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魔法殺し  作者: 駄文職人
青年と花
11/35

ウェルフ・スタントリー・エンテルという人

 信じられなかった。

 あんな小さな子が? だって、きっとまだ五才か六才の女の子じゃないか。

 しかしウェルフやカイの顔色を見れば、それが真実だとが分かる。


「幼いからこそ、その願いは純粋で強い。グロウディア君も見たことがあるはずだ。彼女の『魔法』を」

「えっ。い、いつ?」

「今朝、捕まえてたろう」


 言われて、ローは驚きのあまりあごが落ちた。


「ま、まさかっ。マリアンヌとステディ……」


 あの、人面花。

 人と見まごう大きな唇を持ち、土に留まらず屋敷中を闊歩するあの生物。


「うそだろ。あれ、まだ生きてんの?」

「あぁ。むしろ、ちょっと成長している」


 今日も元気に、捕まえようとする者たちを翻弄し、走り回っていた。


「でも、なんで人面花なんか……」


『魔法』がその人の願いを表わすなら、ベティはなぜあのような生物を作り出したのか。

 ローははっと思い至る。


「対人、恐怖症……って言ってましたよね」


 人と接するのが怖い。

 誰かと向き合うのが怖い。

 なら、人でなければ。


「あの子、生まれつき病弱だったらしいんだよね」


 カイは腕を組んで椅子の背もたれに身を預けた。


「もともと都会の生まれだったんだけど、そこの空気が合わなかったみたい。田舎なら療養できるだろうって、ロトトアに移ってきたんだよ。

でも、彼女の両親はここに残らなかった」


 二人とも仕事が忙しかったんだよ、とカイは説明した。


ベティの両親は彼女をロトトアの親類に預け、そのまま都会へと帰ってしまった。ベティは家族とも友達とも離れ、一人ぼっちになってしまったのだ。

 周りには知らない人ばかり。甘えることも、心を許すことも出来ない。

 たとえ友達ができても、みんな自分を嫌い置いて行ってしまうのではないか。


 そんな不安と恐怖が彼女を対人恐怖症に変えてしまったのだろう、とカイは推測した。


「半年くらい前に容体が悪化してさ、うちの診療所でたまたま様子を見ることになった訳。始めの内はちょっと無口な女の子って感じだったんだけどね。

ある日、突然だよ。人面花があの子の病室に現れたの」


 ベティだけの、ベティのための友達。

 当時、同じ病室には何人か患者がいたのだが、得体の知れない生物の出現に皆気味悪がって他へ移ることを希望した。

 あるいは、あのような奇特な姿をしているのは人を遠ざけるためもあったのかもしれない。


「それでウェルフさんが……」

「あぁ。引き取った。……彼女から強引に奪い取る形でね」


 ベティの望みはただ一つ、『友達がほしい』だったのだろう。

ずっとそばにいてくれる誰かがほしい。だが、ベティが人面花に依存すればするほど、彼女は人から離れてしまう。

なぜなら『友達がほしい』と願いながら、彼女は『人と接するのが怖い』と思っているのだから。


 ウェルフは無理やりにでもベティからステディとマリアンヌを引き離さなければならなかったのだ。

 カイは嘆息した。


「どんなに不気味でも、ベティちゃんにとっちゃ大切な友達だ。『友達を奪われた』、そう考えちゃっても仕方がない」

「よほど嫌われているらしいな、私は。今朝も彼女から物騒なラブレターをいただいたよ」


 文面を思い出したのか、ウェルフはくすりと笑った。

 口ぶりからして、あのような手紙は初めてではないのだろう。


「でも……そこまでしても『魔法』は解けなかったんですね」


 ステディとマリアンヌはまだ屋敷にいる。

 ベティがまだ『魔法』に依存している証拠だ。


