第五話
「まあ、収まるべきところに収まったみたいね」
校門前で待ち合わせをしていた、俺と愛乃の姿を見るなり、広中はそう言う。
「まるで、こうなるのが分かってたみたいな言い方じゃないか」
「だって、あなたが放って置ける訳ないもの。被害者のことも、愛乃のことも」
「…………」
いや、今回がたまたまそうだっただけで、いつもそうな訳ではないのだが、言い返すことが出来ないのはなぜだろう。
そして、そのやり取りを聞いていた愛乃、クスリと笑うのが分かった。
なんとなく、俺のことが誤解されているような気がするが、訂正するのも面倒だし、愛乃が、いや、まあ、何でもない。
「とにかく、これから例の公園に行くんだろ? だったら、俺も付き合うよ」
「そう」
取り繕うように俺が言うと、広中がそれに短く答える。
広中のそっけない態度は、俺の行動が予想通りだということを暗に示していた。別にどうということでもないのだが、いつか広中を出し抜いてやることを密かに誓った。
「じゃあ、行こっか」
愛乃が笑って言う。まったく、何がそんなに楽しいんだか。
「それで、具体的にはどうするつもりなんだ?」
駅へ向かう途中、俺は女子二人にそう尋ねる。
二人は顔を見合わせるが、広中の方は説明するのが面倒なのか、そのまま視線を前の方へと戻してしまう。そして、なし崩し的に、愛乃が説明してくれる。
「えっと、とりあえず、公園に行って、張り込みを」
「犯人が見つかる可能性は、かなり低いと思うけどね」
愛乃が言うのに、広中が補足する。
「愛乃も、顔はほとんど見てないみたいだし、服装も変わるだろうから、あまり当てにはならないと思うわよ」
「ごめんね。私が、もっとちゃんと見れてれば良かったんだけど」
「いや……」
愛乃が謝るようなことではない。愛乃も、自由に見られる訳ではないと言っていたし、それを責めるつもりはない。しかし、せめて顔だけでもわかっていれば、もっと簡単だったことも事実だ。愛乃がそのことで思い悩むのも、仕方のないことかもしれない。
「まあ、どっちにしても、見つかるかどうかは、犯人の動機によると思うわよ」
広中が更にそう続ける。愛乃が気にしないようにという配慮もあるのだろう。
「動機?」
意味が分からずに、俺が聞き返すと、広中は淡々と続けた。
「そう。大きく分けると、突発的なものか、計画的なものか、ってこと」
「なるほど」
突発的に、例えば、イライラしてやった、とかなら、当日になってみないと分からない。逆に、計画的な犯行ならば、現場の下見や、逃走経路の確認など、犯人がその場に現れる可能性が考えられる。しかし、
「状況から考えると、前者の可能性が高いと思うけどね」
「ふむ」
広中の意見に、俺も頷く。
今回の現場は公園だ。計画的な犯行だと考えるなら、屋内や路地裏など、人目を避けて行われるように思う。捕まりたくないからだ。
しかし、そうなると、張り込みをする意味は、あまり無いように思う。それでも、何もしないよりはまし、と思うべきなのかも知れないが。
その俺の考えを見越してか、広中はさらに続けた。
「犯人は無理かもしれないけど、被害者の方は見つかるかもしれないわよ」
「ああ、そうか」
広中に言われて、俺はハッとする。
被害者に関して言えば、犯人の動機に関わらず、習慣的に、その公園を利用している可能性はある。恐らく、今回の目的は、犯人よりも被害者の方にあるのだろう。
麻野駅から一〇分ほど歩いたところで、件の公園にたどり着く。
かなり大きな公園で、テニスコートや野球場が隣接されている。広場の芝生も上には、平日でも宴会を開いているグループがあり、愛乃が言っていた通り、まだ多くの花が残った桜を囲っていた。
「ここだよ」
公園の入り口、俺たちが入ってきた方とは反対側の、入り口の近くに設置されたベンチに近づいて言う。
「私が見たときには、ここに女の人が倒れてて、近くにナイフ持ってる人がいたの」
身振り手振りを交えて、愛乃が事件の状況を説明する。
とはいえ、まだ起こりもしない事件の話を聞いても、手掛かりになりそうなことは何一つ無い。
「とりあえず、ぐるっと見回ってみるか」
俺がそう提案すると、二人もそれに賛成する。
「まあ、それしかないわよね」
いかにも、「それくらい誰でも思いつくでしょ」と言う風に、広中は付け足した。なぜ、こうも言わなくてもいいことを言うのだろうか。
いや、俺の言動がいちいち鼻について仕方がないのだろう。愛乃が提案したのなら、別に指摘したりしないだろう。
「えっと、じゃあ、行こっか」
険悪になりかけていた俺たちの空気に困惑しながらも、愛乃は先を促す。広中に言いたいことはあったものの、一先ずそれは置いといて、その後に続く。
「それにしても、本当にまだ桜が咲いてるんだな」
見渡す限り、公園のあちらこちらに桜が咲いている。
「うん、毎年遅いんだよね。わかんないけど、多分、品種が違うんだと思う」
言われてみると、よくあるソメイヨシノとは、少し違うような、違わないような。
「たしかに、ちょっと色が濃いわね。私も、詳しくは無いけれど」
桜を眺めながら、広中がそう感想を述べる。
そうやって、景色を楽しみながら、公園内を三人で回る。
時折、そんな場合ではないと、気を引き締めるのだが、四月の下旬にして咲き誇る桜を目にして、少しテンションが上がっていた。
「そういえば、愛乃は春生まれだったりするのかしら?」
しばらくして、広中がそんなことを言い出した。
「うん、そうだけど。どうして?」
急に言い当てられて、愛乃が頭に疑問符を浮かべる。それに対して、答えたのは俺だった。
「ヨシノ、だからだろ?」
「……まあ、そうだけど」
横から口を挟まれたことに、広中は不機嫌そうに眉を寄せたが、特に文句は言わずに、俺の説を肯定した。
しかし、愛乃には、それだけでは伝わらなかったようで、未だに疑問符は残っている。視線で広中に説明を求めるが、その広中は俺にパスを回す。
