道明
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僕に才能なんてありません。
ただひたすらに、やっているだけです。
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「おっさん、そろそろちゃんと説明してくれ」
枠綿水仙の隠し部屋を出て、枠綿水仙と大猫正義、そして靴谷氷花の三人は「クロ」と別れ、屋敷を隈なく調べるため行動していた。
大猫正義は、正義を体現する者として、悪を罰する立場にある。
しかし、彼は枠綿水仙と既知の仲であり、さらには手を組んでいた。
靴谷氷花も、警察という立場にいながら「クロ」のことを黙認したり、こうして枠綿水仙の案に乗り手を組んだりしているが、それと彼のやっていることは似て非なるものがあるように思えたのだろう。
「自分のことを棚に上げるつもりはねえけどよ、あたしみたいな半端なやつと違って、あんたは間違いなく力を持っている側だろ。そんな人間が、そんな存在が水仙ちゃんと繋がってて良いのかよ」
「ははは、痛いところを突かないでくれよ。僕はね、確かに強い存在ではあるのだけれど、あくまで個人なんだよ。個では群れには勝てない。それにね、僕は生まれながらにしてこうだった訳じゃないんだよ。殺人鬼の彼と違って、ね」
性悪説、性善説。
人は生まれながらにして、という有名な教えであるけれど、大猫正義は後天的に正義を掲げた者である。
それには、もちろんそれ相応のきっかけがあるのだけれど、彼がそのことを語ることはないだろう。
この世の中は、そんなに単純にできていない。
簡単な作りをしている癖に、無駄にわかりづらく、迷惑なほど複雑にできている。
正しい正義も間違った悪もあれば、間違った正義や正しい悪も同様に存在する。
「うふふ、大猫さんが私と組んだことがそんなに不思議なのかしら。丁寧に説明してあげたいところだけれど、今はそんな時間がないわ。殺人鬼君に死に役を任せてしまった以上、私たちは約束以上の結果を出さなくてはなりませんわ」
靴谷氷花は、持たざる者として思考する。
枠綿水仙をどう認識するべきか。
大猫正義をどう定義付けるか。
利害は一致している。
だからこその協力関係である。
それは前提であって、彼女や彼を評価する材料ではいと靴谷氷花は考えている。
目の前にいるのは、何の罪悪感も抱かずに人を殺せる殺人狂と、社会の闇を粛清し続けた正義そのものである。
その両者が、利害を一致させている。
それによって導き出される結果は、何を生み出すのだろうか。
「一先ず、さっさとこの屋敷の探索を終わらせましょうか。大猫さん、戦闘になった場合殺して頂けますよね? この後に及んで不殺なんて言いませんわよね」
「うーん、流石にそこまでの余裕はなさそうだね。それに僕が殺さなくても、水仙さんが殺すんでしょ。それはそれで後味が悪いんでね、自分で背負うさ」
「うふ、重畳ですわ。それが終わり次第、直ぐに会場に向かいましょう。会場には老雨という男が配置されていたはずよ。大した殺し屋ではないけれど、その場に氷花ちゃんの家族がいるというのがネックね。まず間違いなく人質になっていること、最悪一人くらいなら見せしめに殺される可能性はあり過ぎるほどにあるわ」
人の命は、時として紙切れよりも軽くなる。
誰だって自分の命は惜しいものである。
それこそ、命に代えても守りたいものがない限り、殆どの人間は命を惜しむ。
それが普通だし、そうあるべきなのだ。
だからこそ、窮地に立った人間は他人の命を軽んじることができてしまう。
娯楽となればもう言わずもがな、である。
「あの会場はオークションをするための場所なのよ、あなたたちを買うためのね。生き残った者は、晴れて奴隷として売られるという訳ね。余計な反抗ができないように、白塔梢というカードが会場に配置されている辺りが、反吐が出る程に巧妙で狡猾ね。まあ殺人鬼君には効かなさそうだけれどね、うふふ」
「いや、あいつにも効く。あいつと梢の間には厄介な縁があるから、効果はあるだろうよ」
「あら、そうだったの。あの子にもそういう一面があったのね、意外だわ。それはそうと、老雨一人なら大猫さん一人で何とかできるとして、私と氷花ちゃんは人質になっているであろう三人と、おそらくは同じく会場にいる可能性が高いマシロちゃんの救出ね。十秒も掛けられない、理想は老雨に見つかる前に終わらせることだけれど、そんな都合よくいかないだろうから、そこそこの心構えはしておいて頂戴ね、氷花ちゃん」
まるで散歩にでも出かけるかのような気軽さの枠綿水仙だった。
それを余裕ととるか、異常ととるか。
靴谷氷花にはわからない。
殺人鬼の彼から聞いた話によると、「時野舞白」は白塔梢の悲鳴を聞いて駆けて行ったらしいので、彼女もまた《会場》にいると考えて良いはずである。
しかし、靴谷氷花はその可能性に、一抹の不安を抱いてしまう。
自分が、自分たちが除くことができなかった、「時野舞白」が抱える闇が刺激されてしまうことを。
八歳の時にひだまり園に来た彼女が、その後も積み重ね続けた深い闇が、何かとんでもないものに成ってしまう可能性を。
「二人とも、どうやら僕たちは歓迎されるみたいだよ。この先に何人か武装して待っているようだね」
「うふふ、もしかしたら大当たりかもしれないわ」
三人は、立ち止まることなく会敵する。
彼女らが通った後に、生きている者は一人として残らない。
それを良しとしているかは兎も角、結果として皆殺しを実行してみせた。
「手応えの欠片もなかったわね、残念。まあここに人を配置している意味を考えれば、そんな瑣末なことどうでもいいのだけれど、うふふ。さて、この先の部屋に何が隠れているのかしらね」
「水仙ちゃん、あんたマジで何者だよ。今の手際、それこそ殺人鬼と比べても遜色ねぇぞ」
「うふふ、女の秘密は探らないが吉よ。さ、行きましょ」
足元に転がる死体は七つ。
内六つは、枠綿水仙によるものだった。
戦闘体制に入ったのは三人同時だったはずなのに、枠綿水仙は一瞬にして六人を殺してみせた。
大猫正義ですら、彼女と比べてしまえば、出遅れていたことになる。
靴谷氷花に至っては、何もできなかった。
当の本人はそんなこと全く気にしていないようで、早く探索を始めたいといった様子である。
三人は、とある部屋の前に着いた。
それは、枠綿無禅の私室であり、普段誰も入ることを許されていない部屋である。
「この先に人の気配はなさそうではあるけれど、十分に警戒はしておいた方がいいだろうね。水仙さんもあまりはしゃぎ過ぎないようにお願いしますよ」
「うふ、無禅本人がいれば一番いいのだけれど、そう簡単に捕まるわけがないわよねぇ。でもこの部屋にはきっと、面白いものがあると思うのよね。私ですら知らなかったこととかね」
「いいから、早く行くぞ。梢たちだって絶対に安全とは言えねぇんだから、早く助けてやんねえと」
思惑はそれぞれ、しかし足並みは揃っている。
異様なのは、その足元には死が漂っていることだけ。
守りたい。
自由になりたい。
助け出したい。
純粋な願いなのに、それを叶えるには誰かを殺さなければならない。
運命はいつまで彼女たちを弄ぶのだろうか。
運命はいつまで彼女たちを許してくているのだろうか。
三人は、一瞬顔を見合わせ、一気にその部屋の扉を開いた。
「遅えじゃねぇかよ。待ち侘びたぜ?」
また一つ、運命の歯車が歪に噛み合ってしまった。




