波紋
こんばんは、忍忍です!
今回の話はほんの少しだけ長めに描いております。
では、覚悟ができた方はいってらっしゃいませ。
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「生きるって金がかかるよね」
「そりゃそうだろ」
「なんでさ」
「生きてるだけで罪な生き物だからさ」
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山口県下関市。
あの後ひたすら車を走らせた二人は、一旦の目的地である山口県に入り、途中で車を乗り捨て、電車やバスを使い下関市へと降り立った。九州は目と鼻の先である。
実際に下関市に行ったことがある人には想像がつきやすいと思うが、下関市から北九州市に渡るには関門海峡を経由するのが一般的である。関門橋と呼ばれる道を行くか、関門トンネルという海底に造られた道を行くか。
「どうすっか、ここから先は常に気が抜けない。今も別に気を抜いていいってわけではないけれど、どういうわけか追手の気配みたいなもんが薄い気がする。余程腕の立つやつが雇われてるか、そもそも追手自体いないか。もちろん後者の方が助かるんだけどな。あたしらがこれから向かう先のことを思えば、儚い願いでしかねぇだろうな。とりあえず足が要る。レンタカーは足がつくから避けたいところだが、その辺の違法駐車してる車を借りるってのも気が引けるんだよな」
「え、気が引ける程度のことなんだ。ひょうか姉本当に警察だよね?」
「わかってるって、冗談だよ。まあ車のことは後で考えるとして、とりあえず先に宿を探すか。あたしとしてはラブホテルを使おうと思ってるんだが、異論はないな?」
「うえっ?ラ、ラブホテル?な、なんで?」
「あ?なんでって、泊まる際に身分証とか要らねぇじゃん。セキュリティはガバガバだが、使い道はあるってことだよ」
どこで使うのかわからない知恵を披露する靴谷氷花だった。
それを否定したところで、特に代案があるわけではないので、白塔梢は渋々従うことになる。
そういうわけで、某ラブホテル。
「はぁー、流石に疲れたな。梢も疲れたろ。ひとまず休めよ、明日からはまた移動続きだからな」
「いやいや、確かにかなり疲れたことは事実なんだよ。でも今この時間でしかできないことはたくさんあるんだよ。今後のこととか、今後のこととか」
「あー、まあ、そりゃそうか。じゃ早速始めよう、作戦会議だな」
こうして靴谷氷花と白塔梢は、作戦というか、情報の整理を始める。明日以降の行程を考えると、寝れる時には寝ておきたいというのが当然だろうし、そうでなくても寝てしまいたかっただろう。
考えれば考えるほどに、可能性が潰されていく感覚。策も奇策も通用しそうにない相手に、丸腰の一般人が二人で何ができるというのだろう。
それは、五年前に初木町偽恋が感じたそれとは一線を画すものであった。
あの時は少なくとも、力はあった。人手と知恵が足りてなかったけれど。
今回は全く何も持っていない状態なのだ。あるのは断片的な情報のみ。
「しかし、あれだな。こういうのを衆寡敵せずっつうのかねぇ。攻略本が欲しいわ」
「政治家と警察が手を組んでるってことだもんね。ごめんね、やっぱりひょうか姉を巻き込むべきじゃなかった」
「次それいったら、思いっきり殴るからな」
「ええぇ?なんでよぉ、こっちは心配してるのに」
「ならそんな無駄なこと考えずに、マシな作戦を考えろ」
「横暴だよ、非道だよ、悪魔だよーーっ痛ぁぁい!本当に思いっきり殴ったでしょ?ひょうか姉の意地悪」
何はともあれ、今後の話。
この日、二人が決めた方針は大きく三つ。
一、枠綿無禅に対抗する戦力の確保。
二、殻柳優姫の所在の調査。
三、宮崎県における拠点の確保。
難易度としては、鬼畜と言っていいほどに高いものばかりである。それは二人も承知の上での決定だった。
二人にとっての勝利条件は、枠綿無禅に過去の行いを償わせることと、殻柳優姫の救出である。
しかし、これはあくまで二人が足並みを揃えている状態でのものでしかない。つまり、個人個人での勝利条件はこれとはまた違ったところにあるのだ。復讐する者と、それに加担する者では熱量が違う。見えている物がまるで違うのだ。そのことを忘れてはいけない。
靴谷氷花も白塔梢も家族を奪われたことには変わりないのだが、決定的な差が二人にはあった。
靴谷氷花は、どのように家族の命が奪われたのかを知らない。知識として話に聞いた分はもちろん知ってはいるのだが、それだけなのだ。彼女の感情が偽物とかそういうことではなく、ただ純粋に差があるというだけの話。