(さっきは不満そうにしていながら、今度は俺に任せるのか)
その矛盾を面倒だとも思うが、実のところ、広中は口下手なのだ。というか、細かく説明するのを好まないので、こういうことはよくあることだった。
「ほら、桜って言えば、ソメイヨシノが有名だろ。だから、愛乃の名前も、そこから採ったんじゃないかって思ってさ」
「ああ、そっか」
俺の予想に、愛乃は納得の表情を浮かべる。
漢字こそ違うが、春生まれなら、桜に関する名前を付けたとしても、何ら不思議なことは無い。
(初歩的なことだよ。ワトソンくん)
などと言うつもりは無いが、気分はそんな感じだった。
しかし、たとえホームズでも、今回の事件は解けはしないだろう。何せ、手掛かりが無さ過ぎる。
犯人はともかく、被害者のことも分かっていない。言うなれば、まだ、犯行声明が送られてきただけのようなものだ。
「犯行声明、か……」
「ん?」
俺が思わず呟いたのを、愛乃の耳は逃さなかった。
「何か言った?」と、興味深そうに聞いてくるのに対して、「何でもない」と、俺は言葉を濁す。愛乃は、俺が何か思い付いたのではないかと、期待していたようだが、そうではないと分かって、残念そうに肩を落とした。なんか、悪いことしたな。
しかし、何か思い付いたような気がしたのは確かだった。だが、それが何か、はっきりとは見えなかった。
答えが分からず、悶々としたまま、俺は捜査を続ける
「あ……」
今度は愛乃が声を漏らす。
「どうしたの?」
「うん、あの人」
広中が尋ねると、愛乃が一人の男性を指差す。
くたびれた背広を着込んだ、ぼさぼさの髪の男性が、ベンチに腰掛けて紫煙を燻らせている。体格は、離れているので分かり辛いが、大体俺と同じくらいで、これで無精ひげが生えていれば、愛乃から聞いていた特徴と一致する。
「ちょっと、似てるかも。分かんないけど」
分からない、と愛乃は言うが、実際にその現場を見ている彼女の感覚は、無視出来るものでは無い。それに、顔が分からない以上、正直、それを当てにするしかない。
「ちょっと、近くで見てみるか」
「う、うん」
俺の提案に、愛乃が息を飲む。
そういえば、愛乃は犯人が、人を襲うところを実際に見ているのだ。それと同一人物かも知れない男を前にして、恐怖心が煽られたのだろう。
「ここで待ってるか?」
「ううん、大丈夫。私がいないと、分からないでしょ?」
そう言って笑顔を見せる愛乃だったが、左手首のミサンガを握りしめ、一度大きく息を吐いて、呼吸を落ち着かせているのを、俺は見逃さなかった。
愛乃の言う通り、そうするしか無いのは確かだが、彼女に無理をさせてしまっている現状は、心苦しいものがある。
「行こう」
強い口調でそう言って、愛乃は一歩を踏み出す。俺と広中は、顔を見合わせるが、結局、それを止められることも出来ず、その後に続く。
男のことを横目に見ながら、その前を通り過ぎる。
(なんか、愛乃から聞いてた印象とは、だいぶ違うな)
あくまで、俺のイメージではあるが、愛乃から聞いていた犯人像は、精神的に追い詰められているような、危うい人物だったのだが、そういう印象は、この男からは感じなかった。
年齢は、三〇代前半くらいだろうか。身長は俺と同じか、少し高いくらいだが、肉付きがよく、俺よりもだいぶがっしりとした体格をしていた。彫りも深く、浅黒い肌と合わさって、妙な貫録を感じる。
疲れているのか、ぐったりとベンチに体を預け、空に向かって煙を吐く姿は、穏やかなようで近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
眼光も鋭く、芯の強さを感じさせ――目が合った。
慌てて目を逸らし、逃げるようにその場から離れる。
「どうだった?」
少し離れたところで、俺は愛乃にそう尋ねる。
「多分、違うと思う。目の感じとか、ちょっと怖かったけど、あんなに力強い感じじゃなかったから」
確かに、あの視線の鋭さには、俺も背筋が凍る思いがした。
凄みがあるというか、何もかも見透かされているような、錯覚を覚える視線。あの男の前では、下手な誤魔化しは効かないような気がする。
いや、それと似たような目をした人間を、俺は知っている。
「何よ?」
俺が向けた視線に気付いた広中が、鬱陶しそうにそう言う。
こちらに向けられた鋭い視線に、俺は再び、背筋が凍る思いがする。
広中の前では、下手な誤魔化しは出来ない。無駄に付き合いが長い分、本当に見透かされていたりするから、質が悪い。
「広中は、どう思った?」
「なんで私?」
心底意味が分からないという表情で、広中に聞き返される。
広中だって、犯人のことを見ているわけではない。そんな彼女に、男の印象を聞いたところで、意味があるとは、俺も思っていない。
とは言え、愛乃が感じた印象だって、当てになるかは分からない。信じていない訳では無いが、愛乃もはっきり顔を見た訳では無いのだから、それだけを当てにしていては、足元をすくわれる結果になるかも知れない。
広中もそれを分かっているのだろう、こちらから何かを言うまでもなく、自分の意見を言う。
「上手く言えないのだけど、普通の人とは空気が違うわね。清い、って言うと少し違うけど、淀みが無い、研ぎ澄まされてる、って言うのかしら。正直、愛乃から聞いてた印象とは、繋がらないと思ったわ」
「ふむ」
分かるような、分からないような言葉だが、概ね、俺が感じたのと、同じ印象だと思っていいか。普通の人とはどこか違うが、やはり、悪い印象は受けないようだ。
「――――ッ!」
不意に、男の方に目を向けて、俺はすぐに目を逸らす。
男は、未だにこちらの様子を窺っていたのだ。誰を見ていたのかは分からない、しかし、男の視線は、明らかにこちらを向いていた。
それを女子二人に伝えて、そそくさとその場を後にする。
怪しまれていた? それとも、標的にされた?
