秘密屋
ハン・デリー周辺の風景はロトトアやタムバートとはずいぶん異なる。
山や川がない内陸の平野であるため乾燥した大地は農耕には向かないのだ。代わりに広大な敷地を活かして牧畜がさかんに行われている。
少し人里を外れるとワタゲヒツジやゲバの放牧が容易に見られるといった具合である。
「のどかだなぁ」
ニコルはあくびを噛み殺して呟いた。
馬車の窓から、牧羊犬がワタゲヒツジを追い立てるのを眺めている。
「本当にこの先に集落などあるのか?」
ハイルも周囲を見渡した。
タムバートから北方交易路を辿り、ヴィクタ・リクタ方面へ向けて馬車で丸1日ほど。
途中でホルスの町から細い街道へと抜ければ、ハン・デリーへと辿り着く。
だが、ニコルの要望によりハン・デリーの手前で馬車は少し脇道にそれていた。
「うーん。集落じゃないんだよね。つか、おれも行くの初めて」
「なに!?」
さらりと言うので、ハイルは目尻を吊り上げた。
「貴様がこちらの道だと言ったんだろうが!」
「だって、この辺の道って最近整備しなおされたじゃん。おれ知らねぇし」
なんとなくコッチかなぁってのは分かるけどさー、とニコルは曖昧に説明した。
怒りを通り越して、ハイルはがっくりと脱力する。
「貴様に確かな情報を求めたこのぼくがバカだった」
「気落ちすんなよ」
「貴様は少しは堪えろ!」
「はっはっは。でも、大丈夫!近くに来たら分かるって。たぶん」
「たぶん!?」
「ちょっと前に若旦那の所に訪ねてきた人なんだよ。一年ぐらい前か?」
かまわずニコルは頭の後ろに手を組んだ。
ハイルは御者席に一瞥をくれ、声量を落とす。
「『魔法』絡み、か…?」
「おう。おたく、イェニとおれ以外の『魔法』知らねぇだろ。安心せい、結構愉快な人だよ」
「……前も思ったが、貴様いつからこういうものに関わっているんだ」
「ウェルフとつるむようになったのは三年ぐらい前かな」
ニコルはちょっとげんなりした顔になる。
「マジかー。もう三年経つのかー」
すなわち、少なくとも三年前からニコルは『魔法遣い』なのだ。
ハイルは唇を噛みしめた。
三年前といえば、二人がタムバート上級学校に入学した年。
つまり、最初からなのだ。
最初から、こいつは既に日常の外側にいたのだ。
『魔法』という異常を飼い慣らし、今までこいつは平然とした顔で学校生活を送っていた。
ニコルの大欠伸をしている間抜け顔を盗み見る。
慣らしたもんなんだ、と言っていた。
だが、一般的に災害と称される『魔法』を「慣らしたもん」と言えるなど、普通に考えて正気の沙汰ではない。
平凡な男だと思っていた。
とんでもない間違いだ。
「ぼっちゃん」
前の御者席から控えめに声がかかる。
前方の小窓の向こうに、肩越しに振り返る従者の横顔が見えた。ミケーレに長く仕えているメイドの一人だ。ユイダという名で、ハイルがタムバートへ移るに辺り世話係として父から預かった。
ユイダは話の腰を折った事を詫び、前方に民家が見えてきたことを告げた。
「んー?」
目を細めて窓越しに見えてきた家を見やり、ニコルはぱっと顔を明るくした。
「おっ、あれだあれ!すげぇな、一発で当たりだよ」
「どこが当たりだ。小屋ではないか」
「人ん家つかまえて小屋はねぇだろ。とにかく、あの家で間違いねーよ」
「初めて来たんだろうが。適当なことを言うな」
「大丈夫大丈夫!」
ニコルは自分の鼻先をとんとんと叩いた。
「鼻がきくんだよ。おれは」
それは、草原の真ん中にぽつんと立つ民家だった。
簡単な木の柵で囲われただけの質素な白レンガの家だ。玄関のベルは少し錆びついていたが紐を引くと心地よい音を鳴らした。
「はいはい、どなた?」
ベルに呼ばれて、扉からタンクトップ姿の女性が顔を出す。
野性味あふれた若い女だった。邪魔にならないように青みがかった黒髪をくくって左肩に垂らしており、その上からバンダナを巻いている。タンクトップから覗いた二の腕は引き締まり、日に焼けて小麦色だ。
女は若い来客たちに少し驚いたが、すぐに意志の強そうな吊り目を柔らかく細めた。
「あらあら。誰かと思えばニコルじゃないか」
「おう。おひさー」
ニコルは手を挙げてフランクに挨拶する。
それを一歩後ろで見ていたハイルが、
「本当に当たりだったのか…」
と呟いた。
「ジーナさん、元気だった?」