白塔梢は、どのように家族の命が奪われたのかを知っている。知識としてではなく経験として知っている。それが彼女の心にどれだけの傷を負わせているのか、小さな背中にどれだけの十字架を背負っているのか。
これはそういうお話なのだ。
「一先ず、順当にこのまま宮崎県を目指すとしてだ、あたしらは別行動をするべきだと思うんだが、流石にこのまま別行動したって、向こうの都合のいいタイミングで消されて終わりだろうよ。だから協力してくれるヤツを呼ぶ。正直かなり気は引けてるんだけどな、梢も顔見知りだって言ってたし、な。あたし自身も詳しいことは話せねぇが、それなりに付き合いのあるヤツだし」
「えっと、ちょっと待ってね、ひょうか姉の考えてることが何となくわかってしまって、さらにその人物が思い当たってしまって、かなり困惑しているんだよ。こういう場面で出てくる人物を私は一人知っている。五年前もそうだったから。でもあの子は私の前にはもう姿を見せないと思うんだよ」
「ん?なんだ、あいつとなんかあったのか?」
「いや、私と直接何かあったわけじゃないんだけどね、その、偽恋さんとの契約みたいなもので、私とは関わらないって約束してたみたいなんだよ」
「あー、なるほど。お前はこっち側の人間だからな、無闇にそういう存在との関わりを持たせたくなかったんだろうな。ふむ、偽恋か、そいつ本当に殺し屋か?いささか甘すぎるように思えるんだけれど」
「ふふっ、偽恋さんはそういう人だったんだよ。れん兄から何か言われてたのかもしれないけどね」
ここで二人が思い描いている人物は、言うまでもなく例の殺人鬼なのだが、当の本人からしてみれば御免被りたいものである。しかし、こういう展開において、あのお人好しな殺人鬼の決意は、綺麗に無視される形で進むのがお約束である。
靴谷氷花と殺人鬼の関係は一言で表現するには難しいところではあるけれど、そこを無機質に事務的に言うとするならば、「元仕事仲間」なのだろう。当人たちの内心はわからないけれど、客観的に表現するとそう落ち着く。
白塔梢と殺人鬼はどうだろうか。お互いが会うことはないと言っていることからも、特別付き合いが継続していた過去すらないのかもしれない。五年前、あの時に別れて以来一切関わってこなかったのも、おそらく事実なのだろう。そして殺人鬼の言葉を仮に信じるとするならば、彼自身も今のところ、契約なのか約束なのか定かではないそれを反故にするつもりはないようだ。
現に、靴谷氷花と白塔梢の預かり知らぬところで、その殺人鬼はせっせと働いているのだ。そこにどんな意図があるのかは、本人にしかわからないし、本人だってよくわかっていないのかもしれない。しかし、確固たる事実として、その殺人鬼は自分の意志で今回の件に関与している。
物語は始まっている。
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「なあ、あの二人今日はここで寝るつもりなんかな?流石に疲れた、俺もそろそろ横になりてぇな」
「クロ、頑張ってたもんね。お疲れ様。どうする?私たちもここ入る?」
靴谷氷花と白塔梢の宿泊する某ラブホテルの駐車場。
彼女らが、ここに到着してから二時間後、二人の護衛は少し遅れて追いついたのだった。
「それにしても、今回あのお姉さんたちの敵ってのはなかなか手強そうだな」
「うん、でも関係ないよ。私は二人を守るだけ」
「いや、そりゃな、シロはそうだろうけどよ。くはは、これじゃ俺のことをお人好しだと抜かしたあいつのこと馬鹿にできねぇな。ま、今更なんだろうけれど」
「ふふっ、クロは優しいよ」
「へいへい、お姫様の仰せのままに。でもよ、実際お姉さんたちは何と戦ってんのかねぇ。ここまで追ってくる間、もうすでに二十人は潰してきたわけだけれど、そしてその戦利品としてもらったこの無線機のおかげで、お姉さんたちの居場所を見失わずに済んだなんだが。どうにも得体の知れねぇ気持ち悪さがあるんだよなぁ。こりゃもしかすると、俺にとっても他人事じゃねぇのかもしれないねぇ」
ここまでの道中、二人が辿った道程をほんの少しだけ回想するとしよう。
靴谷氷花が警察署にいる間、「クロ」は警察署の近くで待機していた。もちろん護衛のためだったのだが、彼にはもう一つ目的があった。それは靴谷氷花との接触だった。「シロ」は既に、時野舞白として死んだことになっているし、彼女を表の世界に戻すには早すぎる。そう判断したからこそ、彼自身が靴谷氷花を護衛する様言い出したわけだが、接触すること自体は秘密にしている。余計な気苦労を「シロ」にかけないためだった。
