『呪われた人形と人食い人形(?)』…最終章・旅の終り
翌日。俊雄と紗和子は、お菊人形を箱に収め、寺に預ける決意を固めてリビングに向かった。だが、そこで目にした光景に驚愕する。
お菊人形が、赤い褌一丁で立っていたのだ。両腕を胸の前で組み、胸元を隠すその姿は、まるで時代劇の力士がふんぞり返っているかのようだ。滑稽だが異様な光景に、俊雄は思わず声を上げた。
「な、なんだこれ!?どうして…こんな格好で…!?」
紗和子は目を丸くし、口を押さえた。
「と、俊雄さん、これ…どういうこと!?人形が自分でこんなことするわけないよね!?」
二人は顔を見合わせた。異常なのは明らかだったが、なぜこんな滑稽で、ほとんどギャグのような姿なのか、理解を超えていた。俊雄は額に汗を浮かべながら呟いた。
「と、とにかく、これ以上この人形を家に置いておくのは危険だ…多分…」
「そ、そうよね。子供たちには悪いけど、やっぱり、お寺に持っていくしかないわ」
リビングの隅で、洋子と賢太が騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた。
「え~?お菊ちゃん、めっちゃ面白いじゃん」
「置いといてよ!お菊ちゃん、もっと面白いことしてくれるよ、絶対!」
子供たちの無邪気な声に、夫婦は苦笑するが、心の奥では恐怖が渦巻いていた。この人形は、ただの物ではない。何か得体の知れない「意志」を持っているのはもはや間違い無い。
「駄目よ、洋子、賢太。この人形は…何か変なの。危ないかもしれないから、お寺に預けるの。分かった?」
子供たちは不満げに唇を尖らせたが、親の真剣な表情を見て渋々頷いた。
その日の午後、俊雄はお菊人形を預ける手配を整えた。箱に丁寧に収められたお菊は、まるで諦めたように静かだった。だが、その内心は、羞恥と絶望で煮え滾っていた。
――――
「ようやく出られた…。わ、私が、まるで三流の喜劇役者の様になって…ようやく…!」
彼女の長い黒髪が、まるで怒りに震えるように揺れた。守護霊の提案――「間抜けな行動で家族に自分の存在を気づかせる」という作戦は、確かに成功した。だが、その代償として、お菊はこれまで味わったことのない恥辱にまみれていた。
寺の駐車場に車が停まると、守護霊が再び現れた。彼に気付いたお菊は、箱の中で小さく呻いた。
「この恥辱は忘れないぞ…私が…あんな姿を…!!」
守護霊は静かに微笑み、落ち着いた声で答えた。
「済まなかったな。だが、お前の呪いがあのトラップを刺激していた。あのままでは、お前も河上家も、そして、この世界そのものが危うかったのだ」
お菊は唇を噛みしめ、目を伏せた。
「解っている…だが、この恥辱は…耐え難い。私が、ネットに晒されて、笑いものに…!」
実は、洋子と賢太が隠し撮りしたお菊の「どじょうすくい」や「ヌードギャル」の映像は、すでにSNSで拡散されていた。子供たちは面白半分で投稿したのだが、ネット上では「フェイクだろ」という声もあれば「お、俺の腹筋をどうするつもりだ、こいつ?」、「お菊ってこんなに面白い存在だったのか…知らんかった」などと話題になり、高評価を得ていた。だが、当のお菊にとっては、心が砕け散るような屈辱でしかない。
「お前は…私の気持ちを本当に分かっているのか?あんな…笑いものにされて…!私はもう、人間とは関わりたくない。もう…ただ隠れたい。静かに消えたいんだ…」
お菊の声に、守護霊は静かに頷き、深い慈悲の眼差しを向けた。
「…お菊よ、ここでなら、静かに眠れるかもしれん。この寺は、呪われたものを受け入れる場所だ。ゆっくりと、己の心を見つめ直す時間を持つのも良いだろう」
お菊はもう何も言わなかった。
やがて車が動き出し、お菊は寺の奥へと運ばれていった。
――――
「これが私の経験した出来事だ」
古びた寺の奥、埃っぽい部屋に、再び重い静寂が戻った。お菊は棚の空いた一角に置かれ、目の前には、メリー、静子、花江、そして無数の人形たちが並んでいた。彼らは皆、静かに、しかし戸惑いを宿した眼差しで、話を終えたばかりの彼女を見つめていた。
メリーが口を開く。
