ちぐはぐ
ニコルのローに対する印象は、妙にちぐはぐなヤツ、だった。
真っ黒な髪の者はタムバートにも多いが、肌の色まで浅黒いヤツはあまりいない。ここは北の地方だから夏でも日差しがきつくなく、ここまで黒く焼けることがないのだ。
南の港町から来たのだ、とローは話した。
しかし、ニコルは南部の地方は陽気でがさつなイメージを持っていたが、ローはまるで違った。
敬語だし、対応もとても丁寧で、そして気弱そうに声に張りがない。
敬語なんていいんだぞ、と言ったが、ローは笑って首を振った。
癖なんです、と。
あまりにそれが板についているので、どこかで使用人でもやっていたのかと思ったがそうではないらしい。
家は漁師なのだそうで、ローは父の手伝いをよくしていたと教えてくれた。
学校に通っているとニコルが説明した時も、羨ましそうにしていた。町に学校がなかったそうだ。
その割には教科書を貸してやると、興味深そうに字を辿って読んでいた。読むことはできるらしい。
気にしなければ大したことのない違和感だ。
厳しい親に育てられたのなら礼儀作法は弁えているだろう。読み書きだって教えてもらったかもしれない。
だがニコルの勘は、それとは少し違うと告げていた。
思い返せば、最初に会った時はまだ背筋が伸びていたように思う。こちらが話しかけても毅然と受け答えしていた。
二度目に会った時には、すっかり背中を丸めて怯えたようすだった。別人かと思ったほどだ。
よほど若旦那に脅かされたのかもしれないと思ったが、屋敷のお化け花とのやりとりを見ているにローなりに『魔法』との折り合いをつけているようにも伺える。
だとすると、この怯えようはなんだ?
なんで、のどの奥に小骨が突っかかっているような気分になる?
はっきりと言葉にできないながら、ニコルはロー・グロウディアに対し何か釈然としないものを感じていた。
そして、ロー自身もそれは感じていた。
ボタンを一つ掛け違えているようだ、と。
それを聞いた時、ニコルはようやくああそうか、と納得した。
ずれている。
たぶん、それが一番しっくりくる答えだ。
◇
タムバートの駅前公園は石畳を敷き詰めてベンチを適当に置いただけの質素な広場だ。
一日に二、三回、線路を走る列車の音が聞こえる以外は実に落ち着いた、田舎らしい風景が広がる。
授業が終わった時間になると帰宅する学生で賑わいを見せる遊歩道も、今は老夫婦がのんびりと散歩しているだけだ。
ニコルが戻ってくると、ベンチに座り込んだローが、先ほどよりは幾分マシな顔色で迎えた。
「ほい」
水の入ったボトルを差し出す。
「ありがとうございます」
ニコルも隣に腰掛け、自分のボトルを開けて中身をあおった。
「ぷへーっ!!染み入るわー!」
ローもならってちびちびと水を飲む。
「おいしい、です」
「だろ?この辺はあっちの山脈の雪解け水が流れてくるからさ。この時期でも冷たいんだよ」
「へえ…」
気に入ったらしく、また一口飲んでほぅと息を吐く。
その横顔を見ながら、ニコルはふと考えた。
若旦那のやつ、実はローの『魔法』の原因に心当たりがあるんじゃないのか。
あり得る、と思った。
あの若旦那がこの違和感に気付かなかったはずがない。
そして知りたがりの若旦那に限って「何も聞かない」という選択肢など考えられない。
知っていたから、何も聞かなかった。
あの野郎、と憎々しげにニコルは舌打ちした。何が研究者だ。
『魔法』を調べている、などと言いながら人の心について何も分かっていない。
隣でローがびくっと肩を震わせる。
「あー、悪い。ちょっと思い出しイライラしただけだ」
気にするな、と手を振った。
が、ローは目を伏せてしまう。
「ごめんなさい……お手を煩わせてしまって」
「はあ?んなこと気にしてたの?」
思わず呆れてしまい、更にローが縮こまってしまう。
「あのなぁ。おれは今日、おたくの世話を頼まれてんだよ。だからおれに世話んなったからって謝る必要はねーの!」
「でも……」
「だぁぁぁぁぁぁ!」
乱暴に立ち上がり、未だ不安げなローにビシリと指を突きつける。
「気に、しすぎ!!!」
まだ何かを言いかけたが、ローは観念してはい、と頷いた。
自信がない。
だから人の顔色を窺う。
敬語も、少し弱気な態度も、人を気遣い自分の望みを押し殺すから。
ニコルから言わせてみれば、典型的な『魔法』発現者の傾向だ。
「おたくさぁ、ホントに『魔法』に心当たりないの?」
