段ボール箱入り雛と初めての外食
(何でこうなってしまったのでしょうか…?)
地下牢から出た後、天照の執務室にて再び色々な説明を受けることとなった。
その内容たるや思わず「解せぬ」と心の中で叫びたくなるものばかり。
白虎隊の結界班に所属されるはずだったのに、この凶悪犯を始終監視することは不可能と判断され表向き事務へと降格されてしまった。
隊員専用の寮暮らしの予定も「監視ということで八来と同居してもらう。住まいの事は心配せんでもこちらで用意させてもらった」とあっさり変更。
これが社会人になったら高確率で遭遇するという『パワハラ』というものなのか…。社会の闇を直視し、泣きそうになるが涙を必死で堪える。泣いたら負け…泣いたら負けです。
因みに二人を繋ぐ鎖は直ぐに消えて見えなくなった。が、『鎖はそこにある』と念じると再び目視できるようになるがすぐまたその形を消してしまった。
「雛にはこれから我に八来の様子を報告してもらう。八来は健康状態と精神状態の検査に雛と一緒に陰陽庁に来い。検査の日にちについては追って連絡する」
「…はい」
自分にはそれしか言えない。嫌ですとも無理ですとも言えない。だって、この場所をこの仕事を放棄して逃げ出してしまえばきっと自分の居場所はもう無くなってしまう。
…それ以前に『結魂』などという聞いたこともないような契約のせいで逃げるに逃げられない。
この契約方法は通常のように対価を払って成立するようなものとは違い、対価は不要。『縁繋ノ鎖』によってお互いの魂を繋がれてしまったため、片方に危険が及ぶとそれが分かるようになるらしい。
「勤務初日ご苦労じゃったな。今日は新居でゆるりと休むがよい」
「ありがとうございます」
丁寧に一礼して部屋を出る。対して八来は鋭い目で天照を睨み付けると「じゃ、またな」とそっけない一言を発して部屋を出た。
「あの…」
「あ?」
ずかずかと自分の前を歩く八来に声を掛けると、不機嫌そうな返事が返ってきた。
因みに半裸で外を歩くのはまずいということで八来は陰陽庁支給の軍服に着替えている。
「あの…」
「だから、何だ?」
声を掛けても止まらない八来にもう一度声を掛ける。すると不機嫌な声はそのままだが、八来は立ち止まり肩越しに振り返る。
その長い前髪から覗く眼はどこまでも冷たく、目に映るもの何もかも「くだらない」と興味を失っているように見えた。
その目を見て、雛は一瞬口ごもる。恐らく、この人に何を言っても聞いてくれないかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。
「わ、私、八塩 雛といいます!これからよろしくお願いいたします!!!」
陰陽庁の玄関前で、しかも大勢が見ている中で雛は精一杯の声を上げて勢いよく45度の角度で頭を下げた。
「は?」
顔を上げると、八来はぽかんとした顔で彼女を見下していた。
「いきなり私と組むことになって迷惑でしょうが、せ、せせせ精一杯頑張ります!!初めての結魂なので色々慣れないところもありますが、頑張ります!!」
《結魂》 文字にするのはともかく口に出すと人生の墓場と同じように聞こえる。なので周りの人間は
「え?職場結婚?」
「あの二人、見たことないけど…まさか初日で運命感じたとか?」
「リア充核爆発しろ!!」
「年の差おいしいです!!!」
物凄い勘違い大会を開催していた。
「ちょっと黙れぇぇぇぇ!!!」
プロの誘拐犯もかくやという速さで雛をひったくり、小脇に抱えるとそのまま建物の外へと走っていった。
「あ、あの…何か変なこと言いましたか?」
「言いまくりだボケぇぇぇぇ!!」
取りあえず一目に付きにくい路地裏まで猛ダッシュし、雛を降ろす。
「お前な…自己紹介するのはいいがよぉ…時と場所と言葉を選べ。ありゃ、どう聞いても新婚さんがいらっしゃい状態じゃねぇぇかぁぁぁ」
「へ?私と八来さんは許嫁じゃないですし婚約もしてませんが?」
雛の一言に「分かってない…こいつ、分かってないぃぃぃ」と額に手を当ててため息をついた。
「兎に角、人前で『ケッコン』いうな。勘違いされるし、お前もこんなオッサンと夫婦と勘違いされるのは嫌だろう?」
その言葉に、雛は首を傾げた。あ、駄目だこれ、まだ分かってない。
「許嫁以外の方とも夫婦になることは出来るのですか?」
「は!?」
え?何言ってるんだ?この餓鬼何言ってるんだ?一寸待て、一寸待ってくれ、何かひっかかる…。
嫌な予感をびんびん感じながら、八来は言うべきか言わざるべきか数秒悩む。が、興味の方が勝り口を開いてしまった。
「お前、許嫁がいるのか?」
「いえ」
何だ、良かったと少しホッとする。只でさえ餓鬼と同居しなければならないというのに、更にこれが許嫁持ちとなると心労が増える。
「破棄されてしまったので今はいません」
「いたのかぁぁぁ!?」
予想外の言葉に八来は壁に両手をついて俯いた。
いや待て落ち着け、許嫁とか破棄されたとか、現代日本であまり聞かない展開があったという事は、このちんちくりんはいいところのお嬢様ではないのか?
