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26:職場訪問


 目が覚めると、花は自室のベッドにいた。

 どうやら、気を失っている最中に運ばれたようだ。

 いつの間にか体の不調は収まっており、横には心配そうな静香が立っていた。


「花様、よかった。お目覚めになったのですね」

「すみません、ご迷惑をおかけしました。突然発情が始まってしまったみたいです」

「お加減はいかがですか?」

「もう大丈夫です。でも、何がなんだかよくわからなくて……」


「簡単な事情は凪様から伺っております。花様が眠っておられる間にお医者様に診ていただきましたが、おそらくヒート不順だということでした。花様はまだ初めてのヒートが起こって間もないため、状態が安定していないのだろうという見解です」

「そんな……」

「気を失って、フェロモンの発散が一時的に止まったのも、そのせいかと。普通なら気を失っても出続けるものらしいですから」


 言われて、花は落ち込んだ。

 いつヒートになるかもわからないなんて、自分はαやβにとっての危険物だ。


「あの、被害に遭った凪さんは、大丈夫でしょうか」


 自分のせいで彼を苦しめてしまった。

 花は申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになる。


「凪様でしたら心配ありません、あなたをここまで運んだのも彼ですから。番のフェロモンに当てられたというのに冷静でいらっしゃいました」

「そうですか。謝って、お礼を言わないと。あの、凪さんは……」

「今はいつも通り、お仕事に行かれておりますよ。いつものオフィスビルにいらっしゃいます」


 聞いて花は考え込む。

 きっと今日も彼は深夜まで帰っては来ないはずだ。


(会いに行けたらいいのだけれど、邪魔になるわよね)


 最近の凪は新しいプロジェクトを進めるため、屋敷の近くにある龍王グループの本社ビルに出勤していることが多い。

 彼の勤め先までは、車で十五分ほどだ。


「それでしたら、花様。凪様に何か差し入れを持って行かれてはいかがでしょう」


 花の考えを読んだかのように、静香が笑顔で提案する。


「で、でも……きっと、迷惑になります」

「そんなことはございませんよ、凪様を見ていればわかります。私はあの方が小さな頃から、ずっとお傍におりますからね」


 静香は自信がある様子だ。


「そうと決まれば花様、まずは着替えましょうか。花嫁様のお披露目なんて、腕が鳴りますね」

「お披露目?」

「ええ。本社には凪様の側近の方や、親しい方がいらっしゃることが多いのです」

「……」


 そんな場所に自分は絶対に相応しくない。きっと歓迎されないだろう。


「あの、やっぱり行くのはやめようかと思います」


 しかし、静香は話を聞いていない様子だ。


「こちらのお洋服がいいかしら。この間凪様にプレゼントしていただいた服もいいですね」

「あの、静香さん」


 声をかけると、静香は優しく微笑む。


「不安に思うことは何もありません。龍王家はあなたを心から歓迎しているのですから。凪様に近しい人たちほど、あなたを大事に扱ってくださいます」


 彼女はそれを確信しているような表情を浮かべていた。


「私もご一緒しますから」

「本当ですか?」


 静香が一緒なら心強い。花は彼女にお礼を言って、凪に会いに行くことにした。



 数時間後、花は高くそびえる、真新しいビルの前に立っていた。

 鏡のように光る窓が周囲の風景をくっきりと映し出している。

 正面の入り口は自動ドアになっていて、関係者であろう人々が大勢行き来していた。

 初めての場所に来た花は足がすくむ。

 やはり自分がここにいるのは間違いな気がした。


「花様、行きましょう」


 静香の声でハッと我に返った花は、彼女に手を引かれ自動ドアの中に足を踏み入れた。

 勝手知ったる様子で受付を済ませた静香は、奥のエレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。

 エレベーターは恐ろしい速度で上昇し、あっという間に最上階に着いてしまった。


(……私が掃除していた、古いビルのエレベーターと、ぜんぜん違うわ)


 花はそっと静香に続き、オフィスを進んでいく。

 初めて見た空間にドキドキしながら少し歩くと、すぐに凪の仕事部屋に着いてしまった。


「さて、私は向こうの休憩室でお待ちしておりますね」

「えっ?」

「大丈夫ですよ、花様。普段通りでいいのです。夫婦水入らずでお話ししてきてください」


 正面の扉を開けた静香に背中を押された花は、差し入れのお菓子を持ったまま、「きゃっ」と部屋の中で蹈鞴を踏む。

 中は広い空間になっていって、透明な仕切りで仕事部屋が区切られている。今は誰もいないようだ。


「一番向こうの大きな部屋に凪様がいらっしゃいます。あら、今は席を外しておられるみたいですね。連絡は入れておりますし、今日は会議の予定などもありませんから、中で待っていれば戻ってこられるかと」

「は、はい。ありがとうございます」


 花は恐る恐る奥へ進んでいく。そうして、静香に言われたとおり、凪の仕事部屋の手前にあるソファーに座って彼を待つことにした。

 静香は休憩室の方へ行ってしまった。



 しばらく凪を待っていると、背後に人の気配がした。


(凪さんが戻ってきたのかしら。よかった……)


 花はそそくさと振り返り、そして固まった。

 なぜなら、凪だと思っていた相手が、見知らぬ男性だったからだ。

 柔らかでふんわり明るい茶色の髪にお洒落なスーツを着ている彼は、瞬きしながら不思議そうに花を眺めている。


(不審者だと通報されたらどうしましょう。し、静香さんに連絡を……)


 あわあわと落ち着かない花を見て何を思ったのか、男性はにんまりと頬を緩めた。


「ふぅ~ん。君が凪君の番かぁ」

(えっ……? 凪さんの知り合いの方?)


