覚悟
120
一人でいいなんて言ってない。
一人がいいなんて言ってない。
121
殺人鬼と殺人姫は闘っている。
老雨老虎が言っていた通り、二人の元には数え切れないほどの刺客が訪ねて来ていた。
半分は殺人鬼によって、その命の全てを刈り取られている。
そして、もう半分は殺人姫によって、立ち上がることすらできない程に身体を破壊されている。
二人がこの部屋に入ってきて、既に一時間半が経とうとしていた。
本来、普通の人間が一時間以上戦闘を続けたとして、体力的にも精神的にも到底耐えられないものなのだが、そこは流石は殺人鬼に殺人姫といったところである。
二人は息切れすらしておらず、ただ淡々と単純な作業を繰り返すように戦闘に身を投じていた。
戦闘、つまりは殺し合いである。
二人にとっては大したことではないのだろうが、その光景をモニター越しに観ていた者は皆、同様に戦慄していた。
二人の何が異常なのか挙げ始めるとキリがないのだが、この場において群を抜いて異常な点が一つある。
それは、躊躇いの無さである。
その部屋で、戦闘という名の殺戮劇が始まった瞬間、二人は瞬時に部屋に入ってきた数人の刺客を処理したのだ。
驚くべきはその技術でもなく、その部屋を埋め尽くした殺意の濃さなどでもなく、敵を認識した瞬間の二人の反応にあった。
二人の間に会話らしいものはなかった。
ただ、そんなものを必要としていないことがわかる程に、二人の呼吸は合っていた。
阿吽の呼吸というやつなのだろう。
殺意や殺気による絆が二人の間には、確かにあるのだろう。
「ふー、今どのくらい経ってんのかねぇ」
「クロ、何か怒ってる?」
「ん? 別に?」
「そっか、ならいい」
ひとしきり刺客を処理した二人に、束の間の時間が生まれた。
二人の足元に転がる彼らを気にする様子もなく、二人はようやく互いに口を開いた。
「シロもいろいろあったみたいじゃん、大猫っつー胡散臭い正義の味方に聞いたよ」
「こずえ姉のこと、守ってあげられなかった」
「まだ死んでねぇ、だろ?」
「うん、でも怖い思いをさせてしまった」
白塔梢を守れなかったと嘆く「シロ」が、白塔梢を危険に晒してしまった「シロ」が、そして、また理不尽に手の届くところで誰かを殺された「シロ」が、この場において未だに誰も殺していないことに殺人鬼は少し懸念を抱いていた。
これまでよりも更に濃く、深く、その小さな身体に殺意を溜めているのではないか、と。
殺人鬼の彼を以ってしても、それが何を示唆しているのか、何を意味するのか、わからないのだろう。
「殺すな」と言った手前、それを責めるつもりはないのだろうが、その一線を超えてもおかしくない程の経験をしたと、殺人鬼はあの正義の味方に聞いていた。
殺意によって行動し、殺意を以って縁を結ぶ。
それ以上でも以下でもない殺人鬼に、その先はないものだと思っていた。
「この先に、お姉さんがいるなら迷うなよ。命の選択をミスったら、守りたいもんは守れねぇ」
「うん、大丈夫。私は私の家族以外を助けるつもりはない、よ」
「無茶はすんなよ」
「ん、ありがとう」
二人の会話を気遣っていたのか、ただの偶然かはわからないが、二人の会話がひと段落ついたと同時に、再び刺客が投入された。
その数はわずか十人。
これまで処理してきた数から比べても、大したことはなかった。
「彼女ら」は慣れない手付きで、それぞれ粗悪なナイフを握らされていた。
二人は、動けなかった。
二人は、動かなかった。
ただじっと、「彼女ら」を見据えて、立っていた。
「彼女ら」の背後にいる誰かを思って、睨んでいたのかもしれない。
殺人鬼は嗤う。
殺人姫は憤る。
それぞれの感情を、隠す素振りなど一切なかった。
殺人鬼は堰を切ったように声を上げて嗤い出した。
殺人姫は目の前にいる理不尽を、目に刻み込まんとしているかの如く、瞳を紅く光らせ、睨み続けている。
「くははははははははは!! そうかよ、とことんやってくれるじゃねぇか、流石の俺も我慢の限界があるってのに。約束してんだよこっちは、任されてんだよ。くは、くははははは」
「••••••っ」
それは殺人鬼にとって、約束を交わした相手であり、改めて自分の手で殺した相手でもある。
それは殺人姫にとって、偉大な姉であり、もう二度と会えないはずの相手だった。
しかし、そんな事情を全て無視するかのように、彼女らはそれぞれ一歩前へと足を進めた。
何かに操られているかのように、そして何も感じていないかのように。
その光景が、二人の感情をさらに逆撫でる。
普段は飄々と構えている「クロ」も、冷静で表情を崩すことの少ない「シロ」も。
もう既に隠すことも、誤魔化すことも辞めてしまった二人から漏れ出ている殺意は、常人であれば失神してしまっていたかもしれない。
しかし、「彼女ら」はお構いなしに距離を詰めてくる。
危険を察知する本能を根こそぎ剥ぎ取られているのかもしれない。