分からないが、その視線に、俺は恐怖すら感じていた。
それから、夕方になるまで公園を見回ってみたが、犯人らしき人物も、また、被害者らしき人物も、見つけることが出来なかった。
男のことは気になったが、特に俺たちのことを追ってくるようなことはなく、次にその近くに行ったときには、もう居なくなってしまっていた。
「こう言うと何だが、効率が悪いな」
「うぅ、ごめん……」
責めるつもりは無かったのだが、愛乃はそう言って俯く。
愛乃としては、手掛かりを掴むことが出来たかもしれないのに、という思いがあるのだろう。どうしても悔やまずにはいられないらしい。
しかし、そんな風に落ち込まれると、こっちも調子が狂う。どうにかして、思い直して貰いたいところだが、何と声を掛けたものか。
「愛乃」
そう思っていたとき、広中が声を掛けた。
「過ぎたことで、いつまでも悩むのはやめなさい。たらればの話をしても仕方ないし、この男だって、そんなつもりで言ってるんじゃないわ。そもそも、未来視のことで、あなたが責任を負うようなことは、何もないんだから、そうやって抱え込まないの」
「うん、ごめん」
穏やかな声音で叱責する広中に、愛乃がそう謝る。それに対して、広中は深くため息を吐く。そう簡単に、愛乃の意識は変わりそうにない。
「まあ、とにかく、もう一人くらい、人手が欲しいと思わないか? そうすれば、二手に分かれて捜査が出来る」
現状、問題点はいくつかあるが、中でも、三人もいるのに、それが一塊になっているのは、好ましいとは言えない。
それが出来ない理由は、大きく分けて二つ。
一つ目は犯人のことを見たのが、愛乃しかいないということ。
もう一つは、犯人が凶器を持っている、そうでなくとも、人を殺そうとする精神の持ち主だということだ。
一つ目の問題は、まだ何とかならなくもない。犯人の特徴は分かっているのだから、それらしい人物を見つけたら、愛乃に確認を取ればいい。
しかし、犯人が凶器を持っている可能性がある以上、何かあったときに、一人しかいない、という状況だけは避けたい。
「でも……」
愛乃の反応は芳しくない。
その理由は分かる。未来視のことを、あまり人に知られたくないからだろう。
だが、今回のことを手伝って貰うとなると、それも話さない訳にはいかない。「御近所の平和を守るためのパトロール」とでも言えば、誰か手伝ってくれるだろうか。
「言いたいことは分かる。だから、あと一人だけ、鳥居にだけ、話してみないか?」
「鳥居くんに?」
「ああ、普段はおちゃらけた奴だが、秘密は守れるし、ちゃんと話せば、分かってくれると思う」
「で、でも」
愛乃は不安そうに食い下がる。
彼女からしてみれば、この間、初めて話した相手だ。まだ信じ切れない部分もあるのだろう。
「まあ、信じられないのも、分からないこともないけど、ここは、俺と広中を信じてくれないか?」
俺がそう言うと、愛乃は広中の方へ視線を向ける。
「そうね。翔になら、話していいと思うわ」
てっきり、「私を巻き込まないでくれる?」とでも言われると思ったが、広中は小さくため息を吐いただけで、そう同意してくれる。
それを受けて、愛乃も「分かった」と、頷く。もっとも、その不安を拭い切れたかどうかは、定かではないが。
翌日、昼休みに鳥居を連れて、四人で昼食をとる。
場所は昨日の空き教室。特に示し合わせた訳では無いが、なんとなく、この教室が相応しいような気がした。
「おお、野々山さんもお弁当なんだ」
愛乃の弁当を見て、鳥居が大きく声を上げてはしゃぐ。
女子二人の昼食は弁当だった。きれいに彩られたその弁当箱は、購買で買ってきた、俺たち男子の昼飯と比べると、それだけで華があった。
「自分で作ってるのかい?」
「ううん、お母さんが。私はあんまり、料理は得意じゃないから」
「へえ、そうなんだ。ちょっと残念だな」
「残念?」
「うん、野々村さんの手料理なら、食べてみたい男子は多いと思うよ」
「ああ、そっか……」
カツサンドを頬張りながら、鳥居が話を膨らませる。しかし、男子のことが話に出ると、愛乃の表情が曇った。やはり、その手の話題は苦手らしい。
そう思っていると、愛乃と目が合った。そして、何かを言おうと口を開いて、しかし、何も言わず、恥ずかし気に顔を伏せてしまった。何だ?
「美空は、自分で作ってるんだったよね?」
俺が愛乃に聞こうとする前に、鳥居が話を広げる。
「ええ、まあ」
「凄いよね。何か味見させてよ」
鳥居にそう言われると、広中は一瞬眉を寄せたが、仕方がないという風に、卵焼きを一切れ箸で摘まんで、鳥居の方へ差し出す。そして、それを何の躊躇いもなく、鳥居は口で受け取った。
俗に言う「あーん」だ。よくやるな。
「ふぇっ⁉」と、驚いた愛乃が、素っ頓狂な声を上げて、キョロキョロと二人のことを、そして俺のことを見る。
愛乃の反応に、改めて自分たちの行為を理解したらしい広中は、恥ずかしそうに顔を逸らす。逆に鳥居は、そんなことは全く気にした様子は無く、「うん、美味しい」と言って笑う。
そんな二人の様子に、愛乃は戸惑いを隠せないようで、「え? え?」と、説明を求めて、俺たち三人の間で視線を彷徨わせた。
「あの、二人は、付き合ってるの?」
戸惑いながらも、愛乃がそう尋ねる。
「いや。美空には、何度もアタックを仕掛けてるんだけどね。今のところ、いい返事が貰えたことは無いね」
「そうやって、冗談めかした言い方するから、信用ならないんでしょ。馬鹿」
自分の気持ちを、照れるどころか、誇らしげに話す鳥居を、広中が軽くあしらう。
「え? ほんとに?」と、愛乃は信じられない、という風な表情を浮かべる。言動の矛盾を見逃せず、ますます戸惑っているようだ。
「な、仲、いいんだね……」
そう無理やり納得して、愛乃は自分の弁当を口に運ぶ。
どうやら、自分の知らない世界に触れて、呆気にとられたようだ。
「いやぁ~、まあねぇ~」
愛乃の言葉を聞いて、鳥居はわざとらしく照れて見せ、それに広中は「フン」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「まあ、この二人は大抵こんな感じだから、気にするだけ無駄だと思うぞ」
「そう、なんだ……」
俺の言ったことに頷いて、愛乃は黙々と弁当を食べ始める。もう、深く考えるのは、やめにしたらしい。
かく言う俺も、初めは驚いたものの、いつからか馬鹿らしくなって、傍観に徹するようになった。
「でもさ、そういう訳で、失礼かもしれないけど、僕は野々山さんとどうこうなりたい、とは思ってないから、そこは安心してもらっていいんじゃないかな。もちろん、仲良くしたい、とは思ってるけどね」