「果たして、彼女の『魔法』を解いてしまっていいものか」

「? どうしてですか?」


 ウェルフの独白に、ローは首を傾げる。

『魔法』を解かない限り、ベティは孤独から逃れられない。対人恐怖症を乗り越えることも、社会に溶け込むこともできなくなってしまう。


「忘れたかい? 『魔法』を解くということは、その望みを捨てるということだ。

ベアトリス・クロムウェルの場合、『友達がほしい』という願望を諦めることに他ならない」

「あ……」


 友達なんかほしくない。ずっと一人でいい。

 ベティがそう思わなければ、『魔法』は解けない。

『魔法』を解いてしまったら、彼女の人生を破壊しかねないのである。


「そんな……」

「そうなんだよ、グロウディア君。私がやっていることは、そういうことなんだ」


 人助けが目的ではない。

 ウェルフがかたくなにそう言い続ける理由が、やっと分かった。


『魔法』とは人の望み。決して叶うはずのなかった幻想。だが、それは安易に捨ててしまっていいものではないのだ。

 叶わない願いを持つから、人は明日に希望を持てる。

 非現実な幻想があるから、夢を持てる。

 だが。


「『魔法』を解くことは、その人に絶望を与えることに等しい。現実を突き付け、まやかしだと断じ、そんな馬鹿なことは諦めろと言っているのと同じなんだ。

今日、〈りんごの木〉を訪れた時、なぜランシス・ハートウッドが我々に会いに来なかったか分かるかい?」


 それはローも引っかかっていたことだ。

 お世話になった若旦那様が来たとあれだけ嬉しそうにしていたビオが、厨房にいたはずのランシスに伝えなかった訳がない。

しかし彼はウェルフにお礼を言いに来ることはなかった。姿を見せることさえしなかったのだ。

 忙しいのだろう、とローは思っていたのだが。


「『魔法』を解くことが、必ずしも人を幸せにするとは限らない。それでも私が『魔法』を解いて回るのは、そうすれば『魔法』を知ることができるからだ。

私はね、グロウディア君、自分の望みのためなら他人を不幸にしてもかまわないと思っている。他人の望みなどどうでもいい。ウェルフ・スタントリー・エンテルとは、そういう人間なのだ」


 ウェルフはあまりに淡々と語った。


 途中からローは相槌を打つことも、頷くこともできなかった。

 特に賢くもない頭でウェルフの言ったことを咀嚼し、必死に理解しようとする。彼は本心で語ってくれたのだ。出会ってまだ数日しか経っていない自分などのために、ウェルフは飾らない言葉で教えてくれた。

 だから、ちゃんと誠意を持って答えたい。


「ぼくには……分かりません」


 考え抜いた末に、ようやくローは声を絞り出した。


「だって、ウェルフさんがそんなにひどい人には見えないから」


 ウェルフの眉がぴくりと動いた。


「なに……?」

「本当に他人を不幸にしてもかまわないと思っているなら、わざわざ二人の顔を見に〈りんごの木〉に様子を見に行ったりしないですよ。

ベティちゃんのこともそうです。その気になれば、強引に『魔法』を解くことだってできたはずです。それなのに、あなたはそうはしなかった」


 たとえば、ステディとマリアンヌをベティの前で燃やしてしまえば良かったのだ。

 彼女はそれでいとも簡単に『魔法』を捨てただろう。ベティを絶望させる方法などいくらでもある。それでも、ウェルフは『魔法』を取り上げただけでそれを消そうとはしなかった。

 ベティの希望までも、奪いはしなかったのである。


「この五日間、トラブルがあったと理由を付けてぼくに会わなかったのはなぜですか?」

「それは……」

「ぼくが会いたがらなかったからです。初めて会った時もそう。ぼくが話をしたがらなかったから、あなたは何も聞かなかった。そうでしょう?

