饗宴
122
悪に罪はない。
罪が悪を孕んでいるだけだ。
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「なあ、親父。アレを使って何をするつもりなのか、そろそろ俺にも教えてくれよ」
「簡単な話だ。私は使えるものを使っているに過ぎない。いいか、登。この世で最も強い力は、権力なのだ。それさえあれば、他者など、ただの駒として扱えるし、自分のことも守れる。正しいことが強いのではない、強いことこそが正しいのだ。よく覚えておくといい」
「またその話かよ、何度聞いたか分からねえよ。で、結局答えてくれねえのかよ」
「少しは自分で考えてみろ。お前もいつか私の椅子に座るのだ、いつまでも何でも与えてもらうだけでは、何にも為れはしない」
「はぁー、そうかよ。ならここからは俺も勝手に動くぜ。老雨を借りてくから」
その部屋に設置された数台のモニターには、全く目も向けず、二人の男は話している。
一人は、険しい顔をして向かい合う男を睨んでいる。
もう一人は、面倒臭そうに、鬱陶しそうに、億劫そうに話を切り上げようとしている。
枠綿無禅と、その息子の枠綿登。
この二人こそが、今回の件の黒幕であり、最重要人物である。
白塔梢や、白塔呑荊棘の両親が死ぬ理由を「作った」のも彼らであり、殺した上で揉み消し、筋書きを変えた張本人たちなのだ。
そして、白塔呑荊棘や冬藁瓦礫、矢火羽響の三人を殺したのも彼らである。
自分自身の手は決して汚さず、しかし目的のためには手段を選ばない。
それが枠綿無禅のやり方であったし、枠綿登を守っているものでもあった。
「老雨には別の仕事を頼んでいる。お前には四四咲と靴谷氷花を付ける。靴谷氷花は人質にでも使え、殺すことは許さん、あの女にはやって貰うことがあるからな」
「それだよ、そこがわかんねえ。あの女にそこまでの価値があんのか? ただ少し頭がキレるってだけにしか思えねえけど」
「靴谷氷花自身に価値があると言う訳ではない。その血統に価値があるのだ。アレの血統は馬鹿にはできんもので、私やお前にとっては天敵にも成り得るほどのものだ。血自体は相当に薄まっているはずだが、それでも油断は出来ん」
「何のことを言ってんのか、さっぱりだわ。まあ、四四咲の野郎を使っていいなら文句はねえわ。女の方は犯してもいいのか?」
「駄目だ、変な刺激を与えるな。あれは四四咲や殺人鬼なんかよりも希少な存在だ。その約束が守れんのなら、お前に誰かをつけることは許可できん」
小さく舌打ちをして、枠綿登は参ったと両手をヒラヒラと挙げて、全てに従うと言った。
そして、もう用はないと言いたいのかのように、踵を返し、部屋を出ていった。
「靴谷氷花、か。名前を変えたところで、その因果からは逃れられないということか。難儀なものだ、私も、そしてお前もな」
一人になった部屋で、枠綿無禅は呟いた。
それは、憐憫の念を含んだもののように聞こえたが、その言葉を聞くものは誰もいない。
自分に見えているものが、他の誰かに見えるとは限らない。
それは、誰にでも言えることではあるのだが、他人を理解することは酷く難しい。
そもそも理解しようとすること自体、烏滸がましくもあり、無謀なのだ。
理解してほしいとか、わかってほしいというのは、エゴでしかない。
出来ないとわかっていながら、他人にそれを求めている。
しかし、この世の中には、理解を超えた現象が存在する。
殺人鬼が「時野舞白」を見た時に、感じたそれのように。
理解や解釈などではない、「共鳴」や「共振」といった類のものである。
そして、その不思議で奇妙な縁は、殺人鬼と殺人姫と似た縁は、枠綿無禅と靴谷氷花にもあった。
「今はまだ、自覚がないことが救いか。あの娘が覚醒してしまえば、いよいよ殺すしかなくなる。そうなる前に洗脳出来るかが、肝だな。つくづく人生というものは儘ならないものだな」
二人の縁が、一体どのようなものなのか、それはまだ枠綿無禅にしか分からないのだろう。
それでも、その縁が碌なものではないことくらいは、誰にだって予想できる。
二人が面と向かって会ってしまった時、靴谷氷花の中に何が芽生え、何が壊れるのか。
靴谷氷花を知る者が、彼女を高く評価することは、何も珍しくない。
ひだまり園にいた頃も、成人して警察になった後も。
彼女は認められ続けてきた。
殺人鬼と共に仕事をしたことすら、彼女の評価を汚す要因には成り得なかった。
終いには、殺人鬼の彼すら、彼女に一目置いてしまうほどだ。
