所長が事務所にやってきた。ヤア! ヤア! ヤア!
「そろそろですね」
「うん、確かにそろそろなんだけど、その……」
落ち着かない調子で時計を見ているメリッサ。彼女を困った表情で見つめるタルギン。
「もう三十分前からその調子だよね、君」
ミーシャを待ちわびるメリッサは、遠足前日の子供状態だった。
時刻は昼少し前、約束ではそろそろミーシャが来る。
「時間との戦いですからね!」
「そ、そうかい……」
なにやら覇気漲るメリッサにタルギンは気圧される。一体何が時間との戦いなのか。そもそも何と戦うつもりだろうか。
「す、すいません!」
聞き覚えのある少年の声。リン――というベルの音、と、タルギンが理解するより速くメリッサが動く。
椅子に座ったまま、飛び上がる。机を踏み台に前へ跳躍。
机を踏み越える形で華麗に着地。そのまま一直線にドアへ。
――速い!
俊敏さが持ち味のニンジャであるタルギンも驚くメリッサの挙動。というか、必死すぎてちょっと怖い。
開きかけるドア、その前に立つメリッサ。
「こ、こんにちムギュ!」
礼儀正しく挨拶をしようとした市民服の少年が、メリッサの豊満な胸にぶつかる。胸が衝撃を吸収し、バウンド。
「いらっしゃい、ミーシャ君! よく来たわね!」
満面の笑みでミーシャを迎えるメリッサ。抱擁までしないのは、流石に理性が働いたからか。
「あ、はい、よろしくお願いします……あ、あのタルギンさんにもご挨拶を」
「あ、それは今いいから、ちょっと今は別の所に行きましょう! 出来ればギルド事務所からかなり離れた所へ!」
ほほえみを絶やさず、ミーシャの手を引く。方向はギルド事務所の外へ。
「え、あの、仕事場はギルド事務所じゃ……?」
困惑するミーシャ。小さな手を握りながら、メリッサは少年の肩を抱く。
「お願い、今だけは私といっしょにギルド事務所を離れて……あだっ!!」
突然の衝撃にメリッサが離れる。たたらを踏み、後退。
「なーに日の高い内から未成年誘拐かましとんじゃメリッサ、行き遅れのせいでケツに火が着いたんかのう?」
メリッサにハイキックをかました人影、蹴りの体勢のまま陽気に声を上げた。
年齢は十代後半、長い黒髪、陶器のように白い肌。濃い朱基調とした装飾過多の魔導師服。しかし両肩が出た艶めかしいデザイン。
そして、人形のように一種非人間的に整った容姿。口元に長いキセル。
「ったく、せっかく来てやったつーに、逃げ打つたぁいい度胸じゃのう、アホ部下が。……おう、ぬしがミーシャ・ニルドか!」
「え、あ、はい」
突然見知らぬ女性から勢いよく名を呼ばれ、困惑するミーシャ。思わず気をつけの体勢になる。
その顔を覗き込みように、彼女は距離を詰めた。
「ちょっと、ミーシャに近づかないで下さい! 警察呼びますよ!」
悲鳴を上げるようにメリッサが制止。間に割り込む。
「なんじゃい、まだ舐めたり触ったりしとらんから法には触れとらんぞ! ケチんなや行き遅れ!」
「誰が行き遅れですか、セクハラ製造機!」
「ちょっと、メリッサ君、周りの住民の皆さんに迷惑だからあまり外で大声は……あ、」
事務所奥から騒動を聞きつけ出てくるタルギン。その言葉が途中で止まる。
「……これはお早いお着きで、セレナ所長」
「おう、久しいのう、タルギン。女房殿は息災か? 相変わらず禿げてるのう」
慇懃に頭を下げるタルギン、その頭頂部をぺしぺしと楽しそうにはたくセレナという女性。
「……所、長……?」
タルギンの言葉に呆然とするミーシャ。いまいち意味が理解出来ない。
観念した表情でメリッサがミーシャの方に手を置く。
「ミーシャ君。このエキセントリックかつアレな人物が、その、うちのギルド事務所所長、……つまり」
ゆっくりと息を吐く。
「この事務所で一番偉い人なの」