 急に話しかけられた花は、慌ててソファーから立ち上がる。


「は、はじめまして。春川……龍王花と申します!」


 なにしろ、まともに会話できる相手は凪と屋敷にいる静香たちだけなのだ。

 何をしていいかわからないが、とにかく相手に失礼があってはいけない。


「ふふっ、はじめまして。俺は樟葉絢斗、凪君の友人だよ」


 ぎくしゃくした花の様子を見て、絢斗は面白そうに微笑んだ。


「小動物みたいで可愛い。凪君が隠したがるのもわかるよ」

「……?」

「今まであいつの周りにいなかったタイプだ」


 彼の話はもっともだ。

 凪の周りにいるのは華やかで優秀なαばかりのはず。

 それに引き換え、花は貧相なΩで……契約結婚がなければ絶対にお近づきになれていないに違いない。


「それにしても、Ωって噂通り美人なんだね。俺、見るのは初めてなんだ」

「美人……?」


 訳がわからないことを告げられ、花は真剣に首をかしげた。


(この人、何を言っているの?)


 どちらかと言えば、絢斗の方が美人だと思う。

 彼は作り物のように静かな美しさをまとう凪とは正反対の、華のある明るい美しさを持っている。

 二人に比べると、花なんて道端の草以下だ。


「凪君って、お嫁さんを褒めたりしないタイプなのかな。花ちゃん、ものすごい美人なのに」

「……あの、そんなことは断じてないです。ちゃんと身の程はわかっていますから」


 少しでも綺麗に見えたとしたら、それはきっと凪に買ってもらった服の効果だろう。


「うーん、全くわかっていなさそう。まあいいか。凪君は今、ちょっと部下に捕まっているから、もう少ししたら戻ってくると思うよ」

「あ、ありがとうございます」


 お礼を言うと絢斗はまた不思議そうに瞬きし、そして笑いながら花の隣に腰掛ける。

 距離が近くて驚いた花は、ごそごそとソファーの隅に寄る。


「Ω、可愛い……警戒心が強いんだ。うんうん、逆効果だね」

「逆……?」

「そんな風にされるとαは余計に嗜虐心が煽られるというか……ああ、凪君が本気でうらやましくなってきちゃった。こんなお嫁さんがいるなんて」


 絢斗は明るく色素の薄い瞳でまじまじと花を見つめてくる。彼の瞳孔が大きく開いている気がした。

 この人も妖混じりなのだろうかと考えていると、絢斗は緩く悩ましげなため息を吐く。


「あーあ。凪君、本気でシェアしてくれないかなー」


 そう絢斗がこぼした瞬間、後ろから冷徹な声が飛んできた。


「する訳がないだろう。以前、断ったはずだ」

 聞き知った声に、花はホッとして肩の力を抜く。

「凪さん……」


 振り返ると、案の定凪が立っていて、不機嫌そうに絢斗を睨んでいる。


「酷いなあ、凪君。こんな可愛い奥さんを隠しておくなんて」

「花は私の運命の番だ」

「だったら、もっと彼女を褒めてあげなよ。この子、自分の外見に無頓着すぎる。美人だって自覚がないんだ」


 絢斗の言葉に、凪がより一層顔をしかめる。


「……お前には関係ない」


 ピリピリした部屋の空気に耐えられず、花は小さく身を縮めた。


「それで、花はわざわざ職場までなんの用だ」

「あ、あの、差し入れを……それと、昨日のこと謝りたくて。あと、運んでくださってありがとうございました」


 しどろもどろになりながら、花は勇気を振り絞って声を出す。


「気にするな、怒ってなどない。用事がそれだけなら、もう帰っていい」


 そっけなく突き放され、花は戸惑う。


(凪さん? やっぱり職場にまで来てしまうのはよくなかったみたい。そうよね、私なんかに来られたら迷惑よね。きっと職場の人に貧相な妻を見られたくなかったんだわ。なのに、私ってばそんなことにも気づけないなんて……契約花嫁失格だわ)


 僅かながら落ち込んでいる自分に気づき、花は自嘲する。


「わかりました、帰ります」


 気落ちしながら答えると、何故か隣にいた絢斗が凪に猛抗議し始めた。


「凪君ちょっと酷くない? 花ちゃん、わざわざここまで来てくれたのに」

「絢斗、お前には関係ない」

「関係なくないね。ねえ、番を大事にしないなら俺に譲ってよ。俺なら花ちゃんをもっと大事にできる」

「駄目だ。花は私の番だ」

「だったら、どうして……」


 二人の言い争いを聞いていられなくて、花は逃げるようにその場を走り去る。

 自分のことで不機嫌になっていく凪を見るのが辛かった。


(少しは凪さんに近づけたと感じたのに。きっと勘違いね。彼に認められたいし役に立ちたいと思っていたけれど、そう考えるのは私だけで凪さんは出しゃばりなΩなんて必要としていない)


 距離を置かれて悲しいが、もともと今の状態が正常なのだ。

 これまでだってそうだったように、花を心から受け入れてくれる、都合のいい家族なんていない。結婚しても変わらない。

 だから、花は再び自分を戒めながら、凪の職場をあとにした。

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