始動
64
失敗も成功もどうでもいいよね。
どうせ最後は、死ぬんだからさ。
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「ひょうか姉、今のってもしかして例の殺人鬼の子?本当に手伝ってもらうの?あんまりいい選択とは思えないんだよ」
「いいんだよ、と言うよりあいつくらいしか頼る相手がいねぇ。こういう展開において、あいつほど力を発揮できるキャラクターもそうそういねぇだろ。あくまであたしらの護衛としてだよ、あいつを嗾けるようなことはしないさ。それにどうやら、こっちが二手に分かれても問題ないっつってたから、あいつも誰かと行動してるってことだろうし、私らとしては予定通り動けるってことだ。幸先いいな、こりゃ」
幸先どころか、一寸先は闇としか言えない状況にありながらも、靴谷氷花のメンタルは崩れない。
何が彼女を支えているのか、その答えは単純で簡単なものだけれど、それがそれほどの力を秘めていて、どれほど彼女の視野を狭めているのか、答え合わせの瞬間はすぐそこまで近づいている。
「梢、お前とあの殺人鬼の間にある因縁というか、変な距離感はどういうもんなんだよ。聞いてる限り、物騒なもんではないとは思うんだけれど、その契約やら約束やらのせいなのか?この場合は、それらのおかげっていう方が正しいのか?」
「むー、私も実は詳しく内容を知っているわけじゃないんだけれど、五年前呑荊棘と偽恋さんが、それぞれあの子にお願いしたらしいんだよ。私に近づかないことを誓わせたってのは確かなことだと思うんだけれど、実はそれも、あの子の口から事後報告みたいな形でしか聞いていないから、実際どういうやりとりがあったのかは知らないんだよ」
「ふーん、なるほどねぇ。ま、いいや。そういうもんは成るようにしか成らんだろうし、あたしがとやかく言うことじゃなさそうだ。あの馬鹿も、無闇に梢に近づくことはしなさそうだし、あたしとしちゃあ、梢の安全が少しでも保証されんならそれでいいや。さて、そろそろ本格的にこれからのことの最終確認でもしとくかぁ。昨日の夜話した通り、あたしはこのまま福岡市を目指して熊本県を経由して宮崎県に入る。梢、お前はこのまま北九州市で護衛の人間と合流次第、大分県を通るルートで宮崎県を目指しな。合流地点はもう向こうに送ってあるから、そんなに待つことはないはず」
「う、うん。わかったんだよ。そのルートでそれぞれが行動していくと、私の方が早く現地に到着するはずだから、拠点にできそうな場所の候補を探しておけばいいんだよね?」
「おう、よくできました。くれぐれも無茶すんなよ。お前が何の名残で続けてるかは知らねぇが、そのお粗末な護身術が通用するような素人は、この先出てきてはくれねぇからな」
「えぇ?なんで知ってるの?」
「歩き方と呼吸、後は立ち姿だな。細かく見れば他にもあるが、確かに今の梢ならその辺の男にすら余裕で勝てるだろうよ。でもあくまで、そのレベルまでだ。本職のヤツらには絶対に立ち向かうな」
力を持つものは、その使い方をよく考えなければならない。
力を持つものは、無闇にその力をひけらかしてはならない。
なぜなら、この世界はとても脆く弱いから。
どれだけ優れた才能を持っていようと、どれだけ類稀なる資質を持っていようと、その他大勢の非才な集団に認められなければ、生物として負けてしまうのだ。
それが、唯一無二の殺人鬼であっても。
「お?来た来た。白塔のお姉さんはこの先の港で待ってるらしい、シロにとっては感動の再会にできないのがもどかしいってとこか?くはは、そう睨むなって、別に憐れむ気はねぇよ。むしろ、期待してるって感じだなぁこりゃ。シロはこういう時のために、俺なんかと一緒にいたんだろ?鍛えて鍛えて戦って戦って、そんなクソみたいな世界に足を踏み入れてまで守りたかったもんが、あるんだろ?なら、全部守ってこい」