「…そ、そんな代物がこの世に存在するなんてな。ブラックホールだと?いくら何でも冗談と思いたいが、あんたのその様子は…」
静子が、か細い声で呟いた。その声には、憐憫の情が滲んでいた。
「お菊、あんた…そんだけ途方もない苦労をして、挙げ句の果てに、笑いものにされて…よく…。いや、なんて言葉をかけてあげたらいいのか……」
花江は低く、そして深く、同情するような声で話しかけた。
「…そのブラックホール人形、その内に秘めるものが恐ろしすぎる。あんたの気持ち、分かるよ。とんでもない恐怖の中、人間の前で恥を晒され…そりゃ、存在ごと消え失せたいと願うのも無理はないさ。」
部屋に、言いようのない重い沈黙が落ちた。お菊は、棚の隅で膝を抱え、その長い黒髪で顔を隠すようにうつむいた。
「もう…いいんだ。旅は終わった…私はここで朽ちる。人形供養で燃やされるでも、土に埋められるでも、なんでもいい…ただ、この世から消えて、すべてを忘れたい。人間も、呪いも、あの恐ろしいブラックホールも…全部、無かったことにしたいんだ…」
お菊のその言葉に人形たちは、その深い哀愁と悲痛な願いを前に、何を言えばいいのか分からず、ただ黙って彼女を見つめた。メリーがやっとのことで、重い口を開いた。
「…まぁ、今はゆっくり休めよ。…いつか、お前の魂も、楽になれる日が来るだろうよ」
お菊は答えなかった。ただ静かに目を閉じ、その疲れ果てた魂を、静寂の中に沈み込ませていった。部屋には、埃と、人形たちの沈黙だけが漂っていた。その沈黙は、彼女の長い苦しみを吸い込むかのように、静かに、そしてどこか優しく、部屋を満たしていった。
――――
それから数ヶ月ほど経ったある日、紗和子の古物商のネットワークを通じて、人食い人形の伝説を独自に調査していた好事家が現れた。男は、その異様な気配を即座に察知し、こう言った。
「この人形…確かに危険なものだ。ただの骨董品などではない。ですが、私が責任を持って、二度と人の手に触れることのない場所に保管しましょう。深山の奥、厳重に封印された地下倉庫に安置すれば、その内に秘める力が暴走する心配はないはずです。」
俊雄は了承した。あのお菊の一件以来、曰く付きのある品物には一切触れないようにしていた。そして、人食い人形にも疑いを向け、こいつも寺に預けるべきかと考えていた所だったのだ。
「そうですか、では…どうかお願いします」
男は静かに頷き、人食い人形を厳重に梱包して持ち去った。河上家の人食い人形が運び出されていくのを見届けた守護霊は、家族の背後で見守りながら、ようやく肩の荷が下りたかのように、静かに微笑んだ。
「やっと…あの脅威が去った。これで、この家は安全だ」
だが、彼の心には一抹の不安が残っていた。人食い人形は、確かに意志を持たない器に過ぎない。しかし、そのブラックホールの力は、いつか再び人の欲望や悪意に反応し、目覚めるかもしれない。彼は、静かに祈った。
「どうか、あの人形が永遠に眠り続け…もう二度と人の世に現れることが無いように…」
一方、ネットの世界では、お菊の「どじょうすくい」や「赤い褌」の映像が、ミームとして細々と生き続けていた。「フェイクだろ、でもめっちゃ面白い!」「この人形、シュールすぎて草」というコメントとともに、彼女の滑稽な姿は、時折SNSで話題に上った。人々は気まぐれにその動画を共有し、無邪気に笑い飛ばす。だが、その背景にあった世界の危機を知る者は、誰一人としていなかった。
お菊は、今日も寺の薄暗い棚の片隅で、静かに眠り続けていた。呪いの力を使う事はもう無い。
だが、あの苦痛の日々は未だに忘れられない。遠くで人の笑い声が聞こえると、心の傷が疼いて仕方無かった。寺の棚には、メリーや静子、花江といった人形たちが、心配そうにお菊を見守っている。
「もう…すべて忘れよう…忘れるんだ…」
――――
その頃、遠い山奥の封印された洞窟で、お菊を地獄(?)へ落とした、あの人食い人形は暗闇の中で静かに息を潜めていた。その口に封じられた奈落は、ただひたすらに、邪な人間がやって来るのを永遠に待っているかのようだった。
終。
これで7話目を終わります。




