世界平和委員会
僕の日常を崩壊させた、あの出来事から丸一日が経った。
二つの死体と、廊下に撒き散らされた血液は、次の日、登校してみると、その痕跡はまるで残っていなかった。本当にあの場所で人が死んだのかと、実際に体験した僕でも、思わず自分の記憶を疑うくらいに。
あの後、僕は涙を流す白鷺さんを必死であやしつつ、どうにか会話できる状態にまで回復させることができた。なぜ涙を流していたのかは、未だによくわからないのだけれど、それも含めて、今日の放課後、白鷺さんが住んでいるマンションで教えてくれるとのこと。
えー、つまり、あれです。
僕はなんと、現在、美少女の部屋に居ます! いえー!
「で、白鷺さん。この部屋、足場すら見当たらないんだけど、どうすればいいの?」
「自分の居場所は自分で作って」
「うわーい、無駄に良い台詞だー」
…………凄く、散らかっているけどね。
なんか、こうね、衣服とか、TRPGのルールブックとかがそこら辺に転がっているし、そもそも、本棚から本がはみ出ているし、ぬいぐるみたちがそこら辺で山になって重なってるし! 良く見れば十面サイコロがマキビシみたいに床に転がっているし!
「……じ、だ」
「ん? どうしたの? 佐々木君」
無表情に小首を傾げる白鷺さんに、僕は掴みかからんがばかりの勢いで吼えた。
「大掃除だー!!」
生まれて初めて自覚したけれど、どうやら僕は、ある一定レベル以上に散らかっている部屋を見ると、暴走するらしい。
僕は無我夢中で部屋を片付け、おろおろと困惑する白鷺さんをしかりつけ、強制的に片付けさせた。片付けていく過程で、白鷺さんの衣類とかも手に取ったような気がするけれど、その時の僕はある意味、無我の境地だったので、特に気にしなかったようだ。
そんなわけで、僕と白鷺さんは本題をそっちのけで大掃除し…………結果、
「佐々木君、空が暗いよ」
「暗いねー、白鷺さん」
「今、何時だっけ」
「午後七時」
「掃除を開始したのは?」
「午後五時くらい」
「…………」
「…………」
「ごめんなさい、部屋汚すぎて」
「や、僕も色々暴走しちゃって、ごめん」
すっかり、夜になってしまいましたとさ。
僕としては、いきなり女の子の部屋に、夜まで居座るっていうのは、レベルが高すぎると思う。しかし、だ。残念ながら、これから白鷺さんと話す内容は、どうにもそんな雰囲気では無い。今日は遅くなったから帰るね、で済ませて良い話じゃないのだ。
「えーと、大掃除も無事終わったと事で、白鷺さん。そろそろ、話して欲しいんだけど」
「うん、話すよ。ちゃんと、最後までしっかり話す」
僕らは散らかった部屋から発掘したテーブルを挟んで、座る。白鷺さんが冷蔵庫からオレンジジュースのボトルを持ってきたので、ありがたく頂いた。
甘酸っぱく冷たい液体が喉を通り過ぎ、大掃除で渇いた喉を潤す。
お互いにオレンジジュースで軽く喉を潤した頃、白鷺さんはぽつぽつと話し始めた。
僕の知らない、非日常を話し始めた。
「まず、私のことを話すよ。昨日、貴方が見たとおり、私はおおよそ、『普通』じゃない。少な
くとも、佐々木君みたいな表の世界で生きてこなかった裏の住人。そして、【世界平和委員会】に所属する委員にして、【異能者】なの」
「んー、まぁ、昨日のアレを見たら白鷺さんが普通とは言いがたいというのは理解できるけど、その、【世界平和委員会】ってどういう組織なの?」
「世界を平和にする組織」
「いや、まんまじゃん。こう、どんな活動をしているのか? とか、もっと詳しくさ」
というか、すごくその組織胡散臭そうなんですが。
ふうむ、と白鷺さんは無表情のまま考え込む。
…………じろじろ見るのは失礼だと思うけど、やはり、どう客観的に見ても、白鷺さんは美少女である。僅かに、眉間に皺を寄せるその姿も、一枚の絵画のように様になっていた。
「佐々木君」
「うえっ? あ、うん、なにかな?」
やばい、うっかり目が合ってしまった
真剣な話をしている最中に、うっかり見とれてしまうとか、ちょっと格好悪い。不快に思われていなければ良いんだけど……あ、うん、全然気にしてないね。なんか、目を見たら一瞬で理解できましたよ。
「世界は、貴方が思っているよりも、とても不安定。いつも、滅亡の危機に瀕しているし、こうやって話している三秒後には、巨大な隕石によって、この惑星が砕かれるかもしれない。そんな不安定な世界を守り、できる限りの平和を、最大公約数を求めるように守っていく。それが、委員会の存在理由」