ニコルは、ローの『魔法』はロー自身のものだと半ば確信していた。
「分から……ないんです」
ローはしょげてしまった。
「たとえぼくのせいだとしても……いつなぜこんな『魔法』が生まれたのか……何も」
「覚えてねーって言ってたよな」
「はい……」
「それは可笑しい。『魔法』は人の願いに反応する。願っていないのに『魔法』が発現するなんてあり得ない」
「だったら、他の人の……」
「なあ」
ニコルは遮った。
まっすぐローを睨む。
「おたく、ホントに覚えてねぇの?」
ローは息を飲んだ。
追及を避けるように目を逸らす。
「おれから見りゃ、おたくの言ってることはさっきからちぐはぐだ。妹がいたって言ってたな」
「は、はい。覚えていませんが……」
「それだよ。なんで妹について調べようとしねぇんだ。いたかもしれないと、認識はしてるんだろ」
「そ、それは……」
「自分の『魔法』に関わってるかもしれないと、おたくが言ったんだぞ。
妹がどこに行ったのか、なんで今いないのか、自分がなんで忘れちまってんのか、気にならねーのか」
「…………」
「おたくは本気で『魔法』を解きたいと思ってんのか?」
自分が『消える』。
恐怖でしかないだろう。
ニコルだって、先ほどローの『魔法』に干渉した時寒気がした。
これほどまでの悪意を、一体どうしたら顕現させられるのか、と。
そんな強い悪意に晒されているにも関わらず、ローは自身の『魔法』に対してひどく消極的だ。
ニコルはそれが気に入らない。
「おたくは心のどこかで『魔法』が消えなくたっていいって思ってるんじゃねぇのか」
いずれローの『魔法』はローを存在そのものから消してしまうだろう。
「おたく、それで本当にいいのか?」
ローは、泣きそうにくしゃりと顔を歪めた。
「わ、分から……ないんです。ぼくは、ぼく自身がどうするべきか……」
見失っている。
やるべき事を、じゃない。
自分自身を。
ローは「ロー・グロウディア」という人間が分からなくなっている。
だから前に進めない。
何も、決められない。
頭を抱えてしまったローを見下ろし、ニコルは歯噛みした。
『魔法』相手なら、どれほど手強くともなんとか鎮められる自信がある。
それだけの力があると自負している。
だが、これはローの内面の問題だ。
『魔法遣い』といえども、何もできない。もどかしくて仕方がない。
答えは、ローが見つけるしかない。
ニャア
その時、ベンチの下から鳴き声がした。
ローが驚いて足を退けると、ひょっこりと青毛の猫が顔を覗かせた。
ニャア
「こんなとこで遊んでたのかよ、ナオ……」
ニコルの飼い猫だった。
ローの足に擦り寄り、遊んでくれろとしきりに引っ掻いている。
「おたく、またたびとか隠し持ってないよな?」
「そんなはずは……服にお魚の匂いでも染み付いているんでしょうか?」
ローが抱き上げると、膝の上で腹を見せてじゃれてくる。
お望み通りに撫でてやると嬉しげに一声鳴いた。
あまりに無邪気なナオの様子に、ローの先ほどまでの思い詰めた表情が緩み、笑みがこぼれる。
「昔もこんなことがあったんです。野良だったんですけど、小さい子猫を拾ったことがあって。飼いたかったんですけど、家では飼わせてもらえなくて。
仕方がないから、港の隅に毛布を敷いてやってこっそり餌をやっていました。2人で交代で……」
言いかけて、ローは目を険しく細めた。
ニコルはあぁ、と頷いた。
「イェニ、だな」
「はい……おかしいな。こんな風に思い出すことなんて、なかったのに」
独り言のように呟く。
撫でる手が止まってナオが抗議の声を上げるのにも気付かない。
仕方なくニコルはローの膝のナオを抱き上げる。
嫌々、と暴れるナオを無理やり腕に収めた。
「痛って!お前、おれには冷たいのな!」
ぶちぶちと言いながらも、しっかり落とさないよう捕まえている。
「こいつを家に入れてくるわ。ここから近いし、おたくはここで待っててくれ」
「あ……はい」
どこか気の抜けた返事をしたローを置き、足早に自分の下宿先へと歩き出す。
あいつをこれ以上、『魔法』に晒しておくのは危険だ。
というより、ローをこの不安定な状態でしばらく放っておいたウェルフの神経が知れない。
若旦那に会ったら絶対一発殴ろうと心に決め、ニコルは公園を出る。
途中、彼のそばの花壇で岩バラが一輪、静かに花開いたのだが誰一人それに気付くことはなかった。
次回は30日の23時に投稿します。