その頃の「シロ」はというと、白塔梢を守るため靴谷氷花のマンションを張っていた。
余程のことがない限り、ここに刺客が来ることはないだろうと「クロ」は言っていたが、大切な家族を守るためだと思うと、自然と緊張もするというものだった。戦闘の技術、殺人の技術は身につけているとはいえ、「シロ」を総合的に評価するとしたら、ルーキーでしかないのだ。経験が圧倒的に足りていない。普段は横に「クロ」がいてくれて、逐一指示を飛ばしてくれるので、危機的状況に陥ることはなかった。そのこと自体を責めるのは少々酷ではあるが、そこを狙われていたということもまた、揺るぎない事実なのだ。
「シロ」はその時のことを「クロ」に報告しなかったのだが、靴谷氷花がマンションに戻ってくるまでの間に二度襲撃に遭っている。しかも一度目は生捕りに失敗し、敵の自殺を止められず、二度目は逃亡を許してしまっている。
そのことが今後、どういう影響を及ぼすのかは判然としないが、きっと良いことにはならないだろう。
「ったく、あの狸ジジイ。意味わかんねぇこと言いやがって。姫ちゃんが捕まってるつったって、それをどう信じろってんだよ。くそ、考えること多すぎだろ」
「お姉さん、ちょっとお話しようぜ」
場面は再び警察署に戻る、正確には警察署の最寄駅近く。
ほんの数分前の狩渡断路との会話、筆談を思い出しながら愚痴る靴谷氷花の前に、それは突然現れた。
「お前、今までどこで何してたんだよ、殺人鬼」
「くはは、社会勉強だよ。これでも一応成人してるんでね。お姉さんこそ、今度は何に足突っ込んでんだよ」
「何が社会勉強だ、さっさと自首しろ。ほらすぐそこに警察署あるぞ?それにな、あたしらの周りうろちょろしてんのならすぐに辞めろ」
「相変わらず、手厳しいな。でもよ、もう一人のお姉さんのことを考えたら、俺は必要だろ?ここ数日見ただけでも、あんたらが何か企んでるってのはわかってる」
「ふん、お前があたしの前にのこのこ出てきたっていうことは、そういうことなんだろうな」
「あ?何勝手に納得してんだよ」
「お前が出てきたってことは、あたしらに向けられる敵は殺しに来るってことだろ。そういう気配には敏感だろ、殺人鬼」
「あー、そういうこと。まあそうだな、既に何人かお姉さんのこと尾けて来ているヤツもいるみたいだしな。しかもどう見てもプロだな、ありゃ。本当に何したらこんなことになるんだよ、お姉さん」
「正しいこと、さ」
靴谷氷花はシニカルに笑い、不敵に無防備に後ろを振り返る。それは彼女を尾けて来ている誰かに対しての挑発の様に見えた。もちろん靴谷氷花には、その誰かがどこにいるのかなんてわかっていない。しかし彼女は堂々とその誰かを睨みつける。
「おい、殺人鬼。仕事をくれてやる、あたしらを守り抜け」
「くはは、どれだけ格好いいんだよ。いいぜ、任せな。お姉さんともう一人のお姉さん、まとめて守ってやる。安心してやらかしてくれ、何をするのかは知らねぇけれど」
「すぐにわかるさ、とりあえずここはすぐにでもあいつと合流する必要があるな。あたしが尾行されてるんなら、マンションの方も安全じゃねぇってことだしな。おい、これ渡しとく、あたしのスマホ。お前どうせ連絡手段とか持ってねぇんだろ?いざって時に困るのは御免だからな」
「まあ、お姉さんのいう通りマンションの方も何かしらの手は打たれてんだろうが、そっちは心配しなくてもいいと思うけどなぁ。それよりもスマホか、ありがたく借りることにするよ」
乱暴に投げ渡されたスマートフォンを受け取った「クロ」は、靴谷氷花を見て肩を竦めた。
久しぶりに会った彼女の相変わらずぶりに呆れてしまったのかもしれない。少なくとも二人は犬猿の仲というわけではない様で、軽口は叩き合うが、それでもそれなりの信頼関係はあるみたいだった。
その後、靴谷氷花と別れた彼は、きっちり尾行していた者たちを始末しているのだが、そんなことは靴谷氷花にはもう関係のないことだった。
「あ、クロ。おかえり、そっちはどうだった?」
「ん?特に何もなかった、何人かお姉さんのことを尾けてるヤツはいたが、今のところ問題はないな。そっちは?」
「うん、こっちも何も問題なし。でもさっきひょうか姉が帰ってきた直後から、怪しい人間がちらほら見える」
「ま、俺たちがすることは変わんねぇんだけどな」
そこからの展開は先に述べた通りだが、あえてここで描写しておくべき点は二つ。
