GAME OVER
………………
……
暗い
…………
………………
冷たい
……
「秋葉原君」
「ん…………夕凪か。無事で良かった」
ぼんやりと包み込むような松明の明かりで、俺は目を覚ました。
夕凪がシャツの首元にしがみ付いてくるが、もう抱き返す気力も残っていない。ポツリ、ポツリと雫が顔に落ち、泥汗と混ざり合ってゆく。
「どうして? なんでこんな事になっちゃったんだろ。ガラパゴスって何なの??誰の仕業?全然わかんないよ」
俺にも何ひとつ分からないが、それでも『臨終』を受け入れざるを得ないほど、意識が混濁している。
擬似的にでも、先行きの分からない『意識の断絶』へ身をゆだねなければならない恐怖が、全身を覆ってゆく。
○ステータス
・特殊毒
ボス撃破で中毒状態が解消する……という劇的イベントは発生しなかった。
けれども遅効性の毒だからだろうか。痺れは指の先まで染み渡っているのに、体が粒子化する兆候も無い。
……このままじゃ駄目だ。
俺の残り時間が夕凪の脱出を妨げないよう、最後のロールプレイをしなければ。
「夕凪……もう泣くなよ。たかだか『GAME OVER』になるだけだから」
「泣いてない……私はまだ、あきらめてな――」
「松明の火が残ってるうちに、早く行ってくれ」
「やだ!」
「頼むよ夕凪。俺の粉骨砕身が無駄になる……だろ」
「……でも、やだよ……置いてなんて行けないよ……」
それは逆だろ。悪意だらけの世界に夕凪を置いて、一人で逝くのは俺のほう。
何もできずに――
――否、まだだ。……まだ、やり残している事がある。
夕凪の説得に失敗した俺は瞼を押し上げ吐き気をこらえ、最期の気力で光学パネルを開いた。
ギフティ・ゲッコスを倒した分のポイントを、洗いざらいアイテムにして渡すのだ。
形見を手にすれば夕凪も現状を受け止め、無駄にしないため動いてくれるかも知れない……
『アイテム新着』のお知らせがUI上部に点滅している。
【怪物油】×5
【大家守の肝】×2
「夕凪……まずはヤモリのドロップだ……」
獲得したての油と肝を夕凪に握らせ、そのまま残りポイントを確認する。
○○ポポイインントト
BB44 WW116699 HH33
一匹で150ptを超えているが……迷ってる時間はない。
なのに……視界がブレてきた……
……指も動か…い…間に合……
これじゃあ……時間短縮のための……も、できやしない……
「秋葉原君!」
* * *
覚悟は決めていたハズなのに――
「ゴメンね……許して!」
――不条理ゲームの、ボタン一つで消されてしまう虚弱な存在だとしても。どんなに恰好悪く意地汚くても……是が非でも夕凪と生き延びるのだと。
ぐちゃッ ぬちゃッ
夕凪の手を血で汚しながら【大家守の肝】に喰らいつき、虫の息で指を舐め、俺は弱音を嚙み砕いた。
○アイテム鑑定
【大家守の肝】高い解毒作用を持ったレアドロップ。食せば貧血解消効果もあるが、××××・××××の特殊な毒に対しては他に効く薬がないので、軽微な毒ステータス時には温存したい。
感覚の鈍い指先で光学パネルに触れ『解毒』を確認していると、血に塗れた口の周りを、夕凪がティッシュで拭いてくれた。
「クリアだ……状態異常が消えてる」
夕凪のパネルに追加された『アイテム鑑定』が、特殊毒の瀕死から俺の命を救ってくれたのだが。そんな値千金の機能パッチを、どうやって獲得したのか。
「……ガラポンを回したの」
あれだけガチャで怒ってたのに、俺のために。。。
「ごめん………………ありがとう」
「自分でやりたくてやったことだから、気にしないで」
気にしないでと言いながらも夕凪は、松明を持った手で鼻を掻いている。
「それにしてもガラポンから『アイテム鑑定』が出るとは。俺も生存記念に軽く回し――
――まて!鈍い八角形とはいえ頭を角で殴るのはヤメテクダサイ、壊れるから!
