誇り
どこかの家から抜け出てきた虎皮の絨毯が四つん這いで歩き回っている。
子どもが握り締めていたブリキの兵隊は隊列を組んで逃げていた。
陶器人形がどこからか盗んできた金槌を振り回して窓という窓を叩き割っている。
町は突然の人形の抵抗にパニックになっていた。
時には人形達に襲われ、あちこちで悲鳴が上がる。落ち着くように叫び回る自警団でさえ、ロクな避難指示もできずに右往左往するばかりだった。
生けるモノの姿を模したものが、ことごとく命を得て人間への反乱を始めたようだ。
「なんで……」
なんで、おばあちゃんの『魔法』が?
いや違う。おばあちゃんの『魔法』は「自分が作ったぬいぐるみに命を与える」ものだった。
こんな無作為に命を暴走させるような『魔法』ではなかった。
「ねえ、待って……っ!お願い、止まってよ!」
虎皮が赤ちゃんを抱いた女の人に飛びかかるところだった。
必死に呼びかけても虎皮はこちらを見ようともしない。おばあちゃんのぬいぐるみ達なら、絶対にミウリの言葉に耳を傾けてくれた。
ミウリは走ってきた勢いのまま、虎に体当たりをする。
中に空気の詰まった虎皮はそれだけで軽々と飛ばされ、地面に転がった。野生動物らしく俊敏に起き上がるが、その顎めがけてクロイスが容赦なく追い打ちをかけた。
驚いた虎はたまらず逃げ出す。
「大丈夫!?」
「え、えぇ……」
泣き喚く赤ん坊をあやしながら、母親は礼を述べた。
彼女たちが避難所へ逃げていくのを見送り、ミウリは下唇を噛み締める。
どうしてこうなったの?
おばあちゃんはこんな酷いことをする人じゃなかった。
(『魔法遣い』を頼れ。気に食わんが、あいつならなんとかするだろう)
ハイルと名乗ったお坊ちゃんは『魔法』をよく知っているようだった。
『魔法』とは災害だと。
ミウリは首を激しく振る。
「今は悩んでいる場合じゃないわ……っ!」
止めなければ。
おばあちゃんがいないのなら、私が何とかするしかない。
そのためにはまず、『魔法遣い』とやらに会わなければ。
「きゃっ」
唐突にクロイスがミウリに飛びつく。
よろめいたミウリの耳に、破裂音が響く。
パァン――!
先程までミウリがいたところを空気が裂き、地面が弾ける。
「なっ」
「まあ、運の良いこと。でも関係ないのだわ」
ミウリは彼女を知っていた。
小柄な身にフリルの黒ワンピースをまとう、そうだ、昨日に目にした……
「次は仕留める」
「騎士!」
二人の少女が互いに敵意を剥き出す。
突然の銃声に、また悲鳴。
我先に逃れようとしていた人の波が、一気に通りの中心に輪を作る。
「王立騎士隊北方地区第 1 大隊、ミザリーと申しますわ。魔女」
ミザリーは獰猛な笑みを向け、両手に二挺拳銃を構える。
「ああ、もうなんなのよさっきから!あたしは魔女じゃないわ!」
「嘘おっしゃい。ならばこの町の混乱は何?あの人形遣いは始末した。ならば、他に後継者がいたとしか考えられないのだわ」
始末、という言葉にミウリは頭がかっと熱くなる。
この女。
こいつがおばあちゃんを。
「そう!あたしが魔女なら、あんたは人殺しよ!」
ミウリが鞄を叩く。
中で眠っていたフクロウのシズーが、ミウリに応えてミザリー目掛けて突っ込む。
「ふん、コケオドシですわ!」
シズーへ発砲。
一発、二発――三発。
ミウリはごめんなさい、と心の中で謝る。
荒事になんて慣れてはいない。これでもミウリはハン・デリーでも上流階級と呼ばれる家で育った身だ。お裁縫はできても、騎士相手に出し抜くなどできるはずがない。
しかし、さっきのメイド、ユイダとのやりとりで、銃を持った相手がどんな反応をするかミウリは知っている。知っているなら、対処だってできる。
シズーの羽が散るのを視界の端で捉えながら、ミウリは身を低くして走る。
大きく迂回して、ミザリーへ迫る。
「甘いのだわ!」
右の銃でシズーを落としたミザリーは、残弾の余裕がある左の銃をミウリへと向ける。
ミウリは、笑った。
「そうかしら?」
「!?」
その横面に、死角から飛び出してきたクロイスがぼふっとぶち当たる。
拳銃相手に丸腰なんて自殺行為だ。ましてあいては二丁。闇雲に突っ込んでも勝ち目はない。
なら、三方向から一斉に飛びかかったら?