「ん、ありがと。でも、このお面だけは絶対に許さない。何でこれなの?」
「くはは、いいじゃねぇか。道中たまたま見つけたから買っておいてよかったぜ。似合ってるって、自信持ちなぁ。どの道、顔を見せるつもりはねぇんだろ?なら別にいいじゃねぇか、お面が少しばかり尖っててもよ」
シロの手には、黒地の般若のお面が握られていた。
しかも、それは土産屋などに置いてある安いものではなく、かなり本格的な木彫りのお面だった。殺人鬼は嫌なところでユーモアを効かせる性格のようだった。
「私、これからこれ着けてこずえ姉と行動するの?まあ、他に変装できるものとか無いし、着けるけどさ。この借りは大きいからね、クロ」
そう言って膨れる彼女は、どこから見ても普通の女の子だった。悲しいほどに、そう見えてしまった。
彼女はもう、普通には生きていけないのだ。
自身の体の中から溢れ出てくる殺意を、定期的に発散しなければ、いつか本当に人を殺してしまう。
その日が来てしまえば、彼女がこれまで抑え込んできたもの全てが崩壊するだろう。それがどんな結末を描くのかは想像したくもないが、確実に言えることは、その時彼女を守ってくれるものはこの世に存在しないと言うことだ。
もしかしたら、彼女と最も近い性質を持つ殺人鬼が、その役を買って出てくれるかもしれないが、それは何の解決にもならないし、寧ろ事態の悪化に繋がるだろう。
殺人鬼と時野舞白の間には、切っても切れない絆があったが、それは一般的には、認めてはならないものである。
殺人鬼が「シロ」と呼ぶ殺人姫と、殺人姫が「クロ」と呼ぶ殺人鬼の関係は、どこまで行っても破綻している。
「まあ、とりあえず今回は殺す殺さないは後回しと言いたいとこだが。シロ、殺すな。その一線だけは越えるな、二度と戻れなくなる。一通りの戦闘術と我流の殺人術を叩き込んできた俺が言うのも変な感じだけどよ、殺すしかないような相手に遭遇したら、何に代えても逃げろ。俺が代われる場面なら幾らでも代わってやる、そんな状況にねぇなら、とにかく逃げろ。お姉さん一人抱えて逃げるのは骨が折れるだろうが、シロが失うもんに比べたら、大したことのねぇ難易度だろ」
運命というものが、どれだけ気まぐれに彼女らを弄ぼうと、殺人姫のやることは変わらない。
守りたいものを守るだけ、守ると決めたものを最後まで。
「っと、確かこの辺だったよな。いやぁここまで普通に運転してきたけどよ、何気に初めてにしちゃ上々だったろ?お、あそこにいるのがお姉さんじゃねぇの?ほら、行ってこいよ。お面忘れんなよ、くはは」
「シロ」が車を降りる際、もちろん一悶着あった。
車の運転が初めてだということに女の子が驚いたり、お面を被るのを嫌がる女の子に男の子が無理やり被せたり、と。
そんなことで、注目を浴びるようなヘマはしない二人ではあるが、こういうちょっとしたことで全てを台無しにできるのが、この二人である。殺人鬼と殺人姫。
「もういい、行ってくる。クロもひょうか姉のことお願いね。また宮崎で会おうね」
彼女はもう振り返らない。
それは相棒である殺人鬼を信頼しているからだろうか、それともこの先、そんな余裕を感じている暇などないと思っているからだろうか。
彼女はもう振り返らない。
もうそこには誰もいないけれど、それでも先程までいた誰かに願いを託して。
66
「あ、あの、何か用でしょうか?」
白塔梢はかつてない程、自身の危機を感じていた。
当然である。人を待っていたとはいえ、現在の彼女は敵地に丸腰で立っているようなものである。
それなりの警戒はしていたし、必要以上に周りに目をやっていた。
しかし、それは音も立てず、気が付くとそこにいた。
全身を黒一色の服で身を包み、顔があるべきところには、かなり本格的な般若のお面。