どっちが?って、どっちもだよ!
*
うっすら切られた脹脛へ、包帯がわりのバンダナを巻き、俺と夕凪は洞窟のさらに奥を目指した。
「なんの壁画だろ。これが島のボスなのかな?」
岩壁に描かれた黒い生き物の絵を照らし、夕凪が息をのんだ。
『足が無数に生えたイモムシ』の絵は洞窟の主と似ても似つかないけれど、『ラスボス』にしては脅威や威厳を感じない。
世界樹の根を齧り、終末の戦いの後に死者を乗せて翔び立つ、闇のドラゴン……それが俺のイメージするニーズヘッグなのだが。
……モンスターをデザインした何者かが、独自のアレンジを施した可能性もあるか。
「なんとも言えないけれど。こいつに出くわす前に洞窟を探索し切ろう」
進むにつれて勾配がキツくなってくるが、夕凪はものともせずに登ってゆく。学校の上履きでは滑って歩きづらいので、俺も【ブーツ】を取りたくなってきた頃、前方に風を感じはじめた。
「やった、明かりが見えるよ!ほら!」
予想通り、洞窟は内陸のジャングルに繋がっていた。
ようやく一歩前進。海岸の閉鎖領域から脱出できた喜びが、汗となってアゴの先を伝う。
*
トンネルを抜けるとシダだのブーゲンビリアだのに似た巨大植物が、夕陽に赤く染まっていた。
「うわっ、まぶしい!」
「もうすぐ沈みそうだな……」
「……水を汲める場所が、すぐに見つかればいいね」
ジャングルでの活動は思った以上に喉が渇く。焼けた砂浜に比べれば涼しい方だが、軽く25℃はあるだろう密林を歩けば汗をかく。にもかかわらず水の残りは500mlのペットボトルで一本ずつしか無い。
一日に必要な水の量は分かっており、目安にも余裕を持たせていた。だが、頭から被る水の量が計算外だった。そして半日に一回はできると踏んでいた水の補給も、浜辺以降できていない。
ログイン直後に川で溺れ、滝でも水を汲めたせいで、水場がふんだんにあると根拠も無く思い込んでいた。ようするに算段と目論見が甘かったのだ。
「……水ボトルはB50ptか。水場の近くで安全地帯を探さなきゃだな」
夕凪に同調してはみたものの、そんなに都合よく『安地』と『水源』の両方を見つけられるだろうか……
日没が刻一刻、迫っているというのに。
洞窟の前に『キケン』と石と木の枝で警告を残し、俺と夕凪は夕陽を背にして東を目指した。東の地にはログイン直後に飛び込んだ、あの激流があるからだ。
「あんな激流から、うまく水を汲めるかな?」
「まぁ、何とかなるだろ」
例えば〖ペットボトル〗を紐で結んで投げ入れれば。問題なのは水を汲む手段より、モンスターによる妨害だ。再び激流に飛び込んでフリダシに戻る、という事態だけは避けたい。
俺たちは熱帯植物を切りさばきながら、東の激流を目指して進んだ。けれども五分も歩かないうちに鬱蒼としたジャングルへ、急速に闇が押し寄せてくる。
「夕凪、少し急ごう」
「うん。このぶんだとすぐに暗くなりそうね」
「そろそろ松明を追加しておいたほうがいいかもな」
シュルン
光学パネルを開いた瞬間、足を取られて視界が逆さまになった。
「秋葉原君!」
息をのんで地面を見上げると、夕凪は夕凪で、巨木の幹に縛りつけられていた。うねうねした触手が手足に絡みつき、制服へ艶めかしく食い込んでいる。
「ツタだ!」
昼に恐竜を足止めしていた、あの植物に捕まったのだ。しかも、ふいを突かれたせいで〖鋼の剣〗が手元から離れてしまった。
