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モノクロダイアリー  作者: 忍忍
第一章 双子編
52/71

博労

135

 この世界は美しい点を除いて、全て間違っている。



136

 悪魔と踊るには、魂を捧げなければならない。

 何かを選ばなければ、いけないということである。



「それで、枠綿の全てを壊すために、あたしは何をしたらいい?」



 靴谷氷花は、目の前の悪魔に尋ねる。

 枠綿水仙、悪魔は狂気に顔を歪めて語り出す。



「うふふ、そうね。まず貴方たちの目的と勝利条件を聞いてもいいかしら? それを踏まえた上で、私の目的の達成への過程を組み立てることにするわ」

「勝利条件? んなもん家族全員の救出と、枠綿無禅への報復。そして呑荊棘の解放だな」



 殆ど、反射のようなものだった。

 靴谷氷花にとっての勝利条件とは何か、それを聞かれて彼女が答えたものは、おそらく正解なのだろう。

 しかし、正解だからといって、必ずしも達成できるわけではないのが、人生というものなのだろう。

 この時の彼女はまだ知らないが、既に殻柳優姫は四四咲彼岸によって絶命させられている。



「家族全員、ね。うふ、可愛いわね。枠綿無禅への報復とは具体的に何を指すのかしら」

「あ? あたしとしては殺したくはねぇ。でも、そんなこと言ってられねぇってことも理解してる。だから、その辺は梢に任せるつもりだよ」

「梢、白塔梢ね。あの子には復讐は向いていないでしょうに。まあ殺した方が早いのは確かだし、それ以外に道がないのもまた、確かなことね」



 どんな人生にも、良いことと悪いことが同じだけ訪れるというが、それは不確かである。

 もしそうだというのなら、靴谷氷花は、白塔梢は、「時野舞白」はどうなのだろうか。

 彼女らの人生はまだ続いているが、この先に今までのことを帳消しにできるような幸福が訪れてくれるのだろうか。



 不幸というものは、誰にだって降りかかる。

 しかし、幸福というものは、掴む準備をしている者にしか微笑まないのだ。



「最後に、白塔呑荊棘の解放だけれど、それは研究の全ての抹消という認識であっているかしら」

「概ね、な。こっちの出す条件はそんだけだ。そっちの話をしてくれよ、水仙ちゃん」



 靴谷氷花は、全てを語ることを躊躇った。

 当然といえば当然の対応である。

 手を組んだとはいえ、数刻前まで殺し合いをしていた両者である。

 加えて、枠綿水仙には大猫正義というカードを握られている。



 懐柔される振りはしても、油断はしない。

 もう既に一度負けているのだ、これ以上何かを失うようなことは避けるべきなのだ。



「急かさないで、氷花ちゃん。時間は限られているけれど、無限の可能性の中の一要素でしかないわ」

「訳わかんねぇこと言う暇があんなら、さっさと話せよ」

「うふふ、本当に可愛いわぁ。無禅、あの男が気に掛けるのもわかる気がするわ。あら、そんなに睨まないで頂戴。話すわよ、こちらとしても目的の共有は必須だし、何より貴方たちの協力が欲しいですもの」



 靴谷氷花の脳内では、同時進行でいくつかの思考が進行している。

 白塔梢のこと、「時野舞白」のこと、そして殺人鬼のこと。

 今も尚、自分の後ろで佇んだままの正義の味方のこと。

 そして、おそらく大量に製造されているであろう白塔呑荊棘の人造人間たちのこと。

 それら全てが、どこに着地するのか、どこに着地するべきなのか。



「いいのよ、氷花ちゃん。貴方一人ではそれに答えは出せないでしょ? 貴方は守るものが多いみたいだから、優先順位の低いものは、私が請け負うわ。例えば、家族に含まれていない誰かのことや、人工的な命の処理なんかね。そうね、まず私たちがやるべきは、殺人鬼の彼との合流ね。その次に貴方の家族の回収。枠綿無禅のことや白塔呑荊棘の件はその後でまとめてやりましょう」

「言いたいことはあるが、まあ、それでいい。あたしとしちゃあ、梢と舞白、姫ちゃんの救出が最優先。それはあんたの言う通りだよ。しかし、あの殺人鬼のアホがどこにいるのか、水仙ちゃんはわかんのか? わかったとして、あいつに殺されたりしたら笑えねぇぞ」



