行方
111
違うのです。
貴方でなければならない理由など、ないのです。
112
「なるほど、凄まじいね。彼の技術は既に至高の領域と言ってもいいかもしれないね。僕たちがこういう状況になければ、素直に賞賛の拍手を彼に贈っていたところだよ」
「クロが負けるところは、私にも想像がつきません。でも真冬さんと真夏さんが••••••」
「そうだね、残念ながら。しかし、彼女たちを憐れむ権利は誰にもない。自分の意志であの場に立ったのだから、それに口を出すようなことを、僕たちだけはしないでおこう」
「••••••はい」
二人の視線の先には、一台のモニター。
そして、モニターに映し出されるのは、もう二度と動くことのないであろう彼女たちだった。
「シロ」は、目的のために手段を選ぶつもりはないが、それでも縁のできた者が死ぬのを黙って見ているだけというのは、どこかやるせない気持ちになってしまう。
殺し合いから始まった縁だったけれど。
それでも、それでも死んでほしくなかったのだろう。
静かに、部屋の扉が開かれる。
そこには、老雨老虎が立っていた。
「次の挑戦者は誰だ。次はもう少し盛り上げてくれ」
冷徹に、冷酷に、そして冷静に。
老雨老虎は、部屋の中で佇む二人を見ながら、問いかける。
問われた二人は、話し合う素振りも見せず、一瞬で応じた。
「次は僕が行こう。若い子たちばかりが頑張っているんだ、僕もいいところ見せないとね」
「では、ついて来い」
大猫正義の軽口に応える者はいなかった。
「シロ」は少し申し訳なさそうに、目を伏せている。
老雨老虎は、既に二人には背を向けており、部屋から出ようとしていた。
慌てることなく、あくまで自分の足で、その後を大猫正義はついて行った。
遂に、部屋には一人きりとなった「シロ」は、もう一度モニターに視線を戻す。
人は死んでしまえば、それで終わり。
どれだけ善人だろうが、どれだけ悪人だろうが。
死んで、モノになってしまえば何もできない。
では、死んだ二人は何も残せなかっただろうか。
否、そんなことはない。
彼女らが、何を想いあの場に立っていたかなど、本人たち以外にはわかる道理はないのだけれど、それでもその意志を尊重することくらいはできるのかもしれない。
正しくなかったとしても、目的を果たせなかったとしても、死んでしまったのだとしても。
彼女らが、あの場で成し得たかったことは、敵を殺すことじゃないのだ。
それはきっと、「シロ」や大猫正義には伝わっているのだろう。
彼女らは、「シロ」のために、そして自分たちのために闘っていたのだろうから。
「真冬さん、真夏さん。私がこんなことを言うと怒られそうだけれど、言わせてください。••••••ありがとうございます」
「シロ」は俯くのをやめ、真っ直ぐモニターを見つめる。
彼女の目に、涙はない。
失ったことを嘆くことは、きっと誰にでもできるのだろう。
しかし彼女はそれができなかった。
父親を、母親を、姉を、弟を殺された時も。
取り乱しはしても、それを悲しみ泣くことはできなかった。
ひだまり園の家族の死を知った時も。
怒り、恨みはしても、それを憐れみ泣くことはできなかった。
白塔梢の死体を見つけた時も。
理性が吹き飛ぶほどに狂っていたとしても、涙は流れなかった。
そのことを、「シロ」は、「時野舞白」はずっと恥じていた。
大切なもののために、泣くことができない自分を呪った。
否定して、非難して、忌避して、嫌悪して、拒絶し続けた。
それが、あの日から「シロ」の、「時野舞白」の中に棲み続けた想いなのだ。
濁り、澱み、沈み、重く溜まり続けたその想いは、彼女の心をこれ以上ないくらいに壊し続けている。
それでも、彼女が強くあろうとするのは、一体何の為なのか。
それでも、彼女が優しくあろうとするのは、一体誰の為なのか。
そして、誰かのために闘う者同士が対峙する。
一人は、友のために殺す殺人鬼。
一人は、人々のために闘うヒーロー。
似ても似つかぬ二人が、植物園の中で睨み合う。
「君は殺人鬼なんだって?」
「あ?」
「そう怖い顔をしないでくれ。別にだからどうと言うことはないんだ」
「何だお前?こっち側の人間じゃねぇな」
「そうだね、君たち側ではないね。似たようなものではあるんだけれどね」
「••••••」
「さっきの二人を殺した時、何を思った?」
「••••••別に、何も」
睨み合う二人は、淡々と話す。
「君は何故ここにいる?」
「教える義理はない」
「僕は正義の味方なんてことを生業にしている」
「••••••へぇ、正義ねぇ」
「僕と協力しないかい?」
「くはは、お前殺人鬼に協力させて、誰か殺したいやつでもいんのかい?」
正義の味方は両手を広げ、彼を勧誘した。
殺人鬼はナイフを構えて、彼を挑発する。
何かを守る者は強い。
それが何であろうと、そこに意志があれば、人は強くなれる。
例え、悪だろうと善だろうと。
血に染まったナイフも、血に塗れた拳も。
両者は、本能的に呼吸を合わせる。
阿吽の呼吸とでも言えば良いのかもしれない。
初めて会ったはずの二人は、その二人きりの空間ではっきりと自覚する。