「ええ、おかげさまで。ハン・デリーの市長も気を利かせてくれてね。ヒツジと苗を融通してくれたのさ。畑も牧場もすっかりにぎやかだよ」
「この辺で野菜作るの大変だろ。どうせならロトトアに住めばよかったのに。あっちは今年豊作だって」
「そういう訳にはいかないよ」
きっぱりとジーナは首を振った。
「私がここを離れたら、夫と子どもが悲しむんでね。家族を置いてはいけないよ」
「そっか。あ、そうだ」
特に気にした様子もなく、ニコルは後ろのハイルをずいとジーナに押し出した。
目の前に豊かな膨らみを突きつけられ、とっさにハイルは目をそらす。
「ジーナさん。こいつハイル。おれのクラスメイト。すぐ怒るけど条件反射みたいなものだから気にしないでな」
「人を気違いみたいに紹介するな!?」
「あらあら、怒りっぽいのかい?若いのにいけないねぇ」
「こいつの言葉の半分以上は適当だから貴女も真に受けないでくれたまえ!」
くっくっと白い歯を見せてジーナが笑う。
ばつが悪いハイルは、息を整え改めて自己紹介をした。
「ハイル・シュトハーン・アール=ミケーレだ。タムバートより来た。今回の訪問はミケーレとは関係ないから楽にしてほしい」
「ご丁寧にどうも、旧伯様。ジーナ・フェルミナと申します」
胸に手を当て、軽く腰を落として礼を返す。
完璧な返礼の作法である。
ざっくばらんな口調に似合わない自然な動きにハイルは驚いた。
「ちょうど良かった。今マドレーヌを焼いていたところだよ。二人ともどうだい?」
「マジで!?やった!」
ニコルは遠慮もなく歓声を上げた。
ジーナに案内されて入った小屋の中は、キッチンとひとまとめになったダイニングと隣に寝室へ続く扉があるだけの簡単な作りだ。
「少し冷えるかしらね」
「言われてみれば、確かに寒いな」
ハイルが答えると、暖炉のそばでジーナが無造作に手をかざす。
ボッボボッ
不意に暖炉の中の薪がくすぶり、煙を上げ始める。
ハイルが呆気にとられている前で、火が赤々と燃え出した。
ジーナは笑って二人にダイニングテーブルを勧めた。
「座って待ってな。今お茶を入れるからね」
「手伝おっか?」
ニコルの申し出に、ジーナは首を振った。
「お客さんに手は借りられないよ。もてなしぐらいさせてくれないと」
「ウェルフだったら遠慮なく手伝わせてくるけどな」
ぼそりと付け加えたニコルに、ジーナは大口を開けて笑う。
「確かに!あの若旦那様ならやりかねないね!」
邪魔にならないようニコルとハイルがテーブルに腰かけている横から、かまどを開けたのかマドレーヌの焼けた香ばしい香りが部屋いっぱいに漂い始める。
ハイルの目は暖炉に向けられたままだ。
「今のは……『魔法』か?」
「『魔法』でないから手品だな。な、愉快な人だろ?」
ちなみに従者のユイダは外で馬車の番だ。
ユイダには何も知らせていなかった。
彼女の耳に入れば、必然的に父の耳にもハイルが『魔法』に関わっている事が伝わることになる。
「食えない人だよ。今の、ハイルの反応見る為にわざとやってたぞ」
「なに?」
「おたくが関係者かどうか窺ってたんだ。さすがに火を起こすのに毎度『魔法』を使ったりしねぇよ」
「別に疑っていた訳じゃないんだよ」
まだ湯気の立っているマドレーヌの皿をテーブルに運びながら、ジーナは口をはさむ。
「ニコルが連れてきたんだ。信頼できると思っているさ。ただ、ちょっとばかり驚かせてやろうと思ってね」
「あんまりからかうなよ。ハイルはまだそっちに耐性ないんだから」
「ふふ。悪いね。久しぶりのお客さんだったからつい」
「貴女はずっと一人でここに暮らしているのか」
夫と子どもがいた、ときいた。
しかしこの家は一人がやっと暮らしていける広さだ。
部屋を見渡しても、ジーナのものしかないように見える。
「ここで暮らし始めたのは1年前だよ。それまではハン・デリーの市内に住んでいたんだ」
「なせこんなに辺鄙な場所に?不便だろうに」
「それがそうでもないんだよ。畑と鶏小屋があれば一人ぐらいなら案外なんとかなるもんさ。
それに私の商売柄、あまり人様の前で堂々と店を構えられないもんでね」
ぎょっとするハイルに、向かい座ったジーナは怪訝な顔を作ってニコルを見た。
「ニコル、あんた何も言わずに友達を連れてきたのかい?」
「だから、耐性ないって言ったじゃんよ」