「え? あ、うん、よろしく。その、鳥居くんも、頑張ってね。応援してるから」
「ああ、期待に応えられるよう、頑張るよ」
そう言って、自分が無害な人間であることを主張すると、愛乃の方も、鳥居にエールを送って、心を開いて見せる。
なるほど。鳥居なりに、愛乃と親交を深めようとしていたらしい。自分がダシにされたことを知って、一瞬、広中は不満そうに眉を寄せたが、二人が仲よさそうにしているのを見ると、小さく息を吐いて、言葉を飲み込んだ。
「それで?」
昼食を食べ終わると、鳥居が口を開いた。
「そろそろ話してくれるのかな? 僕がここに呼ばれた理由と、ここ最近、君らが何をしてるのか」
どうやら鳥居は、自分が何の理由もなしに昼食に呼ばれるはずがない、と思っているらしい。もっとも、昨日の話から、ある程度予想はしているようだ。
「まあ、お前が思ってる通りだよ。話があるから呼び出した」
俺は買ってきたお茶を一口飲み、鳥居にそう告げる。鳥居の方から切り出してきた以上、別に隠す必要は無い。
とは言え、ここは愛乃に話してもらった方がいいか。ことは、愛乃の深い部分に関わる話だ。俺が軽い気持ちで話していいことではない。
「…………」
ちらりと愛乃の方を窺うと、彼女の方は、まだ心の準備が出来てないのか、自分の膝に視線を落とし、時折鳥居の方を見たかと思うと、俺と広中の間で視線を彷徨わせて、また視線を落とす。
「やっぱり止める?」
なかなか口を開かない愛乃に、広中がそう言う。鳥居には勿体ぶるようで悪いが、俺も無理に話すことは無いと思う。それだけ繊細な問題だ。
「まあ、僕はどっちでもいいけどね。林田とも、何も聞かずに手伝う、って約束で手を打ってるから」
状況を打破すべく、鳥居が口を挟む。
それを聞いて、広中が「本当?」と、俺に確認をとる。俺が頷くと、広中は「ふうん」と声を漏らす。
たしかに、昨日の話で、鳥居とはそういうことになっている。
愛乃のことを考えると、理由を話せない、ということも十分考えられたからだ。
もちろん、すべて理解した上で、手伝ってくれるというのなら、それに越したことは無いが。
「どっちにするかは、野々山さんに任せるよ。話し辛いことなら、無理に聞いたりしない。ついでに言うなら、別に話してくれなくても、僕がそれを不満に思うようなこともない。話せないことなんて、誰にだってあると思うしね」
「鳥居くん……」
本心としては、愛乃の秘密に、鳥居は興味津々のはずだ。しかし、それを無理やり聞き出すだとか、無粋な真似はしないし、お調子者ではあるが、デリケートなところでは、分を弁えることが出来る奴だ。そのあたりを信用して、この話を持ち掛けている。
愛乃にもそう伝えてあるが、彼女もそれを感じてくれているといいのだが。
「…………」
「…………」
愛乃も鳥居も、そして、俺と広中も何も言わず、その場に沈黙が訪れる。やはり、未来視のことを鳥居に話すのは厳しいだろうか。
「悪い、鳥居。やっぱり――」
「あ、棗くん」
話せないと見切りをつけて、俺がそのことを鳥居に告げようとすると、愛乃がそれを制止する。
彼女は左手首のミサンガを握りしめ、口を開く。
「大丈夫。ちゃんと、言うから。言える、から」
声は少し震えているが、強めの口調で、愛乃がそう言い切る。
「いいのかい?」
鳥居としても、その答えは意外だったのか、目を丸くして確認を取る。
「うん。必要なことだし、それに、棗くんと、美空んの友達なら、信じられるから」
深く頷いてそう言う愛乃に、鳥居は俺と広中を交互に見る。どうやら、本当にいいのかと、確認を取っているらしい。
「まあ、愛乃がいいのなら。必要なのは、本当だし」
広中がそう答えるのに、俺も頷く。愛乃がそう決めたのなら、別に文句は無い。
「わかった。じゃあ、聞かせてもらうとするよ」
俺と広中の確認が取れると、鳥居はまっすぐに愛乃の方を向き、話を聞く態度を見せる。
「うん。えっと、どこから、話したらいいかな?」
「出来れば、初めから、丁寧に頼むよ」
「あはは、そうだよね」
話の入りに迷う愛乃に、鳥居がその道筋を作る。
「初め、って言われても難しいんだけど、その、えっと、私、未来が、見えるの」
「え? えっと、どういうことだろう?」
予想外のところから飛んできた答えに、鳥居が戸惑いを見せる。
その反応に、愛乃は一度唇を引き結び、また口を開く。
「えっと、信じられないかも知れないけど、未来予知って言ったら分かるかな。それが映像として見えるの」
「へ、へえぇ~」
深く息を吐くのに合わせて、鳥居が声を漏らす。そのまま腕を組んで、椅子に深くもたれ掛かる。
未だかつて、これ程までに困惑した鳥居を見たことが無い。
まあ、俺と広中も、事故のことがなければ、理解が追い付かなかっただろう。それだけ衝撃的な告白だ。
「その、変な話、証拠はあるのかい?」
頭を悩ませつつ、鳥居がそう聞く。
「証拠、にはならないけど、えっと、五月九日に、鳥居くん、世界史の教科書忘れるから、気を付けてね」
「たしかに、証拠にはならないね。けど、わかった、気を付けるよ」
今、鳥居にそれを告げたことで、鳥居は忘れ物をしないだろう。また、本当に忘れ物をするとしても、そのときにならないと分からないことでは、証拠にはならない
「一応、私たちが証人になるかしら。林田が事故に遭うところを、この子が助けてるから」
行き詰まっていた二人に、広中が助け船を出す。それを聞いて、「本当かい?」と、鳥居は俺に尋ねた。
「ああ。金曜日、学校の帰りに、愛乃がどうしても、俺の家に来たい、って言いだして、その帰り道、うちの近くの公園で。愛乃がいなかったら、俺も巻き込まれてても、おかしくない」
「たまたま、じゃないのかい?」
唯一の証言を、鳥居はあっさりと切り捨てる。しかし、俺と広中が話に加わったことで、鳥居の中でも信憑性は増しているのだろう。口元に手を当てて、考える仕草を見せる。
「もっと分かり易いやつは無いのかい? 例えば、これから僕に、じゃんけんで勝ち続けてみせるとか」
「ごめん、私も、自分で自由に出来る訳じゃないから……」
「そっか」
やはり、未来視のことが信じられないのか、鳥居は愛乃を質問攻めにする。
しかし、愛乃は確かな証拠を提示することが出来ない。さすがに、このままでは埒が明かないので、俺の方から切り出してみる。
「信じられないか?」
「正直、ね。二人の方こそ、本当に信じているのかい?」
鳥居がそう言ったのを聞いて、愛乃が不安そうな顔を見せる。彼女の方も、俺たちが本当に信じてくれているのか、心配なのだろう。
「私は、愛乃を信じてるから」
「俺も、それで助けられてるからな」