それが彼女の頑張りや、性格などを理由としていれば、どれだけよかったことか。
四四咲咲百合の目についたところまでは、まだただの不運や不幸で片付けられるし、靴谷氷花一人でなんとかしてみせたかもしれないのに。
彼女の異質で異端なところは、そこで収まらなかったところにあるのかもしれない。
枠綿無禅に見つかってしまい、無自覚のままその「才能」を覚醒へと導いてしまったこと。
それがなければ、今彼女はこんなところにはいなかっただろうし、白塔梢を九州に送り出すことすらなかったはずである。
異常で異質で、異端な者たちが集った宴は、その歪な歯車をぶつけ合い、削りあって、殺し合いながら廻る。
次の犠牲は誰だろうか。
誰が殺し、誰が死ぬ。
殺人鬼は嗤い、殺人姫は踊り、復讐者は誓い、人造人間は願い、正義の味方は潜み、そして靴谷氷花は何を成すのだろうか。
「失礼致します。枠綿様、靴谷氷花と大猫正義を見失いました。この敷地からは出ていませんが、一度身を潜めることにしたようです」
静かに目を閉じ、想いに耽っていた枠綿無禅に、声を掛ける者がいた。
先程、枠綿登との会話で上がっていた四四咲彼岸本人である。
「お前の態度から察するに、そこまで重大な事態ではないのだろう? 対応は任せる、女は殺すなよ」
「仰せのままに」
刹那、四四咲彼岸は姿を消した。
枠綿無禅に仕えている彼のことを正しく認識している者は、実を言うと、そう多くはない。
四四咲彼岸。
警視正である、四四咲咲百合の息子であり、枠綿無禅が幼少期から預かり育ててきた人間である。
表舞台に出ることは、一切ないが、それでも枠綿無禅の右腕と言ってもいい程に信頼されており、実際大きな仕事の殆どは、彼が担っている。
仕事といっても、それは暗殺の類ではあるのだけれど。
殺しのエキスパート。
言葉や文字にしてしまうと、その存在は一気に安価に成り下がってしまいそうではあるけれど、彼の場合、そんなことは気にもしないだろう。
幼少期から、人の殺し方、壊し方を叩き込まれた。
四四咲彼岸が初めて人を殺めたのは、六歳の時だった。
相手は、共に枠綿家の屋敷に迎えられていた少女だった。
以来、彼は定期的に人を殺すようになる。
まるでそうすることが、当然かのように。
大人になって、ある程度自制出来るようになったようではあるが、それまでの彼は仕事で人を殺せないことが続くと、屋敷にいる使用人に手をかけていた。
殺さなければ、自分を保つことができない。
その存在の在り方は、とある少年に似ているのかもしれない。
自らを殺人鬼と称する、彼と。
しかし、それはただ似ているだけである。
酷似しているだけで、同一ではない。
殺人鬼たる彼と、同じであるのは彼女のみである。
では、四四咲彼岸は何者になるのだろうか。
殺人鬼と変わらない殺意を抱え込んで、殺しの技術に関しては、殺人鬼の彼をも凌駕している彼を、この世界はどう表現するべきだろうか。
殺人鬼である彼と、四四咲彼岸の違いは一体どこにあるのだろうか。
その答えはシンプルかつ、強大な一点のみである。
殺人鬼は、生まれながらにしてそうである。
後天的に成る場合もあるが、その場合も、潜在的に可能性を有していなければ、殺人鬼に成ることはない。
成ったとしても、せいぜい殺人狂程度である。
対して、四四咲彼岸は人工的に造られた殺人鬼である。
本物と偽物がどうとかを、ここで論じるつもりはないが、つまりはそういうことである。
殺し合いになった時、彼らのどちらが生き残るのかは、予測すら立てられない。
姿を消した大猫正義と靴谷氷花がどこにいて、何を企んでいるのかはまだ明らかになってはいないが、二人の元に向かっていった男は、決して油断していい相手ではないのだ。
この場所では、いとも簡単に人が死ぬ。
殺される前に殺せ。
そうしなければ、自分を守ることすらできないからである。
そして、この瞬間にもまた、誰かの命が何の価値も意味もなく散った。
それは誰のものだったか。
天衣無縫の殺人鬼の少年か。
清廉潔白の殺人姫の少女か。
復讐に囚われてしまった彼女か。
人造人間の彼女か。
人質だった彼女か。
正義を掲げる彼か。
それとも、異質で異端な彼女か。
白塔梢の復讐は、またしても誰かを欠くことになる。
全員で生きて帰ることは、もう叶わない。
それでも、彼女は復讐を望むのだろう。
前に進むのだろう。
それこそが、復讐に囚われた憐れな者の歩みなのだ。
嗤え、踊れ、唄って呪って、殺してしまえ。
宴に遠慮はいらない。殺人に手加減は相応しくない。