一つは、靴谷氷花たちがマンションを出た直後である。
マンションに警官の格好をした者が、大勢押し寄せて来たのだ。彼らは管理人から鍵を借り、靴谷氷花の部屋に入っていこうとしていたところだった。
「おじさんたち、その部屋のお姉さんに何か用?お姉さんたちはちょーっと長めの旅行に出てるから、いねぇよ」
余裕の表情で警官たちの前に姿を見せる殺人鬼。両手をズボンのポケットに突っ込んで、見るからに無防備ではあるが、実際のところ戦闘体制は整えていた。
「なんだ、君は。我々は仕事でここにいる。君は関係ないのだから即刻ここから立ち去りなさい」
「おいおい、穏やかじゃねぇな。俺はその部屋のお姉さんに留守番頼まれてんだよ、だからそのドアから離れな」
両者の間に緊張が走る。
「クロ」は余裕の表情を崩してはいないし、余裕なんだろうけれど。
ドアの前には警官七人と殺人鬼が一匹。
戦闘はこの直後始まるのだが、それは一瞬で終わることとなる。
わざわざここで細かく説明する必要もない程に、一瞬で圧倒的だった。
「クロ」は、ポケットから出した両手に、それぞれ二本ずつのナイフを持っていた。
それを流れるような動きで、対象に向かって投擲する。と、同時に警官たちとの距離を一足で詰め、腰に隠していたナイフであっさりと二人の警官の命を刈り取る。目で追うには、それは速すぎた。それが動きを止めた時、六人の警官の格好をしたモノは同時に崩れ落ちた。彼らにしても、一体自分がいつ殺されたのかさえ、わからないままに死んでいったのだろう、それ程に殺人鬼の手際は無駄がなく、洗練されていた。
「なっ!?お、お前今何をした?」
「さあな、それをおじさんが知ったところで、何にもならねぇよ」
当然、最後に残った警官も何の躊躇いもなく殺される。
殺人鬼は嗤う。
嬉しそうに。
腹立たしそうに。
悲しそうに。
楽しそうに。
そして同時刻、殺人鬼が刹那の戦闘を始め、終える三分程前。
マンションの駐車場にて、殺人姫はただ立っていた。
うっすらと額に汗を浮かべてはいるが、表情は冷静そのものだった。その姿はダンスを踊り終えた姫が、その余韻に浸っている様にも見える。
足元に十四人もの警官が転がっていなければ、だが。
よく観察してみると、倒されている警官たちは皆、命までは取られていない様だった。
だからと言って無事とはとても言えない状態ではあるのだけれど。あえて少しだけ具体的に言うと、その場で彼女と戦闘をした者の全てが自分の力では立ち上がれない程の怪我を負っている。
ある者は両足の骨を折られ、ある者は片足を根こそぎ失い、またある者は肘から先が信じられない方向に捻られている。それを一人の女の子が成した状況だとは誰も思えないだろうが、残念ながら現実である。
「はぁ、早くクロと合流しなきゃ」
それだけ呟くと、彼女は倒れている者に一瞥の視線さえやらずに、駐車場を後にする。
しかし、こういうところが経験の有無が影響するところなのかもしれない。どれだけ自分の中にある殺意をコントロールできていようと、誰も殺さない程度の怪我で済むように手加減していたとしても、彼女はもう少し慎重に行動すべきだった。時野舞白があらゆるものを失いながら生きてきたように、「シロ」もまた、何かを失う機会を逃さない。
失敗や失態というなら、それは間違いなくその通りである。普段の彼女なら、家族の危機が関わっていない状態だったなら、気付けていたはずだった。その駐車場にもう一人、刺客が潜んでいることくらい、簡単に看破できているはずなのだ。彼女は殺人鬼と行動を共にするようになった一年で、それくらいには逸脱してしまっている。
「ふむふむ、あれが時野舞白ですか。やはり生きていましたか、それにしても凄まじいものですね。これだけの人数を顔色ひとつ変えずに再起不能にしてしまうとは。しかし、この甘さは付け入る隙にできそうですね。あの方に教えたら、さぞ欲しがるでしょうね、彼女の存在はその程度の価値はありそうです」
守りたいものがあるならば強くなれ。
強くなりたいのなら守りたいものから目を逸らすな。
明日もその笑顔を見れる保証など、誰もしてはくれないのだ。
殺人姫は進む。
守るために。失わないために。奪わせないために。
彼女が振り返った時、そこに誰もいなかったとしても。
彼女は壊れたまま、強く優しく狂い続ける。
ここまで読んでくださった方へ、ありがとうございます!
登場人物も少しずつ増えてきて、そろそろどこかで矛盾してしまいそうでハラハラしております。
そうならぬ様精進していく次第ですので、また次回もご期待くださいませ!