何のためらいもなく、きっぱりと言い切った広中に、俺も続いてそう言う。
それを聞いた鳥居は、尚も不満そうな顔をしていたが、少し考えて口を開いた。
「わかった。二人が信じるのなら、僕も信じるよ。野々山さんの方に、こんな嘘を吐く理由もないと思うしね。それに、僕が見てる世界だけが、全てじゃないってことも、分かってるつもりだよ」
そう言って、鳥居は愛乃に笑いかけて見せる。
最後は妙な言い回しをしていたが、要するに、未来視のことを信じるということだろう。
それに、口には出さないが、鳥居は実はオカルト的なものを好む。
何かと疑うようなことを言っていたが、それは個人的な興味の現れでもあるのだろう。
「それで? 秘密を打ち明けて、終わりじゃないんだろ? まだ先があると、僕は見てるんだけど」
「うん」
前置きとなる部分を咀嚼して、鳥居がそう切り出すと、愛乃が強く頷いた。
「今度の日曜日、花見をしようって言ってた公園で、人が刺されるのを見たの。それを止めたいと思ってる」
「ああ、それで林田たちが、急に無理だって言い始めたのか」
どうやら、鳥居の中で、ここ最近の出来事が繋がり始めたらしい。鳥居は頭は悪くない。一から十まで話さなくても、勝手に察してくれるので、説明の手間が省けて助かる。
「犯人のことはどれくらい分かってるのかな?」
「それが、顔はほとんど見えなくて、身長は、棗くんと同じくらい。実際に会えば、はっきり分かると思うんだけど」
「なるほどね。じゃあ、張り込みとか、地道に探すしか無い訳か」
状況を整理しつつ、鳥居は何やら思案顔を浮かべる。
「例えばだけどさ、警察に言うのはどうかな?」
「え?」
鳥居の発言に、俺たち三人は顔を見合わせ、自分の理解を超えたところからの発言に、愛乃は思わず声を漏らした。
確かに、鳥居の言う通り、警察に相談することが出来るなら、それが一番手っ取り早い。しかし、「事件が起こる未来を見た」などと言っても、信じてもらえるとは思えないし、そのあたりをぼかして伝えたとしても、出どころの不確かな情報で、警察が動くとも思えない。
「もちろん、信用してもらえるとも思ってないし、野々山さんが言い辛いのも分かってる。でもさ、事件が起きるって聞いて、警察も完全に無視はできないと思うんだよね」
鳥居の言葉に、俺はハッとする。
「要は、犯行声明、みたいなことか」
昨日、俺が思いついたのは、まさにそういうことだ。警察に連絡すれば、たとえ信憑性が薄くとも、無視することは出来ない筈だ。
「まあ、そういうことになるかな。日にちは分かってるんだから、当日は警備が就くくらいはあると思うよ」
「なるほどな」
正直、俺は鳥居の案はアリだと思う。
愛乃のことを説明しないにしても、警察は動くだろうし、手紙か、公衆電話があれば、それで済ませることが出来る。手軽だが、いい手だと思う。
愛乃も同じように思っているのか、うんうんと何度も頷いている。
「でも、それじゃあ、根本的な解決にはならないわ」
そんな中、広中だけが、難色を示し、反論を述べる。
「警察がいるとわかってれば、普通は事件を起こそうとは思わないでしょ。それで思い直してくれればいいけど、日を改めて、なんてことになれば、次はいつどこで起こるか分からないわ。その日の事件だけを防いで終わりじゃないのよ」
広中の言葉に、俺を含む三人は言葉を失う。
彼女の言う通りだった。今回のことは、場所と日にちが分かっているから、動けているところはある。鳥居の言う方法で、事件を回避したとして、確かに頭が冷える、ということはあると思う。しかし、それを確認する術は無い。つまり、起こるかどうかすら分からない事件のことを、警戒しなければならないことになるのだ。
愛乃の未来視も期待できない以上、全ての決着を、少なくともその糸口くらいは、日曜日に見つけなければならない。
「まあ、犯行声明だって犯罪だからね。僕もおすすめはしない」
「そう、だな」
そのことを抜きにしても、例えば、俺がその罪を被ることを考慮しても、鳥居の案はやる価値があると思ったのだが、そうそう上手くはいかないようだ。
「結局、地道に捜すしかないか」
「そうだね」
俺がそう結論付けると、愛乃がそれに同意する。
と、そこで昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。
「じゃあ、また、放課後に」
愛乃がそう言うのに合わせて、俺たちは教室を後にした。
放課後、昨日の公園に着くと、さっそく捜査を始めるべく、俺たちは二組に分かれる。
「何でこの組分けなの?」
そう不満を漏らしたのは広中だった。
話し合いの結果、俺と愛乃、鳥居と広中で分かれることになった。広中の鋭い視線が、こちらを向いているあたり、どうやら、俺と愛乃が組むことが不満らしい。まだ、俺が愛乃に何かしないか心配なのだろう。
「何でって言われてもなあ」
答えたのは鳥居だった。
「女子二人だけで組ませる訳にもいかないし、野々山さんは僕じゃ嫌だろうし」
「い、嫌、じゃないけど」
誤解を生むような表現をする鳥居に、愛乃が慌てて否定する。
確かに、嫌ではないのだろうが、多少なり付き合いの長い俺の方が適任だと、鳥居は判断したのだろう。それに、俺と広中では、まともに捜査も出来やしない。
「それとも、美空は僕とじゃ嫌かい?」
「い、嫌、とは言ってないでしょ」
えげつない。
広中としては、そう言われると弱いだろう。そこを利用されていると分かっていても、彼女は了承するしかない。
その広中の様子を見て、鳥居は口が「ごめんね」と小さく動いたのを、俺は見逃さなかった。
「いいこと」
広中が、俺の胸に、トン、と人差し指を突き立てて言う。
「もし愛乃に何かしたら、ただじゃおかないから」
俺の顔を睨みつけ、冷たい声音で、彼女はそう言った。
怖え女。
「じゃあ、まあ、そういうことで。僕らは公園内、林田たちは周辺の捜査をするってことでいいかな。お互い、犯人らしき人間を見つけても、勝手な行動をせずに、必ず連絡を取ること。まあ、僕らは可能性少ないと思うけどね」
そう言って、鳥居と広中の二人は、その場を後にする。
どうでもいいが、何で鳥居が仕切っていたのだろうか。
「えっと、どう、しよっか?」
二人を見送って、愛乃がそう聞いた。
が、俺と目が合うと、慌てて逸らして、気まずそうにチラチラとこちらを見る。
何だ? そんな風にされると、何か……。
「そうだな」
グルグルとよくわからない思いで、頭の中が埋め尽くされるのを断ち切って、俺は口を開く。
「鳥居の言っていた通り、周辺を見回ってみるか。まあ、あまり離れすぎても意味ないだろうけど」
「うん、そうだね」
とりあえず、今日の方針が決まったところで、俺たちもその場を後にする。
