リヴァイアサン(1)
晴嵐が一人称を『余』にするのは、自ら皇帝たらんとする時だ。朝見の時、命令を下す時、大勢の前で話す時。今の様に、罪人と対峙し処分を下すときもそうである。
「上手く取り繕った物だな劉白麗。責任を余と愛人に押し付けて、同情を買おうとしたか。」
白麗は無言だ。正殿の一室で後ろ手に縛られている。晴嵐の横には、側近の朱慎と葵瑞雲が控えている。
「相手の男が李小啓だというのは分かっている。宦官に紅包を渡して後宮に出入りしていたらしいな。」
白麗が晴嵐を睨み付ける。
「小李は自白したぞ。お前が誘ったと言っていた。」
晴嵐は白麗を尚も挑発する。
「互いに罪を擦り付け合うとは、愛し合う男女が聞いて呆れるな。」
遂に白麗は激昂した。
「五月蝿い!あの男が言ったんだ、死にたくなかったら帝と寝た振りしろ、王太后になればこっちのもんだって!」
晴嵐は冷めた目で白麗を見た。
「腹の子に詫びながら、愛人と共に地獄へ行け。瑞雲、連れていけ。」
「昏君!」
白麗は憎悪をたぎらせ、叫びながら連行されていった。
「帝……」
朱慎が気遣わし気に此方を伺うが、あの程度の暴言など今更だ。どうせ白麗は死罪にする心算であったが、自身の冷酷な一面を薔花に見てほしくはなかった。その為だけに、別途断罪の場を設けたのだ。
「俺も後から地獄に行くだろうがな。」
小さく呟く声が拾われることはなかった。
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晴嵐が崔薔花を娶ったのは、自分が皇帝に即位した時に、薔花の父君である崔良を政権に、できれば丞相として引き入れたかったからだ。
崔良は、十余年前の国試で状元という最高位の成績を残しながら、帝に疎まれて国に帰った憂国の士である。崔良の都市基盤整備案や農耕改革案を読み、晴嵐は興奮した。だが、頭でっかちな重臣や先例至上主義の学者共、既得権益を守らんとする奸臣佞臣はこぞって反対し、あまつさえ崔良を宮中から追い出した。崔良は失意の内に都を去ったのである。
思えば、父である帝は暗愚であった。自尊心高く、耳に痛い諫言を吐く忠臣を遠ざけ、甘言を囁く佞臣を重用する。おまけに女にだらしなく、世がこうも乱れたのは父帝のせいだと若い晴嵐は考えていた。
崔良は初め、晴嵐が丞相に迎えたいという意向を示したときにはけんもほろろであった。そこで太子である晴嵐自ら三顧の礼を取って崔良に頼んだ。更に彼に言ったのだ。
「伏魔殿の掃除に三年下さい。私が足場を固めたら、貴方を丞相に迎えたい。力を貸して下さい。約束の証に、私が皇帝となった暁には貴方の娘を皇后に致します。」
「それは娘を人質にするという事ですか?」
矢張切れ者、此方の真意も分かっている。ならば遠慮も要るまい。
「そうです。そして今は力無き貴方に、娘が力を与える。私は皇后以外と子を成す心算は有りません。父帝を見ておりますので。」
父の様にはなりたくなかった。
暫く考えた後、崔良はニヤリと笑った。
「ならば貴方様にとって一番良いと思われる娘を遣りましょう。薔花と云います。貴方様を良く支えるはずです。」
薔花と初めて対面したのは此の時だ。
小柄で童女じみた容姿だと思った。宜しくお願い致します、と笑う笑窪が更に子供っぽさを増す。
俺は幼女趣味じゃないんだがな、と崔良に言えば怒りを買うのは明白なので、晴嵐は大人しく口をつぐんだ。聞けば年齢は既に二八(=16歳)という。
晴嵐はそのまま薔花を連れて帰った。
磨けば光るとは此の事か、後宮に放り込んで女官に任せた崔薔花は美しくなった。幼い容姿はそのままに、成長期の女性が見せる妖しい色香を纏う様になったのだ。久々に会った晴嵐は驚き幾分たじろいだが、口を開けば生真面目で、仕事をしろ等と言うのでほっとした。
とはいえ、
「太子様が政に携わらなければ、奸臣がのさばる一方です。」
「遥々父に会いにいらっしゃる程です、政をする気はあるのでしょう?」
「太子様の才気を見せ付けて差し上げて下さい。」
などと、会う度に政務を促す様子に些かうんざりして、ある日、
「なぜそうも余に政治をさせたがる?余に疎まれるとは思わんのか?」
と訪ねた。薔花は、
「太子様は忠言を疎まれる様な暗君ではありません。甘言で気を引くなど、太子様に対する侮辱です。太子はご立派な方なのに、あ、暗君など、私、悔しくて悔しくて……!」
と目に涙を溜めながら必死に言い募る。これには晴嵐も参った。ほだされた、とも言い換えられる。要するに、薔花の事を一人の女性として考えるようになったのだ。
どうやら崔良の策に嵌まった様だ。崔良のニヤリと笑う顔が頭に浮かんだ。