悪びれなくニコルは返し、自分の荷物に手を突っ込んでごそごそ中をあさり始めた。
紐を絞って閉じるタイプの布鞄だ。紐を緩めた口から中身を引っ張りだす。
「こっちはウェルフからだ。最近は『魔法』がらみのトラブルが増えたからな」
「なんだい、多いね」
「これでもだいぶ厳選させたんだぞ?こいつ担いで行く身にもなれってさぁ」
ドサドサと机の上に書類や紐閉じの冊子が積まれる。
中に混じっていた一枚に気付き、ハイルは目を剥いた。
「自警団の調書ではないか!」
「マジかよ、そんなもんも混じってんのか。あの若旦那、職権濫用しすぎだろ」
「こっちは診療所のカルテ……はあ!?これは町の通関台帳か!?あの領地、守秘義務はどうなっている!?」
「そう言われてもなぁ」
すわ汚職かとわななくハイルの手から、調書を取り上げニコルも内容に目を通す。
「あー、やっぱり。これ、見てみろよ。ロトトアの暴行事件だけどさ」
「やはりエンテルに治世を任せておくべきでは……なに?」
ニコルの指差す記述を読んだハイルは絶句する。
「夜中に集団リンチしてあわや強盗殺人ってとこだったらしいけどさ。加害者連中の証言、気弱そうな男が突然化け物になって襲いかかってきたって」
「化け物とはずいぶんだね」
ジーナも口を挟む。
「何か薬でもやっていたんじゃないか……と言いたいところだけど」
「ウェルフが絡んでる以上、それはねぇだろ」
「……『魔法』がらみの資料など、どうするつもりだ」
「こうするんだよ」
「あっ!」
調書をくるくると丸め、ごみ箱にそうするようにニコルは暖炉に向かって放る。
山なりを描いて、調書はこうこうと燃える火の中へ入っていった。
パチパチと音を立てて紙はゆっくりと黒く炭化していく。
「貴様!」
「ちょっとニコル。暖炉に入れるのはやめとくれよ。煙たくなるだろう!」
「あ、ごめんごめん」
「……ではなく!おい、ロスキー!貴様、今自分が何をしたのか分かっているのか!?」
「何をって何だよ?」
「とぼけるな!貴様が今燃やしたのは重要な……!」
重要な、何だっただろうか?
「え……?」
ハイルは今なお燃えている黒ずんだ灰を凝視する。
今、自分はあれを読んだはずだ。
何が書かれたものだっただろう。いや、そもそもあれには何か書かれていたか?
思い、出せない。
「…………っ!」
「ハイル、いい加減座れよ。マドレーヌ冷めちまうぞ?」
すでに自分の分を確保して頬張っているニコルは、一つ取ってハイルに差し出していた。
狐につままれた面持ちで、ハイルはしぶしぶ浮かしかけた腰を椅子に下ろす。
「なんだ今のは」
「なんだって、『魔法』でなけりゃ手品だな」
「ふざけるな!」
「今のは私のだよ、旧伯様」
そう言いながら、ジーナはハーブティーをカップに注ぎ入れ、ハイルの前に置く。
「私の『魔法』は、炎だ。あらゆるものを燃やし尽くす。その記憶すらもね」
「記憶だと?」
「そう。物の記憶と言うべきかね。それがそこにアったという記憶もいっしょに燃やしちまうのさ。私の炎で燃やされたもんは、人の記憶に残らない。ま、なかったことにはならないけどね」
ジーナの指先でぽっと音を立てて浮かび上がった小さな火が戯れる。
「私はこの『魔法』を使って、秘密屋をしているんだ」
「秘密、屋?」
「そう。世の中、探られて痛い腹を持ってる奴はごまんといる。そういう奴は私のところに来て、自分の秘密を燃やすんだ。人目につかないところに置きたいなら、私の『魔法』は丁度いいからね」
ハイルは舌を巻いた。
確かに、権力者や著名人であれば人に明かせない秘密の一つや二つある。
ハイルも由緒あるミケーレの末席だ。
その栄光の裏に後ろ暗いものがあることもちゃんと承知している。
であるがゆえに、ジーナの『魔法』の有用性がはっきりと理解できる。
ミケーレのような旧貴族や豪族であれば喉から手が出るほど欲しがる『魔法』だ。
しかしそれは表立って公開できる代物ではない。
「だから、一人でここに住んでいるのか。家族と離れて?」
家族、と聞いてジーナは苦い顔をした。
「夫と子どもなら、ここに一緒に住んでいるよ」
「なに?しかし、ここには…」
「せっかくだ。そうだね、紹介しようか。裏庭にいるんでね」
ジーナはさっさと立ち上がり、軽く手招きした。
次回は11日23時に投稿します。