どんな状況においても遭遇したくない相手だろう。
「えっと、あの、私のこと見てますでしょうか?」
もう、声すら震えていた。
獅子たちに囲まれた兎のような怯えぶりだった。
ーーコクン。
般若のお面が小さく頷き、ゆっくりと白塔梢を指差した。
「も、もしかして、私のこと守ってくれるっていう?ど、どど、どうしよう。ひょうか姉の判断を疑うつもりはないけれど、これはちょっと私には荷が重いんだよぉ」
ーーコクン。
(クロ、次会ったら絶対蹴ってやる。こずえ姉、変わってないなぁ、よかった。それにしても今回の件、きっとこずえ姉が狙われる。クロに聞いた話から考えても、刺客の数は圧倒的にこずえ姉の方に傾いてる)
「ええっと、よ、よろしくお願いしますなんだよ。これからの予定は把握してますか?宮崎県に向かうんですけど、私たちは大分県を経由して行きます。そしてそこから拠点探しです、だ、大丈夫でしょうか?」
下手すると、殺し屋や殺人鬼と対面した時よりも怯える白塔梢だった。
対する「シロ」も似たようなもので、年上の顔見知りに、もっと言えば姉と言える存在に、敬語を使われるほどに怯えられるという居心地の悪い体験をしていた。
こうして対面してしまった以上、このまま同行するしかないのだけれど、流石にこの流れで移動を始めるのは少々まずい。というか、不審すぎる。
一見普通の成人女性と、それに連れ添う般若のお面をした黒尽くめの何か。こんなもの誰だって関わり合いを持ちたくないだろうし、最悪通報されかねない。
「移動はどうしましょうか?ひょうか姉は電車でも使えって言ってたけれど、流石にそれはちょっと難しいというか、正直避けたいと言いますか。だ、だから車を借りて行くしかないかなって思うんですが、どうでしょうか?」
ーーコクン。
自ら強いた枷とはいえ、会話が成立しているか怪しいこの状況に、早くもお面を外そうか本気で迷う殺人姫。
その沈黙すら、白塔梢にとって威圧されているように思えてしまうのだけれど、そんなことはもう二人にはどうすることもできない。
他人との初対面において、外見というのはかなり大事な要素と言える。
顔から見る人もいるだろうし、足元や服装、手先から見る人もいるだろう。どこを重要視するかは兎も角として、人は人を見た目で拠る生き物なのだ。中身がどうとかは、その一次試験をクリアしない限り、余程のことがない限り見てすらもらえない。あとは一緒に過ごす時間に身を委ねるしかないのだろう。それすらも、以下略。
十五分後、近くでレンタカーをしてきた白塔梢と、その様子を近くで(但し、人目につくことは白塔梢に遠回しに禁止されたため、文字通り物陰から)見守っていた「シロ」は漸く出発する運びとなった。
その頃、靴谷氷花は一人福岡市内に向かって運転していた。
「さてと、ここから何が起きるのかねぇ。枠綿っつー胡散臭いジジイはどっち道、なんとかしなきゃいけねぇだろうが、あたしは姫ちゃんの方が気掛かりなんだよなぁ。最悪あの殺人鬼を使って、どうにかするしかねぇかなぁ。それにしても梢に付くっていう護衛はどんなやつなんだろうなぁ、あいつが太鼓判を押してきたくらいだから、半端な実力じゃねぇとは思うが、あいつにそんな繋がりなんてあるとは思えねぇんだよな。あいつコミュ障だしな。ん?待て待て、これはもしかして、ひょっとしたりしちまうのか。舞白?いやいや、そりゃねぇか。流石に都合が良すぎるか、ははは。あたしも実は余裕ねぇんだろうな、ヘコむよなぁ、ったく」
サラッと真実に辿り着く靴谷氷花ではあったが、ただの思いつきとして流すことにしたようだった。実際、それに確信を持てていたとしても、あちらのことは任せるしかないのだ。時野舞白がどういう意図で、自分の死を偽っているのかはわからないけれど、それが妹の意志でやっていることであるならば、靴谷氷花にそれをどうこう言うつもりはない。