そもそも「彼女ら」を、常人と並べて考えること自体、間違っていたのかもしれない。
「彼女ら」は製作者曰く、機械のようなものらしいのだ。
「シロ、お前は下がってな。こういうのを相手にするのはまだキツイだろ。ここからは俺一人でやる。どうせ十人じゃ終わってくれないんだろうし、この先のためにも今は温存しときな」
「嫌だ。のばら姉の妹として、ここは逃げちゃ駄目だと思う。私もやらなきゃ、ううん、私がやらなきゃ」
「ったく、だったら躊躇だけはするなよ。無駄に痛めつけたりしたくないだろ」
「うん、わかってる」
そして戦闘は始まる。
十人対二人の戦闘、それらの実力差は見るまでもないのだろうが、これはただの余興に過ぎないのだ。
ただただ一方的な殲滅戦。
殺人鬼と殺人姫に対するは、戦闘能力を持たない人造人間たち。
斯くして、二人は再度戦闘態勢に入る。
これまで以上に苛烈に、激烈に、鮮烈に殺意をばら撒いて。
最初に動いたのは、殺人鬼だった。
彼は、あくまでもいつも通りに、ナイフを取り出し、一撃で相手を殺すためにその手を振り抜いた。
もちろん、その相手に殺人鬼のナイフを避ける技術などない訳で、呆気なくその身体に宿った命の権利を剥奪されていた。
一人、また一人と彼は殺していく。
目にも止まらぬ速さで、間断なく。
まるで、「シロ」の手が汚れることを拒絶したいかのように痛々しく。
彼の手が六人目の命を刈り取った時、殺人姫もようやく動き出した。
それは、彼が最初の一人に切り掛かってから、二秒後のことだった。
たったの二秒。
その僅かな時間の間に、姉の顔をした彼女らは六回殺されている。
自分の手で殺すと言い張った癖に、一歩目を躊躇ったのかもしれない。
それを責める権利など、誰にもないはずである。
強いて言うのであれば、殺された彼女たちの中にいたかもしれない白塔呑荊棘くらいなのかもしれない。
「私がっ、やらなきゃ」
力強く地面を蹴り、一瞬で彼女らの中の一人の眼前まで踏み込む。
基本的に武器を携帯せず、素手で闘う彼女が一撃で相手を殺傷するためには、力の限り、心臓目がけて拳を突き出すのが一番手っ取り早く、彼女も合理的かつ本能的にそうしようとした。
したけれど、一瞬躊躇ってしまった。
「嫌だ、死にたくない••••••」
目の前の誰かの声が、彼女の、殺人姫の、「シロ」の耳に届いてしまった。
そうなると、彼女にできることはもうほとんど残されていないのだ。
目に涙を浮かべ、ナイフを持つ手を小さく振るわせた誰かを、姉の姿を模しただけの人造人間を、彼女は殺すことができない。
「くっ、どうして動かない? 私の体でしょ、動いてよっ! 殺さなきゃいけないのに」
拳を握りしめたその手を、真っ直ぐ力の限り突き出すだけで、殺せる。
しかし、それだけのことが彼女にはできなかった。
「シロ、もういいよ。お前はそれでいい」
彼女の肩に優しく手が触れる。
殺人鬼のものとは思えないほどに、愛に溢れていて、大切なものを壊さないようにそっと乗せられたその手は、彼女の焦りをほんの少し緩和させた。
そして次の瞬間には、彼女の目の前の命は断ち切られていた。
可能な限り苦痛を与えず、斬られたことにさえ気付けない程に速く、それは行われた。
「クロ、ごめん」
「ん、いいよ」
憔悴した様子の彼女が周りを見渡すと、部屋の中で立っているのは二人だけだった。
何もしていないのに、何も出来なかったのに。
大事なことを、大切なことを全て任せてしまった、その事実が彼女を更に追い詰める。
「シロ、何度でも言う。それでいい、気にすんな。お前は、殺すために力をつけた訳じゃねぇだろ。だから大丈夫、お前はまだここにいる」
「うん、うん、ありがとう」
もしここで、彼女が一線を超えていたらこの先の物語は、ほんの少しだけ傾いていたかもしれない。
変えられた運命が二つくらいあったかもしれない。
しかし、その様子を観ている者たちにとっては、些細なことでしかなく、どうでもいいことなのだ。
家族のために闘うことも。
友のために闘うことも。
正義のために闘うことも。
モニターに映るその様子を、それぞれ好き勝手言いながら観戦している。
そんな悍ましい存在が、平然と生きている。
何も失わずに、何でも奪えると信じて。
「どこまで下衆なのよ、枠綿無禅もここにいるやつらも」
「姫ちゃん、姫ちゃんはどこまで知っているの? 私と呑荊棘がしたことや、私のお父さんやお母さんのことは知ってるの?」
もちろんその部屋の端には、白塔梢と殻柳優姫、そしてアイの三人もいる。
悍ましき、自覚なき悪意に晒されながらも、互いを守り合うように立っている。
枠綿無禅が仕掛ける宴は、まだ終わらない。
幾つもの命が、粗雑に消えたことも。
決意と覚悟を、踏み躙られたことも。
記憶の中の誰かに、縋ってしまったことも。
正義の為に、救える命を見捨てたことも。
全てはまだどこにも辿り着けていない。