いいのか?天照!?
「八塩とか言ったな…お前、実家はなにやってんだ?」
「出雲の神社の神主をしています」
「出雲か…てぇことは、神さんの接待とかやってるのか?」
「はい。よく沢山の神様が実家を訪れています」
雛の素直な返事に八来の顔が若干引きつった。
出雲は東京の次に日本で権力の高い場所であり、神々が多く集まる場所。その多くの神々の接待、つまりは神事をしているという事はかなり大きな神社だ。
と、いうことはこの小娘はエリート中のエリートの家柄。世間知らずのずれた思考は箱入りゆえのものだとこれで納得した。
「…お前、何で東京に来たんだぁ?」
「両親に『家はお前の妹が継ぐから出て行きなさい』と陰陽庁の仕事を紹介されたので」
先ほどから初対面の人間にはまず普通話さないであろう重い出来事を表情一つ変えず、明るい顔で次々暴露していく。
「分かった、俺が悪かった…」
天照に無理やり契約させられた相手が只の箱入り天然パーかと思ったら、かなり重い事情を抱えた段ボール箱入りのお嬢様と判明。
「え?何で八来さんが謝るんですか?」
「うるせぇ!とっとと歩け!!」
くるりと踵を返して八来は大股でさっさと歩いて行ってしまった。
「あ、ま、まま待ってくださいーーーーー!」
八来の後を必死で追いかける雛。その様子は親鳥の後をくっついて歩く名前の通り鳥の雛のように見える。
(八来さん、怖い顔ばかりの方かと思ってましたがちゃんと普通の人と変わらない表情するんですね)
必死に走りながら、先ほどの彼の慌て顔と戸惑った表情を思い出す。垣間見せた人間味にほんの少しだけ安心した。
****
二人に用意されていたのは陰陽庁のある陰陽市の外れの築四十年の一軒家。それ程大きくはないが二階建ての庭付きで、最近改装されたとのことで中は綺麗で新しい。
寮に送られるはずだった雛の荷物は既に運ばれていて玄関には段ボール箱がいくつか積まれている。
「家電はすでに用意されている…な。VIP級の扱いじゃねーのかぁ?」
取りあえず各部屋を見て回り、一階の和室へと段ボールを移動させる。
「あ、は、八来さん!?何を…」
玄関の段ボールの山を一階の和室へと移動させていると、八来がそのうちの一つを軽々と持ち上げる。
「邪魔だからな。とっとと片づけて、一息つきてぇんだよ」
一度に二つの箱を持ちながら、素っ気ない一言を返す。
「す、すいません!ありがとうございます!!」
雛も負けじと二つ重ねて段ボールを持とうとするが背が小さいので確実に前が見えなくなる。…ゆっくりでも良い、私は確実にやろう…と言い聞かせて大人しく一つづつ運ぶことにした。
年頃の娘の引っ越す荷物にしては少ない数の段ボールを全て和室に運び終え、二人は居間でやたら座り心地のいいソファに腰かけて一息つく。お茶でも飲みたいところだが、引越し初日にそんなものは用意している訳が無い。
「あ、あの、八来さんの荷物は…?」
配達が遅れてるのでしょうか?と雛が小首をかしげると、八来は首を横に振る。
「んな物ねぇよ。俺には何もねぇからな」
八来の視線がすっと右斜め下へと逸れる。その一言と目線に流石の雛も踏み込んではいけない話題だと察した。
「ご…ごめんなさい」
「お前、天照に何も聞いてねぇのかよ」
「す、すすすいませんっ!所属初日にいきなり呼び出されて…」
訳も分からぬまま現在の状態に。今日一日で展開と時間がジェットコースターよりも早く目まぐるしい。