「大丈夫かな? あの二人」
すぐに、鳥居たちが歩いて行った方を窺いながら、愛乃がそう口を開く。
「大丈夫だろ。鳥居はあれで頭は悪くない。広中もいるし、危険と分かれば無茶はしないだろ」
それに、二人は犯人を見ても、それと分からない可能性も高い。しかし、それはこちらも同じで、愛乃ですら、分からないこともあるかも知れない。
まあ、それを言い出すと、また愛乃は「ごめん」と言い出しかねないので、口には出さないでおくが。
「三人は、中学のときから、仲が良かったんだよね?」
「ああ、俺と広中は、小学校のときから、ずっと同じクラスってのは話したよな」
「うん、じゃあ、ずっと仲良かったの?」
「いや、あまり話す仲じゃなかったんだが」
少し嘘を吐いた。
もともとは、かなり仲のいい関係だったと思う。昔は、よくお互いの家に遊びに行くくらいだった。それがいつからか、男女で遊ぶのが妙に恥ずかしくなって、次第に距離を置くようになったのだ。
そして、ある事件をきっかけに、中学に上がる頃には、ほとんど話さなくなってしまっていた。
そのことを愛乃に話さなかったのは、俺の不甲斐なさを愛乃に知られたくなかったからだ。
「けど、中学に入って、俺が同じサッカー部だった鳥居と仲良くなってな。あいつが広中と仲良くなりたいがために、無理矢理引き込んだんだ」
「そう、なんだ」
鳥居と広中の逸話を聞いて、愛乃が少し表情を曇らせるのが分かった。
「今思えば、最初から惚れてたんだと思うよ。まあ、きっかけはそんな感じだな」
「そっか」
愛乃の反応を密かに楽しみながら、俺はそう締めくくる。
多少誇張はあったかも知れないが、今度のことは嘘ではない。つまり、今愛乃が感じた印象は、ほとんど当たっていることになるだろう。
「愛乃の方はどうなんだ? 中学の友達とか」
「私?」
「あっ……」
言ってから、しまったと思う。
愛乃の未来視のことを考えれば、今まで人付き合いを避けてきたのかも知れない。だとすれば、彼女にとっては嫌な質問だっただろうか。
「いや、言いたくないならいい」
「あはっ、何それ」
気まずくなる前にと、そう言った俺を、愛乃が一笑に付す。
「棗くん、今、私に友達いないとか、失礼なこと考えたでしょ」
「あ、ああ」
「あはは、否定しないんだ……」
まあ、そう思っていたのは本当だし、ばれているなら、隠す必要もないかと。
「私だって、中学のとき仲いい子とかいたんだよ。そうじゃなきゃ、美空んとだって、仲良くなってないって」
「そうか」
少しホッとした。
愛乃に友達がいたということもそうだが、もしかしたらタブーに触れてしまったのかと思って、内心ビクついていた。
「でも、わかんなくなっちゃった。未来視のことまで話したのは、棗くんたちが初めてだし、そもそも、そこをリセットしたくて、ちょっと離れた高校を選んだところもあるし」
「…………」
何と言えばいいのか分からなかった。
考えていたのは、土曜日のこと。
俺たちにだって、事故のことがなければ、話してはくれなかったかも知れない。
言っても信じてもらえないかも知れない。気味悪がられるかもしれない。友達だから、知っておいて欲しい、友達だから、知られたくない。いろいろ複雑な思いが、愛乃の中で巡っているのだ。そして、それが引け目となって、愛乃はその友達から離れることになった。
「愛乃のそれとは、比べられないかも知れないけどさ」
「ん?」
「俺だって、愛乃に話してないことはあるよ。鳥居にも、広中にも言ってないことがある」
足を止め、言いながら、自分の考えをまとめていく。完全に見切り発車だったが、それでも言わなきゃいけないような気がしたのだ。
「きっと、誰だって、隠しごとはあると思う。けど、友達だからって、それを全部話す必要は無いんじゃないかって、俺は思うよ」
わかんないけど、秘密を話したから友達とか、話してないから違うとか、何かをしたから友達とか、どれだけ相手を知ってたら友達とか、そういうのって、多分無い。
なんかさ、気が付けばなってる、とか言うけど、ほんとにそうなんだと思うよ」
「…………」
俺が話している間、愛乃は何も言わず、呆気にとられたように、目を丸くして聞いていた。
分かっているのだろうか? 俺の方は、もう何が言いたかったのか、分からなくなってきたのだが、完全に分からなくなる前に、結論付けるとしよう。
「つまり、だな、そう深く考える必要は無い、ってことだな。少なくとも、秘密があることを、引け目に感じる必要は無い、って俺は思う」
「そう、かな?」
「でも、愛乃がそれで悩むのは、たぶん、その友達にも知っておいて欲しいから、なんだと思う」
「――――ッ」
俺がそう言うと、愛乃はハッと顔を上げ、目を見開く。
そのしぐさに少し驚いたが、俺は話を続ける。
「まあ、なんだ、俺はその友達のことは、何も知らないけど、愛乃がちゃんと話せば、分かってくれるんじゃないかって思うよ。愛乃の素直さは、その友達にも伝わってると思うし」
その素直さには、俺も心を動かされた。今こうしていることもそうだが、恐らくは最初に会ったときから、何度も心を動かされてきた。
それはたぶん、広中も同じで、鳥居だって、愛乃に何かを感じたから、協力してくれているのだと思う。
だから、その友達も、愛乃に何か感じているはずだ。
根拠は無いが、そんな気がする。
「って、なんか偉そうだけど」
柄にもなく熱弁を振るっているのが、妙に恥ずかしくなって、俺は頭を掻く。
「ううん、ありがと」
愛乃は静かに首を横に振り、礼を言う。
正直、笑って流して貰おうと思っていただけに、その反応に少し面食らってしまった。まあ、何か愛乃の力になれたなら、別にいいか。
事態が飲み込めず、俺はまた頭を掻き、歩き始めた愛乃の後を追う。
と、そのときだった。
「あっ――」
すぐ近くを歩いていた女性と、腕がぶつかる。
俺も、その女性も、倒れこそしなかったが、女性が手に持っていた荷物を、取り落としてしまった。
落ちた衝撃で紙袋が破れ、中に入っていた大量のリンゴが転がり出る。
「すみません」
慌ててそのリンゴを拾おうと屈むと、女性の身体つきが、少し不自然なことに気付いた。
女性のお腹が膨らんでいる。どうやら、身重らしかった。
それに気付いた瞬間、背筋が凍るような思いがする。
「あの、大丈夫でしたか? お腹」
もし、俺がぶつかったことで、何かあったらと思うと、謝って済むようなことではない。場合によっては、ひとつの命を奪うことになるのだから。
「ああ、大丈夫ですよ。ぶつかったのは腕でしたし、そんなに強くなかったですから」