「ま、今はそれより自分のことだな。理想は敵の注目をあたしらが請け負って、その間に梢チームに敵の中枢に潜り込んでもらうって流れかな。ん、無理だな。それは流石にご都合主義が過ぎるわな。落とし所っつーか、妥協点としては、あたしにも梢にも刺客が差し向けられて、辛くも撃退したとして、満身創痍で枠綿と直接対決か?それこそ無理だな。勝ち目どころか詰んじまってる感じだな。前提はどうだ?あたしらの目的を改めて見つめ直すとして、梢の目的は復讐だな。それは揺るがない、決して満たされることのない戦いなんだろうな。あたしはどうだ?復讐をモチベーションとできるか、いや無理だな。そういうふうにあたしはできていない。だったらあたしがこんなところまで来てやりたいことはなんだ?姫ちゃんのため、それももちろんある、でももう一押し。そうだな、あたしはそういうやつだな、うん。あたしは家族のために命を賭ける女だった、それがあたしに残された生き方だったな」
靴谷氷花が、これからのことや自身のことを考えながら運転しているくるの遥か後方、一台のバイクがその車を鋭く睨みつけていた。靴谷氷花が乗る車からは見えない距離で、悟られることはまずない距離で、彼女のマンションから変わらぬ距離感でそのバイクは走り続ける。
「ふん、二手に分かれたところで、何ができるというのか。お前たちがどれだけ策を講じようと、あのお方の手のひらの上だというのに。実に滑稽、いやむしろここまでくると同情さえしてしまうな」
男は静かにハンドルを握る手に力を入れた。
物語の登場人物には役割があり、それは多岐に渡る。
主人公然り、ヒロイン然り。その呼称は分野や時代によって変わることもあるが、本質的な役割は同じである。
そして、人生という舞台においても同じことが言える、同じであるということが言えてしまう。
自分の人生において、自分こそが紛れもない主人公であるという言葉を耳にするが、実際はそうではない。
同じ構造の生命でありながら、それが持つ力は絶対的に不平等なのだ。
持つ者がいれば、持たざる者も当然いる。
奪う者がいれば、奪われる者もいるのが摂理であり真理である。
生きることは、それだけで奇跡に近いことを、さも当然のことのように享受できる人間と、そうではない人間が同じ生き物であるという理不尽な世界では、勝者と敗者が常に存在する。そのことに耐えられない者の中には、奮起し戦う者もいるだろう。そしてその者は、似たような境遇のその他大勢にとっての道標となれるのかもしれない。その後の展開など、わざわざ記述する必要もないほどにありふれたものである。目先の利益に溺れ、搾取する側に回った自身を守るために、手段が目的に成り下がる。それでもごく稀に、ドラマを生む者もいる。戦い抜く者のことである。
では、戦い続けることが美学であるとして、それを実際にできる者は一体どれほどいるのだろうか。
ただでさえ奪われ続ける人生だった彼女が、戦うことから逃げてしまったとして、誰が彼女を責めることなどできるだろう。
失い続けた彼女に、どんな言葉をかけるのが正解だったのだろうか。
何が正しいかなど、誰にもわからないし、わかっているつもりで語るなど、片腹痛いにも程がある。
正義も悪も、等しく同じであり同価値なのだ。
立場が違い、手段や目的、価値観が違うだけ。たったそれだけのこと。
加速し始めたこの物語に、正義の味方などいない。立場によって形を変える正義に味方する者がいたとして、そんな者に何を期待しろというのだろうか。それこそ目も当てられない。
この物語に出てくるのは、被害者と加害者のみ。
悲劇や惨劇程度では役不足である。
混沌に満ち溢れた楽しい絶望の中で踊り、最後まで狂い続けた者だけがその終演を観ることができるかもしれない。
その資格は、彼女にはあるのだろう。




