ミッション・スタート
事態が動いたのは、舞踏会から三日目のことだった。
「は……? リゼがゲイヴと婚約しただと……!?」
朝。起床と同時に護衛官から信じ難い事実を告げられた俺は、思わず立ち上がるなり、彼の胸ぐらを掴んで問い詰めた。
「どういうことだ? 婚約解消から、まだ二日しか経っていないんだぞ? なのに何故、あのふたりが……!」
「いえ、それが、私も昨夜、兄を問い詰めたんですが〝団長命令だ〟としか……恐らくこれは、アシュタリゼお嬢様への仕打ちに対する侯爵家の報復でしょう。おかげで宮中は、今朝からもうその話題で持ちきりですよ」
と、イェルクは俺を宥めるように言いながらも、彼自身、ひどく当惑しているのが見て取れた──ゲイヴ・フォン・イリッヒ。
イェルクの四つ年上の兄で、今は帝国騎士団の副団長を務める男。
彼もホーエンベルク侯爵が帝国騎士団長に任じられるまでは、俺が修行した赫鷲騎士団の一騎士だった。しかし侯爵が領地を離れることとなったのをきっかけに、彼の父であるイリッヒ伯爵がマヌエル──侯爵に代わって領地を守っているアシュタリゼの兄──を補佐するようになったため、侯爵の副官の地位が空いたのだ。
そこで侯爵は、ホーエンベルク一の忠臣と呼ばれる伯爵の長男を傍に置くようになった。当然、俺も彼とは面識があるし、親しい間柄だと言って差し支えない。
むしろゲイヴは、弟のイェルクに比べて無口で実直で、やや頭の堅すぎるきらいこそあるものの、信頼の置ける男だと思っていた──けれど。
(どうして……どうしてここでまたゲイヴなんだ? あの男は……あの男だけはダメだ。絶対に、リゼに近づけるわけには……!)
冷たい汗が全身を濡らして、足が震える。
いつしか遠い記憶となりつつあった、最初の人生の光景が脳裏にフラッシュバックして、口もとを押さえていないと、昨夜の夕食を吐き戻してしまいそうだった。
何故ならあのとき、アシュタリゼの殺害を画策し、それを阻止しようとした俺を殺したのは──他でもない、ゲイヴ・フォン・イリッヒだったから。
「で、殿下、大丈夫ですか? しっかりなさってください。兄とお嬢様の件がショックなのは分かりますが、もとはといえば、こうなったのは殿下がお嬢様との婚約を解消されたからで──」
「──イェルク……ゲイヴは他に何と言っていた? 昨夜、バスラー伯爵邸で開かれた夜会には、おまえも参加したんだろう?」
「え? ええ、まあ……本当は兄と一緒に出席する予定だったんですが、一昨日の夜にいきなり〝都合がつかなくなったからひとりで行ってこい〟と言われて……思えばあのとき、兄は既に団長から、お嬢様との婚約を言いつけられていたんでしょうね。直前に〝団長に呼ばれた〟と言って、ホーエンベルク邸へお邪魔してましたから」
「なるほど……初めからこうするつもりでいたから、団長も至って平静だったというわけか。だが他に、ゲイヴに変わった様子は?」
「い、いえ。兄はむしろびっくりするほどいつもどおりですよ。経緯はどうあれ、お嬢様と婚約なんてことになったからには、もっと浮かれるだろうと思ったんですが……」
「……浮かれる? あのゲイヴが? 何故?」
「あっ……いえ、それはそのぉ……」
「何だ。知っていることがあるなら話してくれ!」
「じ……実は、兄が必死に隠してたので、私もずっと知らないふりをしてたんですが──兄はああ見えて、子どもの頃からアシュタリゼお嬢様のことが好きだったんですよ。とはいえ、お嬢様には殿下がいらっしゃいましたし、格下の伯爵家の長男が主家の姫君に懸想したなんてことは、口が裂けても言えませんでしたから……」
と、イェルクが目を泳がせながら白状したのを聞いて、俺は全身から血の気が引いた。同時に足からも指先からも力が抜けて、イェルクを掴んでいた手を放した拍子に、ふらふらと寝台へ座り込む。
「ゲイヴが……リゼを好きだった? そんな話は今まで一度も……」
「ま、まあ、実際、兄の気持ちに気づいてたのは、私とマヌエル様くらいだと思いますよ。朴念仁の兄が異性に好意を抱くなんてありえないと、周りは皆、そう思ってますし……」
「だが……それならゲイヴは何故、リゼの命を……?」
「え? 兄が何ですか?」
「……」
──言えなかった。