俺を心配させまいとしたのか、女性は薄く笑みを浮かべて、そう言う。俺にはよく分からないが、女性自身にそう言われたことで、少しホッとした。
女性はゆっくりと姿勢を落とし、落としたリンゴを拾う。俺もそれに続いた。
女性の年齢は二〇代前半くらいだろうか。涼子さんと同じくらいに見える。少し赤みがかった茶髪を長く伸ばした、綺麗な女性だ。
「大丈夫?」
俺が付いてきていないことに気付いて、愛乃がこちらに駆け寄ってくる。
「――あっ」
愛乃も女性のお腹に気付いたのだろう。小さく声を上げて、リンゴを拾うのに加わる。
程なくして全てのリンゴを拾い終えるが、もともと入っていた紙袋は破れてしまって、使い物にならず、一人で抱えるにはあまりにも多い。どうしたものかと思っていると、愛乃が口を開いた。
「あの、お家まで、一緒に持って行きますよ」
きっぱりとした口調で、愛乃はそう言う。まあ、愛乃のことだから、そう言いそうな気はしていた。
「それは悪いわ。これから、二人でどこか行くところだったんでしょう?」
女性の言い方では、まるでデートの途中だったようだが、愛乃はそんなことは気にした様子は無く、さらに続けた。
「でも、えっと、その、乗り掛かった舟と言いますか、とにかく、やらせてください」
事件の捜査のことも忘れてしまっているのではないか、と疑いたくなる程、愛乃は強い口調で言う。
この件に関しては、俺のせいということもあるので、俺がこの女性について行って、その間、愛乃を一人には出来ないので、鳥居たちと合流してもらおうか、と思っていたのだが、俺が口を挟むことすら許さないくらいだった。
「えっと、じゃあ、お願いしよう、かな」
愛乃の強引さに、少したじろぎながらも、女性は愛乃の提案を了承する。
「あ、はい」
それに対して、愛乃は喜びを露わに、返事をした。
「もしかして、また未来を見たのか?」
女性の家へと向かう途中、女性を先頭に、少し後ろを歩く愛乃に、俺は小声で話しかける。
「え?」
「さっきの感じ、俺のときと似たような雰囲気だったから」
あの少し強引な感じは、金曜、俺の家に来たい、と言い出したときと似た雰囲気を感じた。もしそうなら、話を聞いておいた方がいいだろう。
「えっと、また、っていうのは違うかな。でも、この人のことは、前に見てた」
「それって」
よくわからない言い方をする愛乃だったが、幸いにも、その本意はしっかりと俺に伝わってきた。
「うん、この人だよ。刺された人」
やっぱり。
思えば、最初に女性を見たときも、愛乃が驚いていたように見えたのは、そのせいだったのだろう。
広中の言っていた通り、犯人の動機を考えると、この捜査の目的は、犯人よりも被害者にあった。
その被害者に接触できただけでなく、自宅まで判明したとなれば、これからの捜査はしやすくなる。もしかしたら、犯人と接触する可能性もある。
愛乃がどこまで考えているかは分からないが、これは大きな進展と言っていいだろう。
「あ、ここだよ」
あの公園から、五分くらい歩いたところで、女性が口を開く。
案内されたのは、一五階建てのマンションだった。
うちと比べてみても、外見ではそれほど違いが無いように思う。女性に案内されて中に入ってみても、特に豪華なつくりというわけでもなく、かと言って、ボロいとかいう訳でもなく、よくある普通のマンションだった。
「さ、入って入って」
女性が自室の扉を開け、俺たちを中へと案内する。
誘われるがままに、俺たちも後に続いた。
部屋の中は綺麗に掃除が行き届いており、チリ一つ見当たらない。パッと見たところ、2LDKのようだ。
キッチンで女性に持っていたリンゴを渡すと、「ゆっくりしていってね」とリビングへ案内される。
リビングのテーブルに、愛乃と二人して腰掛けていると、女性がコップにお茶を入れて持って来てくれた。
「ごめんね。お茶ぐらいしか出せないけど。あ、リンゴ切ろっか?」
女性はそう言って、パタパタとスリッパを鳴らして、キッチンへ戻って行った。
「あー、お構いなく」
キッチンへ呼びかけてみるが、聞こえているかどうか。
「とりあえず、鳥居たちに連絡しとくか」
「そうだね」
淹れた手お茶を一口すすり、俺はスマホを手に取る。
『被害者の女性と接触した。また後で連絡する』
文面に少し悩んだが、それだけ打って、事前に作っていた四人のグループチャットに送信する。こちらもまだ、どうするか方針が決まっていない以上、これ以上書き込むべきことはないだろう。
愛乃もその文面を確認して、こちらに頷く。
「おまたせ~」
またパタパタとスリッパを鳴らして、女性がキッチンから戻ってくる。出されたリンゴはウサギ型に皮をむかれ、俺たちは二人して笑みをこぼした。
「そういえば、まだ二人の名前も聞いてなかったね。私は、玉木美月。よろしくね」
女性、玉木さんは、俺の向かい側に、ゆっくりと腰掛け、今更ながらに自己紹介をする。
「あ、野々山愛乃です」
「林田、棗です」
「あはっ、二人とも、お花の名前なんだ。かわいいね」
俺たち二人の名前を聞いて、玉木さんは笑みを漏らす。
確かに、俺の名前はまんま花だし、愛乃もそう言えなくもない。言われてみれば、苗字みたいな名前だったり、俺と愛乃の名前には共通点が多い。まあ、それだけだが。
「あの、玉木さん」
玉木さんが落ち着いたところで、愛乃が声を掛ける。
「ん? なぁに?」
のんびりとした口調で、リンゴを摘まみながら、玉木さんは答える。
「あの、変なこと、聞いていいですか?」
「……いいけど」
玉木さんは、一瞬、難しそうに眉をひそめたが、すぐに、愛乃の質問を了承する。
愛乃が聞きたいのは、十中八九事件に関することだろう。
今、変に突っ込んで、玉木さんに不審がられるのは避けたいところだが、正直、少しでも手掛かりは欲しい。ここは、慎重にいきたいところだ。
「最近、何か、誰かに恨まれるようなこと、ってありませんか?」
少し直球過ぎる気もするが、周りくどいことをしてもいられない。そういうのは、愛乃も得意じゃなさそうだしな。
玉木さんはリンゴをかじりながら、少し考えて答える。
「う~ん、たぶん、無いと思うけど。私のことが好きだった人とか、夫のことを好きだった人とか? 結婚したのは一年くらい前だから、最近でもないけどね」
玉木さんは冗談めかしてそう言う。
まあ、可能性としては無くは無いと思うが、どうだろうか。
好きだった相手が結婚したから、その結婚相手を、あるいは、自分のものにならないのなら、とその本人を、か。犯人の考えることなんて分からないが、一年も引きずって起こした犯行にしては、雑過ぎる。俺なら、もっとちゃんとした計画を立てると思う。やはり、動機がはっきりしているなら、しっかりと計画を立てるものではないのか?