拳銃は二丁だが、それを扱う頭は一つ。
「この、毛玉――っ!」
頭半分にクロイスを引っ付けた騎士は、片方の銃を捨てて引き剥がそうとする。
しかし捕まる前にクロイスは飛び退いた。
ようやく視界の開けたミザリーの目の前には、固く握られた拳がいっぱいに広がっている。
ミウリの怒りのストレートが、ミザリーの頬に直撃した。
「な……っ!?」
よろよろと後退したミザリーは、殴られるとは思っていなかったというようにぺたんと尻餅をつく。
先程捨てた銃を、ミウリは拾い彼女を見下ろす。
冷たい眼光がミザリーを射抜く。
「ひっ――っ!」
「さっきのはあたしの分よ。そして次はおばあちゃんの分だけど……覚悟、できてる?言っとくけど、謝っても許さないから」
「ち、ちょっとお待ちなさい!」
「待たない。あたし怒ってるのよ」
無慈悲にミウリは銃をミザリーの眉間へ向ける。
ミザリーの可愛らしい鼻からは血が滴っている。頬を赤く腫らした彼女はミウリの気迫に圧されておののいている。
それを見てミウリはやるせない気持ちになる。
こんなヤツにおばあちゃんを奪われたのか。
簡単に命を奪っておいて、こんな人ごみの中で躊躇なく銃を振り回しておいて、自分の番になれば怯えるような、こんな身勝手なヤツに。
ミウリは引き金にかけた指に力を込めようとした。
その指から、銃が弾き飛ばされる。
「いっ」
見やると、銃身の間にナイフが突き立っている。
果物ナイフのような平和的なものではない。持ち手に滑り止めを巻いた、殺傷に特化した機能性を重視したナイフ。
ミザリーが忌々しげに呟いた。
「ディンレイン……」
「ピンチのようでしたので。助太刀」
針金のように細い黒ずくめの大男がぬるりと進み出る。
そのコートに縫われた紋章に、また騎士かとミウリは顔を歪めた。冷たい汗が背を伝う。
「こんなか弱い美少女に二人がかりなんて卑怯よ!」
「……美少女かどうかはさておき、魔女には複数人で討伐にあたるのが騎士の基本。堅実」
「はあ!?失礼ね!大体、騎士なら剣を持ちなさいよ!銃だのナイフだの、あんたたち恥ずかしくないの!?」
「騎士ゆえいかなる状況下においても戦闘を続行する必要があるのです。必然。いかなる武器をも扱う必要があります」
さて、と黒い針金騎士ディンレインはミザリーに向き直る。
「ミザリー殿。任務中に突然の単独行動はいただけません。警告」
「な……っ!あ、貴方にだけは言われたくないのだわ!」
「自分は密命に沿って行動しております。勿論。チャルスオーク大隊長を軽んじた罪は認めます。猛省。しかしながらミザリー殿の先程の行動は独断専行と言わざるを得ない」
「ま、『魔法』を率いた魔女の縁者を見つけたの!魔女は即断罪、破魔約定にもあってよ!」
「そこです、ミザリー殿。今この状況で、『魔法』の暴走が彼女に起因するという確たる証拠がない。我らは人殺し集団ではないのです」
「お黙り!中央の犬が!!!」
顔を真っ赤にしてミザリーが激昂する。
しかしディンレインは肩をすくめただけで、今度はミウリへと目を向ける。
「アマリア・パーロのお孫様とお見受けします。この度はご愁傷様でございます。誠に遺憾」
「ふざけないで」
ディンレインはボソボソと独特の喋り方で彼女へと話しかけるが、ミウリはぴしゃりとそれを遮る。
「あたし、知ってるの。あんた達は人殺しよ。おばあちゃんを殺した」
「魔女を排除したのです。治安維持。町に迫る危機を取り除いたにすぎない」
「おばあちゃんがそんなことする訳ないでしょう!?」
「では、町のこの状態をいかに見る」
ディンレインは周囲を示す。
いつの間にか、近くに人形や動物の形を模した銅像、町のぬいぐるみたちが集まって来ていた。