「つまり、世界規模の正義の味方ってこと?」
僕の問いに、白鷺さんは首をふるふると横に振った。
「委員会はあくまでも、『平和』を守るための組織。基本的に人命救助も行っているけど、集団のためになら、あっさりと個人を切り捨てる」
「シビアだね」
「世界の平和を守るのは、簡単じゃないから」
そう言う白鷺さんの声は冷たく、表情もどこかか寒気を覚えるほどの無機質さを持っている。
世界の平和を守るのは簡単じゃない。
当たり前すぎる台詞だけれど、そこには、僕なんかの言葉とは比べ物にならないほど重い何かが込められていた。
「そして、私は平和を乱す異能や、怪異を対処するチームに属している。今回、貴方の学校に転校してきたのも、その仕事に関係しているから」
「転校生が秘密組織の一員なんて、ベタだねぇ」
僕が苦笑すると、白鷺さんは無表情で言葉を返す。
「私たちは別に、何も秘密にはしていない。けれど、信じたくない人がたくさん居るから、私たちみたいな存在は、秘密にされている。ただ、それだけ」
「……ふぅん」
秘密にされている、ね。
よくわかんないけど、複雑な事情が背後にありそうだ。まぁ、僕には到底、関わりないことだろうけれど。関わって欲しくないけど。
「でさ、話を戻すけど、白鷺さんがこの学校に派遣されてきたのって、昨日会った狂人みたいな奴を対処するため? というか、なんだかよくわからないこと叫んでいたけど、あいつも白鷺さんみたいな【異能者】なの?」
「前者は肯定、後者は否定。昨日、暴走していた女子生徒は【異能者】ではなく、【魔法遣い】。分かりやすく言うなら、【魔法憑き】」
「えーと、わかりやすく説明してもらってもオッケー?」
「オッケー」
そんなわけで、白鷺さんが説明してくれたことをまとめてみる。
・【異能者】は自分自身の力(この場合、魔力でも霊力とも呼ぶ)を使って、世界の法則を改ざんし、結果を招く者のこと。
・【魔法憑き】は、この世界とは異なる法則、つまり魔法と呼ばれる者に取り込まれ、その魔法に支配されるがまま、魔法を使い続ける者。この場合使用する力は、大気中に紛れ込んでいるマナ、もしくは大地に張り巡らされた龍脈を用いる。
・【魔法憑き】という存在は、【魔法使い】によって魔法を貼り付けられた者。
えー、段々、現実感が薄れて参りました。
「んーっとさ、話を聞くだけだと、まるで【魔法憑き】が被害者みたいに思えてくるよ?」
「実際、その通りだから。【魔法使い】によって、心の弱さを突かれた人が、その弱みに魔法を貼り付けられて、魔法に憑かれる。これが、【魔法憑き】が生まれるシステム」
「魔法に憑かれた人を戻す方法は?」
「現時点では存在しない」
「そっか……」
だから、白鷺さんは昨日、あんなにもあっさり人を殺したのか。
助けられない、と分かっているから。
「【魔法】というのはね、この世界とは異なる法則を使って、結果を出すことなの。だから、【魔法】を貼り付けられた者をどうにかするとしたら、それこそ、貼り付けた【魔法使い】ぐらいしか居ないの。この世界の法則に縛られている私たちじゃ、どうにもならない」
「【異能者】とか言う、世界の法則を曲げる奴らでも?」
「難しい。こっちは所詮一代限りの能力。あちらは千年以上続いてきた、強固な世界観を持つ存在。レベルが違いすぎる」
一拍置き、白鷺さんは僕の目を見つめながら言葉を続けた。
「だから、殺したの。このままじゃ、余計に被害が広がったから」
淡々と白鷺さんは殺人を告白する。
人を殺したのは自分だと、僕へまっすぐに伝えてきた。
人殺し。
忌むべき罪悪。
同属殺しの禁忌。
目の前にいるのが殺人者だ。
しかし、決して犯罪者ではないし、糾弾すべき相手じゃないことぐらい、さすがの僕ぐらい分かるさ。
「了解、それも理解できた。それで、【魔法憑き】っていうのは、全部が全部、あんな感じの狂人なわけ?」
「ううん、そうじゃないけど。どんな【魔法憑き】になるのかは、その【魔法】の種類というか、『ページ』で変わったりするの」
「ページ?」
「そこについては、私も実はよくわからなかったりする。だから、そこは後日、私が【魔法】関連に詳しい人と会いに行くから、その時に一緒に訊いてみよう」
「え、あ……うん」
やばい、ついうっかり、頷いてしまった。
というか、ナチュラルに僕も付いて行く流れに成っていたのはどうしてだろうね?