「もう一つ、いいですか?」
「うん、どうぞ」
愛乃が質問するのを、玉木さんが了承する。
「桜公園には、よく行かれるんですか?」
桜公園、というのは例の公園だろう。思えば、今日玉木さんと出会ったのも、あの公園からそう離れた場所ではなかった。名前までは俺は知らなかったが、どうやら、玉木さんには通じたようだ。
「うん、まあ、散歩がてらに、毎日行くよ。今の時期は、桜も綺麗だしね」
「…………」
玉木さんの言葉に、愛乃が表情を硬くする。
今回の事件が、玉木さんを狙っての犯行だとすれば、彼女の習慣である散歩の時間を狙った、ということくらいは、愛乃も予想がついただろう。
「それで? それがどうかしたの?」
さすがに、質問の意図が気になって、今度は玉木さんの方から質問を投げかけられる。
「……それは、その……」
唐突に質問されて、愛乃は口ごもり、助けを求めるように、愛乃がこちらを見る。
まあ、説明のしようは無いが、このまま何も説明もなし、で通じる状況でもないか。
「別に、私は説明なしでも構わないんだけど、悪い子たちじゃなさそうだし」
両手で頬杖を突いて、玉木さんは言う。
「でも、あんまりそんな風にしちゃうと、そのうちみんなの信頼を失っちゃうよ。話し辛いことなら、無理には聞かないけど、そうなっちゃったら、もったいないと思わない? 私とは、今だけの付き合いだろうから、どう思われてもいいかも知れないけど、袖振り合うも多生の縁っていうかさ、袖どころか腕がぶつかって、荷物まで持って貰っちゃって、この出会いにも、何か意味があるのかも知れない。だから、話せることなら、話してほしいな」
なかなか口を割らない俺たちに気を使ったのだろう。玉木さんは諭すようにそう言う。
「棗くん……」
愛乃が話すべきかと、俺に確認を取る。
今ここで、玉木さんに全てを話して、不審がられるのはよくない。あるいは、あまり干渉して、未来が変わるのも避けたいところだ。
日曜日に玉木さんが襲われることしか、今は分かっていない。愛乃は反対するだろうが、正直、手掛かりが少ない以上、玉木さんを囮にするのが、今の最善の策だと思う。
しかし、
「……愛乃に任せる」
それを決めるのは、俺じゃない。俺が強要することではないし、丸投げするつもりはないが、今回のことを言い出したのは愛乃だ。愛乃が決めればいい。
「……うん」
愛乃は少し戸惑ったように見えたが、一度左手首のミサンガを握りしめ、強く頷いた。
「……あの、信じて貰えないと思いますけど」
そう前置きして、愛乃は話し始める。
未来視のこと。
事件のこと。
その事件で、玉木さんが襲われること。
その犯人と、玉木さんのことを調べていたこと。
「ふうん」
話を聞くと、玉木さんはそう声を漏らし、リンゴを一口かじる。
「それが本当なら、警察には言わないの?」
少し考えて、玉木さんはそう聞く。
まあ、誰だって最初に思い付くのは、それなんだろうな。
「言っても、未来視で警察は動けないでしょう?」
鳥居が言っていたように、こちらが罪に問われることもあり得る。いくら正しいことをこちらが言っているとしても、それを証明する方法がない。
「それも、そう、よね……」
俺の言葉に、玉木さんは口ごもり、またリンゴを一口かじって、何かを考え始める。
「あの、お願いがあるんですけど」
話が一段落ついたところで、愛乃がそう切り出した。
「ん? なぁに?」
先ほどと変わらず、のんびりとした口調で、玉木さんは応える。
「日曜日は、あの公園には近づかないで、出来れば、外出も控えて下さい。今のところ、玉木さんが狙われてる可能性は少ないですけど、一応」
「うん、そうね」
そう答えて、玉木さんはまた思案顔に戻る。愛乃の言っていることが、信じられるのかどうか、考えているのだろう。一応、肯定的には受け取ってもらえているような気がするが、信じきれないところもあるのだろう。
分かっていたことではあるが、素直に信じて貰えないというのは、少し悔しい感じがする。俺がそうなのだから、本人の愛乃はもっと悔しいだろう。
「そろそろ、行こうか」
少しずつ、この場にいるのが辛くなってきた俺は、そう愛乃に声を掛ける。愛乃は何も言わなかったが、小さく頷いて答えた。
「じゃあ、俺たちはこれで」
「あ、う、うん、えっと、ありがとね、いろいろ」
玉木さんは、まだ今一つ、思考が追い付いていないらしい。俺たちが席を立つのに合わせて、慌てて見送りの準備をする。
「あの、二人とも、無茶なことはしちゃ駄目だよ。犯人は刃物を持ってるんでしょ。誰だって出来ることと出来ないことがあるんだから」
玄関口で、玉木さんはそう言う。
それは、前に俺が愛乃に言った言葉と同じだった。それなのに、どうして俺はこうしているのか。
本当にヤバくなったら、俺も手を引くつもりだ。そのときは、愛乃も、もちろん、鳥居や広中も一緒にだ。
「分かっては、いますよ」
俺はそう答えて、その場を後にする。
愛乃も一度お辞儀をして、その後に続いた。
鳥居たちと連絡を取り、合流するべく公園へと向かう。
その途中、愛乃が口を開いた。
「……棗くん」
「何だ?」
「その、あれでよかったのかな、って」
よかった、とは、もしかして、玉木さんに事件のことを話したことだろうか。愛乃に任せると言った手前、俺の方に文句は無いのだが。
「えっと、犯人の目的が分からないから、玉木さんを囮にした方が、効率がよかったのかな、とか思っちゃって」
「…………」
愛乃の言葉に、俺はドキリとした。
その考えは、愛乃にだけは言えないと思っていたので、それが彼女の口から出たことに、驚きを隠せなかった。
「愛乃は、本当にそう思うのか?」
「え?」
「確かに、効率はよくなるかもな。けど、本当にその方がよかったって思うのか?」
「そ、それは……」
やはり、愛乃も本気で考えていた訳では無いのだろう。口ごもる彼女を見て、俺は少し安心した。
しかし、それでも俺に聞いてきたのは、感情とは別のところで、事件解決の糸口を探していたのだろう。だが、それは余りにも、愛乃らしくない気がした。
「愛乃は、正しいことをしたよ。誰も傷つかない、危険な目に合わないのなら、それに越したことは無い。きれいごとかも知れないけど、ほんとはそれがいいに決まってる。まあ、何だ、俺が保証するよ」
「あはは、ありがとう」
俺の保証に、どれ程の価値があるかは知らんが、それでも愛乃は礼を言って笑った。
次の日から、俺と愛乃は公園の周囲を、鳥居と広中は玉木さんを見張ることになった。
顔見知りの俺たちが、玉木さんの方に就かなかったのは、話し合いの結果、やはり、犯人が彼女を狙っている可能性は低い、と判断し、より犯人が現れそうなところに、その顔を知る愛乃を充てるべきだということになったからだ。
被害者である玉木さんが見つかったことで、犯人の方も見つかるのではないか、と期待したのだが、しかし、その期待もむなしく、何の手掛かりも得られないまま、俺たちは日曜日を迎える。