待はしてしまって。
「ちーさん」
――あ、とらこだ。
そう認識した瞬間には振り返って、とらこを抱きしめていた。
とらこはびっくりしたように、腕をばたばた動かす。
「ど、どうしたんですかちーさん!?」
「どうしたのはこっちのセリフ。なんで消えてないの馬鹿。……よかった」
小さく言えば、「すみません」と同じく小さな声で返ってきた。
とらこから体を離して、彼女の顔を見る。説明して、と視線で訴えた。
「あー、その。ちーさんから力を奪うのに、私の残りの力を使い切る寸前まで使ったんですけど」
もごもごと口ごもりながら、とらこは話し始めた。
「ちーさんって、ちぃさまの生まれ変わりじゃないですか。それで、私はちぃさまに仕える妖怪。力の波動というか……それが合っていたみたいで」
それを聞いて、そういえばと思い出す。
私の力はちぃさまの力とほとんど同じ、と以前言っていた。私がとらこに嫌いと言った、あの日に。……そうだ、言ってた。
とらこは昔、ちぃさまの力を借りて、この世界に顕現していたという話だった。……私の力を貸せば、それで済んだの? え、そんな簡単なこと?
「ちぃさまが生きてたころくらい、全回復しちゃいました」
てへ、ととらこは誤魔化すように笑った。
「……最初から、私の力を貸してればよかったってこと?」
「……ですねぇ、たぶん」
「はー……今まで悩んできたのはなんだったの」
こう、一気に体から力が抜けた感じだ。
だって、そんなに簡単な話だとは思わないじゃん。もう手遅れだ、私にはただとらこが消えるのを待つことしかできない、なんて思ってたのに。昨日なんて、もう二度ととらこと会うことはないんだな、ってちょっと泣いたのに。
……恥ずかしい。とても恥ずかしい。いや、心の中で思ってただけだし、誰にも言わなければいいんだよね。恥ずかしがる必要はない。でもやっぱり恥ずかしい。
恥ずかしさに耐え抜いて、ふう、と息をつく。そしてふと疑問に思ったことがあった。
「なんで私、見えるの」
人の姿をしているとはいえ、とらこは妖怪だ。今の私には、見ることはできないはずなのに。
私の問いに、何てことのない顔で答えを返してくる。
「だって、人に化ければ普通の人間にも見えるって言ったじゃないですか。実際、兄のことは皆さん見えていたでしょう?」
「……あ」
「なんて、わたしも兄に言われるまで気づいてなかったんですけど」
とらこは苦笑いする。
そうだった。虎太郎さんは人間にも見える。だから唯ちゃんは、あのときの話し合いを目撃して私に声をかけてくれたのだ。
言いにくそうに、とらこは続けた。
「それで、ですね。あのとき力をほぼ使い切って、この世界にいられなくなって。半強制的に向こうに戻ったんですけど、ちーさんの力がだんだんなじんできてしまって、ですね」
……そりゃあなじむだろう。ほとんどちぃさまの力と同じなんだから。
「こんなの全然予想していなかったので、びっくりしちゃいました」
「私も予想してなかった。こっちこそびっくりだよ」
「びっくりですねぇ」
私たち二人とも……いや、正確には一人と一匹……もうめんどくさい。二人とも、あほみたいだ。
全てが上手くいく方法が身近にあったのに、それにまったく気づかないで。二人とも悩んで、一匹は勝手に決めて、一人は諦めて。
……なんだこのあほな話。
「というか、あんな別れ方しといて、また会うのは恥ずかしいっていうか、その、今ものすごく恥ずかしいです」
私だって恥ずかしいよ。
でもそれは言わないと決めたから、無理やり笑顔を作った。
「じゃあ笑ってあげる」
「……泣いてるじゃないですか」
「嬉し泣きってほんとにできるんだね、初めて知った」
「恥ずかしさに照れも加わりましたよ……!?」
「いっぱい照れて」
「なんの嫌がらせですか!?」
……虎の姿のときから感情豊かだと思っていたけど、人間の姿だとそれが表情にすごく出るな。ころころと大きく変わって、見ていて面白かった。
私がじっと見ていると、何を思ったかとらこはふふんと自慢げな顔をした。わざとらしくツインテールの白い髪の毛をばっと手で払うと、一瞬のうちにそれは黒に変わった。
「ふふふふふ、どうですか? この前は力が残ってなくて無理でしたけど、本当は髪とか目の色も変えられるんですよー」
そう言われて顔を覗き込めば、確かに目も黒い。
美少女なのに変わりはないが、見た目は完全に日本人だ。人ごみの中を歩いていたって、きっと振り返ってまで見る人はほんの数人だろう。
「なんか変な感じ」
むぅ、ととらこは少し頬を膨らませた。期待していた反応と違ったらしい。もっと驚いてみせたほうがよかったんだろうか。
「でもこのほうが目立ちませんから、明日からは黒髪黒目にしますね」
「明日か……」
「明日です」
「明日もいるんだ」
「ふふっ、いますよ」
とらこの笑顔に、心がふわっと軽くなった気がした。
また明日、と言っていいんだ。もう、それを口にできなくなることを怖がらなくていいんだ。
「――おかえり、とらこ」
「……はい、ただいまです」
* * *
学校が終わると、足早にバス停に向かう。
バス停で待つのは、白い奇妙な虎。ではなく、黒くて長い髪をツインテールにした、小さな少女。
「ちーさん」
彼女がこちらに気づいて、私を呼ぶ。
もう返事をするのに、周りを気にする必要はない。
だから私は、彼女の笑顔に。
「おはよう、とらこ」
笑って、こう返すのだ。