「これで大体、貴方に説明しなければいけないことは終わり。質問は?」
「んー、そうだなぁ……あのさ、白鷺さんって【異能者】なんだよね? なんか、昨日もしゃべる狼とか出してたし、白鷺さんってどんな能力持っているの?」
「…………ふむ」
白鷺さんは一息吐くと、短く呟いた。
「【空想友達】、発動。コール、ケリー」
短く言葉が呟かれた瞬間、白鷺さんの隣の空間が急に歪んで、気づくと、その空間には、昨日見た狼が居た。まるで、最初からそこに居たかのような、確かな存在感を持って、白鷺さんの隣に座っている。
「いよう、旦那。また会ったな! おれっちはケリー! 隣に居るマスターの友達にして、マスター自身でもあるぜ。ま、これからよろしくな!」
「よ、よろしく?」
わふっ、と何かを催促するような息遣いをするので、恐る恐る左手を出してみた。
「がぶっ」
喰われた。
「ぎゃー! 白鷺さん、白鷺さん! 君のところの狼が、僕の左手をぱくっと齧っているんだけど!?」
「大丈夫、甘噛みだから。ケリーの愛情表現だから」
そ、そうなんだ…………でも、左手が凄く舐られていて、とてもくすぐったいというか、気恥ずかしいんだけど。
「佐々木君、これが私の能力、【空想友達】。私の空想上に存在する友達……つまり、私の中にある別人格に姿を与える、具現化能力なの」
「ああ、うん、わかった。わかったから、いい加減、この左手を解放してくれないかな?」
僕が苦笑交じりに頼むと、白鷺さんは「ケリー、止め」と短く命令した。ケリーという狼は、何処か不服そうだったけれど、なんとか左手を解放してくれた。
「ちなみに私は多重人格者で、所有している人格は軽く二十を超えたりするの」
「おれっちも、その中の一つなんだぜ」
「さらっと、結構重要なことを言うよね、白鷺さんも」
僕はよだれまみれになった左手を、ティッシュで拭いながら訊ねる。
「僕が今まで見た限りじゃ、いつも変わらない白鷺さんに見えたんだけど、そこのとこどうなの?」
「主人格である私が、完全に他の人格を押し込めるから、いつも私で居られる。そして、いつでも他の人格に変われるの」
「えーっと、つまり?」
「つまり――――――こういうことだぜぃ、旦那ぁ!」
「うわっ!?」
いきなり無表情だった白鷺さんの表情が、満面の笑みに変わった。
そして、そのことを僕が指摘するより前に、白鷺さんが僕の首に抱きついて来る。
柑橘系の甘い匂いが鼻腔をくすぐり、柔らかな体の感触に、顔の温度が上がっていく。恐らく、僕は今、茹蛸のように真っ赤になっていると思う。
「へっへっへー、旦那の首筋ってどんな味なんでしょーかねぇ?」
豹変した白鷺さんに戸惑っていると、べろり、ぬるぬるとした軟体動物に首筋を這われるような感覚が。
「ひゃっ、ちょっ、白鷺さん!? な、舐めるとか、それはちょっと……!」
ふと、僕は気づく。
いつの間にか、この場に存在していたはずの狼が、ケリーが居なくなっていたことに。
加えて、いつもの白鷺さんじゃ、とち狂ってもやらない行動。ということは、だ。
「き、君はひょっとしてケリーだったりする!?」
「せぇーかーい」
「みゃっ!?」
がっしりと白鷺さんの両手が、僕の頭を固定する。
そして、ゆっくりと近づいてくる、白鷺さんの唇。
「正解者には、ごほうびのキスだぜぃ」
「ちょ、まっ!?」
艶やかなまなざしと、甘い吐息。
いつも無表情な白鷺さんが、とろんとした、まどろむような表情で迫ってくる。
やばい、これはやばい。逃げようが無い。
理性で理解していても、本能が動くことを拒絶する。なんという魅力なんだろう? ただの平凡な男子中学生の僕じゃ、とても抗いきれないっ! …………よし、言い訳はできたし、うん、仕方ない、不可抗力ってことでー。
「っつう!? むぅうううう!!」
「ん?」
お互いの吐息がかかるぐらいにまで近づくと、白鷺さんの顔が真っ赤に染まり、弾き飛ばされたように後ろへ跳んでいった。
「むううう!?」
ごろごろと数回回転し、そのまま壁へ激突。
スカートがめくれて、下着があらわになるような悲惨な体勢で止まった白鷺さんは、しばらくするとよろよろと立ち上がり、僕の前まで、這いずってくる。
「さ、佐々木君」
「なにかな? 白鷺さん」
「はぁはぁ。さ、さっきのは断じて私の意志ではない。はぁ、はぁっ……あれは、エロ犬がやったこと。私が体を渡したから調子に乗って、貴方に襲い掛かった。オッケー?」
「オッケー。だから、ちょっと息を整えて、落ち着いてみようか、白鷺さん?」
「はふー」
なんというか、いつもクールな白鷺さんが、こんな感じに慌てている姿は、とても可愛らしかった。