 他人の望みなんてどうでもいいと思っている人は、そんなふうに気を遣ったりはしないですよ」


 ウェルフ・スタントリー・エンテルとは、そういう人間だ。


 成り行きを見守っていたカイが我慢できずに吹き出した。顔を手で覆い、ひっしに笑いをこらえようとしている。

 非難の目でウェルフはそれをにらんだ。


「……カイ」

「いやぁ、悪い悪い。ほんっとグロウディア君って面白い子だなぁ!」


 言いながら、全然頬が緩むのを隠せていない。

 ローは自分がなぜ笑われているのか分からず、困った顔でウェルフとカイを見比べた。自分はまた変なことを言ったのだろうか、と。

 その時、看護師が診察室に飛び込んできた。

「センセ! ベティちゃん、見ませんでした?」

「ん? こっちには来てないけど」

「あの子、ちょっと目を離した隙にまたどこかに行っちゃったんですよ! 少し待ったら戻ってくるかと思ったんですけど、全然見つからなくて」


 あっちゃあ、とカイは顔をしかめた。


「拗ねちゃったかな。こりゃ、しばらく出てこないぞ」

「あの子ったら、むだにかくれんぼが上手いんですもの! とにかく、もう一度診療所内を探してみます」

「あ、あの! ぼくも手伝います!」


 先程、怖がらせてしまったのを気にしていたローが立ち上がる。

 ばたばたと二人が出て行った後、カイは自分もと腰を浮かしかけて、ふととウェルフの顔をまじまじ見た。


「なんだ」

「いや?」


 仏頂面の幼馴染に、にやりと笑いかける。


「意外だよ。お前があそこまでグロウディア君のことを気にかけてるなんてさ」

「…………」

「あの子、まだウェルフに何も話さないの? しびれを切らすなんてお前らしくもない。困ってどうしようもない時、いつもお前は僕のところに来るもんな」

「……さっき、なぜ『魔法』を調べているのかと聞かれた」


 ウェルフは嘆息した。


「私の願いとは何か、と。他人の心を読もうとして、逆に自分の心を読まれるなんて初めてだ」


『魔法』を知るということは、人の心を知るということ。


 ウェルフはこれまで人の心を研究してきた。

 どんな時に人は笑い、泣き、怒り、そしてどんな時に絶望し、『魔法』に頼るのか。それを知れば自分の願いに届くと信じてきたから。


「ウェルフの願い、ねぇ……。グロウディア君、そんなこと聞いたんだ」


 無精ひげをなでつけ、カイはうめいた。

 なるほど、ウェルフがらしくもなく診療所を訪ねてくる訳だ。


 五日間、ローが会いたがらなかったから会わなかった?

 違う、逆だ。ウェルフの方が避けていたのだ。ウェルフはローのような人間に接するのは慣れていない。

 利害も損得もない関係が、ウェルフは一番苦手だ。


「グロウディア君、様子はどうよ? あれから変わりは?」

「ないな。ただ、マルチナが気になることを言っていた」


 ウェルフは自分が聞いても警戒されるだけだと、屋敷の使用人たちにローの様子を報告させるようにしていた。

特に厨房係のマルチナは面倒見が良いので、ローの話し相手になっていることが多く、逐一ウェルフに知らせに来てくれた。

 そのマルチナが言ったのだ。


「鏡が欲しい、と言ったそうだ。なるべく大きめの、姿見が良いと」

「鏡? それくらい良いじゃないか。別に変わったことじゃない」

「客間にすでに大鏡をかけているのにか?」


 さすがにカイも眉をひそめる。

 ローにあてがわれた部屋には、上半身をまるまる写せるほどの鏡があったはずなのだ。

しかしローは、それでは満足しなかった。

全身を写せる鏡をもう一つ、と。


「ロー・グロウディアには秘密がある」

「秘密だって?」

「ああ。そしてあの子は、その秘密に触れられることを極端に恐れている」


 だから頑として喋ろうとしない。

医者を拒み、ウェルフから距離をおき、自分のことを調べられるのを嫌う。

 ウェルフは天井を仰いだ。長く長く、息を吐く。


「まったく、私はとんでもないモノを預かってしまったようだな」

次は23日の23時に投稿します。

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