彼らは感情のこもらない無機質な目でミウリたちを見つめている。
ミウリは腕が粟立つのを感じた。
「『魔法』がこれらに命を与えた。今なお、人や物に危害を加えている。これを、貴女は本当にお祖母様とは無関係だと信じているのか?疑問」
「き、きっと何かの間違いよ……だって」
「何かの間違いで人が死ぬやも知れぬ。貴女が『魔法』がお伽話の中のような人を幸せにする奇跡だと思っているのならば、それは違うと言いましょう。断固否定。『魔法』は災害です。容認の余地などない」
「だからって……だからって、おばあちゃんを殺していい理由にはならない!」
ミウリの叫びは悲鳴だった。
頭の中に忍び寄ってくる、まさかという思いを振り払う為に全身で拒絶する。
おばあちゃんはあたしに優しくしてくれた。
父さんと喧嘩しても、おばあちゃんだけは味方をしてくれた。居場所をくれた。
でも……私以外には?
「魔女アマリア・パーロは、正体を暴かれた後わたくしと姐様に襲いかかりましたわ」
冷ややかな目をしたミザリーが無情にも告げる。
「ぬいぐるみを操作し、針や裁縫バサミを持たせてわたくし達を取り囲んだのです」
「………っ!」
「貴女はずいぶんとお祖母様になついておいでのようだけれど、あれは醜悪な性根を持った魔女なのだわ。殺らなければこちらが殺られていたのだから。……良い事を教えて差し上げましょう。『魔法』は人間の願いを糧に発現するとされていますの」
いやだ。
やめてよ。
おばあちゃんを汚さないで。
「貴女は、お祖母様の願いが何かを聞いたことがあって?」
願い……?
おばあちゃんの、願いって……?
ミウリは愕然とした。
あたしは、おばあちゃんの願いを知らない。
なぜ『魔法』を使えるようになったの?
いつから?
……どうして?
急に、ミウリの記憶のおばあちゃんの姿が遠くなったように見えた。
「世界を歪める願いは、やがて世界を狂わせる。我らが団長の言葉です。名言」
ディンレインは静かに言った。
「貴女のお祖母様は、ご自身のぬいぐるみを使って何をしようとしておいでだったのか」
不気味な人形屋敷と言われ、父からも周囲からも忌避され遠ざけられ、それでもぬいぐるみを作り続けていた。
何かに取り憑かれたように。
あの優しい微笑みの裏を、あたしは知らない。
「うるさい……!うるさいうるさい!!!」
「お認めなさい。貴女のお祖母様は」
「黙れぇぇぇぇ!!!!」
「とっくの昔に狂い果てた、バケモノなのだわ」
ミウリが泣き崩れる。
それと同時に、色んなことが起きた。
様子を伺うように集まってきていた人形たちが、ミウリの悲鳴を号令にディンレインとミザリーへと飛びかかる。
それにいち早く気が付いたディンレインは、ミザリーを抱えて飛び退いた。
クロイスはミウリに寄り添う為に駆け出す。
そして。
ディンレインが殺到する『魔法』人形達と交戦している、その一瞬に。
「大丈夫ですよ」
ミウリの後ろから、包み込むような声が聞こえた。
「しまっ……!?」
ミザリーが視線をミウリのいた方へ向けるが、既に彼女の姿はどこにもなかった。
◆
扉の向こう側は、見覚えのあるヴィクタ・リクタにあるミケーレ本邸の庭園だった。
扉が閉まり霞に消えるのを確認して、ハイルは周囲を見渡した。
「あぁ、やっぱりここか」
ハイルの記憶を元に構成された夢の世界。
さして驚きもなく呟くハイルを、ユイダは信じられないとばかりに凝視していた。
「坊っちゃん……これは……」
「立てるか?」
ハイルが差し出した手を、ユイダは取らなかった。
しばらく待ってみたが、ハイルは仕方なく手を引っ込める。
「ここまではあの熊公も追っては来ないだろう。安心していい」
「坊っちゃん……」