俺はW100ptで【ナイフ】を交換し、応戦することにしたのだが。具現化するナイフを受け止め思い切り振るったが柳に風、ツタを撫でるばかりで一刀両断とはいかなかった。
「夕凪、ナイフをキャッチできないか!?」
食い込むツタを必死にほどきながら、夕凪は首を横に振っている。俺の足を縛って吊るすツタも、抵抗するほどに新たに伸びて締め付けてくる。
「無理!食い込んでくる!」
頭に血が上る暗い視界の中、ピリピリする足首のツルを切ろうと奮闘していると、木の幹に大きなコブがついてることに気づいた。半透明で光沢を帯びた木の皮が、生き物のように脈打っている。
『もしかしたら……』
俺は体を振り子の原理で大きく揺すり、幹のコブにサバイバルナイフを突き立てた。
ズン
木の皮は意外と柔らかく、思ったよりも深く刃が滑りこむ。
ツタが身じろぐように捩れだしたので、木から剥がされないようさらに強くナイフの柄を押し当てた。その勢いでズルズルとコブの表皮が切り裂かれてゆく。
コブに溜まっていた生臭い樹液が、大量にこぼれて飛び散った。それに合わせてツタも萎れて地面へ垂れ落ちてゆく。
やはりコブはモンスターの急所だったのだ。
ざまぁ……ないな。この半日の情報量が多かったとはいえ、ツタの存在を忘れていたなんて。
着地してツタを切り、夕凪を幹から引きはがしていると、樹液と一緒にコブから何かが転がり落ちた。
「頭・蓋・骨!!!」
「もうヤダ、この島……」
○戦闘リザルト
???:W13pt、B10pt
???????:W5pt、B7pt ドロップ:ツル×3
「夕凪、図鑑を出してくれ」
〇怪物図鑑
【食猿樹】その名の通りコブに猿を取り込み養分とする。樹液は甘いが骨まで溶かすので注意が必要。弱点はコブ。食用:可。
俺は最後のペットボトルの水を夕凪の頭からぶちまけ、可能な限り早く『食猿樹のエキス』を洗い流した。
「骨とか服とか……溶けてる所はないか!?」
「あ……ありがとう。今の所どこも溶けてないみたい」
胸を撫で下ろし、俺はツタ型モンスターの収録ページを探した。
○怪物図鑑
【ヒドラ・ヘデラ】食猿樹のエキスを吸って劇的に進化したツタ。共生関係は不可逆で食猿樹の力を失うと枯れ、元のツタには戻れない。葉液には麻痺成分が含まれているので、素肌に触れないよう注意。食用:不可。
「猛毒の次は麻痺か。どこか痺れたりしてないか?」
「少しだけど。縛られてたところが麻酔をかけたみたいに、感覚が弱くなってる……」
危なかった。樹液も麻痺成分も長時間拘束されなければ、致命傷には至らないレベルで助かった。
「ったく驚かせやがって。人骨かと思ったじゃねぇか!」
暗がりに光る頭蓋骨を蹴飛ばしているうちに、密林の闇が急速に濃度を上げていることに気づいた。
「まずい! 松明の火が消えてる!」
「早く点けなきゃ……暗くて危ないね」
虫めがねを獲得するW50ptはあるが、日光は密林に遮られほとんど届いていない。弓製の火起こし器で種火を作る間、視界の悪い薄暗がりで夕凪を守らなければならない。
……言うほど簡単ではないが是非もなし。やるしかない。
弓を手渡すと、かわりに夕凪はライターを差し出してきた。
「サンキュー。さすが夕凪、気がきくな」
ん?
「夕凪さん。なんで【ライター】なんか持ってるんデスカ?」
夕凪の少し困ったような横顔が、明々と灯る松明に照らされた。