 粗はあるが、計画の骨組みができたところで、靴谷氷花は何となく枠綿水仙を煽ってしまった。

 彼女にとっては、癖に近いもので、やられっぱなしが気に食わなかっただけだったのだろうが。

 それでも、その煽り文句は良くなかった。



「うふふ、うふふふふふふふふふふふ」



 まるで、心臓を直接握られているかのような圧。

 殺意だけで、ここまでの圧を感じさせる人間は少ない。

 


(おいおい、これじゃあいつと変わんねぇじゃねぇか)



 枠綿水仙は、何もしていない。

 ただ、靴谷氷花の言葉を受けて、ほんの少し悦んだだけである。

 うふふ、と。

 悦びを味わい、蕩ける寸前まで酔ってしまっただけ、それだけ。



「水仙ちゃんよぉ、なんて顔してんだよ。今すぐ誰でもいいから殺したいって顔してんぞ」

「うふふ、十全にその通り。でも駄目よ、我慢しなくちゃ。ここで暴れても何にもならないわ。うふふ、うふふふ」



 不気味。

 その言葉が、そのまま現象として目の前にある異質さ。

 その気味の悪さに、靴谷氷花の思考は揺らぐ。

 


(こいつとあの殺人鬼を会わせて大丈夫か? その結果にあたしは責任を持てんのか)



「そんな不安そうな顔をしなくてもいいのよ、氷花ちゃん。私がやることの責任は私だけのもの、貴方に横取りする資格はないわ。それは殺人鬼の彼にも言えることよ、貴方は私たちの為に何もできない。何もしなくていいの、私たちのような存在は、忌み嫌われて、避けられて否定されるべきなのよ。うふふ、その程度の悲劇、生まれた時から飽きているのにね」

「••••••」



 人を殺す者は悪なのだろう。

 その理論は理解できるし、きっと正しい。

 


 しかし、それでは駄目なのだ。



 靴谷氷花は、そんな「当たり前」では納得しない。

 誰もが享受する「当たり前」の人生を送ってこなかった彼女には、その言葉を飲み込むことはできない。



「ふざけんな、諦めてんじゃねぇよ。水仙ちゃん、似合ってねぇぞ、悲劇のヒロインなんか今時流行んねえよ。あんたや殺人鬼の殺人を正当化するつもりもねえし、理解したいとも思わねぇ。でもあんたもあいつも、偶々そう生まれてきただけだろうが!! 後天性だか性質だか、難しい話は知らねえ。でもよ、自分が生きるために振るった刃くらい認めてやれよ。じゃねえと、あいつが救われねぇだろうが」

「優しいのね、氷花ちゃん。私が今まで何人殺してきたかわかる? その時私が何を感じて、何を思ったのか、氷花ちゃんはその全てを認めてくれるのかしら?」



 靴谷氷花の言葉は、枠綿水仙には届かない。

 響かない。



「氷花ちゃんの言葉は、素直に嬉しいわ。それは本心よ、滅多にないことだけれど、今は正直に言わせてもらおうかしら。ありがとうね、氷花ちゃん」

「感謝なんかいらねぇよ、あたしはあんたの殺しも、あいつの殺しも間違っているとは思わねぇ。そうするしかなかったのなら、きっとあたしだって殺してる。それに誰かを殺したいって感情も、理解はできる。水仙ちゃんよ、ここを出て何がしたいんだよ」



 聞くつもりはなかった。

 聞いても、はぐらかされるだけだろうと思っていた。

 だから、だからこそ聞いておこうと思ったのかもしれない。



「水仙ちゃん、あんたが身内を皆殺しにしてでも叶えたいことって、一体なんだ?」

「うふふ、何かしらね。動機ははっきりしているのだけれど、私にはどうすればいいのかがまだわからないのよ。だから外に出てみたい、なんて言って納得してくれる?」

「できる訳ねえだろ。でも、嘘じゃねぇとは思った。ちゃんと耳を傾ける価値のある話だった。ありがとう」

「うふふ、誰かにね、認めてもらいたいのよ。私はここにいるって、ここにいていいんだって」



 悪魔は悪い存在である。

 悪意を振り撒き、恐怖や欲望を貪る。

 

 

 しかし、悪魔という存在に生まれた彼女は、悪でいなければならなかっただけで、悪くないのかもしれない。

 誰が、彼女を悪魔にしたのか。

 誰が、彼女を悪魔と呼んだのか。



 全ての始まりが、必ずしも正しい道を示しているとは限らない。

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