「それにしても、懐かしいな。ユイダ、覚えているか?」
「何を……」
「ここは、このぼくとユイダが初めて出会った場所だ」
大きなカサクスノキの枝にぶら下がったブランコ。
綱を指でなで、ハイルは微笑んだ。
「一人で遊んでいたこのぼくに、ユイダはひざまずいて忠誠を誓ってくれたんだ」
ハイル坊っちゃん、今日から貴方のお側に仕えさせていただきますユイダです。何でもお申し付けくださいませ。
貴族の長兄として、ちやほやされるのは日常茶飯事だった。
しかし、本当の意味で自分に仕えてくれる人はユイダが初めてだったのだ。
始めはブランコに乗ったまま、ぽかんと彼女の垂れた頭を見つめていたのを覚えている。
「嬉しかったんだ。誰かが側にいてくれるのが」
我ながら単純だと思うが、それだけで何でもできるような気がした。
父上も母上も、ハイルにはなかなか会いに来てくれない。
他の使用人や家庭教師はハイルを褒めちぎってくれるが、どこか遠巻きでハイルを腫れ物に触れるように扱った。今なら分かる。ハイルに何かあればすぐに首を切られるのではと皆恐れていたのだ。
何故なら、ハイルはかのミケーレ伯爵の御曹司なのだから。
ユイダは違った。
ハイルの側に寄り添い、助け、教え、時には母の代わりに叱ってくれた。
ユイダが居てくれたから、ハイルは今まで独りぼっちではなかったのだ。
「なぜ、今になって気が付くんだろうな。お前は、小さい頃からずっとこのぼくの側にいてくれたのに」
一人で苦しんだつもりになっていた。
自分一人で背負った気になっていた。
その後ろで心配してくれている人に気付きもしないで。
「坊っちゃん……私は……」
「すまんな、ユイダ。こんな主人で」
ハイルは努めて明るく言った。
あいつがそうするように、闇も自己嫌悪も飲み込んで平凡を装う。
あぁ、痛いな。
あいつは今まで、ずっとこんなものを隠して笑っていたのか。
「情けないこのぼくから、最後の命令だ。ユイダ、父上にはありのままの伝えろ」
「なっ!?坊っちゃん、それは……!」
「お前の立場もあるだろう。ミケーレの顔を立てるためにも、ユイダには報告する義務がある。黙っていてくれなんて命令をするほど、このぼくは厚顔ではないぞ」
それに、とハイルは付け加える。
「報いを受けるべきだ。お前を蔑ろにした罪を、このぼくは受け入れる。父上やおじいさまは、たぶん許してはくれないだろうが……それでもいい」
『魔法』排斥派の家から、『魔法』発現者が出たのだ。
バレたらきっと、ハイルはタダではすむまい。良くて流刑、最悪死罪か。
それでも、ユイダの口からバレたのならハイルは素直に受け入れられる気がするのだ。
認められたかった。
一人ではないと誰かに言ってもらいたかった。
そう願ってしまった罪を、ユイダにだけは糾弾する権利がある。
「あぁ、でもそうだな。一つだけ誇れることがあるぞ」
晴れやかにハイルは笑った。
「『魔法』がどれほど大悪だとしても、お前を守れたことはこのぼくの誇りだ」
「あ……」
「今まで、仕えてくれてありがとう」
そして、さよならだ。
ハイルが手をかざすと、また扉が光を帯びて現れた。
不思議と、すんなり『魔法』を制御できる自分がいた。今までなぜあんなにも手こずっていたのだろうと思うほどだ。苦笑すら漏れる。
きっとユイダは、ハイルが『魔法』を発現したことをミケーレに報告するだろう。そうすればハイルは終わりだ。
そうなる前に、やる事がある。
ミウリと名乗った少女のことが気がかりだった。
ハイルは願う。
『魔法』が願いに応えてくれるように。
扉の繋がる先を操作するのは初めてだ。
力を込めて、ゆっくりとハイルは扉を開いた。
次回投稿日は未定です。