同格の相手であることを。
「僕は特定の獲物を持たない主義でね。専ら素手派なんだよ」
「あっそ、俺も倣ってやろうか?」
「好きにしてもらって構わないよ、僕は君を殺さない」
「あ?」
「だから安心して殺しに来るといい、君の命の保障は約束しよう」
「くはは、いいねぇ。俺はお前を殺すが、構わないんだよな?」
刹那、「クロ」の姿が消える。
そして、大猫正義の間合いの内側、胸元に潜り込み、右手に握ったナイフを力一杯突き立てんとする。
それは、例え「シロ」でさえ避けれたかは分からないほどの速度で、技術だった。
しかし、大猫正義は「クロ」の右手を難なく掴み、無傷のまま彼と目を合わせる。
「なるほど、やはり似ているね。一度見ていなければ、流石に止められなかったかもしれないね」
「余裕かまして、一人で納得してんじゃねぇよ」
「シロという殺人鬼に成り損ねた女の子を知っているかい?」
「っ!!」
大猫正義は、「クロ」が一瞬力んだのを見逃さない。
掴んでいた右手を離し、そのまま「クロ」の頭に回し蹴りをお見舞いする、はずだった。
大猫正義の左足は、空振りをしたわけはなかった。
しっかりと、他に表現のしようもないくらいに完璧に、「クロ」に防がれていた。
戦闘能力において、この二人はほとんど同格にあると言っていい。
「やるね、これは長引きそうだね」
「すげえ業腹だが、同感だね」
「少し、話しながら闘おうか」
「好きにしろよ」
有言実行。
二人は、常人が理解できないほどの攻防を繰り返しながら、誰にも聞かれることなく、会話を続ける。
「まず君に聞いてほしいのだけれど、僕や先程の双子は枠綿側の人間じゃないよ」
「それを信じる理由がねえ」
「それもそうだね、ではこれはどうかな?」
「ん?」
「僕たちは、大分県でシロくんに出会い、攫われた白塔梢さんを追いかけてこのゲームに参加している」
「••••••、まだだな」
「僕はシロくんを殺人鬼にしたくないんだよ」
「••••••」
会話は続き、攻防も続く。
それは永遠に続くように思われた。
しかし、それは徐々に激しさを失っていく。
速度が失われ、殺意と闘気が緩和されていく。
そして、二人は最初に睨み合っていた場所で、再び対峙した。
「このゲームは、僕たちが潰し合うように仕組まれている。先程の殺し合い、僕とシロくんは実験場の一室でモニターを通して見ていたんだよ。彼女は死を受け止めるには、優しすぎる」
「••••••チッ、わかったわかった。俺の負けでいい、信用してやる」
「決め手は?」
「あ?今度はそっちが見定めるってわけかよ」
「一応、ね」
「あいつをシロと呼んだからだ。それは俺が呼ぶか、あいつが自分で名乗らねぇ限り知り得ないもんだからな」
「なるほどね、コミュニティの狭い殺人鬼ならではの保険ってやつかな?」
「馬鹿にしてんのか?」
「いやいや、感心しているんだよ。これまで通り、君がただの一匹の殺人鬼だったのなら、そんなことは絶対にしていないだろうからね」
「俺の何を知ってんだよ、うざってぇな」
苛立ちを露わにしながら、「クロ」はその場に座り込んだ。
対する大猫正義は、そこに追撃を与えることもせず、ただ見守るように立っていた。
「クロ」にとって、この闘いはすでに完結していた。
残すのは、どう後始末をつけるのか。
どのように「見せる」べきかの思考だった。
どちらかが死ぬまで終わらない。それが条件である限り、このままでは何も進展しない。
そして、「クロ」自身、死ぬつもりなど毛ほどもない。
同様に、目の前の正義の味方とやらを殺す気も、今となっては失せてしまっている。
大猫正義にとって、この戦いはまだ終わっていない。
見られているということを考えれば、今の状況はかなり良くない。
それに、このゲームに参加させられている人間を正確に把握できていないことが、彼を更に悩ませる。
どちらかが死ぬまで次のステージへ進めない。しかし、死ぬのは全てこちら側に人間に限られている。
これ以上の犠牲は出せない。
それはもちろん、殺人鬼と言えど。
「情報交換といこうか」
「そうだな、いつまでも後手に回ってたら、殺せるもんも殺せねぇ」
そう言って、「クロ」はゆらりと立ち上がる。
今度は両手にナイフを握っていた。
直後、重たい纏わり付くような気配が大猫正義を包む。
「先程よりも、余程本気の殺意じゃないか?」
「どうせ、趣味の悪い観客がいるんだろ?なら盛り上げてやんねぇと」
「ふっ、君はお人好しだね」
「ああ、知ってるよ」
数刻前の攻防よりも遥かに激しく、本気で相手の命を獲りにいかんとする殺人鬼。
数刻前の攻防よりも僅かに優しく、防御に徹する形をとった正義の味方。
二人の間で、その時どんなやり取りがあったのか、それは最早誰にも分からない。
もしかしたら、会話なんてしていなかったのかもしれない。
兎も角、二人の戦闘は三分ほど続いた後、突如として終わる。
激しい土煙をあげて、まるで爆発でも起きたかのように。
周囲の植物たちは、もう殆ど原形を留めていない。
土煙が晴れる。
そこには殺人鬼も正義の味方も、誰もいなかった。