イェルクはそもそも俺がループしているという話を知らないし、イリッヒ家の兄弟仲は良好だ。一見、見た目も性格も正反対の、水と油のような兄弟に見えるが、こう見えてイェルクは兄を慕っているし、ゲイヴも弟を気にかけている。
そんなイェルクに、ゲイヴはかつてアシュタリゼを殺そうとした、なんて打ち明けたところで、いたずらに混乱させるだけだ。それどころか俺に対する疑念を呼び起こし、彼まで敵に回してしまうかもしれない。しかし俺がアシュタリゼとの関係を断ち、侯爵にも憎まれている以上、侯爵家とゲイヴの動きを探れるのはイェルクだけだ。ここで彼の信頼を失うわけにはいかない……。
(……どうする? 放っておけば、ゲイヴはまたリゼを手にかけようとする可能性も……いや、だが、一度目のループのとき、俺はリゼがゲイヴに襲われる未来を回避しようとして……失敗した。ふたりを強引に引き離そうとしたせいで、一時期、リゼと不仲になって──)
ところがそうして過去のループを振り返ったとき、俺はある事実に気がついた。
そうだ。一度目のループのときは、ゲイヴを遠ざけることには失敗したものの、結局やつはアシュタリゼに危害を加えなかった。代わりにアシュタリゼは落馬して骨折したり、火災に巻き込まれて死にかけたりしていたが……。
(つまり……ループのどこかで、ゲイヴがリゼを襲う理由が消失した、ということか? あるいは、リゼもループを繰り返しているのなら、彼女が自力で解決した可能性もある。現にゲイヴはあれ以来、一度もリゼを襲う兆候は見せていない……)
最初の人生でやつに殺されてから、俺はずっとゲイヴにだけは気をつけていた。
アシュタリゼから引き離すことこそ諦めたものの、ループの原因となった最初の死は、やつによってもたらされたからだ。ひょっとしたら、やつの狙いはアシュタリゼではなく俺をあの場に誘い出すことだったのではと疑ったこともあったし、裏でこの現象に関わっているのではと徹底的に調べたこともあった。
しかし何度調べても、ゲイヴの動きや経歴に怪しいところは見つからず、俺の中の警戒心も、次第に薄れつつあったのだが──
「……イェルク」
「はい」
「ゲイヴは今日、いつもどおり出仕しているのか?」
「あ、いえ……実は、兄は今日は非番でして。団長でしたら、普段どおり出仕されていますが」
「……そうか。実は今日、アリマニカがホーエンベルク邸を訪問することになっている。おまえもそれに同行し、念のため、彼女を護衛してくれないか」
「えっ……あ、アリマニカ王女が団長のところに? どうしてまたそんなこと……この状況じゃどう考えても、火に油を注ぐだけですよ? だいたい、なんで私が王女の護衛を……王女には王女専属の護衛がついているでしょう?」
「アリマニカがリゼと話したいと言っているんだ。だが状況的にリゼや団長……そしてゲイヴは、俺との婚約を台なしにした彼女を敵視しているだろう。そのゲイヴがもし、今後のことを話し合うためにホーエンベルク邸に招かれていたりすれば、アリマニカと鉢合わせする可能性がある。そうなったとき、おまえには彼女の味方をしてやってほしい」
「えぇ……あの王女の味方ですか? どちらかというと、私はアシュタリゼお嬢様を応援したいんですけど……」
「頼む。イリッヒ家の者が、主家であるホーエンベルクの肩を持つのは当然だと分かっているが、ゲイヴの敵意からアリマニカを守れるのはおまえしかいない。さすがのゲイヴもいくらホーエンベルクのためとはいえ、実の弟に剣を向けたりはしないだろう?」
「いやぁ、どうだか……兄さんも大概、厄介なアシュタリゼ教の信者だからなぁ。教義を違えたとなれば、血を分けた弟でも容赦なく斬り捨てるかも……」
「イェルク」
「はあ……分かりました、分かりましたよ。ただしこれでうちの兄弟仲がこじれたら、殿下に責任を取ってもらいますからね?」
「ああ。償いならあとでいくらでもする。今はとにかく、何も聞かずにアリマニカを守ってやってくれ……彼女を守ることは、ひいてはリゼを守ることにもつながるからな」
──そう。今はアシュタリゼの安全を確保し、このループから抜け出す方法を探るのが最優先だ。そのためにはアリマニカの協力が欠かせない。
ならば俺は何としても、あのふたりを守り抜く。
さあ、アシュタリゼ。
今回のループの君は、果たしてどう出るのだろうな?