「あの女…昔っからやることは極端だわ、思い付きで決めやがるわで人を引っ掻き回すのが好きだからなぁぁぁぁぁ」
額に手を当て、苛立った声と共にため息を吐き出す。
「あの女の魂胆が読めねぇのが気に食わねぇ…が、疲れた…一息つくか」
やれやれと顔を上げると、「ぎゅるるるるるるる」と何かの唸り声の様なものが響き渡った。その正体が目の前で顔を赤くしてお腹を押さえている雛の腹の虫であると気付くのに数秒は要した。
「…外見に似合わねぇ程雄々しい腹の虫だなぁ、おい」
「ごめんなさぁぁぁぁいっ!!は、はしたない…すいません…」
恥ずかしさのあまり混乱して大声を出すと真っ赤な顔のまましゃがみ込んでしまう。
八来は堪え切れずに「ブハっ!」と噴き出すと、雛に目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「生理現象にはしたないもクソもあるかよ。今日一日天照のせいでグルグルしてそれどころじゃなかったんだろぉ?」
現在の時刻はもう夕方。初出勤で、書類手続きが終わったのは昼近く。昼食を取ろうと思ったら天照大神に呼び出されて以下略。
「…はい」
返事と共にまたもや「ずぎゅるるるるる」と腹の虫が泣き叫ぶ。
「確か近くに牛丼屋があったなぁ。ちょっくら行くか」
「はい!…あ」
「何だ、不服かぁ?」
「 ぎゅうどん って何ですか?」
「行けば分かる」
そうだった、一応段ボールでも箱入りは箱入り、牛丼という庶民の食べ物をお嬢様は食したことがなかったか。不味いと文句言っても俺は知らんぞ。
…と、思っていたら
「とても…美味しかったです!!!」
温泉卵と味噌汁の付いた大盛り牛丼を二杯完食し、雛は満足げに手を合わせる。今日一番の笑顔がそこにあった。
「良かったな」
それしか、もう言えない。
最初、並を注文するかと思ったら、隣で注文の並が来た客を見て「…少ない」と言っていたのを聞いてしまった。嫌な予感がして、並と中と大盛りの量の説明をすると彼女は何の躊躇いも無しに大盛りを注文。
やがてホカホカと湯気を上げ、出汁の香り漂う大盛り牛丼が出てくると、彼女の顔が強張った。
ほれ見ろ、食べ切れねぇんじゃねーかと思ったら
「これは、どうやって食べるんですか?上のお肉だけ先に食べるんでしょうか?」
真顔の雛に危うく飲みかけのコップの水を吹き付けるところだった。
「…下の飯と一緒に喰え。つうか、お前の家と違って食い方なんざ人それぞれだから好きなように喰えよ」
「分かりました、ありがとうございます!では、いただきます!」
行儀よく手を合わせ、軽く一礼すると恐る恐る牛肉の山に箸を入れて下の白飯ごと掬い取る。その固まりを口に入れた途端、雛の目がまん丸に見開かれる。そして次の瞬間、ふにゃんと表情が幸せそうに溶ける。
「雛、てっぺんにくぼみ作って温泉卵載せたら、それを崩しながら食べてみな」
「分かりました」
言われた通りに牛丼の頂上をくぼみが出来るように食べ、そこに温泉卵を載せて箸を入れる。やや弾力のある黄身に箸が沈んだかと思った次の瞬間、とろりとした中身が現れた。
生卵とは違う黄金色の固まりと共に肉と米を一緒に口に運ぶ。
「!!!」
再び雛の目が見開かれた。余程の衝撃を受けたのか、その後はキラキラした目で無言で箸を動かし続けた。
(こんなに幸せそうに牛丼喰う奴は初めて見たな)
そして、完食後に彼女の発した「すいません、おかわりを所望してもよろしいでしょうか?」の一言に飲みかけのみそ汁を逆流しかけた。