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Samsara~愛の輪廻~Ⅴ  作者: 二条順子
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12.報復

「あたしがあの晩、ちゃんと病院に連れて行ってたら、こんなことには

ならへんかったのに……」

直美はウィスキーを呷った。

純一が亡くなって以来、酒が入ると同じ言葉を繰り返し自責の念に駆られて

いる。 

「直美ちゃん、もうそんなに自分を責めるのはおよしよ。アンタのお蔭で

路上で野垂れ死にしないで済んだんだ。奥さんに代わって最期もちゃんと

看取ってあげたんだから、きっと天国で感謝してるさ」

マリエはウィスキーのグラスをそっと取り上げた。


「あたし、あの男のこと絶対に許さへん! 純ちゃんアイツに殺されたも

同然や。このままやったら、あんまり可哀想過ぎる…」

直美はカウンターの上に泣き崩れた。

「よっぽど惚れていたんだね…」

マリエは子供を宥めるように直美の背中を擦った。

「もしかして… 彼が、亜美ちゃんの父親なのかい?」

直美はこくりと小さく頷いた。

直美には三歳になる娘がいる。ホステス募集の張り紙を見て店に来た時、

小さな女の子を連れていた。同棲している甲斐性のない男は子供の父親では

なかった。マリエは若い頃の自分を見るような思いがし、自分の息子と同じ

託児所に娘を預けさせ直美が店で働けるようにした。


「子供のこと、知ってたのかい?」

直美は首を横に振った。

「あの時みたいに、やっぱり純ちゃんには子供のこと言えへんかった……」

四年前、純一の前から姿を消したいきさつをぼつりぽつりと話しはじめた。

彼の心が自分にはないことを思い知らされた直美は、妊娠の事実を告げない

まま帰国し密かに子供を出産した。日本では未婚の母はまだまだ社会通念と

して受け入れられてはいない。アメリカでシングルマザーとして生きること

を決意し赤ん坊の娘を連れ再び渡米した。

偶然再会した純一は、新たに愛する人を得て幸せな人生を歩んでいた。

そんな彼に子供のことはとても言い出せなかった。


「若いのに、アンタも苦労してきたんだねぇ…」

マリエは直美のグラスと自分のグラスに酒を注いだ。



* * * * * * * 



「マリエ、酒くれ!」

一人で店に現れた藤森はカウンター席にどっかりと腰を下ろした。

事件後も良心の呵責など微塵もなく、まるで何事もなかったように店に

出入りしている。

「ちくしょ! あの野郎、俺を虚仮こけにしやがって、ぶっ殺してやる!」

ショットグラスを呷った。


「仁科純一のように、か?」

突然背後から声かけられた藤森は驚いたように振り向いた。

「莉江をいったいどこへやった?」

凄い形相で健介を睨みつけた。

「それじゃまるで俺が無理やりどこかに監禁しているように聞こえるじゃ

ないか。おまえのワイフから夫のDVに耐えられない、身の危険を感じる、

夫のところには二度と戻りたくないと涙ながらに相談されてね。

綺麗な躰についた痛々しい傷跡を目にしては、男としてこのまま黙って

放っておくわけにもいかないからな」

健介は淡々とした口調で言った。


「俺がDVの加害者だという証拠でもあるのか?」

「そんなもん必要ない!」

開き直る藤森に声を荒げ一喝した。

「忘れてもらっちゃ困る、俺はこれでも医者だ。診断書を書くのは得意でね。

それに、ボストン市警には顔見知りのデカも何人かいる。

仁科純一はどう診ても事故死じゃない。傷害致死、いや、死因からすると

あれは立派な殺人だ。委託殺人かな? 実行犯はおまえの手下ってことは、

おまえの罪状は、殺人教唆か…」

「貴様!」

「まあ、落ち着け。俺はおまえとちがって一度でも同じ釜の飯を喰った男に

臭い飯を喰わせるような真似はしたくない」

健介は藤森の振り上げた拳を制した。

「条件はなんだ? いったい何がほしい?」

吐き捨てるように言った。


「おまえのワイフが、いたく気に入ってしまってね。名実ともに俺のものに

したい。まずは、離婚届の不受理取り下げ書を役所に提出し法的に離婚を

成立させ、おまえの名前を芹澤の戸籍から抜いてもらう。

あとは、芹澤冬梧の『愛娘の肖像』と仁科純一の『愛しき女の肖像』を彼女に

返してもらう、それだけだ」

「……」

藤森は押し黙ったまま忙しなく煙草をふかしている。


「イタリアンメイドのスーツからオレンジ色のツナギに着替えることを考え

れば、悪くない条件だと思うがな…」

「……」

「まっ、嫌なら仕様がないか。じゃ、な」

「待て、待ってくれ!」

店を出ようとする健介を慌てて呼び止めた。

「あの絵は、『愛しき女の肖像』は、日本の画商の手に渡っていて、もう

俺の手元にはない」

「そいつぁ、一石二鳥じゃないか。日本に飛んで絵を買い戻し、ついでに

役所で離婚届を受理してもらい新しい戸籍をもらって帰って来る。期限は

一週間だ、それ以上は待てない。

まっ、ややこしい仕事はとっとと片付けて、お互い楽しいクリスマス、

良い新年を迎えようじゃないか!」

健介は片目を瞑ると藤森の肩を敲きマリエの店を出た。


ドアの向こうで地団太を踏む藤森の怒号が響いていた。






  






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